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正体見たり

 そこは一見、何の変哲もない単身世帯用のマンションに見えた。

 でも、僕が住んでいるボロアパートよりは新しいし、グレードは高い。

 玄関ドアに設置されているモニター付きドアホンがそれを物語っている。


 美雪さんが鍵を開けている間、僕は至近距離で彼女を観察することができた。

 あの橋の上からコンビニの窓越しに見ていたあの女性。

 その細い首に白い肌、サラサラの長い黒髪。

 吸血鬼なら一度は齧り付きたい理想的な美女だ。

 ああ、でも、付き合ってる人がいたなんて……。

 こんなに綺麗な女性がクリスマスに一人でいる筈がないと思っていたくせに、現実を目の当たりにしたショックは意外に大きい。

 柚香ちゃんは僕のジャケットの袖をギュッと握ったまま、神妙な顔でくっ付いている。

 もしかしたら、一瞬で失恋してしまった僕をフォローとしようとして、咄嗟に彼氏だなんて嘘言ってくれたのかも。

 だとしたら、その気遣いは純粋に嬉しい。

 柚香ちゃんも僕には釣り合わないくらいかわいい女の子なんだけど、それでも美雪さんの大人の女の魔力にはちょっと及ばない。


「さあ、どうぞ、入って入って。寒かったでしょ? すぐにお茶入れるわね」


 美雪さんの後に続いて、僕らも「お邪魔しま~す」と口にしながらマンション内に足を踏み入れた。

 薄暗い玄関とリビングを仕切るドアを開くと、中の明かりがパッと漏れてきた。

 ダイニングキッチンとリビングが繋がった結構広い部屋だ。

 その瞬間、僕はすぐに違和感を覚えた。

 人が住んでいるとは思えないくらい、そこには生活感がない。

 ガランとしたリビングには折り畳み式のソファベッドが一台、ポツンと置かれているだけで、テレビはもちろん、家具らしいものが何にもないのだ。

 美女の一人暮らしというのはあまりにもシンプルだった。

 そして、部屋に一歩足を踏み入れた瞬間、異様な臭いは鼻に飛び込んできた。

 忘れる筈もないその臭いに、僕は思わず総毛だった。

 これは、さっきコンビニの二階にいたゾンビと同じ死体の腐敗臭……!?

 

「柚香ちゃん、ここヤバイ!」

「えっ?」


 僕が耳打ちした途端、柚香ちゃんは「あっ!」と小さい悲鳴を上げて竦み上がった。

 その視線の先を見て、僕も「ウッ」と声にならない声を上げる。

 部屋の奥のカウンターキッチンから男性が一人、身じろぎもせずこちらを凝視している。

 長身でスマートな、一見、かっこいい30代男性なのに、その目は死んだ魚の如く虚ろで瞬きすらしない。

 柚香ちゃんは後退りながら、必死で声を上げた。


「て、店長……!どうしてここに?」 

「えっ!? あれが店長!?」


 僕らが『なりそこない製造者』の吸血鬼だと疑っていたコンビニの店長は、吸血鬼どころか、どこまでも生気のない廃人に見えた。

 こんな奴が一族の筈がない。

 僕らは死なないけど、無駄にエネルギッシュなヤツが多いのだ。

 彼は寧ろゾンビ、いや、『ナリソコナイ』に見えた。

 それを裏付けるかのように、異臭はその男から立ち上ってくる。


「あの人が、私が半年前から見たことがないって言ってた本物の店長よ」

「じゃ、まさか、美雪さんの恋人って店長だったの?」

 

 でも、店長は吸血鬼じゃないし犯人でもない。

 と、いう事は?

 店長をナリソコナイにした真犯人は!?


 その時、ピッと小さな音がして、部屋中の明かりがフッと消えた。

 今まで眩しいくらいの明るさだった部屋が突如、暗闇になって、柚香ちゃんが「きゃあああ!!」と金切り声を上げる。

 人間である彼女は目がすぐに効かないだろうけど、吸血鬼の僕に暗闇は通用しない。

 夜行性の僕らは暗い方がよく見えるくらいだ。

 その暗闇の中で、カウンターキッチンで立っていた店長がものすごい速さで駆け寄ってくるのが見えた。

 真っ直ぐ柚香ちゃんに向かってきたところを、僕が飛び出し、体当たりでぶっ飛ばした。

 店長は予想していなかった反撃にもんどりうって後転し、何が起こったのか分からないようにキョロキョロと見回している。

 今のうちにとどめを、と思って店長に飛びかかった瞬間、柚香ちゃんの悲鳴が止んだ。


「柚香ちゃん!」


 振り返った僕が見たのは、柚香ちゃんを後ろから羽交い絞めにして口を塞いでいる美雪さんの姿だった。

 暗闇の中でも、彼女がうっとりと恍惚の表情で僕を見つめているのが分かる。

 そして、その顔には僕と同じように真っ赤に変色した目と、小さく突起した牙があるのが確認できた。


「柚香ちゃんの彼氏って言ったわね。あなたは吸血鬼のくせに人間の女の子と付き合ってるの?」


 柔らかい声で美雪さんは僕に言った。

 口を塞がれた柚香ちゃんは恐怖で顔を引き攣らせたまま、抵抗することなく固まっている。

 人質としては理想的な態度だ。


「吸血鬼のくせにとは失礼だな。美雪さんも一族なんでしょう?『ナリソコナイ製造者』っていうのはあなたの事? 狂人だって言われて協会から指名手配されてるんですよ。知ってました?」


 内心、ビビリながらも時間を稼ぎたくて、僕は敢えて挑発的に返事をする。

 彼女は嬉しそうに笑って、柚香ちゃんの髪を撫でた。


「もちろん知ってたわ。最近、私のことを覗いてるストーカーがいたから、殺してやろうと思ったら協会からの刺客だったんだもの。オタクっぽい小太りなダサ男君だったけど、ナリソコナイにしてやったら、協会のことペラペラ喋ってくれたわ」


 僕の脳裏に、敬二郎が一撃で倒したあの代理店長の姿が浮かんだ。

 あいつも、協会の命令で容疑者をマークしてた一族だったってことか?


「じゃ、コンビニの二階にいたあのゾンビ男は……?」

「私を抹殺しにきた協会からの吸血鬼君よ。ゾンビにしてから、店長の代わりに働かせておいたの。クリスマスに働くのも癪だしね」

「ま、まさか、あなたは吸血鬼もナリソコナイにする事ができるのか?」


 僕はそれを聞いて蒼白になった。

 この女は人間だけじゃなく、同族殺しもできるってことになる。

 美雪さんは妖艶に言った。


「びっくりでしょ? でも、できるのよ。あなたも『ナリソコナイ』になってみたい? 奴隷にして可愛がってあげるわよ」

「え、遠慮しておくよ。でも、どうしてこんなことを? 輸血して一族に引き入れるならともかく、生きた死体状態で奴隷みたいにこき使うなんて、人道的とは言えないよ」

「……人道的?」


 今まで余裕の表情で笑みを浮かべていた美雪さんが、初めて凍り付いた。


「それなら、瀕死の人間に勝手に輸血して、永遠に生きる化け物にしてしまうのは人道的なことなのかしら? 私はね、吸血鬼になりたくてなったんじゃないの。交通事故で死にそうになって、気が付いた時にはこうなってたの」

「………」

「頼みもしないのに無責任よね? 周りの人間は年を取ってどんどんいくのに、私だけが一人ぼっちで永久に孤独に苛まれて生きていかなければならないのよ?」

「そ、その気持ちは僕も同じだから分かるよ。でも、一時的に寂しさを紛らわすために奴隷を作るのは間違ってるよ。それより、一族の中で一緒に生きていけるパートナーや友達を作ればいいじゃないか。皆、結構、孤独を感じてるよ」


 こんな美女が一人で寂しがっているって知ったら、敬二郎はブラジルからでもすっ飛んで来るだろう。

 僕だって、美雪さんに付き合って欲しいなんて言われたら、拒否できる自信はない。

 でも、彼女は僕の言葉を嘲笑うかのように切り捨てた。


「あなたのそういうところが嫌いなのよ。人の気持ちもお構いなしにすぐに正論を振りかざして。自分が一番正しいと信じてる人ばっかり。私が欲しいのは屁理屈ばっかり偉そうに押し付けてくる友人じゃない。私の言う事を素直に聞いてくれる奴隷なの」


 彼女は羽交い絞めにしている柚香ちゃんの首を、指先でツーッと引っ搔いた。

 真っ白な首筋の肌が薄く裂けて、赤い血がみみず腫れみたいに浮き上がる。

 顔は恐怖で引き攣っているのに全く抵抗もしないのは、どうやら金縛りに掛かってるようだ。

 美人のくせにかなり厄介な敵だ。

 ここに奴隷化した店長が参戦すれば、2対1でかなり分が悪いだろう。

 僕一人で太刀打ちできる気がしない。


「さあ、柚香ちゃん。今からあなたも私の奴隷にしてあげるわ。奴隷はね、死んだ後も私の命令で永遠に動く事ができるのよ。私、あなたみたいな妹が欲しかったから、特別にかわいがってあげるわ」

「………!!!!!」

「待て! な、何するつもりだ!?」


 咄嗟に飛びかかろうとした僕を、美雪さんは真っ直ぐ指さして制御した。

 一瞬、金縛りにあったように体が硬直した。

 その背後から、いつの間にか待機していた店長が僕に抱き着き、左腕を後方に捩じり上げる。

 バキバキッと関節が折れたような音がして、思わず「グッ!」と呻き声を出した。

 ゾンビのくせにすごい怪力だ。

 いや、ゾンビだからなのか。

 でも、これが逆に功を奏した。

 肩が外れてくれたお陰で、密着していた店長の体が若干離れたのだ。

 このチャンスを見逃す手はない。

 僕は体をよじって店長に向き合うと、開いた右手を彼の額にバッと当てて、その死んだ魚みたいな目を睨み付ける。

 途端に、店長はヘナヘナと足元がら崩れ落ちた。

 吸血鬼の十八番の催眠術だ。

 吸血する時だけ一時的に意識を失わせる麻酔程度の代物だけど、意外に効力はあった。

 さすがは昔取った杵柄だ。

 平成になってから使う機会もないので、忘れかけていた割りには上出来だった。

 

 店長がいきなりダウンしたので、美雪さんは血相を変えて、柚香ちゃんを羽交い絞めにしたまま後退った。

 僕は力の入らない左腕をダラリとぶら下げたまま、彼女に正面から対峙した。


「ねえ、美雪さん。あなたがゾンビを作ろうが、協会から指名手配されようが、僕には興味ないんです。僕だって容疑者としてリストに入ってたくらいだし、協会なんてどうでもいい。でも、柚香ちゃんにはそんな事、もっと関係ないでしょう? 彼女は純粋にあなたを心配して、ここまでやってきたんだ。僕らは協会にあなたの事を言ったりしないから、彼女を放してやって欲しい。僕の希望はそれだけです」


 僕の思いが少しは通じてくれたのか、美雪さんはじっと睨んで威嚇しながらも、後退るのを止めた。

 美雪さんに口を塞がれたまま、柚香ちゃんが涙ぐんだ眼で必死で助けを呼んでいる。

 これ以上、彼女に被害が及ぶ前に早く決着をつけたい。

 

「僕はあなたと争いたくないし、奴隷にされるのも勘弁なんだけど、友人にはなれます。一人で生きるのが寂しかったらいつでも頼ってくれていい。僕は口ベタだけど、美雪さんの話を聞くくらいはできると思うんだ」

「……嘘。そう言って、あなただって協会から私を抹殺するように言われてここまで来たんでしょ?」

「違います。だって、僕にも抹殺命令が出てて、友人だと偽った刺客が二人来ましたから」

「本当……?」

「本当ですよ。だから、まず、柚香ちゃんを放してあげて……」


 美雪さんの緊張した顔が少しだけ緩んだ気がした。

 あと一息で、頑なだった彼女の心が解ける……。

 そう思った時。

 

ガッシャアアアン!


 ガラスが割れる音が派手に響いて、外に面したリビングの窓から何者かが乱入してきた。

 見覚えのある小太りでメタボなシルエットの男は、フローリングに散らばった窓ガラスの破片を素手で掴むなり、僕に向かって突進してきた。

 予期せぬ新たな敵の乱入に、僕は驚きながらも体を捻って何とかかわす。

 バランスを失ってよろけた僕の足を男は軽く払って押し倒し、仰向けになって倒した僕の上に馬乗りになった。

 マウントを取っているその男の顔を見上げると、やはり、コンビニでやりあった店長代理ゾンビだ。

 

 こいつ、死んだんじゃなかったのか!?


 そう思った瞬間、男は握り締めていた窓ガラスの破片を大きく振り上げ、僕の胸目掛けて突き刺した。


「ぐっ、ああああ……!!!!」


 致死レベルの激痛と、体内に異物が侵入する嫌な感覚が全身を貫き、僕は情けないくらいの悲鳴を上げた。

 短剣くらいの長さのあるガラスは僕の体を貫通して、フローリングの床まで深々と突き刺さっている。

 標本にされた昆虫のように、僕は串刺しにされた状態で床に磔にされてしまった。

 意識が飛んだせいで催眠術が解けて、本物の店長もユラリと立ち上がる。

 ゾンビ状態の本物の店長と、元吸血鬼の代理店長は美雪さんの前に、まるで彼女をガードするかのように並んで立ちはだかった。

 彼女はそれを満足そうに眺めて、勝ち誇った顔で僕を見下ろす。


「どう? 奴隷にしてしまえば、私に危機が迫った時には絶対駆けつけてくれるのよ。私が死なない限り、この子達も永遠に服従してくれる。あなたの言う友人はそこまでしてくれるのかしら?」

「そっ、そんなの、こっ、こいつらの意思じゃない! あなたに操られているだけだろ!」


 気管支から溢れてきた血が口の中に充満して、僕は激しく咳き込んだ。

 フローリングに真っ赤な血が飛び散る。

 

「確かにこの子達に意思はないわ。だからこそ信頼できるの。この子達は私を絶対に裏切らない。でも、あなたのお友達は協会の命令を受けて、あなたを殺しにやってきたんでしょ? そんな危険なお友達なら、いない方がいいんじゃないのかしら?」


 確かに一理ある。

 あっさり論破されてしまった僕には返す言葉もない。

 

 ああ、でも。

 こんな時こそ、あの二人がいてくれたら……!

 僕はともかく、柚香ちゃんだけでも今すぐ自由にしてあげられるのに。


 柚香ちゃんは目にいっぱい涙を溜めて、床に串刺しにされた僕を見下ろしている。

 僕が初めから敬二郎と四郎さんを連れてきていれば、こんな事にはならなかった。

 吸血一族の矜持にかけても、彼女だけは助けなければ……!

 

 僕は胸に突き刺さったガラスの破片を両手で握り締め、渾身の力で引き抜いた。


 


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