地形踏破訓練
既に二人が共同生活を始めてから四日が過ぎていた。最初のうちこそ互いを意識するあまり倦怠期並の会話の少なさだったが、流石に五日目ともなれば二人ともほとんど平時の心持ちを取り戻していた。また、純の運動制限も解除され、既に彼は魔術師としての訓練を再開していた。
「手伝うよ」
「ありがとう。じゃあ……こっちお願い」
そう言って愛花は、純の衣服を取り出し、渡した。
二人はほとんど常に一緒に行動していた。そのため家を出る時間も帰る時間も一緒。協会外ではお互いが目につく所に居なければならない。並みの友人程度の関係なら、三日も持てば御の字だろう。
基本的に家事は愛花が行うが、純は亭主関白ではないので手伝えることは積極的に手を貸す。現状相手に対して何の不満もない、非常に良好な状態だ。
そして現在、純は洗濯物を畳んでいた愛花の手伝いをしている。夏真っ盛りとはいえ二人分なので、分担してしまえば量は相当少ない。手伝う、とは言うが自分の衣服を自分で畳むだけである。その間、手を動かしながら愛花に必要なことを話す。
「そういえば愛花、明日は地形踏破訓練だから、帰りは遅くなると思う」
「地形踏破訓練?」
「この近くに沼地だらけの森があるだろう。そこをなるべく沼地を避けて、出来るだけ速く移動する訓練だ」
「へぇー、そんなのもあるんだ」
「最近はあんまりやってなかったけどな」
愛花と話しつつ次の洗濯物に触れると、純は掌に妙な感触を覚えた。それは中学時代の制服だった、学ランの肩。それをより柔らかくしたようなもの。それに加えて何やらヒラヒラとした物が当たる。
不審に思い見た瞬間、純は即座に目を閉じ、身体を百八十度回転させた。
「……愛花!」
「えっ!? な、何!?」
「……紛れてたぞ」
大声を出した純に驚き、愛花がビクリと飛び跳ねた後にぐるりと純の方を向いた。
純の手に触れた物。それは『愛花のブラジャー』だった。純はほんの一瞬目にしただけだが、それでも女の子らしくフリルのついた可愛らしいデザインが目に焼き付いてしまった。
何しろ長い付き合いだから、今まで下着を見たことが無い訳では無い。しかし、極力目にしないように立ち回り、今の生活になっても洗濯物が干されたバルコニーには出ないようにしていたため、眼前にあったそれの刺激は余りにも強かった。
今いる場所から左に動き、床をバンバンと叩いて愛花を促す。愛花が訳が分からないといった顔で叩かれた方向に移動すると、『それ』を見た愛花は体を震わせ、みるみる内に顔を耳まで真っ赤にしてブラジャーを恐るべき速さで回収し、両腕でギュッと抱きしめながら純に視線を当てる。
「わ、分けたはずなのに……。なな、な、何で……」
「俺に聞くな! 取りこぼしがあったってだけだろう!」
「ご、ごめんね! その……お見苦しいものを……」
「いや、見苦しいとかそういうのじゃないんだけど……」
「その……今度から気をつけるから……」
「あ、ああ……」
いつ頃かぶりの空気が部屋に流れる。それは愛花が自分の衣服を持って部屋に戻って行くまで続いた。
*
翌日。純は戦闘用スーツを身に纏い、魔導協会魔術師用ブースで一人で訓練をしていた。愛花との生活が始まってから、それまでのトレーニングメニューがこなせなくなったため、そしてアーシェラとの戦闘に備えるため、基礎体力の訓練より実践を想定した訓練を増やしている。
今、純は自身の『必殺技』の応用の幅を広げるための訓練をしていた。
「貫け。杭」
そう呟くと、前に突き出していた右手からぶ厚い杭が打ち出される。それと同時に、純の身体は後方へ勢いよく吹き飛んでいった。両足で地面を踏みしめて堪えるも、停止した時には、既に二メートル程後ろの地点まで後退していた。
「やっぱり駄目か……」
純の必殺技、『杭打ち籠手』。両掌から巨大な杭を射出する技。厳密には杭を発動するのに籠手は不要であり、素手でも発動可能である。
人体を容易く貫通する程の破壊力を誇り、この技の存在故、パワーだけでいえば純の戦闘力は全支部及び本部含む魔導協会でも五本の指に入る。
問題は射出に伴う『反動の大きさ』であり、通常純はこれを射出する腕で強引に押さえている。もっとも、これは非常に強い負担を腕に強いるため、杭を打ち出してから暫くの間、片方の腕は戦闘での使用には堪えなくなる。一撃必殺の威力はあれど、打つまでの『溜め』と外した際のリスクが非常に大きいため、必中の確信がある状況でしかこれまで使用してこなかった。
そこで彼が今行ったのは、『身体全体で』反動を受け止める方法である。これならば腕に過度の負担を強いることは無いため、打ち出してから再装填して再使用することも可能である。が、反動で身体が吹き飛ぶため、実戦での使用には堪えない。
『朝早くから、相変わらず熱心ですわね』
突如、耳に入れていた無線機のスピーカーから声が響く。それは協会に来てから愛花と仲良くしていた人の声。
「柏木先輩。いたんですか」
『少し前から。それより、私のことは『瀬良』とお呼び下さいと何度も言っているでしょう』
「すいません。女性を下の名前で呼ぶのは抵抗がありまして」
純は右耳に手を当てて瀬良と話をする。何処と無く不満げな瀬良に、純は少し申し訳ない気持ちで応答した。頼まれても、彼には女性を下の名前で呼ぶことが苦手なのだ。
『あら。愛花さんのことは、ちゃんと愛花って呼んでますのに?』
「愛花は特別です。今更『山崎』なんて呼べませんし、仮にやれば、機嫌を損ねるでしょうね」
『……まあいいですわ。それより、仮想戦闘訓練を使いますか?』
「いえ、今日は大丈夫です。どっちみち、あと一時間程度で出発でしょうし、体力を温存しておかないと」
『分かりました』
純は無線機をオフにすると自分の手を見つめる。
愛花を守るために、もっと強くならないと。
そう思いながら、訓練室を後にした。
*
それから一時間が経ち、地形踏破訓練の目的地への移動が順次始まった。純がいない間、愛花は協会で留守番である。
無論、所属する魔術師全員で行く訳にも行かないため、四人ずつ、計四つのグループに分かれて順番に訓練を行い、終わって帰ってくると次のグループが向かう、というシステムで訓練は行われる。
純は二番目のグループだ。現在、彼はラウンジでグループメンバーと雑談をしている。
「何ヶ月振りでしょうか、踏破訓練。僕はこれ、嫌いじゃないので久々に出来るのがちょっと楽しみです」
「うえー、オレは嫌だわ。泥濘に嵌ったら汚れて気持ち悪いし」
純のグループのメンバーは、彼とは比較的仲の良い者たちが集まっていた。
悠とアキラ。そして、若草色の髪と純以上の巨体を持つ男、東条真澄。年齢と快活な性格から、東京支部においては『兄貴分』の地位を確立している男だ。
「ガッハッハ!! そう言うな霧島。なに、お前も今に慣れて底なし沼の一つや二つ、飛び越えられるようになるさ!」
「痛いっすよ、東条さん。つーかそんなホイホイ無いでしょ、底なし沼なんて」
東条がアキラの背中をバンバン叩き、豪快に笑う。その横で純は、二人とは対照的な冷静さで訓練への備えをしていた。
「危険だからルートには選ばれていないだけで、幾つかあったと思うぞ。そうでなくても、泥濘だらけだから立ち回りを考えないと」
「あるのかよ。つーかおかしいでしょこのグループ。オレ場違い過ぎねぇ?」
アキラは周囲を見渡し、両手を耳の横で水平にして自嘲する。
確かにアキラ以外の三人は魔導協会在籍から少なくとも一年は経過している上、純と悠に至っては『アーシェラの単独撃破』の実績を持つ、世界的に見ても最上位クラスの魔術師だ。東条もこの東京支部で何年も魔術師をやっているベテラン。現在海外での任務に従事している者を除けば、東京支部屈指の精鋭三人がここに揃っているのだ。
「そう心配することはありません。防衛の問題でグループが分けられているだけで、訓練そのものは個人別ですから」
「そりゃそうだけど何か気にならねぇ? スタートは一緒な訳だし、ドンドン置いてかれるんだぜオレ」
「ふむ……霧島の気持ちもわからんでもない。俺も昔、紅花と訓練した時は、アイツの速さにたまげたモノだったからな」
「……ホンファ?」
東条が口にした名前らしき言葉を、純が反芻する。純と同じく「何の事だ」と言いたげな様子のアキラと一緒に、悠が二人に説明を始めた。
「そういえば、二人が来た時には、もう彼女はいませんでしたね。『劉紅花』。四年ほど前からウチにいた魔術師で、戦闘になれば、必ず先陣を切っていました。今は新設された上海の支部の応援に行っています」
「近日中に帰ってくると聞いたが? 何しろ出て行って一年半も経っている。新設支部の応援としても、一年を超えるものは多くない」
「帰ってくるんすか。へぇ……」
「アキラ、まさかナンパしようとか考えてないよな?」
「もう懲りたよ!」
アキラの顔は青ざめたいる。純には『相当な恐怖を味わった』ことを除けば彼に何があったか分からないが、軽薄な行動が慎まれる、という点で安堵していた。
それまでも彼はアキラのナンパを窘めてはいたが、維月の存在ゆえに強気な行動はしないと信じていたため、あまりきつくは言っていなかった。
「ガッハッハッハ!! それがいい! 彼奴をナンパしようものなら潰される覚悟が必要だぞ!!」
「つ、潰され……」
「昔なら兎も角、今のホンファさんはそんなことしませんよ。彼女も大分落ち着きましたし」
「向こうにいる間に復活していたら、どうする?」
「それは、確かに……」
東条と悠はホンファの話に花を咲かせ、アキラは更に顔を真っ青にしている中、純が二人に尋ねる。
「あの、一ついいですか? そのホンファって人……強いんですか?」
純の質問を前に、東条と悠の二人から笑みが消え、真剣な、戦士の表情へと変化する。
「ああ、強かった。恐らく今は、更に力を増しているはずだ」
「ええ。彼女の鬼気迫る闘いぶりは、滝本さん。貴方にも引けを取らないでしょう」
「うぇ……こいつみたいなのが増えるんですか。勘弁してくれよ……」
アキラが心底嫌そうな顔をしながら純を指差す。純はアキラに「お前なぁ」と呆れながら言った後、再び話を二人に振った。
「戦闘のスタイルって、どんな感じですか? 東条さんみたいに、パワーで押し通す感じでしょうか」
「まあ、部分的には近いかもな。何しろ、アイツのスタイルはーー」
彼らの会話は、突如として鳴り響いたサイレンに掻き消された。
『踏破訓練エリアにて、門の反応を確認! 現在待機中の魔術師は、至急現場へ急行してください!』
協会内に若い女性オペレーターの声が響き渡り、それを聞いた瞬間、直ぐさま純、悠、東条の三人が駆け出し、アキラもそれに続いてラウンジを出た。
「おいおいマジかよ! この間から一週間も経ってねぇぞ!」
「踏破訓練エリアということは……不味いぞ! 彼奴らが危険だ!」
「急ぎましょう! 間に合うと良いんですが……」
「間に合うといいじゃない。……間に合わせるぞ」
四人は走りながら魔導ギアを取り出し、胸に当てる。協会の外に出ると同時に魔術師モードへの移行が完了。踏破訓練エリアへと一斉に駆け出した。




