06:眩しく安穏と/眩んだ記憶
恭兵と昼食の約束をした後、私はすぐに利加香ちゃんたちの元へ戻り、そのままカフェテリアへと向かった。道中の会話にも特別変わったことはなく、一週間後は中間テストだとか、カフェテリアへ行くとついデザートまで頼んでしまうとか、愛すべき他愛ない会話を交わすだけだった。昼食をとっている合間も、それは変わらない。私たちの周囲にいる女の子たちは皆笑顔で、それが私にはとても眩しく映った。
ああ、平穏だ。
そう安堵する気持ちを噛みしめて、同時に少しの不安がよぎる。まだ大丈夫だとは思っていても、やはり沈丁花とのやりとりには動揺するものがあった。
ゲーム内でも《沈丁花君尋》と《式降伊依》はクラスメイトだった。だから四月のクラス替えを見たときも驚きはなく、諦めの気持ちの方が勝っていた。しかし、ゲーム内での二人はそれほど親しい仲ではなかったはずだ。お互いに嫌っても憎んでもおらず、ヒロインという媒体を通した接触しか、ゲーム内では描かれていなかった。それなのに、今日のあれは一体どういうことなのだろう。私が目立ち過ぎてしまったのか、何か知らないところでルートを間違えたのか。考え付く理由はいくつかあったが、どれも明確な理由が見当たらなかった。
まだ、私には思いだせていない記憶があるのかもしれない。そして、その忘れてしまった事実に対する誤解こそが、今の段階で一番恐ろしいことだ。
「いっよりーん、どうしたの? 珍しくぼーっとしちゃって」
そう聞こえた声にハッとして、私はゆっくりと顔を上げた。
様々な食器や料理で彩られた円形のテーブル席、それを囲うように座っていた女の子たちが、私の様子を心配そうに見つめている。やってしまった。そう反省すると同時に「最近、寝つきが悪くてね。寝不足なんだ」と言い訳を取り繕う。
「でも、不思議だね。きみたちの声を聴いていると、安心して気が緩んでしまうみたいだ」
特に言葉を考えなくとも、これぐらいの台詞は、条件反射的に口から出てしまうようになっていた。その完成度は、自分では計れないけれど。しかし誤魔化すには十分な効力があったらしく、利加香ちゃんがすぐさま「じゃあ今日はいよりんの部屋にお泊りして、子守唄とか歌ってあげる!」と、えらく天然な提案をしてくれた。その気持ちはありがたいけれど、本当は寝不足でもなんでもないので、夜は一人でぐっすり眠りたい。
「利加香ずるい! 私なんて式降くんの部屋も行ったことないのに!」
「えっ、利加香さんって、式くんの部屋に行ったことあるの?」
「えっと……一回だけ、勉強教えてもらい、に?」
「なにその微妙な言い方! 式降くん、利加香と何してたの?」
いや、女同士でアレも何もないでしょうに(別に下世話な意味は含んでないぞ)。
――と、そう思いたいのは山々だったが、まあ、実はいろいろとあった気がする。いろいろ、うん。しかしまあ、今この場で話すようなことではないだろう。しかし、嘘を吐くのが限りなく下手である利加香ちゃんは、あわあわと周囲の疑いを煽るような挙動不審っぷりを発揮していた。つまり、いつも通りこの場を収めるのは、私の役割のようだ。
「勉強もしてたんだけどね。途中で飽きてしまって、二人して寝ちゃったんだ」
テスト前だったのにね。そう苦笑交じりで答える。
すると、女の子たちはまだ少し不満げな顔をしつつも、「それなら、いいけど」と、どうやら納得してくれたようだった。利加香ちゃんも安心したように息をついて、こちらに申し訳なさそうな視線をくれた。いやいや、あれは私も悪かった。むしろ私の方が悪かった出来事だ。しかし、中2というまだ未熟な段階で、それに気づけたのは本当に良かったと思っている。
そう苦い思い出に浸っていると、背後から黄色い歓声が耳に届いた。なんとなく予想をつけながらも、少しだけ振り返って様子を見てみる。すると、窓際の中央席に食器の山と女の子の壁が築かれていた。
うん、いつものカフェテリアの風景だ。
そう特に気にかけず、自分の周囲にいる女の子たちを宥めながら昼食のひと時を平穏に過ごした。
その後は五限の現国でグループ発表を行い、六限の英語を終えて、放課後のお茶会に参加。そこに特別な出来事はなく、寮へ帰宅した後の勉強会もつつがなく終了。
就寝前に12時までは予習復習に時間をかけ、ベッドへ横になったのは日付が変わった頃だった。
「はー……」
眠い目を擦りながら息をついて、布団の柔らかさと心地よさに癒される。明日は恭兵とのお昼もあることだし、なんだかいい夢も見られそうだ。そう嫌なことを思い出さないようにしながら、ゴロゴロとベッドの上を転がっているうちに、瞼が少しずつ重くなる。その眠気に誘われるがまま瞼を閉じ、私の意識は緩やかな眠りの中へと溶けていった。
×××
「次に参ります電車は、――行き。――行でございます。お客様は黄色い線から離れてお待ちください」
そんな聞きなれた構内アナウンスを耳にして、私はとろけはじめていた意識を取り戻した。そして目の前に広がっている大きな溝、電車が止まるはずの線路眺め、洒落にならないと頭を横に振る。もう少しで線路に落ちてしまうところだった。
そう今朝方までアニメを見続けていた目を擦って欠伸をし、眠気覚ましにと携帯を取り出す。そして皆の『呟き』に目を通し、変態とキチ○イだらけなそれに一人でにやけた。
『あっきゅんに喰われたい!あっきゅんに喰われるなら本望!あ、でも私…その前にあのくりくりした目を舐めまわしたい…一体どうすればいいの!?』
『あっきゅん逃げてマジ逃げて』
『大丈夫だ。あっきーならこの邪悪の化身を食らいつくしてくれる』
『きみたちあっきゅんは許容できるのに、なんで譲蘭先輩は…』
『え?譲らん先輩も愛してるよ。顔面パンチでメガネを叩き割りたいけど』
『高笑いしながらメガネ粉々にしたいけど、愛してるよもちろん』
『歪みねぇなお前ら』
最後に朝からテンションマックスな友人たちに称賛の言葉を述べたところで、遠くから電車のやってくる音が聞こえた。間違ってもうたた寝をしないよう、携帯をカバンに仕舞いながら今日の講義は何だったかと首を捻る。そして今日がドイツ語の小テストだったことを思い出した。……やっちゃったなぁ、私。しかし、過ぎたことを悔いても仕方がない。電車内での睡眠は諦めて、ドイツ語の単語帳を眺めることにしよう。そう思いながら再び欠伸をしたときだった。
「 」
背後で呟き声が聞こえたと同時に、勢いよく、背中を突き飛ばされた。
「え?」
まるで線路へ引き寄せられるように、体がバランスを失って、前のめりに倒れていく。
何が起こったのだろう。
そう考える暇もなく、目が眩むようなライトに照らされて私は――――。