動き
ここは魔導協会の者達が知り得ていない場所。
『訓練終了』
無機質な機械音声と共に、眼前のディスプレイに数字が映し出される。
『SCORE 84000』
「チッ……」
男ーーアレックス・シュレイドことアルーーは自身のスコアに舌打ちし、右手の指を全て一斉に動かす。非常にスムーズに動くものの、やはり生身のそれとは感覚が異なる。
あの戦闘から一週間が経とうとしていた。アルは喪った右手をアーシェラの最新技術で造られた義手でカバーしている。人口皮膚を表面に貼り付けられたそれは、遠目に見ればとても機械には見えない程の完成度を誇る。しかし、義手故の微細な感覚の差異は彼にとって看過出来ないものであった。
本来なら九万は優に超えるはずの訓練スコアだが、それにさえ届かなかった。『色』の切り替えに僅かでもラグが生じるのは痛い。特に戦闘において主戦力となり易い色が配置された右手なら尚更だ。アルは、自分から右手を奪った魔術師の姿を再び思い起こす。
「あの男……」
日本人らしい短くカットされた黒髪、常に何かを睨んでいるかのように鋭い茶色の眼。間違えようはずがない。次邂逅するまでに右手を完全に慣らし、確実に抹殺する。氷の様な蒼い瞳に静かに闘志を燃やす。
そこに、久方ぶりに聞いた声が聞こえてきた。
「珍しいな、随分と熱くなっているようだが」
「エリアルド……何故ここに」
ライトに照らされ光る金髪、長身のアルが見上げる程の背丈。アルの旧友にして、通常ここにいる筈のない男。彼、エリアルド・ハートレイに凡そ友人との再会には似つかわしくない真剣な表情で話しかけられる。
「その腕……義手か?」
「ああ……手強いのがいた」
「君が言うのなら、相当だな」
まるで最近にも会っていたかの様な二人の会話を見て、彼らが数年ぶりに再会したなどとは誰も思わないだろう。
二人が年月の事を口にしたのは、会話が始まって数分後のことだった。
「五年、だったか? 変わらんな、君は」
「お前は少し老けたか? ……『実験』のせいか?」
「それもあるが、裏方は忙しくてな。『我々』がまだ出撃出来ん身故、同じ裏方の君が出ることになった」
「こうして無様に生き延びるなら、『あの人』の為に命令を無視してでもーー」
「死に急ぐな。それは『ノール様』の望みではない」
「……そうだな。すまない」
アルは深めに一つ呼吸をし、精神を落ち着かせる。少し熱くなり過ぎていた。
「それで、何故ここに?」
「……少し、出られるか? 話がしたい」
「聞かれては困る話か?」
「ああ、機密に関わるかもしれん」
「わかった。少し待て」
アルは訓練室を後にし、ジャケットを脱ぎ私服に着替えた。
*
「それで、話とは?」
「その前に何か頼もう。ここの飯は美味いぞ、私が保証しよう」
二人が現在いる場所は、ニースリヒト自治領。中東に位置する連邦国家『ベルフェリカ』の一部であり、比較的領地が広く、治安も安定した場所だ。
エリアルドに連れられたアルは、そこにあるレストランに入りテーブルに向かい合う形で座っている。時間はちょうどランチタイムの頃で、周囲は賑やかだった。確かにここなら会話を盗み聞きされる危険は低いだろう。そもそも、ここは既にアーシェラが掌握済みだ。
「メニューは見ないのか?」
「何度も来ている所だ、頼むものは決まっている」
「そうなのか。何を食べるんだ?」
「カサゴのアクアパッツァ、それとラム酒」
「おいおい、昼間から酒か」
アルは彼が酒好きだったことを思い出した。成人した後、一月に一度は酒屋に連れて行かれたことも。
「久々なんだ、酒が無ければ映えん」
「弱い癖に良く言うよ」
「あれから強くなったんだ。で、決まったか?」
「ああ。舌平目のムニエルと……白ワインでも飲むか」
アルの注文内容を聞くと、エリアルドは軽い調子でウェイトレスに声を掛け、サッと注文をした。そしてアルに向き直ると、明らかに上機嫌になっている。
「結局君も飲むんじゃないか」
「お前の言うことに一理あると思っただけだ。俺はお前と違って酒が好きではない。それより……」
アルは睨むと言ってもいい程の鋭い目つきで二人間の空気から『遊び』を消し去ると、本題へと踏み込んだ。
「話とは何だ? まさか俺を酒の席に付き合わせるための法螺という訳ではないだろう」
「……ああ、そうだな。アル、君も知っての通り、我らの主ノール様は半年前から病床に臥している」
「ああ。確か心筋梗塞だったな。先月から病状が悪化し、面会も難しいとのことだ」
二人の話していることは、アーシェラ内では既に知れ渡った事だった。だが、これは話の前提、切り出しに過ぎないことはアルも承知している。
水の入ったコップを持ちながらエリアルドは普段より低い声で話を続ける。
「そうだな。そして現在摂政として指揮を執っているのがーー」
「『エルシア』だな。はっきり言うぞエリアルド、俺はあいつを好かん」
「私もだよ。しかし彼がいなければアーシェラは小規模な組織のままだった。が……」
エリアルドはコップの水を一口飲むと、再び話し始める。
「あの男がノール様の意向に沿って動いていない、ということは以前より囁かれていたが、上手くいけばその確証が得られるかもしれん」
「何?」
「仮にノール様に逆らうようなことがあれば、退場して貰おう」
「出来るのか? そんなことが」
「エルシア派は新人が多い。仮に抗争となっても勝てるさ」
「その場合戦力は相当に減るが……仕方ないか」
「そうならんように最善は尽くす。だからこそ、君にも協力して欲しい」
アルは待っていた言葉を聞き、不敵に笑った。
「よし、俺は何をすればいい」
「追って話すが、まずは『ヴィルクラフト』に連絡してくれ」
「ヴィルクラフト? 確かにあれは話の分かる男だが、彼奴はお前と同じ部隊だろう。自分でやったほうが早いんじゃないか」
「『救世の光臨』は全員バラバラにされたよ。『オールダイン』に居るのは私だけだ。奴は今ドイツにいるが、時期にここに来るらしい」
「何故そんなことに? 確かに魔導協会がこちらを察知していない以上、最高戦力を中枢に集める必要はないが」
「ノール様の意向、らしいな。十中八九エルシアの考えだが」
エリアルドはため息を吐くとコップの水を飲み干した。その時、彼の胸に整然と輝く『救世の光臨』の部隊章が見えた。『アーシェラ最精鋭部隊』のそれだけあって、その印が威光を発しているように感じた。
「まあそれは捨て置いて、ヴィルクラフトが来たら、頼む」
「いいだろう、俺としてもエルシア派がのさばるのは気に食わん」
そこまで話したところで、注文の品が届いた。二人は同時に酒の入ったグラスを持ち上げると、全く同じ事を口にしてグラスをぶつけ合った。
『ノール様のために』




