潜入
僕のジャケットの袖にしがみ付いたまま、柚香ちゃんは必死の形相で僕を見上げた。
が、その顔が、視線が合った途端に驚愕の表情になって固まる。
豹変した僕の顔を見てビックリしてるんだろう。
さっき興奮したせいで、僕の目は真っ赤で、口から牙が突起して、軽くドラキュラのコスプレしているような感じになってる筈だ。
だけど、彼女はそれにへこむどころか、すごい目力で僕を睨み返して言った。
「南条さん、待ってください! あなた達の話はよく分からなかったけど、美雪さんの事は何も解決してないよね? 仲間割れしたからって、このまま投げ出すの?」
その言葉は僕の胸に刺さった。
確かに、何も解決していない。
愉快犯は確かに存在しているのだ。
しかも、多分、この近くに。
でも……。
「申し訳ない。でも、柚香ちゃんには僕らの事は分からないだろうし、説明しても信じてもらえないと思う。美雪さんのことは、あの二人が調査を続けるだろうから、そのうちきっと見つかるよ」
「そんなの無責任でしょ!? あんたが美雪さんの友人だって言ったから、私は協力するって言ったのよ? あれは嘘だったの?」
「……」
そうだった。
一族から出た狂人のせいで店長と美雪さんはいなくなり、僕らの勝手な計画のせいで完全に柚香ちゃんを巻き込んでいる。
敬二郎と四郎さんの事は腹が立つけど、このまま投げ出して帰ったら、今度は柚香ちゃんを僕が裏切る事になる。
だけど、柚香ちゃんに犯人像を分かってもらうには、僕らの正体と一族の現状を説明しなければならない。
平成生まれの現役女子大生に説明したところで、信じてもらえるだろうか。
「僕らは実は吸血鬼なんだ」なんて言ったら、僕が変態扱いされてしまうかもしれない。
「南条さん! どうなんですか? 何とか言ってよ!」
柚香ちゃんは僕が逃げないようジャケットの袖にしがみ付いたまま、ググッと顔を近づけてくる。
丸くて白い顔はお月様みたいにつるんとして綺麗だけど、その口調は切羽詰まっていた。
「私、あなた達の事はよく分からない。でも、さっきの話で南条さんがすごく傷ついたのは見て分かったわ。私に説明したくなければそれでもいい! でも、美雪さんの事はお願い! 何とかして欲しいの! すごく嫌な予感がするのよ。もし、美雪さんもゾンビにされてたらどうしよう……」
「分かった、分かったから!」
袖にしがみ付いたままの柚香ちゃんを、僕はグイッと胸に押し当てて黙らせた。
ジャケットで口を塞がれた柚香ちゃんは目だけクリッと動かして僕を見上げる。
僕は腹を括った。
巻き込まれた感はあるけれど、乗りかかった船なのは彼女も同じだ。
「悪かったよ。正直に話すよ。まず、美雪さんの友人だって言うのは嘘だ」
「えっ!?」
「美雪さんは僕を知らない。僕が勝手に片思いしてたんだ。今日、告白しようと思って店に行ったらこんなことになっちゃったけど」
「ほ、本当!? じゃ、やっぱり南条君がストーカーなの!?」
「……そんな筈ないでしょ」
やっぱりそうくるか。
僕のオタクっぽい外見がそう思わせるのか。
僕は溜息をついて、柚香ちゃんの頭にポンと手を載せた。
「ストーカーは多分、さっきのゾンビ男だろう。でも、コンビニの店長が吸血一族の愉快犯なら、美雪さんも危険な状態かもしれない。早くしないと本当にゾンビにされてしまうかも」
「ま、待って! そもそも吸血一族って何なの?」
「何って……」
直球で聞かれると、逆に答えにくい。
この顔見て、少しは察してくれてもいいもんなのに。
「バンパイアです」っていうセリフは何となく陳腐な感じで、できれば言いたくない。
「まあ、端的に言えば、人間の血を飲んで長生きする人種かな。ほら、心臓の音とかしてないでしょ?」
「え……?」
ジャケット越しに僕の胸に耳をくっつけた柚香ちゃんの顔がどんどん引き攣っていく。
「嘘……。すごく冷たい」
「ね? 僕らも、この事件の犯人も化け物なんだ。しかも、犯人はその中でももっとキレた狂人らしい」
「やだ、変な事言わないでよ。この時代にそんなの本当にいるなんて信じられない」
「じゃ、信じられるように、君の血を吸ってあげようか?」
「えええ!!??」
半分泣きそうな顔で、柚香ちゃんは僕の腕にしがみ付いたまま硬直した。
脅しが効き過ぎてちょっと可哀想になってきたけど、僕の秘密をバラす以上、彼女にも覚悟は決めてもらわなければ。
「大丈夫、痛くないようにするから……」
僕は柚香ちゃんの首筋をそっと支えて、その目を真っ直ぐに見つめた。
恐怖に引き攣っている顔がとてもかわいい。
柚香ちゃんて、こんなに若くてかわいい女の子だったんだ。
女の子の血を生体から吸血するなんて何年振りだろう。
もう、嬉し過ぎて眩暈がしてくる。
興奮を抑えられず、思わず本気で噛みつこうとした瞬間、「ふえええ~ん」という泣き声がした。
はっと我に返ると、硬直した彼女の目から涙がポロポロと零れ落ちている。
ぼ、僕としたことが女の子を泣かせてしまった……。
「ごっ、ごめん! なんか本気になっちゃった」
「南条さん、真剣過ぎて顔が怖いよ。冗談もいい加減して!」
「じょ、冗談!? ええっと、僕、本当に吸血鬼なんだけど」
柚香ちゃんはひっくひっくとしゃくり上げながら、涙で濡れた目で恨めしそうに僕を見上げた。
「もう分かったわよ。南条さんは吸血鬼なんでしょ。それでいいわよ。私の血は、美雪さんを無事に見つけてくれたら吸わせてあげるから、お願い、早く探しに行こう」
「……了解」
まあ、平成生まれの女子大生がすぐに順応してくれる筈もないか……。
彼女が僕の事を理解してくれないのはともかく、確かに今は人命救助が優先だ。
本能的にがっついてしまったのが何となく気恥しくなって、僕は柚香ちゃんから手を放した。
……こんなにかわいい女の子にしがみ付かれていては、理性の制御が難しいんだけど。
彼女の髪が触れていたジャケットから、石鹸の香がふわっと漂った。
◇◇
それから僅か15分後、僕と柚香ちゃんはコンビニから2㎞程の場所に建つ二階建てのマンションの前にいた。
ゾンビと化したあの男に襲われる直前、柚香ちゃんはデスクの上に無造作に置かれたバイトの給料明細を見つけ、そこに記載されていた美雪さんの住所をスマホで撮っていたのだ。
その住所をスマホで検索するだけで、「ルートガイドを開始します」と道案内をしてくれる。
持つべきものは文明の利器だ。
協会は寧ろ、四郎さんや敬二郎みたいな時代錯誤の老人を雇うより、これからの若い世代の人材確保に力を入れた方がいいと。
平成からのリセットで精神年齢は28歳の僕だって、いまだにガラケーを手放せないんだから。
ゲーム世代の若者の頭脳に太刀打ちできる気がしない。
「ねえ、お友達の二人も一緒に来てもらった方が良かったんじゃないかしら」
美雪さんのマンションを目の前にして、柚香ちゃんは不安そうに僕を見上げた。
無理もない。
外見的にもなよっとしている僕が頼りないんだろう。
実際、全く歯が立たなかったゾンビ相手に、敬二郎は一撃の蹴りで仕留めたのだ。
頭は硬いし性格も頑固だけど、彼の巨体から繰り出されるパワーはハンパない。
四郎さんだって、見かけは優男だけど、あの催眠術みたいなメンタル攻撃されたら、僕みたいな若造はすぐにやられてしまうだろう。
二人共、リセットなしで今まで生きてきたのはダテじゃない。
協会が名指しで抹殺命令を下したほどの彼等には、それなりの実績があるのだ。
でも、だからと言って、僕を騙した事実は変わる筈もなく、僕の怒りはまだまだ収まってはいない。
彼等と別行動するのは無謀だと分ってはいたけど、今更、こっちから声を掛けるのも癪に障った。
「あいつらのことはもういいよ。それより、美雪さんの部屋はどこ?」
「101号室だって……でも、見て。明かりが点いてるよ」
マンション一階の角部屋には、確かに煌々と明かりがともっている。
玄関にまで外灯が付いているではないか。
まるで、誰かが訪問するのを待っているかのように……。
僕の背中にゾッと冷たいものが走った。
「ねえ、どうする? ピンポンしてみようか?」
「ちょ、ちょっと待って……」
柚香ちゃんは僕のジャケットの袖をグイグイ引っ張りながら、マンションに近づいていく。
行きたいような行きたくないような複雑な心境で、僕はズルズルと引き摺られていった。
その時だった。
「あなた、もしかしたら、柚香ちゃんじゃないの?」
後方から柔らかな女性の声がして、僕らは飛び上がった。
振り返ると月の光に照らされてたスラリとした女性が佇んでいる。
黒いロングコートにサラサラした黒髪、そして、白い顔に妖艶な微笑みを浮かべている美女。
僕が片思いし、今まさに探していたその人、佐々木美雪さんに他ならなかった。
だけど、その姿を認めた瞬間、情けないことに、僕は体に電気が走ったように動けなくなってしまった。
恋愛経験値の低い男なら自然な反応だ。
夜な夜なコンビニにこっそり立ち寄って、遠目でその姿を眺める事しかできなかった憧れの女性が、今、目の前で立っているのだから。
「みっ、美雪さん! 無事だったんですか!?」
僕が硬直している隙に、柚香ちゃんは美雪さん目掛けて猛ダッシュしていた。
二人はギュッと抱きしめ合い、ハイタッチをし始める。
その美雪さんの笑顔は神々しいまでに美しく、地上に舞い降りた女神のようだ。
僕の脳内独り言をよそに、柚香ちゃんは歓喜極まるはしゃぎようで美雪さんに絡んでいる。
「美雪さんが突然来なくなっちゃったから、私達、すっごく心配したんですよ! もしかしたら、話してたストーカーになんかされてるんじゃないかとか。ああ、でも生きてて良かった!」
「やあねえ、柚香ちゃんったら大袈裟なんだから。私がクリスマスにお休みしたのがそんなに変だった?」
「だって、今まで無断欠勤なんてしたことなかったし、ストーカーのこともあったから……」
美雪さんは穏やかに微笑みながら、柚香ちゃんの髪を撫でた。
「心配してくれてありがとう。私ね、あそこのバイト辞めるつもりだったの。クリスマスくらいは好きな人と一緒に過ごしたくなっちゃって。でも、人もいないし、休ませてもらえないだろうから無断欠勤にしちゃったのよ。でも、柚香ちゃんに迷惑掛かっちゃったのね。ごめんなさい」
なんだって!?
クリスマスに好きな人と過ごしたいから辞めるつもりで無断欠勤したって言った!?
つまり、今回の美雪さんの失踪と、ストーカーもゾンビも吸血鬼も関係なかったってこと!?
遠巻きに二人の会話を聞いていた僕は、二つの意味のショックでその場にしゃがみ込みそうになった。
柚香ちゃんもさすがに呆気に取られた顔で、美雪さんを見つめている。
「そ、それだけだったんですか、仕事に来なかった理由は……」
「ごめんね、柚香ちゃんには彼がいるって秘密にしておきたかったの。私達、同じ職場だからちょっと恥ずかしくって。でも、もう辞めるって決めたから思い切って紹介するわね。で、そちらの彼はどなた?」
そう言いつつ、美雪さんが僕に流し目を送ってきた。
切れ長の目は長い睫毛に縁取られ、その下からキラキラした黒い瞳が僕を見つめている。
「あ、あの、僕は……」
「ごめんなさい、私も美雪さんに黙ってました! この人は同じ大学の先輩で、私達、付き合ってるの。ねっ?先輩」
「えっ!? あ、うん」
柚香ちゃんが突然、そう言ってきたので、僕も戸惑いながらも必死で話を合わせる。
負けたくないという女心なんだろうけど、巻き込まれる僕は複雑な心境だ。
何故なら、僕はたった今、長年見つめ続けた女性に振られたとこなんだから。
美雪さんは嬉しそうに手を叩いた。
「まあ、柚香ちゃんたら、全然教えてくれなかったくせに、こんなかっこいい彼を隠してたのね。羨ましいわ。でも、こんな寒い所で立ち話もなんだから、私の部屋でお茶でもどうかしら? クリスマスケーキもあるのよ」
「えっ、彼がいるのにお邪魔しちゃっていいんですか?」
「もちろんよ。ね、そちらの彼氏さんも是非、ご一緒にどうぞ」
そこまで言われれば、僕らにお断りする理由もない。
柚香ちゃんの彼氏にされてしまった僕は、彼女に強引に引っ張られながら美雪さんのマンションにお邪魔することになった。