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企画会議

 気がつけば、時刻は既に正午になっていた。

 外は12月にしては穏やかな天気で、窓から見える木立がさわさわと揺れている。

 柔らかな冬の日差しが暖かいこのアパートだったが、僕らは敢えて遮光カーテンを閉め切って真っ暗にしていた。

 怪談に出てくる吸血鬼のように、日光を浴びた途端に灰になる事はないのだけど、僕ら吸血族が日光を苦手にしているのは事実だ。

 日光に当たるとアレルギー反応が起こってしまうのだ。

 少しくらいの日差しなら何とか耐えられるが、直射日光を浴びれば、肌は炎症を起こすし、目が開かなくなるしで結構大変だ。

 吸血族でなくても日光アレルギーの人間は多いらしいから、特異体質という訳でもないだろうけど、僕らの場合、治療手段がなく病院にも行けないので、危険なものは極力避けた方がいいのである。


 そういう訳で、僕ら三人はカーテンを閉め切った狭いアパートの一室で、膝を付き合わせて飲み会を始めていた。

 飲み物は四朗さんの手土産の鹿の冷凍生血、つまみは冷蔵庫にあった僕の夜食、魚肉ソーセージとチーズかまぼこ。

 しょぼい晩餐会ではあるが、敬二郎は満足そうに僕らを見下ろしてウンウンと頷いている。

 友達いなかった彼にとって、旧友が二人も集まったという事実だけで満足なんだろう。


「では、まずは三人の再会を祝して、乾杯!」


 一応、この会の発起人である敬二郎が、先ほどの鹿の血が入ったマグカップを掲げて音頭を取った。

 モデルみたいにスタイリッシュなシロさんは、軍人のように背筋をピンと伸ばして正座したまま、敬々しくカップを挙げた。

 再会と言われても過去を覚えてなくて、いまいちピンと来ない僕も、一応、へらへらと曖昧な笑みを浮かべて皆に合わせる。

 二人にとっては僕も旧友の一人だろうが、こちらとしては見知らぬ個性的な男二人と何故か飲み会をする羽目になった訳で、どうも落ち着かない。

 カップを合わせて乾杯した後、鹿の血液を一口飲んで、僕は思わず目を見張った。

 美味しいのだ。

 こんなに美味しい血液を飲んだのは、平成になってから初めてかもしれない。

 恐らく、鹿の死後、すぐに血液を搾取したせいだろう。

 鮮度が違う。

 濃厚な甘みと芳香、なのにベタつき感が少なくて、スッキリとした喉ごし。

 これなら何杯でもいけそうだ。


「鹿にしては美味いじゃないか。お前んとこのド田舎では鹿がそんなに捕れるのか?」


 最初は鹿と聞いてバカにしていた敬二郎も、意外な美味しさに素直に驚いている。

 四朗さんはワイングラスの如く、マグカップをゆっくり回しながら穏やかな表情で笑った。


「今、農村では鹿や猪や猿など、農作物を荒らす害獣が増えています。ですが、多くの農村では後継者となる若者がおりません。年寄りばかりで害獣対策をするのも限度がありますし、自分はそんな高齢世帯の手助けをしているのであります」

「ハ! 何が年寄りばかりで高齢世帯だ。お前が一番、年寄りのくせして」

「ははは……、言われてみれば、そういう事になりますな」


 農村の現状にさほど興味のない僕は、二人のシュールな会話を聞きながら久し振りの血液を味わっていた。

 ああ、やっぱり、生き血はいいなあ。

 月一のスッポンの生き血の生活が侘びしくなってくる。

 僕にも血液提供者の彼女とかできればこんな苦労はないのに……。

 別に血液の為とかじゃなくて。

 寂しい時に抱きしめ合える愛とかぬくもりがあれば それでいいんだ。

 そんな彼女ができれば、きっと僕の永い人生も少しは楽しくなるだろうに。


「なんだ、南条は! さっきからボケーっとして、女の事でも考えてるのか?」


 脳内で妄想を始めた僕を、敬二郎のデリカシーのない声が呼び起こした。

 僕の複雑な心境をこのオッサンが分かる筈もないと思ってたけど、いきなり図星を突かれて、僕はむせ返った。


「な、なんだよ、いきなり! せっかく味わってるんだから、放っといてくれよ」

「いや、放っておけないな。お前は今、久々に人間の血を飲みたいと思っていただろう」


 敬二郎にズバリと本音を言われて、僕はギクッとした。

 このオッサン、何にも考えてなさそうで意外に鋭いとこあるようだ。

 アタフタしながら、僕は慌てて否定したが、この挙動不審さが逆に図星を刺されたのを雄弁に語る結果になった。


「ち、違うよ。人間を襲いたいのはあんただろ? 僕にそんな事できる筈ないじゃないか」

「そうだ! それは俺だ! 俺は久々に、牛とか鹿じゃなくって、人間の血を飲みたいと思っている。だが、それが悪いか? 我々一族にとっては単なる生理的欲求なのだ」

「いえ、別に悪くありません。でも、僕はそんな事しませんから、やるならお一人でどうぞ」

「何だと? おい、南条。お前、付き合い悪いぞ!」

「だから、あなた方と付き合ってた覚えがないんだってば!」


 僕らの掛け合いを傍で見ていた四朗さんは、可笑しそうに笑った。


「ハハハ……南条君は蘇ってから、大分、丸くなりましたね。落ち着いたというか、穏やかになりました」

「……以前の僕って、どんなんだったですか?」


 蘇る前の自分の事に初めて言及されて、僕は恐る恐る聞いてみた。

 過去は聞かない事がポリシーだったけど、今の僕は何となく、この二人と過ごした時間の事を知りたいと思い始めていたのだ。

 四朗さんは眉間に皺を寄せて、腕を組んだ。

 スタイリッシュでもさすがは長老。

 今どき、考え事をする時にこんな仕草をするのは、磯野波平さんくらいだろう。


「う~ん、そうですねえ。南条君はチャキチャキの江戸っ子といいますか、喧嘩っぱやくて義理人情に厚い若者でしたよ」

「江戸っ子!? じゃ、やっぱり僕は東京出身なんですか?」

「いえ、生まれは自分も知りません。ですが、自分が南条君と出会ったのは東京でした。自分は田舎育ちだったものですから、南条君は随分と垢抜けて粋な人に見えたものです」

「垢抜けて粋!? 僕が?」

「震災の時は人助けたりしてたぞ、お前は」


 ニヤニヤしながら、敬二郎が口を挟んだ。

 想定外だった過去を聞いて、僕は唖然とする。

 今の僕とはかけ離れた昔の自分。

 粋な江戸っ子だった僕が、今、どうして優柔不断のダサ男になってしまったのか?

 平成になってリセットした時に一体何があったんだ?


 突然、チクリと右の胸が傷んだ。

 そこには、何者かに殺害された時の傷がいまだに生々しく残っていた。


 僕は過去には拘らない主義だ。

 だけど、その時、ほんの少し……僕の中で何かが疼いた。


 吸血族の寿命は長い。

 どこかでリセットしなければ、ここにいる四朗さんみたいに奇妙な若年寄りになってしまう。

 僕に、もし、今までの記憶があれば、今どき流行らない『義理人情に厚い、喧嘩っ早い江戸っ子』という平成の世に生きるには少々イタいキャラになっていた事だろう。

 明治・大正・昭和という激動の時代を生き抜いてきたからには、忘れたいような記憶も貯蓄されていただろうから、どんな形であっても、僕はリセットされている事に感謝していた。

 できれば、このまま思い出したくないと、やみくもにそう思い込んできたのだ。


 でも、この消えない胸の傷が痛むと、時々、霧が掛かったような僕の脳内の何かが呼び起こされるような気がする。

 僕が、誰かに殺されているのは間違いない。

 でも、それを考え始めたら、ちょっとだけ気になってくる。


 僕はどうして殺される羽目になったのだろう?


「……と、いう訳だ。いいな、南条。早速、今から準備をするぞ!」

「えっ!? うわっ!」


 突然、背中をバン!と叩かれて、僕は前のめりに倒れた。

 テンション高過ぎるこの大男は、元気いっぱいに僕をぶっ叩いて、スックと立ち上がる。


「何をぼーっとしてるんだ。今から出掛けるぞ」 

「い、今から?」


 呆気に取られて、僕は敬二郎を見上げた。


「そうだ、善は急げだ」

「どこに行くんだよ?」

「お前は人の話を聞いてなかったのか?」


 僕を呆れたように見下ろして、彼はニヤリと不敵な笑みを浮かべる。


「生け贄を探しに行くのだ。我々、吸血族の記念すべき第一回目の集会には人間の生き血が不可欠だと考える。牛とか鹿とか、もう代用品は沢山だ。我慢するのも限界がある。今回の集会では、久し振りに人間の生き血で一族の繁栄の為に乾杯しようじゃないか」


 目をギラギラさせて、オッサンは熱く語った。

 相手が熱くなればなるほどに、聞いてる方は冷めていくのはどうしてなんだろう。

 僕は寧ろ、萎えた気持ちで投げ槍な返事をする。


「はあ、まあ、その気持ちは分かりますけどね。まず、現実的に考えて、どっから連れてくるんだよ? その生け贄は」

「そんな事は俺に任せておけ。路上で適当に襲って、仮死状態のままここに連れてくる。集会の場所はこの際、お前の家でいい。クリスマスは明日だってのに、これから場所を探すなんて面倒臭いからな。中世のサバトをこのウサギ小屋で再現しようじゃないか」

「ちょ、ちょっと待ってよ! あんたに襲われて仮死状態で連れてきた人間なんか、ここで警察に見つかったら、僕が逮捕されちゃうじゃないか!」

「大丈夫だ。襲った人間の記憶は改ざんしておく」

「そういう問題じゃないよ! 僕の自宅にへんな人連れてこないでよ!」


 頭に血が登った僕は立ち上がって敬二郎に対峙した。

 冗談じゃない。

 空気読まないこのオッサンは、放っておいたら本気で人間の一人や二人連れてくるだろう。

 万が一、警察に見つかったら、拉致監禁容疑で僕まで共犯者にされてしまうじゃないか。

 血液を摂取しなければならないのは体質的に仕方がない。

 だけど、それが人間である必要はない訳であって、リスクを犯してまでしなければならない事ではないだろう。

 事実、僕は月に一度のスッポン料理でこうやって生きてる訳だし。

 せっかくののんびりフリーター生活をこんな事で失うのは御免だ。


「まあまあ、南条君、落ち着いて下さい」


 僕らのやり取りを聞いていた四朗さんが、ユラリと立ち上がった。

 向かい合っている僕らの間にスルリと入って、僕と正面で向かい合う。

 至近距離で見る四朗さんの顔は、彫刻みたいに整っていて、中性的な美形だ。

 その綺麗な顔に妖艶に見つめられて、ゾクッと鳥肌が立った。

 僕を見下ろす彼の目が真っ赤に光って、吸血モードになっている。

 視線を逸らそうとしても、怪しいその光に吸い込まれるかのように凝視してしまう。


「南条君、自分も穏やかに生きていきたいと思い、人間の血液を摂取する事は忘れようと努力してまいりました。だけど、それは我々一族にとっては生理的に不自然な事であります。どうでしょう? 半世紀に一度くらい、久し振りの再会を祝して伝統的様式で集会を開催してみては? 生け贄は殺す訳ではないのですから、それほどバチは当たりますまい」

「…で、伝統的様式?」

「かつて、我々一族がまだ多く存在した頃、集会はもっと頻繁に行われ、生け贄の人間もその都度、村から調達しておりました。ですが、我々は決して殺す事はしませんでした。少々、生き血を分けて頂いた後は、記憶を消してから速やかにお帰り頂いたものです。古今東西、神隠しや、桃源郷などの伝説があるのは、我々のような人非ざる存在と人間が、暗黙の了解の内に共存していたからに他なりません」


 四朗さんは長いセリフをゆっくりと、まるで何かの呪文のように僕の耳に囁いた。

 彼の赤い瞳は僕の視線を捉えて離さない。

 だんだん気持ちよくなってきて、意識が遠のいていく。


「だ、だから、なんなんだよ……?」

「たくさんいる人間の一人くらい、一晩、拝借したところで、神様も目を瞑って下さいます。そして、それは我々が生きるために必要な事であり、悪行ではありません。ほら、南条君だって、本当は人間の生き血に飢えているのでしょう……?」

「ぼ、ぼくは……まあ、ちょっとくらいなら……そりゃ、欲しいですけど」

「そうでしょう? では、南条君に推薦して頂きましょうか。誰を生け贄にご所望されますか?」


 四朗さんの声は甘く、僕の脳内に染み入ってくる。

 なんだか、全てがどうでも良くなって、僕は思いついた事をサラサラと口に出していた。


「う~ん、だったら……、あのコンビニのお姉さん」

「それは南条君と懇意の女性でありますか?」

「ううん、僕が勝手に好きなだけだよ。ああ、でも、彼女の生き血を貰えたら、僕、もう死んでもいいかもな……」

「承知しました。では、我々のクリスマス集会は、その女性をお呼びする事に致しましょう。ね、敬二郎?」


 その瞬間、脳内にモヤが掛かったみたいだった僕の意識がパッと戻ってきた。

 な、なんだったんだ、今の?

 僕、今、何言った?

 四朗さんは元の飄々とした表情に戻って、ヒョイと肩を竦めてみせた。

 自分がされた事に今更気がついて、僕は四朗さんに掴み掛かる。


「ちょ、ちょっと、四朗さん!今、僕に催眠術使ったでしょ!?」

「ハハハ……、同族にやってみたのは久し振りでしたけど、案外、かかりましたね。お陰で南条君の意中の女性が分かりました」

「うわ! あんた、それでも友達か!?」

「でも、こうしなければ、南条君の真意を聞き出す事はできませんでしたよ。南条君だって、本当は久し振りに吸血族の本能のままに欲求を満たしたいと思っているんでしょう?」

「う……それは、まあ……時には」


 痛いところを突かれて、僕は口籠った。

 正直言えば、僕だって人間を襲いたい欲求がない訳ではない。

 ライオンが肉食べたいのと同じで、そういう種族なんだから仕方がないのだ。

 ガサツな敬二郎は、僕の背中をバンバン叩いて大笑いした。


「南条、もう痩せ我慢するな。一年に一回くらい無礼講だ。俺が許す。そうと決まったら、早速、その女の下見に出かけようじゃないか!」


……まずい事になった。

 でも、既に『憧れのコンビニのお姉さんの生き血を頂く』という邪な欲望は、完全に僕の本能に火をつけてしまっていたのだった。


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