美女の行方
12月22日 時は夕方6時。
コンビニの二階にある事務所で、仕事を終えたばかりの三谷柚香はメロンパンを頬張りながら、備え付けの小さな液晶テレビでニュースを見ていた。
ちょうどその頃、僕はレンタル屋に向かって自転車をこいでいた筈だが、外は既に真っ暗だったから彼女が気がつく事はなかっただろう。
三谷柚香はひとり暮らしの大学生なのだという。
親の仕送りが少ない柚香のような貧乏学生にとって、コンビニのバイトは結構おいしいらしい。
時間に融通が効くところとか、こんな風に賞味期限切れのものにありつける事とか、同じ時間に入る人数が少ないので人間関係に悩まされる事がない事とか。
特に夜勤はバイト一人と店長のみで回しているので、客がいなければ雑誌を立ち読みしてても咎められる事はないそうだ。
この店に住み込みで働いている店長は夜勤専門なのだが、よほど忙しくなければヘルプにも来ない。
監視の目が全くないこのコンビニは、従業員にとってはパラダイスだろう。
同じ夜勤なら僕もこっちで働けば良かったと、今更ながらに後悔した。
メロンパンを食べ終わると、柚香は事務所のテレビを消した。
モスグリーンのユニフォームを脱いでタイムカードを押してから、店内へと続く狭い階段をのんびり降りていった。
昼間みたいに明るいコンビニの店内に客は一人もおらず、その日6時から出勤していた佐々木美雪がレジを閉めているところだった。
美人で控えめな佐々木美雪は柚香にとっては姉のような存在だったようだ。
「美雪さん!おはようございます」と威勢のいい挨拶をして柚香はレジカウンターに入った。
昼間だろうが夜勤だろうが、仕事に入った人には「おはようございます」という芸能界みたいな習慣がコンビニにはあるらしい。
夜行性の僕みたいな人種にはありがたい制度だ。
「おはよう、柚香ちゃん。今日はこれで上がりなのね。お疲れ様」
「美雪さんこそ、いつも夜勤お疲れ様です」
他愛のない柚香の返事に、美雪は手を口元に当ててクスクス笑った。
美雪という名に相応しい、そのまんま儚げな美女である彼女は、一人暮らしのフリーターだったらしい。
銀行に勤めてた時期もあったそうだが、病気の為に退職する事になって、それ以来、自宅から通える範囲でバイト生活を続けている……と、本人が柚香に話したそうだ。
確かに、佐々木美雪は綺麗だった。
弁解するわけじゃないけど、僕が夜な夜な覗き見しにやってきたのも仕方がないくらい、吸引力のある容姿をしていた。
華奢な身体つきと色素の薄い肌、そして、長い睫毛に縁取られた潤んだ瞳。
彼女を見れば、どんな男だって「俺が守ってやらなければ!」と余計なお節介を焼きたがるに違いない。
「今日はクリスマスなのに、柚香ちゃんは大学のお友達と飲み会とかないの?」
長い髪を耳にかけながら、佐々木美雪は柚香に問い掛けた。
「ないですよ。この時期、みんな彼氏とデートで忙しくて、飲み会したくてもにもメンツが集まらないんだもん」
「あら、じゃ、柚香ちゃんは彼氏と約束ないの?」
「そんな人いたら、こんなとこで深夜のバイトなんてしてませんて」
やがて、美雪はレジを閉め終えると、今度はカウンターの下からビニール袋を引っ張り出した。
保温器の中でふやけていた肉まんを取り出すと、ポイポイと無造作に袋の中に突っ込んでいく。
朝から保温器で温められていた肉まん達は、ここで一旦処分して、新しいものと入れ替えるのだ。
ビニール袋に積められたふやけた肉まんは、早朝から入る学生バイトが食べる事になるのだとか。
柚香は、肉まんの廃棄処理をしている美雪が時々窓の外を見ているのに気がついた。
ぼんやり見ているというより、寧ろ、凝視しているように真剣な表情なのだが、その寂しそうな瞳は、真っ暗な外の遥か彼方を見つめていて、誰かを待っているようでもあった。
柚香が美雪に近付いて肘でつついてみると、細い体が驚いたようにビクンと震えた。
必要以上に驚いた顔をした美雪に、柚香も違和感を覚えたという。
「美雪さん、もしかしたら、誰か待ってるんですか?」
「あ、違うの。私、そんな人いないから」
「隠すことありませんよ。誰にも言いませんから」
「いやね、本当に違うのよ。最近、ストーカーみたいな人がいて、それで最近、帰る時ちょっと怖いの」
長い睫毛を伏せて、美雪さんは不安そうにそう言った。
想定外の返事に、柚香も一瞬ポカンと顔を上げる。
ストーカーと言えば、僕がやっていたこともそれっぽいけど、取り敢えず、彼女が怯えていたストーカーではない。
夜勤オンリーでバイトに入っていた僕が、そんな時間帯にコンビニの周りをフラフラしている筈がないからだ。
佐々木美雪は、コンビニで働き始めてから半年も経ってないのだという。
なのに、僕以外で彼女を見初めた男が他にもいたってことだ。
因みに、ここでバイト始めてから2年になる柚香は、ストーカーどころか変質者さえ今だかつて遭遇した事はないらしい。
やっぱりストーカーも人選はしている。
驚いた柚香は美雪に質問をした。
「どんな人なんですか? 私、そんな怪しい男、この辺りで見たことないんだけど」
「私もよく分からないの。その人、お店まで入ってきた事なくって、いつもあの橋で立ってこっちを見てるのよ。フードのついた黒いダウンジャケットで、男の人なのは間違いないんだけど……。 私が帰る時には必ずいて、ずっとこっち見てるの。今日はまだいないみたいだけど、休日だし、どこかに隠れてるんじゃないかって心配になっちゃって……」
確かに、それは心配だ。
しかも、そのストーカーのファッションが僕と丸被りだ。
これなら僕がストーカーだと言われても仕方がない。
もちろん、それは僕ではないけど、ストーカー男がその日に限ってまだいなかったというのが何が引っ掛かった。
ストーカーがクリスマスに近いから来られない……という理由は考えにくい。
この時期にストーキングできないほど私生活が充実していれば、最初っからストーカーやってないだろう。
だとすれば、その日に現れなかったのは何かの予兆だろうか?
いつもは立ってるだけの人畜無害だったストーカーが、今日に限って実力行使してきたら……?
目をキョロキョロさせて、美雪さんは不安そうに窓の外を見回している。
こんな美人を一人で帰すのは危険だと判断した柚香は、なるべく考え深げな神妙な顔をして、美雪に忠告した。
「美雪さん、今日、仕事終わってからでも警察に相談した方がいいですよ」
「それも考えたんだけど、その人に何かされた訳でもないの。私の気のせいかもしれないし、大袈裟じゃないかしら」
「何言ってるんですか。何かされてからじゃ遅いですよ。最近、ストーカー被害多いですし、通報しておけば、警察も事前に対応してくれるんじゃないかな」
柚香の言葉に、美雪さんは少し考えるように小首を傾げて、それからフッと表情を和らげた。
「ありがとう、柚香ちゃん。心配してくれて嬉しいわ。今日、店長に話して、仕事が終わったらそのまま警察に行ってみようかな」
少しだけ安堵した顔で、美雪さんは儚げなに笑った。
そしてそれが、三谷柚香が彼女を見た最後になってしまったのだ。
◇◇
深夜12時のコンビニの店先で、三谷柚香は昨日からの一連の顛末を、僕ら3人の怪しげな男達に説明してくれた。
今日、佐々木美雪はいつもの時間になってもコンビニに現れなかった。
美雪さんの代わりに急遽シフトに入って欲しいと、店長から連絡があったのは、今日の夕方になってからだったらしい。
自宅に電話しても連絡が取れず、もちろん、本人からも音沙汰が無かった。
店長の呼び出しで、三谷柚香は慌てて出勤してきたのだが、その途端に僕ら三人組が店頭に現れ、美雪さんの事をあれやこれやと聞いてきたのだ。
彼女が不審に思うのも無理はない。
寧ろ、僕らが出向いたタイミングが悪過ぎた。
三人の怪しげな男達の姿を見た瞬間に、三谷柚香は「最近、視線を感じる」と訴えていた美雪さんの事を思い出したんだろう。
可哀想な三谷柚香は、すぐにでも警察に通報したい衝動に駆られただろうに、ターミネーターのコスプレをした大柄な男に気迫負けして、僕らと話をする羽目になってしまったのだ。
いくら同僚の美雪さんのこととは言え、仕事中に個人的な話はできないと言う彼女に、僕は頭をペコペコ下げて、仕事が終わる深夜12時まで静かに外で待っているという約束をした。
6時間も待っている筈がないと思っていたのか、彼女はコンビニから出てきた時、店の前でちゃっかり待ち構えていた僕らを見て、驚愕の表情を浮かべたまま硬直した。
よほど美雪さんに執着があるのか、はたまたよほどの暇人なのか……?
彼女が僕らをどうジャッジしたかは分からないが、どちらにしても僕らが暇人である事は間違いない。
店から出てきた彼女を取り囲むように事の顛末を聞いた後、最初に口を開いたのはやはり空気読めない敬二郎だった。
「なるほど、お前が美雪を最後に見たのは昨日の6時頃。今日、美雪がバイトに来ないので、店長が電話してみたが繋がらなかった」
「そうです」
「そして代わりに、一番暇そうだったお前が呼び出されたという訳だな」
「あの~、ケンカ売ってるんですか?」
敬二郎の言い草に、三谷柚香はムッとして頬を膨らませた。
この男の傍若無人ぶりにようやく慣れてきた僕だけど、女の子に対しても全くブレない一貫した図々しさには感心してしまう。
ここまで人の事考えなければ、ストレスもたまらないだろう。
その一言ですっかり気を悪くした三谷柚香は、丸い顔を赤らめ、自分の倍くらいの大きさの敬二郎に突っ掛かっていく。
「言っときますけど、私は別にあなたと口論したくてここにいる訳じゃないんです。あなた達が美雪さんの事を詳しく聞きたいって言うから、こんな寒い所で仕方なく話してるんですからね」
「フン、お前の事はどうでもいい。俺達は佐々木美雪を今日中に探しだす必要があるんだ。彼女と連絡が取れないのであれば、住所を調べて居住地まで行くまでだ。おい、お前は美雪がどこに住んでいるのか知っているか?」
「知ってたって、あんた達みたいな不審者に教えるわけないでしょーが!」
「不審者とは聞き捨てならんな。行方不明になっている女を探すのに協力してやろうと言っているのに」
「結構です! 何かあったら警察に行きますから。私もこれで失礼します!」
膨れっ面をしたまま、彼女はくるりと踵を返し、歩道に沿って歩き出した。
「ああ、ああ、女性を怒らせてしまったではないですか……」
敬二郎の巨体の後ろで待機していた四朗さんが、慌てて飛び出した。
行く手を阻むかのように、柚香の前に颯爽と現れ、ニッコリ笑った。
眩しいくらいの営業スマイルだ。
場違いな程にオシャレな四朗さんの登場に、彼女は一瞬、ギョッとして顔を強張らせたが、月明かりに照らされたその美貌を確認するや否や、体中の緊張が一気に和らいだのが見て取れた。
四朗さんの美貌はどんな場面でも有効活用できるらしい。
「柚香殿、しばし落ち着いて下さい。この男の無礼な態度は生まれつきであり、悪気は全くないのであります。寧ろ、我々は貴女の大切なご友人である美雪殿の捜索に協力させて頂きたいと申しておるのです。自分は犬塚四朗と申しますが、決して怪しい者ではありません」
四朗さんに至近距離で見つめられた三谷柚香は、初めこそ頬を赤く染めて恋する乙女の表情をしていたものの、その容姿に似合わない古めかしい口調を聞く内に、だんだん眉間にシワが寄ってきた。
この銀髪のビジュアル系イケメンが、一般人とどこかズレているのを肌で感じたんだろう。
「この人、なんか変」的表情を顔に浮かべて困惑している。
四朗さんは恵まれたルックスを持っているにも拘わらず、その自覚が全くない為、せっかくの美貌も宝の持ち腐れなのだ。
特に、太平洋戦争時代の一等兵の口調はどうにも修正できないらしい。
見た目とのギャップが激しすぎて、話し掛けられた女性にとってその衝撃は非常に大きい。
だが、何とか理性を保ちながら、柚香は必死で応戦する。
「わ、悪気はなくたって、こっちは気分悪いわよ! 大体、あんた達、美雪さんとどういう関係なの? 彼女のストーカーでないのなら、何の目的があって、ここまで彼女を探しにきたのよ?」
「あー……、いやはや、それはですね……」
四朗さんの顔からサーッと血の気が引いた。
フォローに入ったもののノープランだった四朗さんが、その場凌ぎで上手い言い訳を言える筈もない。
まさか、『吸血一族の決起集会の生け贄にしようと攫いにきた』などと、本当の理由を言う訳にもいかないだろう。
しどろもどろになった彼を見て、不信感を深めた三谷柚香は追い打ちを掛けてくる。
「美雪さんとは確かに連絡が取れないみたいだけど、でも、何かがあったって決まった訳じゃないし、あんた達みたいな怪しい男どもに付き纏われる方がよっぽど危険だわ。これ以上、彼女について詮索するのなら、私があんた達を警察に通報してやるわよ」
「なんだと? この女、言わせておけば……!」
ヒステリックに口撃してくる彼女に、今度は敬二郎が苛ついた顔で舌打ちした。
サングラスの隙間から覗く切れ長の目が吸血モードに変わっている。
四朗さんも若い女の子特有の突発性ヒステリーにどう対応していいのか分からず、視線を泳がせオロオロするばかりだ。
彼女のひいおじいさんより年上の四朗さんにとって、現役女子大生はモンスターみたいなもんだろう。
この二人では埒が明かないのが分かって、僕は腹を括って一歩前に進み出た。
女の子の扱いが分かる程、経験がある訳ではないけど、年代的に彼女と一番分かり合えるのは自分であるような気がするし、ヒステリーな女の子はバイトで免疫はついている。
巨体のオッサンの脇からヒョッコリ現れた僕を見て、三谷柚香は再び顔を引き攣らせた。
「何よ、あんたは?」
「あの……、さっきから不安がらせることばっかり言っちゃって申し訳ないです。この人達は僕の友達で、付き添いで一緒に来てくれてるだけなんで、気にしないで下さい」
「友達?」
三谷柚香はキッと僕を見上げて睨みつける。
近くで見ると、小柄な僕より頭一つ分くらい小さい。
白くて丸い顔に大きな目が印象的で、喋らなければ結構モテそうな女の子だ。
正直言えば、割と好みだったりする。
脳内で分析をしながら、僕は当たり障りのない曖昧な笑顔を作った。
「僕は南条っていいます。この先のレンタル屋知ってるかな? あそこでバイトしてるんだ。だから、このコンビニも帰りがけに時々立ち寄っていて、美雪さんとは友人です」
この短い文章の中で僕は嘘を3つはついた。
バイトは今日でクビになったからもう勤務していないし、コンビニはいつも外から覗いていたけど、店内に入ったのは一度だけだ。
それに、僕は美雪さんを知ってるけど、彼女は僕を全く知らないだろうから、友人には程遠い関係だ。
それでも、僕が一番一般人に近い存在である事は分かってもらえたようで、柚香は少しだけ表情を和らげた。
「あなたは美雪さんの友人なの?」
「実を言えば、今日、彼女の仕事が終わってから一緒に出掛ける約束になってて、迎えに来たんです」
「あら、そうだったの? だったら初めからそう言えば良かったのに」
「そうですね、すみません」
僕の当たり障りのない嘘に、彼女はようやく安心したのか表情を緩めた。
少しは信頼してもらえたらしい。
でも、まだ不審げに僕らを見比べ、そして言った。
「分かったわ。あなたが美雪さんと約束してたっていうなら協力してあげる。私も心配だしね。今から美雪さんの家に電話してみるわ。出てくれればいいんだけど……」