大蛇丸
そうだった。俺は、『変わりたかった』んだ。
アキラは自身が魔導協会に入った理由を思い出した。トリガーとなったのは東条の語りだが、それ以前に維月との再会、純とホンファの戦闘。この二つがあって、アキラは東条に稽古をつけてくれるよう頼んだ。それ自体は珍しいことでは無かったが、今回のアキラは本気の度合いが違った。それまでは自分より遥か高みにいる強者達の存在に立ち尽くし、無意識のうちに願いを捨てていた。男の風上にも置けない、恥知らずも甚だしいことをしていた。
「維月姉ぇがあんな究極の女性なら……」
立ち上がり、得物である薙刀『大蛇丸』を構える。心と耳で自分自身に言い聞かせるため、声を張り上げた。
「その横に立つのは、究極の男じゃねぇと不釣り合いだろうが!!」
「ほう?」
正面に立つ東条がニヤリと笑う。アキラの言葉の意図を察してか否かはわからないか、その顔からは『良い顔だ』といった何かしら賞賛の意味が込められていることは想像に難くない。
そしてアキラはより一層気合いを入れるため、模擬戦闘室を監視している柳に通信を入れた。
「聞こえますか、柳さん」
『ええ、聞こえているわ。何かあったの?』
「お願いがあるんすよ。『痛覚リミッター』を外して下さい」
『……いいの? 貴方は今、八割のリミッターを掛けているのよ。それを外すってことは、痛みが五倍に跳ね上がること』
「承知の上ですよ」
魔導協会指定の戦闘スーツには、痛覚リミッターと呼ばれる機能がある。その名の通り、魔術師の痛覚を鈍化させることで戦闘で受ける苦痛を和らげるためのものだ。ただし、アーシェラとの戦闘は命掛けの危険なものであるため、それに対する意識がゲーム感覚にならないよう、最大遮断率は八割に指定されている。ただ、痛覚と同時に体を動かすために必要な他の感覚も幾らか鈍くなってしまうため、実力のある魔術師の大半はゼロ、していても二割程度というのが殆どだ。
『解除したわ。気をつけて』
「……行きます」
怪我をしない訓練とはいえ、痛みは概ね再現される。それまでとは比較にならない痛みを受ける可能性がある。肝が冷える心地を実感しながら、深呼吸して突撃。
そうしてみると、直進する身体に感じる空気がいつもより多く、体も軽い。痛覚リミッターのデメリットが身に染みてわかった所で、如何にして東条を出し抜き、倒せるかを考える必要がある。
現状アキラに東条を打ち倒せるだけの膂力も、速度も、技術もない。そもそも、彼が東条と戦闘して、勝利したことはこれまで一度も無かった。先程のように正面から突っ込むのは明らかな愚行。策を講じた所でなお勝ち目の薄い相手を倒すには、相手の想定を超えることが重要になる。
「なら……」
左手を薙刀から離し、手のひらの上で空気が球状に集束する様をイメージする。空気を圧縮して球体に固める、基礎的な魔法。それを東条の顔面へ射出すると、再び薙刀を両手で持って前進。
撃ち出された球は音を立てながら、時速80キロ程度の低速で東条を襲う。そんな低速の物体は首を傾けられただけで躱される。が、アキラはそうなることを期待していた。
「今だ」
アキラを迎え討とうと東条が構えた瞬間、空気の球は『大きな音と共に破裂した』。
「ぬぅっ!?」
攻撃態勢に入っていた東条は、その音に驚き硬直した。
「……行くぜ」
アキラは全力で床を蹴ると、無防備になった東条の首を切り落とすべく薙刀を振る。
霧島アキラは、魔術師としては二流以下。だがそれは全てにおいて劣等という意味ではない。純のパワー、白峰の技術。それらに勝るとも劣らない長所が彼にはある。
彼は、所有する魔導因子の質が非常に良かったのだ。
魔導因子の質が高いとより高度なかつ複雑なイメージを反映させることが出来る。それは個人によって差異がある固有の魔法においても、それ以外でも同様である。ホンファの『追白虎月』が『血液を付けた相手を追う』ものであって、追尾そのものに本人の意思が介在しないのは彼女の魔導因子が『遠隔操作』という高度な事象を発現させられる程の性能でなかったからだ。
しかし、アキラの場合圧縮された空気を任意のタイミングで破裂させるという遠隔操作の技が可能であった。それを利用した不意打ちの音爆弾。突然の爆音に東条も体を揺るがせ、明らかな隙を見せている。
決めるなら今しかない。その一心で放った渾身の一撃は東条の頸動脈を――――切り裂く寸前に『盾』で阻まれた。
「惜しかったな、肝が冷えたぞ。だが先月、盾を張れずにザリオンに腕を裂かれたからな。今は、もう忘れんよ」
額から汗を流しつつ態勢を整えた東条が、斧を振りかぶっていた。
終わった。好機を逸したアキラの脳内を『諦め』の文字が支配する。また勝てなかった。ならば次に――。
「……まだ」
いや、まだ終わっていない。つい先程思い出した自身の願い。そのために今出来ることをする。そうでなければ、開始点にも立てない。だが今は東条の攻撃を躱すのが先決。しかし、彼の攻撃は重さの割に速い。だが、ここで諦める事は出来ない。
歯を砕けんばかりに食い縛りながら、強固な盾を打って痺れる腕を思考から弾き後方へと跳躍する。振り下ろされた斧は訓練室の床を激しく打ち、甲高い音を響かせるも、アキラの身体に傷を齎すことは無かった。
問題はここから。先刻のような不意を突いた一手は恐らく通用しない。だから、小細工無しの全力を打ち込む。やることは今までと大して変わらないが、ここまで戦闘中に何かを考えてからやるのは初めてだった。
「アイツも普段こんな感じなのか……」
その中でかの親友を思い出す。脳筋みたいな外見の割にいつも考えてばかりの面倒な奴だが、こういう戦闘の時はそれが役に立つんだろうか。
そこまで考えたところで意を決し、東条へ襲いかかる。あんな豪快な一撃を振り下ろした直後なら、反動で動けないはずと推理し、彼の頭部を切開するべく薙刀を振り下ろす。
その刃を阻むべく、予測線状に盾が張られた。
「そう二度もかかるかっての!」
盾と薙刀が衝突する寸前、アキラは身を捩りつつ薙刀の軌道を横へねじ曲げた。技術を伴わない力のみでの動きに腰が痛む。だが、その程度では最早止まらない。
「オオオォォ!!!!」
再び身体を捻り、刃の軌道を東条の首へと走らせる。突然の軌道変更に東条は瞠目した。が、それだけだった。東条は斧から手を放すと、手元に小型のナイフを出現させ、薙刀を防いだ。拮抗したのは一瞬だが、東条が隙を挽回するには充分。即座にナイフを消去して斧を持ち、横薙ぎに振りかぶる。
避けられない。直感がそう告げる。ここまで来て負ける。
あと少しだった。だからこそ悔しさがこみ上げてくる。今までと気合が違うから変わる足掛かりにはなった。そうかもしれないが、それでも勝ちたい。東条の首さえ断てれば勝てる。
「それさえ……出来たら……!」
悔しさを噛みしめるアキラはその瞬間ーーーーふと、薙刀が軽くなったような気がした。不思議に思って『大蛇丸』を見ると、刃が丸ごと消えていた、いや『彼の眼前に浮いていた』。
「……え?」
次の瞬間、柄から自立した刃はまるで獲物へ喰らいつく『蛇』のように、東条の喉笛へ飛来する。そして、アキラの身体と東条の斧が接触したと同時に、東条の首から鮮血を表現する光のエフェクトが噴出した。
*
結果は引き分け。アキラの身体が横に両断されたのと、東条が失血多量で倒れたのは全く同じタイミングだった。
「いっ……」
模擬戦を終えた後、アキラが最初に感じたのはーー。
「っづぇぇぇぇ!!!!! 比じゃねぇぞこれ!!!! マジかよあいつらこんなん耐えてたのかよ!?!?」
痛覚リミッターをゼロにしたことで襲いかかった想像を絶する激痛を受け、アキラは床を激しく転がり回った。尤も、死亡した時点で痛みは無くなるため、文字通り『死ぬほどの痛み』は一瞬で治ったのだが、それでも目尻に涙を浮かべて悶絶するばかりだった。
「キツいだろう。俺も……慣れるまで随分掛かったものだ」
東条は既に立ち上がり、アキラに手を差し伸べていた。延べられた手を取って立つアキラに東条が笑いながら話を振った。
「お前、あんな隠し玉いつ身につけた?」
「えっ? いや、俺も良く分かんないっす……こいつが突然……あれ?」
大蛇丸を見ると、それまで何の変哲も無い薙刀だった物が心なしか輝きを増しており、その刀身には『蛇と月』のレリーフが施されていた。
「なんか、今までと違うような……」
「……『固有魔法』だな」
「え?」
「霧島、お前さっき何かを叫んでいたようだが」
「叫びましたね」
維月に対する恋慕、そして彼女に相応しい男になるという想いを宣誓した。だが、それと自身の固有魔法である『大蛇丸』とは何の関係があるのか。
「固有魔法は基本的に『武装プラス何らかの特殊技能』あるいは『特殊効果を持つ武装』の何れかだが、稀に特殊効果のない武装のみが発現するケースもある。これが発現した場合、使用者が自身の『本願』を忘れているか押し込めている可能性が高い」
「つまり、どういうことですか?」
「考えられるのは、お前が自身の願いを思い出した事で、それまで不完全だった『大蛇丸』が完成したってことだ」
「そういうことか……」
銀の刀身を誇らしげに輝かせる大蛇丸を見て、胸の内から込み上げてくるものを感じたアキラは、東条に頭を下げた。
「ありがとうございます、東条さん」
「よせよ、俺は何もしていない。これはお前の意志が引き出したものだ。後は、技術面だな」
「それは……まぁ、そのうち……いや、直ぐにやってやりますよ」
「おう、その意気だ。稽古ならまたつけてやろう」
それは、あまり大きな変化という訳ではない。少なくとも強さという一点において、アキラはまだ『並の魔術師』の域を出ていない。しかし、胸にある確かな手応えと眼前の大蛇丸の輝きは真実だった。




