家族
都市部から少し離れた閑静な住宅街。夕暮れの朱に染まる空の下、二つの影が歩いている。
「ごめんね、たまの休日なのに付き合わせちゃって」
「気にするな。これだけ買い込むなら、一人はキツイだろ」
「けど……流石に重くない?」
「この程度なら大丈夫だ」
申し訳なさそうな顔を浮かべる少女、山崎愛花に対し、重い荷物を抱えた眉一つ動かさずにいる。彼女は、自分より三十センチ近く高い背丈の彼を、見上げるようにしていた。
彼――滝本純はその壁の様な恰幅の良さに違わず、苦痛な素振り一つ見せずに米袋二つを両肩に乗せている。短く切り揃えられた黒髪のお陰で、切れ長の目を始めとした彼の顔は、良く見える。しかし、表情の変化がまるで無い為、一見すると『冷たい男』にしか見えない。だが、そうでない事は、愛花が誰より分かっている。
「それにしても、どうしてこんなに?」
「あれ、言わなかった? 明日、お兄ちゃんとお父さんが帰ってくるんだよ」
愛花が嬉しそうな顔を純に向ける。夕日に茶色の髪が反射して、一層明るい表情が際立っている。
「二人が? へえ、珍しいこともあるな。……ということは――」
「うん、パーティーでも開こうと思って。純も来る?」
「いいのか? なら行くよ」
「えへへ、やったぁ」
純が答えると、愛花は満面の笑みで応えた。
パーティー、という一言で純は愛花が両手に持ったビニール袋の中身を思い返す。
家庭料理に使われる大量の食材に混じってホットケーキミックスのような菓子作りの材料もあれば、ひき肉やアジなど日持ちしない食材も少なからずあった。パーティー、となれば確かにこれらの物にも納得がいく。
それにしたって十kgの米二袋は買いすぎだろ。
純はそんな心の声を飲み込んで、愛花と並んで歩いた。
*
愛花の家に着くと、彼女の母、恵梨香が出迎えてくれた。ブロンドの髪に青い瞳と、愛花とは似ても似つかない容姿だが、その若々しくハリのある肌を見て、彼女が五十代半ばであると見抜ける人はほとんどいないだろう。
「お帰り、二人とも。お風呂沸いてるわよ、純くんも入っていきなさい」
「じゃあ愛花の後でシャワーだけ使います」
純はそれだけ言って、キッチンへ向かい、そこで米袋を下ろした。その後は、いつも通りにしていれば良かった。
リビングにはテレビがついており、誰が見るわけでもなくニュース番組が映されている。純はソファに腰掛け、テレビの番組表を確認するも、夕方の時間にある番組といえばどの局もニュース番組ぐらいしかない。大人しくニュースに目をやると、都会の真ん中にオープンした海外ブランドのアパレルショップなど、俗世に疎い彼には全く無縁な世界が報じられている。
愛花が風呂から上がるまでは、このまま待ち続けるしかない。純の後ろのキッチンで夕食の準備をしていた恵梨香が、退屈そうな純を見かねてか、お茶を置いて話しかける。
「純くん、もうお仕事や一人暮らしには慣れた?」
「仕事は高校の時から行っていた所ですから、大丈夫です。ただ、家事にはちょっとまだ慣れないです。元々俺は手先が器用じゃありませんし」
社会人になって三ヶ月。多少なりと一人暮らしにも慣れが来たものの、十八年住んだ家を出る、ということに対する不思議な感覚は未だ拭えない。何より窓を見てもそこに愛花の家が見えず、しばらく歩かなければたどり着けないということに、一抹の不安を覚えることさえあった。こればかりは、鍛え上げた筋肉だけではどうしようもない。
目の前のお茶に口をつけながら、ニコニコした恵梨香を横目で見る。
「あら、それなら愛花をもらってくれないかしら? あの子には私がみっちり――」
『もらってくれないかしら』の一言で、飲み込まんとしていた茶が純の気管に侵入していった。テーブルに荒々しくコップを置き、口元を押さえてむせ返る。
「だ、大丈夫?」
「いきなりそんな話されたら誰だってこうなります……」
『貰えるものなら今すぐでも貰いたい』などとは言う訳にいかなかった。咄嗟に言わんとしたことと違うことを口に出す。
「……愛花は今年受験生じゃないですか。他人にそういう話をするなら、せめて大学を出てからにしましょう」
「じゃあ大学を出たら……?」
恵梨香がじりじりと詰め寄る。
そうだ。この人は昔からこういう人だった。
純は辺りを見渡して、話を変えるための口実を探す。テレビのニュースが目についた。口から「あっ」という声が漏れると、恵梨香も純の視線につられた。
『先日、「魔導協会」より発表された魔法についての新理論――』
「『魔導協会』って……あなたの勤め先よね?」
「はい。今報道されてる技術研究の部署じゃありませんけど」
「ということは、やっぱり『あの人』と仕事で会うことは無いのね」
「今のところ、そういった話は聞いたことないです。けど、そのうちあるかもしれませんね」
今からおよそ数十年前に確認された、ある元素を起点に発生する人為的現象『魔法』。現在主流の魔法理論では、過去に存在したスプーン曲げなどの超能力は、魔法と同一のものだと言われている。
しかし、現在メディアで主に報じられるのは、魔法について何がわかり、どういった方向に利用できる可能性があるか。そのような話ばかりで、『日常生活に利用出来るまであと百年はかかる』というのが世間一般の見解である。
「ふふ、貴方たち二人が一緒にお仕事しているところを見てみたいわ」
恵梨香の頭の中からは既に先ほどのことは既に消えているようで、純はふぅっと安堵のため息を吐いた。そこに、ちょうどよく髪を濡らした愛花がやってきた。
「上がったか。よし、入ってくる」
「あれ、純? 何でそんなに速足なの?」
愛花の質問を無視して、これ幸いと洗面所へ急いだ。
流石の恵梨香さんもあの話を愛花にすることはないだろう。
それはわかっているが、愛花が来た瞬間心臓が飛び跳ねたような緊張感に襲われ、飛び出さずにはいられなかった。