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08:伍華の異端

伊依くん視点ではありません。

 椚野朝生くぬぎのあさきが両開きの大きな扉を開くと、そこでは三人の男子生徒が思い思いの場所に腰を下ろしていた。

 

 入室者である朝生へ真っ先に反応を示したのは、円卓のテーブルについている少年だった。明るいミルクティー色の、クルクルとした猫っ毛が特徴的で、とても高校生には見えないあどけない容貌をしている。そんな彼はつぶらな瞳を朝生に向け、むうっと不満げに頬を膨らませた。



「くぬぎくん、おそーい。せっかくぼくが頑張って早起きしたのに」



 朽無先輩以外、ふたりとも遅れてきちゃうなんて。

 そう言ってぷいっとそっぽを向く彼は、いかにも拗ねたように口を尖らせる。しかし、彼の目の前にあるテーブルには、形も大きさもバラバラな缶が所狭しと並べられており、そのどれにもクッキーやチョコレートが詰まっていた。拗ねながらもその菓子類を口元へ運ぶ度に嬉々とした笑みを浮かべるため、すぐに表情も弛緩されていく。そんな彼――紫檀晃人しだんあきとの様子を眠そうに眺めていた朝生は「ごめん……」と呟き、彼の向かい側にある椅子へと腰を落ち着けた。そしてゆるゆるとした動作で空になった缶を積み上げ、空いた場所に顔を突っ伏す。



「待ちなさい、朝生君。遅刻しておきながら、さっそく寝ようとするんじゃない」



 そう窘めるような声が室内に響き、朝生はぼうっとした表情でゆっくりと顔を上げた。そして眠たげにひとつ欠伸をしてから、扉からちょうど正面の位置にある、大きな両袖机へと目を向ける。そこには目元の涼しい、全体的にスマートな印象を受ける男子生徒が椅子に腰かけていた。悠然とした面持ちで背もたれに体を預けているその様子からは、人を従えることに慣れているような、そんな彼の性質が伺えた。

 支配者然としているその男子生徒――朽無壮騎くちなしそうきは、ブラウンの髪を僅かに揺らして「まったく」と呟く。



「こうも遅刻が続くようでは、椚野くぬぎのの定例会にもろくに参加できていないのではないですか?」



 時間を守る習慣を身に着けなくては、後々苦労しますよ。朝生君。    

 そう付け加えた壮騎そうきの言葉に、朝生は目元を擦りながら「頑張る」とだけ呟く。反省の色が見えないその様子に壮騎は小さく息を吐いてから、改めるように口を開いた。



「とりあえず、全員揃ったことですし……始めましょうか」

「でも、ゆずり先輩、来てませんけど?」



 クッキーの粉を口元に着けたまま、晃人はきょとんと首を傾げる。



「彼は38度の熱が出たそうで、今日はとても来られないとのことでした」 

「わー……あの人、また風邪こじらせたんだ……」



 平然とした面持ちの壮騎の言葉に対し、晃人はいっそ感心するように頷きながら、丸いチョコレートを口に放り込んだ。そんな中で早くもうつらうつらとしている朝生の様子に、壮騎は「さて」と早急に話を再開させる。



「朝早くから申し訳ありませんが、今日は緊急にお伝えしたいことがあります。ご存知の通り、我々《伍華ごか》にはいくつもの禁則が課せられているわけですが、昨日それを破ろうとした者がいました」



 壮騎がそう言い放った瞬間、クッキーに伸ばそうとした晃人の手が、空中でぴたりと止まる。そして無邪気に輝いていた瞳に剣呑とした色を浮かべ、「へえ」と口角を上げた。



「それって何の禁則ですかー? 第一級? 第二級?」



 チョコレートでコーティングされたクッキーを頬張りながらそう言う彼の瞳は、すでにあどけない安穏としたものに戻っていた。対する朝生は、ぼんやりと壮騎を見つめている。何を考えているのかわからない、感情の読み取れない瞳――その瞳は、じっと相手の言葉を待っているように、揺れ動くことがなかった。



「第一級というほど、大層なものではありません。出せるのはせいぜいイエローカード、警告程度の第二級です。そうですよね、沈丁花君」

  


 平然とした口調で名を呼ばれ、先ほどから一声も発していない窓辺の男子生徒――沈丁花君尋じんちょうげきみひろに三つの視線が集まる。

 そして朝日を背に浴びていた彼は、その視線に臆することなく、朗らかな笑みを浮かべた。



「朽無先輩がそうおっしゃるなら、もう弁明の余地はありませんね」



 そう肩を大げさにすくめて、あっさりと君尋は首を縦に振る。

 その仕草に一瞬眉を潜めた晃人は、手にしているクッキーの欠片を口に入れて、壮騎へと目を向けた。



「具体的に、なにやらかしたんですか? じん先輩」

「一般生徒への、接吻を用いた《傀儡》の行使です。一応、未遂ですが」



 そう言って、笑みを崩さない君尋を鋭い目つきで見咎めた後、壮騎は組んでいた足を組み直して言葉を続ける。



「我々は他者の好意によって、相手を操ることができます。そういう血筋に生まれた、選ばれし人間です。しかし、選ばれたのは何も一人ではない。ですから同じ術を持つ五つの血筋は、互いに利益を損ねぬよう、これまで何百年という時を尽力し、妥協し、協力してきました。この学園の存在さえ、《傀儡》の血を引く祖先が交流するために設けられているのです。それほどまでに、この均衡は決して壊してはならない」



 ……だというのに――。


 

「学生である時分から、禁則ルールを守れないというのは問題がありますよ。沈丁花君。接吻による《傀儡》の効果を、知らないわけではないでしょう?」  



 単調ながらも威圧を含んだその声に、君尋は苦笑を浮かべて小さく首を傾げる。



「好意の有無に関わらず、相手を《傀儡》と化すことができる――っていうのですよね。通常ならば好意の個人差によって防げる《傀儡》の拡大を、簡単に無効化してしまう最終手段」

「わかっているのなら、どうしてそれを実行したのですか。相手は同級生の、式降伊依しきおりいよりだと聞いています」



 その後、晃人がクッキーを咀嚼する音のみが一時室内に響き、しばしの沈黙が訪れた。

 お互いに視線を外すことなく交差させている壮騎と君尋は、どちらも涼しい表情であるにも関わらず、その場の空気を張りつめたものへと変化させる。その様子を眺めている晃人と朝生ふたりの表情も、決して弛緩しているとは言えない。

 第三者がこの場を訪れたなら、迷うことなく退室していくだろう空気の中、君尋がフッと口元を緩める。



「それこそ、彼女の人気ぶりを皆さん知らないわけがありませんよね。一年生の晃人くんだって、式降伊依の名前は知っているはずだ」 



 同意を求めるように晃人へ笑みを向けた君尋に、当の本人は渋々といった表情で「そりゃ、知ってるよ」と頷く。



「運動部、文化部に関係なく引っ張りだこ。もともと二年生の女の子たちから凄く人気があるのに、部活ってなると一年生や三年生の女の子までかっさらっていっちゃう。昨日もカフェテリアで、女の子連れてるの見たし……。しょーじき、商売あがったりーって感じ」



 そう拗ねるような口調で話す晃人に、君尋は満足げな笑みを浮かべる。



「俺も同じように考えてるんですよ、朽無先輩。年々広まっていく彼女の人気ぶりは、どう考えても邪魔でしょう。出る杭は打っておこうと、アレはそう考えての行動です」



 他意はないのだとでも言いたげなその言葉に、壮騎は目を細めて「なるほど」と呟く。



「この学園を支配する上では、確かに邪魔な存在かもしれません。しかし、社会に出ればこのようなことはいくらでもあります。僕は彼女のことを、その練習台程度にしか認識していませんから、大した脅威も感じません」



 この学園での支配力は、それほど我々の未来を左右しませんから。

 そう敢然と語る壮騎の言葉からは、伊依に対する関心といったものは一切感じられなかった。あまりにも割り切られたその反応に、晃人は「でもなぁー」と納得していないような声をあげて、朝生は再びぼんやりとした表情に戻っていた。



「ですから、僕からきみに送る警告はひとつです」



 緩みだした空気の中でも、張りつめた弦のような声音で、壮騎は言う。



「これ以上、我々の均衡を崩すような行動は慎んでもらいたい。きみ個人の判断で、禁則を破るようなことが、今後一切ないように」

「……わかりました」



 そう苦笑を浮かべた君尋は、「勝手なことをして、すみませんでした」と壮騎に深々と頭を下げる。



 ――ただしその表情には、ひどく歪な笑みを浮かべて。

次回は再び、伊依くん視点です。

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