女二人
既に救出戦から三週間もの歳月が経過していた。あれからアーシェラの襲撃は確認されていない。とはいえ一週間に二度も襲撃を受けた事自体が前代未聞であり、これまでならアーシェラが一か所に来るのは基本的に三か月に一度あるかどうか程度なので、彼らの活動がこれまでと同じようなものだとすれば、あと二か月は襲撃されないだろう。
そして時期は八月半ば。お盆休みに入ったものの、アーシェラ襲撃を警戒するため、魔導協会の休暇は一日ずつの交代制。世間の学生が近づく新学期の到来に怯えている頃、魔導協会でも、一名身を震わせている者がいた。
「うえ〜〜……あと一週間で夏休みが終わっちまうっス……」
ラウンジの机に伏して嘆く桃色の髪の女性は、オペレーターの星野芽以。彼女は高校に通いながらもオペレーター業務をこなしており、外見は明らかなギャルであるもののかなりの才女である。
「貴方はまだ花の女子高生だものね……。私にはもう夏休みなんてものはほんの数日だけよ」
「ひい〜〜聞きたくない、リアルな話なんて聞きたくないっス!」
星野の正面に座る黒髪のショートヘアと右目の下にある涙ボクロが特徴的な女性は、オペレーター三人の中では最年長である柳夏果。既に大学を四年前に卒業した彼女にとって、一月以上の夏休みなど在りし日の想い出にしか存在しないものだ。
「でも貴方、学校のほうは大丈夫なの? あまりこっちに構っていると勉強のほうが疎かにならない?」
「まあそこは大丈夫っすよ。ワタシこう見えて結構悪くない成績取りましたからね。そうでなくとも留年はしないんで」
「一年生のうちはそうでも、二年生以降が大変よ」
「あー……その場合は…………」
星野は少しの間思案を巡らした後に机から勢いよく身体を起こすと、ドヤ顔混じりの顔で親指を立てた。
「瀬良さんに家庭教師をお願いすればいいっしょ!!」
「……あの娘に迷惑でしょ」
柳がため息を吐いて頭を抱える。
確かに瀬良は本人の学力もさることながら他人に教えるのも上手い。性格的にも教職にはこれ以上ない適性を持つだろうが、彼女は大学に通いながら協会のオペレーターとして活動している。
性格を考えれば『お任せ下さい』などと二つ返事で承諾しそうだが、只でさえ多忙な彼女に更に負担を強いるのは良いことではない。
「というか、芽以ちゃん。貴方将来のことはどれぐらい考えてる? 高校卒業したらどうする、とか」
「卒業したらっすか? そりゃ勿論、魔導協会に就職しますよ! 職員さんにも『卒業したら正社員になったら?』って今からマークされてましたし!」
「もう言われたの? 気が早いわね、その人」
確かに彼女のオペレーターとしての成長の早さには目を見張るものがあるものの、まだ高校一年の女の子をスカウトするとは、随分と手の早いものだ。ただ、あまり表立って求人を出せないという協会の事情を考えれば、有能な人材は喉から手が出るほど欲しいものだから早いうちに手を打っておくのは正しい。
「というか、どうするかっつったら夏果さん」
星野が口元を緩めながら、指で柳の手をツンツンとつつく。真面目な話をしていたのに何故この子は笑っているのだろう、と不審に思った矢先、彼女から発せられた言葉に柳は驚愕した。
「三船先輩とはいつ結婚するんすか?」
「〜〜〜〜!?!?」
文字で表現するのが不可能な声を発して彼女の身体はメデューサと目が合ったかのように固まった。
「け、け、結婚って……そんな、まだ早いわ」
「早くないっすよ〜〜だって先輩、三船先輩と付き合って何年っすか?」
「今年で三年、だけど……」
「いやいやいや早くないっすよ! それに先輩今二十七でしょ!? 適齢期じゃないっすか!」
前回の襲撃時、後輩を逃すために単身アーシェラの魔術師に立ち向かった三船。彼はその際の負傷で現在もベッドから動けないが、柳は彼の元に毎日のように行き、三船の隣のベッドにいるホンファから苦情が入る程に仲良く会話をしている。
「私はそうでも、彼はまだ……」
「まだなんすか? あの人は『結婚を考えないで女性と交際するなんて、そんな軽薄なこと出来ない』って言いそうですけどね。というか瀬良さん曰く、言ってたらしいっす」
「そ、そうなの……」
僅かに頰を染めながら柳は安堵しつつ小さく呟いた。
「私だけじゃなかったのね……」
その声が聞こえなかった様子で、星野が天井を見上げながら独りごちる。
「しっかし、どうせこういう話をするなら、みんなでしたいっすわぁ〜〜。瀬良さんは今日休みだし、滝本さんも休みだから愛花さんもいない。ホンファさんはベッドで『早く戦いたい』って唸ってるし、今女二人ですしここ」
しかしその独り言は、明らかに声が大きい。まるでこちらが乗るように誘導しているかのようだ。
星野がやろうとしているのはいわゆる『女子会』。乗れば開催されるメインイベントは確実に『恋話』。しかし、考えてみれば、自分は星野芽以という女の子のことをあまり深く知らない。付き合いこそ長くないが持ち前の明るさ故か、気がつけば結構親密になっていた。ところがこうして彼氏のことでいじられはしても、彼女自身の恋愛遍歴や趣味の類はあまり聞いたことがない。
瀬良に対してもそれは同様だ。彼女はかなりミステリアスで謎が多い。ホンファは久々に会ったために話をしておきたい。愛花という女の子も今の所は『何故かアーシェラに追われ、護衛だとしてもやり過ぎなくらい滝本くんにくっ付いている子』という印象しかない。
星野の案にあえて乗り、女性陣と親睦を深めるのも有りかもしれない。そう判断した彼女は、
「そうね。どうせならみんなで話をするのもいいわよね」
柳が話に乗ると、星野がニヤリと口角を上げて椅子から立ち上がり、右の拳をグッと握って宣言した。
「よっしゃ!! ならホンファさんが退院する週、つまり来週の土曜日! その日、空いてるミーティング室を借りるのはどうっすか!?」
「私は大丈夫だと思うけど、三人は大丈夫かしら?」
「ホンファさんに確かめてくるっす!!」
「あっ、ちょっと!?」
星野はダッシュで医務室に向かって行った。取り残された柳はポケットから手帳を取り出すと、スケジュールの記入されたカレンダーでホンファの退院する週の土曜日、その日付を確認した。
*
名古屋の一等地。そこに立ち並ぶ家々の中でも格別に巨大な豪邸。その一室、一人で使うには余りに広いその部屋に、その女性はいた。ヴィンテージ品の椅子に腰掛けて経済学の本を読むその人は、大和撫子という概念が形となったような気品と美しさを兼ね備えていた。瀬良に匹敵する、圧倒的な美貌。
只、巨大な振り子時計が時を刻む音のみが響く室内に、もう一つ新たな音が発せられた。それは凡そそれまでの閑静さには不釣り合いな機械音、携帯電話の着信音だった。彼女は一瞬怪訝な顔をすると、直ぐに椅子から立ち上がって電話に出た。発信者は、彼女の父だ。
「はい、私ですお父様。……いえ、存じ上げておりません。それが何か?」
電話から聞こえた言葉は、彼女の凛々しい表情を驚愕に染め上げるのに充分なものだった。
「 ……それは、真実でしょうか? いえ、そうだとしても何故今更……。いえ、決してそうではありません。……わかりました、来週、ですね。はい、失礼します」
電話を切った後、彼女は机の引き出しを開けて一枚の写真を取り出した。それは彼女の人生の中で最も満たされていた時を写した一枚。
そこには黒髪の少年の腕に抱きついて笑う茶髪の少女と、二人の横で大きく口を開けて笑っているくせっ毛のある金髪の少年。その後ろで三人を見つめて微笑む、セーラー服を着た自分が鮮明に映し出されていた。
このうち、金髪の少年とは未だ文通でのやり取りはあり、残り二人も彼の手紙での言及によると相変わらずらしい。
何故今まで許されなかったにも関わらず今になって彼らと会いに行くことが許可されたのか。それは分からないが、彼女が感じる胸のトキメキは、久しく覚える『楽しみ』というものだった。
「……アキラ」
彼女の名前は、海城維月。国内有数の規模を誇る企業体、その代表取締役の令嬢である。




