救出戦⑧
眼前の魔術師に腕を掴まれて数瞬後、アルーーアレックス・シュレイドの右腕、肘と手首の中間地点から先の感覚が消え失せ、直後常軌を逸する激痛に襲われる。
噴き出した鮮血に、純の顔と左腕が紅に染まっていく。
一瞬、真っ白になった視界を正常に引き戻すと、彼は残った左手の指で『白』の弾丸を生成し、眼前で弾着させる。眼を閉じながらバックステップして距離を置き、体制を立て直す。あの光を不意打ちで食らえば、暫くは目が効かないだろう。
とはいえ、此方のダメージも深刻だった。痛みや出血以上に、『最大の武器二つ』を封じられたことは非常にまずい。『色彩の弾丸』の弾丸を切り替えるトリガーは『指』にあるからだ。
右手の親指が人差し指〜小指までのどれに触れるかの四色、同様に左手にも別の四色が割り当てられている。その中でもこの状況で最も役に立つ弾丸『黒』と『緑』は、何れも『右手』に割り当てられていた。黒は右親指と人差し指、緑は右親指と小指を接触させることで発現となる。故に、彼が現在使える色は左にキーがある四色のみ。内一つは『この場での使用が困難』であるため、青、黄色、白の実質三色。
先ず止血のため、左手から炎を出して傷を焼いた。そして直線の弾道を容易く回避する敵を前に、如何にして当てるかという最重要課題に取り組む。フェイント等を駆使すればやれるかもしれないが、あまり距離を取っては当たらず、近ければ接近されかねない。何より先ほどの高速移動を再びされれば対処出来ないかもしれない。
状況は最悪。しかし、退くことは出来ない。彼には生涯の忠誠を誓った者がいる。
『私の同志になってくれ。君の愛した祖国を、取り戻してみせよう』
あの言葉を信じて、ずっと進んで来た。『深化の花』さえ手に入れば、必要な物は全て揃えられる。東京にそれが無くとも、何れ脅威となる強力な魔術師なら排除しておくべきだ。
親指と人差し指で輪を作り、『青』の弾丸を生成する。しかしこれはフェイントであり、後に『黄色』へ入れ替えることで動きを止めた後、青の連射で撃破する算段だ。
一方、純は既に視界をある程度回復している様子で、ブルブルと震える右手を両目から離した。よく見ると、左手も同様に痙攣している。アルはこれをあの『杭』の使用に因るものと推定した。あの状態では、腕での攻撃は困難。
勝負をかけるなら今しかない。
アルが青の弾丸を構えたまま純に接近しようとした時ーー。
『アレックス・シュレイド。戦闘を停止し、撤退せよ』
聞こえてきたのは、無機質な音声合成ソフトの声。アーシェラのオペレーションシステムだった。アルは前進を停止し、発光を解除させた。
「何? どういうことだ?」
『ヴァルター・ウェインライト、サイト・オブ・サイ・キック。両名の生体反応消失。これ以上の作戦行動に利益は薄いと判断』
「二人が? 馬鹿な!?」
オペレーションが告げた事実は、アルにとって想定外のものだった。
サイ・キックは加入からまだ日が浅いものの、強力な技を持つ有望な魔術師。ヴァルターに至っては例の『計画』で現状最も完成度の高い個体だった。どちらも有能だったが故に、ここまで早く倒されるとは考えていなかったのだ。これはアーシェラが魔導協会を甘く見ていた、というよりは『魔導協会の組織としての成長がアーシェラの想定を超えていた』と言った方が正しい。
『撤退せよ』
「チッ……」
オペレーションから発せられる命令に逆らうことは許されない。ただ命令を伝えるだけの機械である以上、反論は無意味。
「戦闘終了だ」
「何?」
動きを停止したアルを警戒してか、純は自ら仕掛けては来なかった。が、一方的に戦闘終了を宣言されては怪訝な顔をするのは必然だろう。
しかし、これはアルとしても不本意極まりないことだった。彼は感情を理性的に処理出来る程度には成熟した精神性を所持していたが、内心では利き手を奪った純に対して憤怒の炎を燃やしている。
「これ以上の戦闘に利はないと判断した。命拾いしたな」
純が苦虫を噛み潰したような表情を見せる。直後、アルの周囲を紫色の霧のようなものが取り囲んだ。
これは、門が展開し始めたということ。数秒もあれば彼は門に入り、次に目を開ければそこはアーシェラの基地内だ。
消失の直前、アルは右手を奪った男の顔を改めて目に焼き付け、呪詛とも言える捨て台詞を置いた。
「次貴様を認識すれば、最優先で抹殺する」
*
『次に会えば最優先で抹殺する』。あの魔術師はそう言った。純は肝が急速に冷凍された様な寒気を感じた。
『命拾いした』とも言ったが、実際あの男の言う通りだった。現在の純は『杭打ち籠手』の反動で両腕がまともに機能しない。身体へのダメージも軽い訳ではなく、右手を断ち、黒と緑という最大の脅威を封じたことを差し引いても、あのまま戦闘が続いていれば敗色濃厚だった。
両脚は無傷のため、移動に支障はないのが幸いだった。純は周囲を見渡して自身の来た方向を探すと、僅かだが足跡が残っていたため、それをたどって戻る事にした。
アキラや白峰、東城さん達は大丈夫だろうか。
彼の心配に対する解答は、数分後に出た。通信機から瀬良の声が耳に届けられる。
『滝本さん、瀬良です。アーシェラを撃破したんですね!』
「いえ、逃げられました。『これ以上の戦闘は利益がない』とのことで」
『そう……でしたか。とにかく無事で良かった。三つ目の門についても、白峰さんが確認したところ、出現したアーシェラは撃破されたとのことです。三船さん達も全員保護され、東城さんと霧島さんも既に戻っています。後は貴方が戻れば全員帰還です』
「わかりました。直ぐに戻ります」
全員生存。この言葉が、純の心を安堵の念で包み込む。アーシェラ三人の襲撃という事態ゆえに、一人か二人犠牲者が出てもおかしくなかった。純自身も生き残れたのは三船の情報あってのものだ。相性の悪い相手と前情報無しで戦闘すれば、間違いなく殺されていただろう。
全員が力を尽くしたからこその結果。三人目のアーシェラを撃破したのが誰かは分からないが、その人がいなければ戦場は更に混乱していた。会ってせめて挨拶をしておかなければ。
そして愛花に顔を見せて、ちゃんと安心させてあげよう。
純は軽い足取りで、森を抜けていく。
*
ホンファが目を覚ますと、彼女はベッドの上にいた。身体には包帯が巻かれており、既に治療を終えた後だとわかる。
一体誰が運んでくれたのか。その答えはすぐにわかった。
「気がつきましたか」
「……白峰」
ベッドの横の椅子には悠が腰掛けている。白い戦闘用スーツを身につけた彼は傷らしい傷も無く、つい先ほどまで気を失っていた彼女とは対照的だ。約二年振りに見たその顔は最後に見た時と同じ、穏やかな微笑みを浮かべていた。
「アンタが運んでくれたノ?」
何語であっても聴き取り、更にコミュケーションまで交わすアーシェラとは違い、日本では少し辿々しい日本語を使わなければならない。タクシーの運転手に使ったと言うのに、随分と久し振りに話したような心地だ。
「最初、貴方を見た時は驚きました。まさか帰って来ていたとは思いもしなかったものですから」
「予定よりずっと早く、急に呼ばれたからネ。アーシェラ三体出現なんて、只事じゃないでショ」
「そうですね。詳しい事情は、また後ほど、説明があると思います。それよりーー」
悠はそっとホンファの手を取り、子供に言い聞かせるように優しく、そっと声を掛けた。
「お帰りなさい、ホンファさん。そして有難うございます。貴方がアーシェラを倒してくれたお陰で、一人の犠牲者も出さずに済みました」
「……いいわヨ、そんなノ。アタシはただ、アタシから全てを奪った奴を殲滅してるだけだカラ」
突然感謝の言葉をかけられ、照れたホンファは咄嗟にそっぽを向いた。しかし、決して悪い気はしない。
「それより、怪我が治ったらアタシと勝負しなさいよ。進化したアタシの力、思い知らせてあげるカラ」
「ええ。いつでもお待ちしています」
相変わらず、腹が立つ程爽やかな笑みで返される。彼女が追いかけ続けた『憧れ』は、彼女の記憶にあるままの姿だった。




