見知らぬ旧友
聖なる夜が目前に迫った12月22日。
その日、レンタルビデオ屋の僕のバイトのシフトは6時からラストの12時までだった。
12月23日が天皇誕生日という国民の祝日になってから26年も経過した現在、巷じゃ、その前日である22日の夜を狙って事前クリスマスパーティーを行う事が一般的になっている。
尤も、友達いなくてクリスマスパーティーに呼ばれたこともない僕には断言できないのだが、その日、シフトを埋めるバイトが捕まらなかったのはそんな理由からだった。
暇そうな僕が呼ばれる羽目になったのは当然の成り行きだったのかもしれない。
「南条はどうせ暇でしょ? 家で一人で暇してんなら入ってよ。あたし、22日の夜はクリスマスコンパなんだから」
僕よりたった半年前に入っただけで先輩気取りしているバイトの女の子に高圧的態度でそう言われた時も、残念な事にそれが事実だったので反論する事もできず、僕はただ「はあ……」と頷いてしまった。
どうでもいい情報だが、彼女は地元の専門学校生で、贔屓目に見てもかわいいとは言いがたい形相な上に態度も常時こんな感じなのだ。
どういう理由で彼女がコンパに呼ばれているのか、男としては理解に苦しむ。
尤も、彼女がコンパに於いて「引き立て役」という重要な任務を背負っているというのなら、納得するのみだけど。
僕の特殊な体質上、基本的には夜勤だけのシフトで入っているバイトだが、今日ばかりは皆が入りたがらないその時間帯に半ば強制的に配属されてしまった。
まあ、年に一度の国民的イベントだし、どの道、僕は暇だった。
いつも通り制服を着てタイムカードを打つと、返却されたDVDをワゴンに乗せて黙々と棚に差し込んで回っていった。
休日前の夜は、大抵、レンタルビデオ屋は賑わうのだが、今夜は珍しく閑散としていた。
さすがに家で一人でDVD見ている人間は少ないのかもしれない。
日本人はクリスチャンでもないくせに、イベントにかこつけてコンパやらパーティーやら無差別に行い、何を勘違いしてんのかホテルで過ごすバカップルもいまだ健在だ。
日本の行事には違和感を感じる事が多々あるが、まあ、それも僕には関係ない。
この街に引っ越してきて、ここでバイトを始めてから3年目を迎えた。
安アパートとこのバイト先を往復するだけの生活は、僕の無口で暗い性格を突然変異させてくれる筈もなく、何の楽しみもないまま月日だけが経ってしまった。
一処に住む期間は3年までと決めているので、そろそろ新しい職を探さなければならない。
憧れていた『彼女と一緒に僕の部屋でラブラブクリスマス会』ができるチャンスは、もうやってきそうになかった。
三年目の今年のクリスマスも、僕はここでバイトをする事が確定しているのだ。
「どうせ南条は暇でしょ」と勝手に組まれた24日のシフトには、しっかり僕の名前が記入されていた。
店長には「もしかしたら、恋人が急にできて暇じゃなくなるかもしれない」と一応、抵抗はしてみたのだけど、「じゃ、暇じゃなくなったら恋人連れてDVD借りに来い。そうしたら急遽、変更してやるから」と言い返され、一笑に付されて終わった。
バイトの連中の期待に沿い過ぎてるのは悔しいけど、今年の24日も僕が暇になるのは確実だった。
22日の今の段階で、僕にはまだ部屋に連れ込むべき彼女がいないし、今からラストスパートをかけて誰か探すと言っても、女の子と出会う場所といったらこのバイト先しかない。
だけど、いくら彼女とクリスマスを過ごしたいからって、誰でも言い訳じゃない。
僕にだって選択権はある。
ここで働いている横柄な女どもと狭いアパートで同じ空気を吸うくらいだったら、いつも通り働いてた方がマシってもんだ。
いつかきっと、僕にもクリスマスを一緒に過ごしてくれる彼女ができる……。
今年は無理でも、多分、来年までには……きっと。
いや、やっぱり無理かな。
たとえ彼女ができたとしても、僕の体質を知ったら、すぐに嫌われてしまうに決っている。
そんな面倒な事するくらいなら、最初から一人の方が気が楽だ。
そんな事を悶々と考えながら、惰性で体だけ動かしている内にあっと言う間に12時になった。
慣れた仕事なので、脳を使わなくても適当に流すことができる。
単純作業は時給は低いが、クオリティを求められないから楽だ。
ローリスク・ローリターンの波風の立たないバイトは、惰性で生きてる僕にとってはある意味、天職と言える。
きっとこんな感じで、僕はこれからも生きていくんだろうなあ……。
永遠に。
自分でも嫌になるこのネガティブな性格。
僕がよほどのイケメンでもない限り、クリスマスに一緒にいたいと思う女子はいないだろう。
惰性で生きてる自分にホトホト嫌気が差して、僕はタイムカードを打ちながら溜息をついた。
こんな切ない夜は、誰か傍にいて欲しい……。
大昔流行ったポップミュージックじゃないけど、その気持ちは今、痛いほど分かる。
そう思った僕は、今日もある場所に向かう事にした。
つまらない僕の生活の中で唯一、希望を与えてくれる場所……。
12時を回った冷たい夜風の中、僕は自転車に乗ると、街に向かって走り出した。
◇◇
僕がバイトしているレンタル屋から自転車で約15分の場所に、そのコンビニはあった。
街を縦断する河川の郊外側に立地し、ひっそりと営業を続けるコンビニに、果たして客が来るのかと思いきや、意外に毎日繁盛している。
昼間、外に出ることが難しい人達(学校に行ってない人とか、仕事につかず家にいる人とかetc...)が、夜になると光に集まる蛾の如く、このコンビニに集まって来る。
人通りのある場所で営業していたら、これ程、集客できなかっただろう。
現に、彼らのお陰で今まで潰れる事もなく繁盛しているので、立地条件とは分からないものだ。
まあ、僕もその恩恵にあやかっている一人ではあるのだが。
自転車で橋まで出ると、コンビニを一望できる絶景ポイントで立ち止まった。
ダウンジャケットのポケットから持参してきた双眼鏡を出して、コンビニの店内を観察してみる。
クリスマスが近いせいか、店内は通常よりは客が少なくガランとした印象だ。
やがて、そこに僕の『心の拠り所』の姿を確認して、僕は無意識にガッツポーズをした。
そこには僕が密かに思いを寄せる一人の女性がいた。
橋の上から双眼鏡で観察されているとは夢にも思ってないであろう彼女は、無防備にモップ掛けをしている。
年の頃は28くらいだろうか。
スラリとした体型で、コンビニの制服から出た腕は折れそうなくらい細い。
サラサラした長い髪を後ろで一つに纏めて縛っていて、白いうなじは清楚なのに、程よい色気を醸し出している。
顔は典型的なオリエンタル美女だ。
切れ長の黒い瞳と墨で引いたような弓型の眉、通った鼻筋と赤くて薄い唇が小さな顔にバランス良く配置されている。
僕が知っている唯一の情報は、彼女の苗字が『佐々木』であること。
客のフリして買い物した時に、彼女の胸のネームプレートにそう書いてあるのを発見したのだ。
その清楚な立ち姿は、絵に描いたような大和撫子。
僕の理想の女性像そのものだった。
こんなに綺麗な人なら、男が放っておく筈がない。
きっと彼女の家には、釣り合いの取れたイケメンが待っているだろう。
僕は寒空の下、マフラーの中に亀のように首を竦めて、煌々としている店内をじっと見据えた。
……いや、待てよ。
もし、彼氏がいるなら、彼女はどうしてこんなに遅くまでバイトしているんだろう?
クリスマスの前夜なんだから、彼がいればイルミネーションでも見に行ってるだろうに……。
もしかしたら、意外にもフリーなのか?
彼女も「どうせ暇でしょ」と言われて、こんな日に働かされているのだとしたら、僕と同じ状況なのかもしれない。
彼女の仕事が終わるの待って、これからお茶でもどうですか……なんて言ったら、意外に「じゃあ、友達からね」なんて言われちゃうんじゃないのか?
僕には珍しいポジティブな発想が突然湧き出て、心臓がバクバク鳴り始めた。
この際だ。
玉砕覚悟でコクってしまおうか!?
ああ、でも、断られたら、僕はもう明日から生きていけない……。
どうせなら、玉砕しても恥のかき捨てできるように、引っ越しの直前で言った方がリスクは低いんじゃないのか?
脳内で様々な意見が鬩ぎ合いを始めて、僕は頭を抱えた。
まさかの出来事が起きたのは、その直後だった。
「おい、お前は南条か?」
背後でいきなり低い声がした。
突然、自分の名前を呼ばれた僕はビックリして「ウヒャア!」と悲鳴を上げて飛び上がった。
僕が立っている場所は幅5mくらいの橋の上で、僕以外の人間がいたなんて全く気が付かなかった。
飛び上がった拍子に、凍った地面に足を滑らせ尻もちを付き、その勢いで橋から転げ落ちそうになる。
あわや転落というところで、後ろからマフラーをグイッと掴まれ、ズルズルと引き摺り戻された。
小柄で痩せ型でも一応、成人男性である僕を軽く引き摺るなんてハンパない怪力だ。
コンビニにたむろってる地元のヤンキーがカツアゲに来たのか!?
でも、怖くて後ろを振り向いて確認する事ができない。
背後で僕のマフラーを手綱のように掴んでいる得体の知れないヤツに、僕はとにかく謝った。
「わあああ、すいません!助けてください!」
襟首を掴まれたネコのように、僕はマフラーを引っ張られてたまま釣り上げられた。
その僕の目の前に、一人の男が立ちはだかっている。
「喚くな。お前は南条だな?」
「はっ、はい! 僕は確かに南条ですが! 助けて下さい! てか、あなた誰!?」
「俺はお前のお仲間だよ。忘れたのか?」
「はい……?」
『お仲間』だって?
何を言われているのか把握できない僕は、呆気に取られて目の前の男の顔をマジマジと見つめた。
◇◇
僕は改めて目の前に立ちはだかる男をマジマジを見上げた。
身長は190cmはあるだろうか。
黒いロングコートを着てても分かるガタイの良さ。
もう、なんかメチャクチャでかい男だ。
顔は身体に相応しくイカツイけど、彫りが深くて精悍だ。
こんな夜中にサングラスをかけているのが奇妙ではあるが、それがまた良く似合っている。
ツンツンした黒髪のソフトモヒカンが精悍な感じで、映画でよく見るアメリカ海軍のワル兵士といったところか。
こんな男にまともに襲われたら、僕なんか瞬殺されてしまうだろう。
これだけインパクトの強い仲間がいたら絶対忘れる筈はないのだが、僕には全く見覚えのない人物だった。
「あの~、僕達、知り合いでしたっけ?」
「俺はお前の仲間だと言っている」
「いや、そんな筈ないでしょ。あ、これって、もしかして誰かからの嫌がらせですか?」
「嫌がらせ?」
「例えば、僕の事を嫌ってる誰かが、僕を抹殺するようにあなたに依頼してきた、とか?」
「俺は殺し屋じゃない! お前の仲間だと言ってるのに、どうしてお前を抹殺しに来たと思うんだ!?」
「いや、何となくあなたの雰囲気がどこかの国の傭兵さんかと思って……も、もしかしてイスラ……?」
「悪ふざけもいい加減にしろ! シラを切ってもお前の正体は分かってるんだ! 普通に喋れ、南条!」
「ひえええ、お、怒んないで下さい!!」
僕は頭を抱えてアスファルトにへたり込んだ。
男は呆れたように僕を見下ろして、おもむろにサングラスを取った。
イカツイ顔が顕になった時、僕は思わず、あっ!と声を上げた。
窪んだ2つの目の中で眼球が電球の如く真っ赤に光っている。
その姿は、まさにハリウッドで定番の未来からやって来たアンドロイドそのものだ。
『お仲間』の意味を僕はようやく理解した。
「あ、あなたはもしかして吸血族……!?」
だけど、言いかけたまま、僕の身体は金縛りにあったかのように硬直してしまい、そのままコロンと仰向けにひっくり返されてしまった。
アスファルトの上で解剖された蛙のように無抵抗な僕を、男は蛇の如く無表情な顔で凝視している。
やがて、ゆっくりと右腕を上げると革の手袋を外した。
その体格に相応しい大きな手には、尋常ではない長さの爪がズラリと生えている。
ハリウッドで定番のミュータントの爪そっくりだ。
脳内でくだらない事をあれこれ考えている割には口が開かなくて、言葉が全く出て来ない。
仰向けになったまま固まっている僕を見下ろし、ニヤリと笑うと、男は冷たい声で言った。
「どうした?抵抗くらいさせてやるから掛かって来い。それともまだシラを切るか?」
「……わ、分かった。分かったから、まずは金縛りを止めて下さい」
「自分で防御すればいいじゃないか。そのくらいはできるんだろう?」
「そういうの僕はやらないんです。もう、ホント止めて下さい」
男はつまらなさそうにチッと舌打ちして、再びサングラスを掛け直した。
その途端に、フッと身体が軽くなる。
ようやく開放された僕は、ヨロヨロと起き上がって男の前に立った。
「お仲間なのは分かりました。あ、あなたは僕と同じ吸血族なんですね。でも、ホントにあなたの事は知らないんです」
「俺を覚えてないのか?」
「僕、平成になってからリセットしてるんですよ。今の僕はただのフリーターです。あなたは僕の事をどうして知ってるんですか?てか、どこかで会ってたんですか?」
「関東大震災の時の東京だ。まあ、リセットしたなら覚えてないだろうがな。俺達は友達だったから、吸血族親睦協会でお前の住所を聞いて、昨日からお前を尾行していたんだ」
「え!? あの協会が僕の住所教えちゃったんだ。しかも、昨日から尾行してたんですか?」
「お前が一人になる時を狙っていたんだが、ビデオ店とアパートしか行かないからなかなかチャンスがなかった。昨日から見てたが、お前も友達いなさそうだな」
「………」
僕は溜息をついた。
個人情報を漏洩された上に、こんなマッチョマンが昨日から尾行していたなんて全く気が付かなかった。
でも、協会から僕の情報を聞き出せるという事は、この男はあの面倒くさい組織に会員登録してるって事か。
僕はなんだか嫌な予感がした。
「吸血族親睦協会で僕の住所を聞き出して、ストーカーしてまで僕を探してたのはどうしてですか? 何か僕に用があったんですか?」
「お前に相談したい事があったんだ。だが、その為にまず、お前がこの時代でどうやって生きているのかを調査したかった」
「何それ? 僕がどう生きてようと僕の勝手でしょう。僕が何してようが、あなたにも協会にも関係ないし、報告の義務もないですよ」
意味もなく苛ついて、僕は嫌味ったらしい言い方をしてやった。
昔から協会の名前を出されると無性に腹が立ってくる。
困った時に助けてくれる訳でもないのに、やたらと人を監視下に置きたがる吸血族の組織が大嫌いだったのだ。
それに、残念ながら、僕には本当にこの男に見覚えがなかった。
一度リセットされた僕の記憶は平成元年からしかない。
つまり、この人はそれ以前の僕を知っている貴重な人物だという事になる。
でも、だからと言って、大正時代の僕の事を今更知りたいとも思わないし、寧ろ、知りたくもない。
過去を知っている人間とはなるべく関わらないようにするのが僕のポリシーだった。
「申し訳ないんだけど、まずは自己紹介からしてくれませんか?友達だったって言われても、覚えてないから」
なるべく機嫌を損ねないように、僕は控えめにお願いした。
僕の過去を知る男の素性も分からないのは、こちらも落ち着かない。
男は一瞬、呆れた顔をしたが、すぐ、しょうがないというように首を竦め、少し笑った。
「リセット……蘇りか。まあ、俺達、吸血族にはよくある事だ。お前の人生もいろいろあったんだろう。では、改めて名乗ろう。俺は宗田敬二郎。今はブラジルのサンパウロ在住だが、今日はお前に会いに日本に戻ってきた」
「え!? ブ、ブラジルからわざわざ? 僕に会いに?」
「アメリカ経由で24時間掛かった」
「うわあ……よくパスポート取れたましたね」
「住民登録できないのにそんなもの取れるか。仮死状態になって荷物として送ってもらったんだ」
「ひええ……そ、そこまでする?」
「俺は戦後の移民政策で開拓組としてブラジルに渡った。本名は敬二郎だが、カルロスと呼んでくれてもいい。向こうではそれで通っている」
「………それ、呼びにくいんで敬二郎さんでいいです」
クリスマス前夜という一番人肌恋しいこの時期に、見覚えのないマッチョな男が僕を訪ねてブラジルからやって来たって……。
しかも、関東大震災の時から生きてるという、年季の入ったかなりの手練吸血鬼だ。
この男の目的はよく分からないけど、僕にとって、何のメリットもない事だけは間違いなかった。