戦いの後に
「純!!」
純が協会に帰還した時、最初に迎えたのは愛花だった。彼女は純を見ると心の底から安心した、という風な笑顔を見せたものの、直後に彼の負傷に気がつき怯えた様な顔に変化した。純はただ彼女の頭にポンと手を置き、
「俺は大丈夫だ」
と微笑んだ。
実際彼の負傷は先週に負ったそれと比べれば軽い。緑の弾丸は貫通力が弱いらしく、体の深部まではダメージが及んでいない。とはいえ、早期の治療が必要なことは変わらないが。
「それより、アキラ達は?」
「霧島くん? 確か、医務室に入ったのを見たよ」
「わかった、ありがとう」
愛花に顔を見せた次は、アキラの状況が気になった。不安な顔をした愛花が気になりはしたが、後でちゃんと話をしよう、と彼女に背を向けた。
*
「よお」
アキラは既に治療を終え、ラウンジに座って居た。炭酸飲料の缶を手に、もう片方の手を胸の前で小さく振っている。ガーゼが貼られた右腕以外、純がいた頃から追加の外傷は無さそうだ。
「大丈夫……そうだな。東城さんは?」
「今頃訓練室だろうぜ。あのバイタリティにはついていけねぇよ」
アキラはかなり疲れた顔をしており、決して楽な戦いでは無かったことが読み取れる。それだけの戦闘後に即座に訓練を行える東城は、確かに相当な持久力だろう。
「しっかし、今回はまだ派手さ控えめか」
純の姿を見て、アキラは少し安心した顔で純に近付き、ポンと肩に手を置く。
「愛花はこれでも駄目みたいだけどな」
「いや、そりゃそうだろお前。今医務室は重傷患者の治療してるから、その後にでも手当して貰えよ」
「ああ、そうするよ」
疲労こそ見えるものの、いつも通りに振る舞うアキラに安堵した純は、その足で医務室へと向かった。
*
診察の結果、特殊な包帯を巻いていれば一週間もあれば運動しても問題ない程に回復するダメージだった。特に入院する必要もなく、家に帰っても大丈夫だとのこと。思ったより傷が浅くて胸をなで下ろす純は、ベッドにいる二人に目をやった。一人は三船だ。今回のMVPと言っても過言でない彼は、疲れからか寝息を立てて静かに眠っていた。医師によると、しばらくは動けないが命に別状はないらしい。
そしてもう一人は、純の知らない女性だった。赤いボブカットの髪が特徴的な彼女の横には悠が座っている。その様子は、その人が意識を取り戻すのを待っているようだ。
しばらく見ていると、純に気付いた悠が近づいてきた。
「お疲れ様です、滝本さん。よくご無事で」
「お前こそ。って……平気そうだな」
「身体は大丈夫でしたが、今回の敵は厄介でした。星野さんが居なければ僕も危なかったかもしれません」
「星野さんが?」
星野が悠を助けるイメージがどうしても出ない。経験が浅く、常に何処かマイペースな彼女、という部分しか知らないからだ。ただ、高校に通いながらオペレーター業務をこなしている以上、無能でないのは確かだが。
「ええ、彼女には戻って直ぐにお礼とお詫びをしました。『よくわからない』って顔をされましたけど」
「そう……なのか。ところで、この人は?」
純は再びベッドで寝ている女性に目を向ける。
「ああ、この人は出撃前に話した『劉紅花』さんです」
「この人が? 近く帰ってくるとは言ってたけど、もう帰って来てたのか」
「僕も驚きました。けど、三人目のアーシェラを倒したのは間違いなく彼女です。三つ目の門が発生した場所にはアーシェラの気配はなく、重傷のホンファさんが倒れていました」
「そうだったのか……」
話したこともないどころか、初めて顔を見た魔術師。彼女が居なければ、どれだけ犠牲が出ていたかわからない。純はホンファに小さくお辞儀をしてから医務室を出ようとすると、悠に呼び止められた。
「滝本さん。一つお願いがあります」
「……何だ」
「ホンファさんが目を覚ましたら、仲良くしてあげて下さい。裏表のない人なので、滝本さんとは仲良くなれると思います」
まるで彼女の父親や兄であるかの様な頼みに、純は面食らったーー彼に改まった頼みごとをされたのはこれが初めてだったからでもあるがーー。
ただ、悠がお願いするまでもなく、純はホンファと交流するつもりではあった。
「一緒に戦っていく仲間なら、距離を置く理由なんてないだろう。頼まれなくても邪険にはしないよ」
「ありがとうございます」
「いいって。その代わりと言っちゃ何だけど、また俺と模擬戦してくれ」
「ええ。いつでもお待ちしています」
一通り言葉を交わした後、純は『またな』と後ろ向きで右手を挙げて去って行った。
ホンファが眼を覚ましたのは、このほんの一分後であった。
*
目覚めたホンファと久々の会話をした後、彼女は再び眠りについた。悠は彼女の横で、じっとその寝顔を見つめている。
最後に見た時より、心なしか大人びた顔つきに見える。少なくとも実力で言えば相当強くなったのだろう。
初めて会った時から、彼女は随分と変わった。あれは四年前、悠が十六、ホンファが十四の頃だった。
*
常に中国語を解する職員が付いた、野獣の様な眼の少女。伸ばしっぱなしで明らかに手入れされていない髪も、その外見に威圧感をプラスしていた。彼女は周囲の魔術師に誰彼構わず勝負を持ちかけ、勝っても負けても、満足するまで決して戦いを止めることは無かった。終いには相手が音を上げるか、彼女が疲労で倒れるかのどちらかだった。
このままではまずいと考えた宮村に頼まれ、当時既にアーシェラ単騎撃破を達成していた悠は彼女に勝負を持ちかけた。
「劉紅花さんですね? 突然ですが、手合わせ願えますか?」
悠の言葉を隣の職員が翻訳すると、彼女は『待ってました』と言わんばかりに勢いよく椅子から立ち上がり、何か言った後走って訓練室へ向かった。職員によると、「丁度退屈していた。受けてあげよう」といった事を言っていたらしい。
結果は、悠の圧勝だった。幾ら速度や身体能力に優れていても、ただ槍で乱れ突くだけの粗末な戦い方では、悠の相手にもならなかった。三十回以上にも渡る戦いは結局悠の全戦全勝に終わり、彼は悔しさを噛みしめるホンファに通訳を介してこう言った。
「この先、戦いたくなったら僕に挑んでください。他の人ではなく、僕一人に。貴方がアーシェラを強く憎んでいることは知っていますが、アーシェラはただ闇雲に武器を振り回すだけで勝てる相手ではありません。技術面も出来るだけ教授しますので」
*
懐かしいことを思い出した。
あれからというものの、ホンファとは数え切れない程戦い、返り討ちにした。が、技術を身につければつけるほど次第に彼女が食い下がる事が増え、空絶の肝となる『ジェットの様に魔力を吹かして加速する』技術を用いた『閃玄砕牙』完成と同時に、初敗北を喫した。
悔しくはなかった。ただ驚愕し、喜んだ。自分の教えた技術が、彼女にとって必殺の技として活かされたことに。
その日以来、彼女は膝の辺りまで伸びていた髪をバッサリと切り落とし、今の整ったボブカットにした。いつの間にか、彼女は自分の髪を願掛けとしていたのかもしれない。
「……羨ましいな」
悠は、小さく呟いた。
彼女は『家族の復讐をする』という『想いを貫く』ために命を燃やしている。彼女の魔法が槍なのも、そういった心象の表れだと悠は考えていた。
ホンファだけではない。純もまた、中身こそ正反対だが『想いを貫く』ために戦っている。
自分は彼女たちの様にはなれない。何故剣を振り始めたのか、剣を振って何がしたかったのか。自分の力は、そんな想いを失くした『空虚な力』だ。
ただ魔導協会でしか生きられない。だから魔法の力を得た。そして空っぽのまま、気がつけば世界最高峰に登りつめていた。
「父さん……やはり、僕は……」
悠は握った拳をじっと見つめ、最早二度と会うこともない者に想いを馳せた。




