戦いの後に②
戦闘後の治療、報告等に追われている内に気が付けば外はほのかに闇を纏っていた。
諸々の事後処理を終え、七時まであと数分といった頃に愛花を迎えた純だったが、彼を待っていたのは頰をむくれさせてツンとした態度の愛花だった。
彼女を連れてファミレスに来たはいいが、心配に心配をかけさせて帰って来た人が一分にも満たない時間しか会ってくれなかった上に夜まで放置、ということには流石の愛花も立腹のようだ。
「夕方、二十分くらい休憩時間あったでしょ? どうしてその時に来れなかったの?」
「あー……それはだな……」
「訓練室行ってたんでしょ!? 怪我してるのに! 怪我したばっかりなのに!」
全面的な過失を突かれ、押し黙る以外の道を絶たれる。夕食時で周囲はそれなりに騒がしく、怒る愛花に意識を向ける人はいない。
確かに彼は夕方の休憩を利用して訓練室に入り、自己の動作確認を行なっていた。結果は当然、万全の動作は出来ず、しかも『書類仕事の休憩中に訓練してたら休憩の意味がない』ともっともな理屈で瀬良とアキラに止められ、十分も動けなかった。
その後休み時間にも書類整理を行ったため、七時前と予定より早く終わらせることは出来たが、愛花の事がすっかり抜け落ちていたのだ。
「コーンスープ、ビッグハンバーグプレート、ビーフドリアをお持ちしました。ごゆっくりどうぞ」
ハンバーグプレートが愛花、コーンスープとビーフドリアが純の前に置かれる。
愛花は手を合わせた後、熱々のハンバーグを頬張り、飲み込む。そして再び純への小言を再開した。
「そりゃあ霧島くんや協会の皆が心配なのはわかるんだけどね……もぐもぐ……ごくっ。だからそっちはそんなに怒ってないよ。だけど……むぐむぐ……ごくん。休憩時間にも声の一つも掛けないって何!?」
「食べながら喋らないのは良いけど、それならどっちかにしてくれ……」
余程空腹だったのか、一言発する度にハンバーグを一口食する愛花に呆れる純だった。
*
「……ホント、すっっっっごく恐かったんだから。帰って来た時、ホッとして泣きそうになったんだよ」
「うん、ほんっとゴメン。言い訳も出来ない」
「わかった? 今度から、帰ったら少しぐらい話してよ? ちょっとぐらい、遅くなってもいいから」
「うん……約束する」
「そっか……」
結局愛花は怒るより食事を優先し、二百五十グラムのハンバーグと付け合わせのサラダ、茶碗一杯分のライスを完食した。その後にデザートが控えているが、一度満腹になって落ち着いたのか、その後の彼女の怒り方は大人しめになっており、どちらかと言えば『諭す』様な言い方になっていた。純も今回は全面的に自分が悪いと考えていたため、彼女に平謝りした。
結果、愛花もそれ以上機嫌を悪くすることもなく、穏便に決着した。
「良かった、わかってくれて」
「……分からないと思ってたのか?」
「んー……ちょっとだけ」
愛花は指で『ちょっと』を表現して苦笑する。
「純って時々すっごく頑固だから。その辺りはお父さん……慶治さん似だよね」
「父親似とは、偶に言われるけど。俺、あそこまで石頭じゃないと思うんだけど」
純の父、滝本慶治はかなりの頑固親父であり、特に近所の小学生から非常に恐れられている。故に純とも時々言い争いをし、とりわけ彼が魔導協会に就職する際は史上最大の大ゲンカとなった。結果、彼が協会に入ることはどうにか認めさせたものの、それ以降両親との交流は母、『早苗』と携帯で稀に通話する程度で、父とは半絶縁状態である。
純は決して父が嫌いな訳ではないし、彼の言葉も自分への心配から来るものであることも理解している。だが、『愛花を守る』という精神から来る行動を阻害されれば、熱くなって喧嘩になってしまうのだ。そういう経緯もあって、純は自分の現状を実家に話していない。
「早苗さん、どうやって慶治さんを落としたんだろう」
「それは永遠の謎かな……聞いたことはあったけど答えてくれなかったし。で、俺そんなに似てるか?」
純個人としては、自分は両親のどちらに似たというのは然程無く、両方から半分ずつ貰ったと考えている。
「うーん、慶治さん七、早苗さん三ってところかな。目元とか慶治さんそっくりだよ」
「そうか」
言われてみれば、と少しだけ認識を改める。
どちらに似ているか、で純は愛花をじっと見つめた。
彼女は、『母親似』なのだろうか、と。
改めてじっくり見ると、愛花はやはりかなり可憐な少女だと再認識する。
肩に少しかかる程度の撫で心地の良さそうなーー実際に良いーーサラサラの茶髪。翠色の、エメラルドの様な美しい瞳。ニッコリ笑えば、口元には可愛らしいえくぼが顔を出す。
アキラの想い人である維月。そして協会の男性陣から絶大な支持を得ている瀬良。この二人も容姿の面では確かに恵まれているが、彼女たちは『妖艶』とも言うべき大人の女性としての魅力がある。対して愛花はただただ純粋に『可愛い』のである。彼女は『維月さんみたいに凛々しい人になりたい』と言うこともあるが、純はその度に『愛花は愛花だから、そのままで大丈夫』と言っている。彼女の相手となる男性には彼女の持つ本来の良さを受け入れられる人であって欲しいからだ。
「あ、あの……純……?」
愛花の頬が徐々に紅潮していく。この辺りが表に出やすいのも彼女の良さだ。
そこまで考えたところで、純は愛花が何故顔を真っ赤にしているのか、と考えたが理由はすぐにわかった。
「えっと……そんなに見つめられたら……恥ずかしいんだけど……」
「……あっ」
伏し目がちに、消え入りそうな声で発せられた言葉が純を現実に引き戻した。
純は即座に視線を窓に移し、心臓の鼓動を落ち着かせる。横目で愛花を見てみると、顔を伏せたまま両手の指をもじもじと不規則に動かし、あうあうと何か訳のわからないことを言っている。
「…….ごめん」
「謝らなくていいよ。だって、その……嫌な訳じゃないし」
また何やら気まずい空気になってしまう。最近、こんな事が増えてきたような気がする。共同生活をする以上、どうしても彼女を『女性』として考えなければならない自体が多発してしまうのは仕方がないのだが、それにしてもここしばらくの自分は浮かれ過ぎている。反省しなければ。
そんなことを考えていると、この空気を破る救世主が降り立った。
「デザートをお持ち致しました」
店員が、愛花の注文していたデザートを持ってきたことで、気まずい雰囲気に一石が投じられた。
それは、巨大なチョコレートパフェ。一人で、しかも食後には食べ切れないであろう圧倒的なサイズ。
しかし、そんなことは今はどうでも良かった。すっかり何も言わなくなった愛花を起こせるか、というのが重要だった。
食べることが好きな愛花だが、特にスイーツの類は大好物。なのだが、パフェが見えているであろうに、彼女は未だ頭を垂れたままだった。
純が想像していた以上に愛花にとって、彼に見つめられたことが恥ずかしかったらしい。
だが、このままでは彼女とコミュニケーションを取ることが出来ない上に、いつまでもこの空気のままで居るわけにもいかない。
「愛花、パフェ来たけど?」
「あうぅ……」
声を掛けても全く効果がない。かといってあまり大きな声を出しても周囲に迷惑がかかる。ならば、と純は強行策を取った。
パフェの前に何故か二つ用意されたスプーンの片方を手に取り、ソフトクリームの頂を掬う。そしてテーブルから身を軽く乗り出し、左手で愛花の顎を強引に上向きにさせると、すかさず正面を向いた口へスプーンを滑り込ませる。
冷たいアイスでクールダウンでも、という念も込めた一手だったがーー。
「え、えと……純、これって……あれだよね!? 『あーん』だよね!? も、ももももも……」
却って逆効果だった。目を点にしながら呂律が回らず、只管に大慌てしている。
功を焦り過ぎた、と失策を後悔する暇など無しに、愛花が想定外のワードを発した。
「も……もう一回、して欲しいんだけど……ダメ?」
今度は純の目が点になる番だった。
「へっ?」
「だから……もう一回『あーん』して欲しいなって……」
まあ減るものじゃないかな、などという考えは後付けであり、純は考える間も無く、何故か目を閉じている愛花の口にソフトクリームを運んでいた。
眩しい程の笑顔でソフトクリームを味わう愛花に、純も恥ずかしさを堪え切れずに左手で顔を覆う。
そんな純に、どうにかいつもの調子を取り戻した様子の愛花がもう一つのスプーンを手渡す。
「……これは?」
「シェアしたいなって。だから、おっきいパフェを頼んだの」
「シェア、ねえ……」
「甘い物、好きじゃなかった?」
「いや、好きだけどさ。何で?」
「何でも何も、純と食べたかったの」
愛花の考えが読めず、困惑する純。ストイックにトレーニングばかりしていた純は今時の若者事情に疎く、スマートフォンも愛花の勧めが無ければ持つ予定が無かった程である。
友人と何かを共有したいのだろうと推測し、とりあえず応じる。
「まあいいけどさ。じゃあーー」
「純、お返し。あーんして」
愛花が純にチョコアイスを乗せたスプーンを差し出す。
「あの……愛花さん? もしかして熱でもある?」
「無いけど?」
「何か、いつもよりアクションが多いような……」
「も、元はと言えば純があんなにじーっと見つめて来たからであって! いやまあ、調子に乗ってあーんのお代わりを要求したのはやり過ぎたかもしれないけど! んううぅぅぅ……」
愛花は再び顔を紅くして唸った後、純の口内へ強引にアイスをねじ込んだ。
「……甘い」
「でしょ? 美味しいんだから、一緒に食べようよ」
「……そう、だな」
口の中に広がったアイスの味は、今まで食べたどんなアイスより甘く感じた。愛花も同じように感じたのだろうか、などと下らないことを考える。
浮かれ過ぎている、だの反省せねば、だのとは考えたが、結局彼は一人の人間に過ぎない。純粋な甘さに満たされたこの場所で、愛する愛花とのひと時を無理やり打ち切れる様な強靭な精神までは持ち合わせていなかった。
一つのものを分け合う。ただそれだけの行為が何故これ程幸せなのか。その詳しい理屈は分からないまま、二人はチョコレートパフェを食べ続けた。




