エピローグ
あの不思議なクリスマスの夜から1か月が経とうとしていた。
イケメン高齢者の犬塚四郎さんは、クリスマスが終わった後もズルズルと年末まで僕のアパートに居候していたが、「元旦は神社で農協主催の餅つきがある」と言って、大晦日の朝、田舎へ帰っていった。
「南条君も敬二郎も、いつでも遊びに来て下さい。鹿や猪なら結構、罠に掛かりますから」
軽トラの運転席から銀色の髪をサラサラ靡かせて、四郎さんは爽やかに言った。
ありがたいような、そうでもないような彼の申し出に、僕と敬二郎は顔を見合わせる。
「そうは言っても、あんまり田舎過ぎてもなあ……」
「夏になったらキャンプにでも行くよ。鹿肉でバーベキューできるし」
僕らの曖昧な返事に、四郎さんは屈託なく笑って手を振った。
「いつでも構いません。どこにいても、自分は二人の友達であります故。では、息災で!」
そして、傍若無人のオッサン、敬二郎。
サンパウロからわざわざ荷物に紛れて渡航してきたという彼は、事件が片付いて、クリスマス会が終わって、正月が過ぎても、僕のアパートから出ようとはしなかった。
「俺もそろそろ地に足をつけた生活をしようと思うんだ。外国暮らしも飽きてきたしな」
そろそろ出て行ってくれと、婉曲に言ってみた時、敬二郎は神妙な顔でそう答えた。
そんな事を言い出しそうな予感があったので、僕も腹を括って彼に向き合う。
「敬二郎の気持ちはよく分かるよ。でも、このアパートに僕と同居するのは無理だからね。寝る場所がなくてこっちも限界なんだから。日本に残るなら、協会にでも頼んで自分でアパート借りてよ」
「なんだと? 命の恩人に向かって冷たいヤツだな」
「よく言うよ。最初は殺しに来たクセして」
「それは誤解だってちゃんと説明しただろーが!」
「どうでもいいけど、ここで同居は無理だってば。敬二郎は日本のアパートに住むにはデカ過ぎるんだよ。それに一人暮らしするなら働かなくちゃ、家賃も捻出できないよ?」
「やかましい! そのくらい分かっている!」
その時、僕らの話をキッチンで立ち聞きしていた柚香ちゃんがヒョッコリ顔を出して口を挟んだ。
「コンビニの店長がゾンビになって失踪しちゃったから、住み込みで働ける店長代理の募集してるわよ?」
「何!?」
僕と敬二郎は同時に叫んだ。
「それは好都合じゃないか。住み込みなら家賃は掛からんし、夜勤の仕事にもありつけるってわけだ」
「だめだよ! それじゃ、柚香ちゃんと同じ職場で働く事になるじゃないか! 危険過ぎるよ!」
「大丈夫よ。南条さんも一緒に働けばいいんだから」
柚香ちゃんはにっこり笑って、『急募!』と書かれた新聞広告を広げて見せた。
「店長の他に、美雪さんも突然辞めちゃったでしょ? だから、夜勤専門で入れる従業員も募集してるの。南条さんも今、無職なんでしょ? 一緒に応募してみれば?」
そう言われれば嫌も応もない。
確かに僕らは無職で、今後のビジョンも何もないのだ。
「……お言葉に甘えさせて頂きます」
「やった! じゃ、早速、本部に連絡しておくわね。面接の日時が決まったら連絡するから」
柚香ちゃんは嬉しそうに手を叩いた。
敬二郎も嬉しそうに不敵な笑みを浮かべる。
「フッフッフ…… 面接だったら任せておけ、小娘! そんな時の為に、我々は催眠術が使えるのだ。不合格は有り得ん!」
「………」
催眠術は気高い吸血行為の為であって、そんな時の為って訳でもないんだけど。
とにもかくにも、敬二郎の予言(?)通り、正月明けから、僕ら二人は柚香ちゃんと同じコンビニで働く事になった。
コンビニの二階の事務所という安住の地を得た敬二郎は、時々さぼりながらも、接客くらいは普通にこなせているらしい。
彼が出て行き、僕もようやくシンングルベッドを独り占めできるようになった。
美雪さんと下僕となった二人のゾンビ男については、いまだ行方が分からないままだった。
協会が全国指名手配してるんだから、その内、何らかの情報は出てくるのかもしれないけど、僕はもう関わり合いになるのは遠慮したかった。
今度会っても、彼女と争うのは嫌だし、ゾンビにされるのも御免だ。
彼女の主張が絶対悪だとは、僕にも言い切れる自信はなかった。
『友人ヅラして自分勝手な正義を押し付けてくる人間と、本当の危機の時には必ず馳せ参じる物言わぬ奴隷』
どちらが本当の友達かって言ったら、もしかしたら、僕も奴隷を選んでしまうかもしれない。
そこまで行きつくのに、きっと美雪さんにも紆余曲折があったんだろう。
できれば、その胸の内を話して欲しかった。
こんな僕でも、聞くくらいはできたのに……。
そう思うとちょっと歯痒い。
でも、どうしても解せないのが、彼女がどういう方法を使って『ナリソコナイ』を量産していたのか、だ。
彼女にしかできない術式みたいなものがあるのか、もしくは、彼女の他にも黒幕がいるのか……。
「あー! また美雪さんのこと、考えてたでしょ!?」
突然、耳元で高い声が響いて、僕はもたれていたベッドからズリ落ちた。
キーンと鳴る耳を抑えて見上げると、柚香ちゃんがトレイに二人分のコーヒーを載せて仁王立ちになっている。
丸い顔の頬をリスみたいに膨らませて、不機嫌も最高潮な顔で僕を見下ろして言った。
「まだ、美雪さんに未練があるの?」
「ご、誤解だよ。別に何にも考えてなかったってば。ただ、何者だったのかな~って、少し気になるんだ」
「南条さん、美雪さんの事は、吸血鬼なんとか組合に任せるって言ったじゃない。もう、危ない事に首突っ込むのはホントに止めて」
柚香ちゃんの差し出したマグカップを受け取り、僕は小声で「ありがとう」と呟いた。
僕の事を本気で心配してくれる人ができたことは、純粋に嬉しい。
ドタバタだったクリスマスは終わって、二人の友達はそれぞれの鞘に収まった後、僕には平成後の人生初、人間の彼女ができた。
ああ、これでスッポンの血を飲みに行かなくて済む。
人間の女の子が血液供給者になってくれたら、僕はもう永遠に飢えに苦しむ必要なんてなくなるんだ……!
なんて。
付き合い始めて喜んでいたものの、実際に女の子に噛みつく度胸が僕にある筈もなかった。
時々、僕のアパートに柚香ちゃんが遊びに来てくれても、手を握ることすらできない有様だ。
いきなり降って沸いたようにかわいい彼女ができたって、彼女どころか友達もいなかった時間が長すぎて、人間に対する免疫などないに等しい。
寧ろ、柚香ちゃんの方が僕の体質に興味津々で、時々、好奇心を抑えられずに迫ってきたりする。
「南条さん、吸血鬼なんでしょ? どうして血を吸ってくれないの?」
「そ、そんなこと、好きな女の子にできないよ。は、恥ずかしくて」
「なんで恥ずかしいのよ?」
「分かんないけど、恥ずかしいんだよ。噛みついたら柚香ちゃんだって痛いだろうし、なんか悪いよ」
「私は大丈夫だってば! 南条さんは私の血を舐めたから、生き返ったんでしょ?」
「あの時は、僕は意識がなかったから……」
そうなのだ。
柚香ちゃんが、美雪さんに首筋を引っ掻かれて少し出血していたのを、四郎さんが指ですくって僕の口に突っ込んだという、『吸血』とは程遠いショボイ行為だった上に、僕は意識を失っててその味すら覚えていない。
僕的には非常に残念な体験になってしまったのだ。
柚香ちゃんはつまらなさそうに唇を尖らせた。
「なによー。せっかく美女の生き血を捧げようとしてるのに、南条さんってホントに自信ないんだから」
「はあ……、こんな僕ですいません。まあ、その内、お願いするかも……です」
「本当に?」
「……善処します」
僕らは顔を見合わせ、一緒に笑った。
まあ、いいか。
時間だけは永遠にあるんだから。
今から少しずつ変えていけばいいんだ。
6畳の安アパートから見る空から、今年初めての雪がハラハラと舞い落ちてくる。
満ち足りた気持ちで、僕らはそれを眺めていた。
Fim.




