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13:その程度の関係

伊依くん視点ではありません。

『一緒にグループ、組んでもいいかい?』



 中等部2年の春。そうロングホームルームの時間に石蕗恭兵つわぶききょうへいへ声をかけてきたのは、式降伊依しきおりいよりという一風変わった女子生徒だった。彼女がどう変わっていたのかと言えば、そのどこか気取ったような口調と『僕』という一人称、そしてそれに違和感を抱かせないだけの爽やかな言動、加えて勉強やスポーツに関しても欠点がないという文武両道っぷりが起因していた。そして何故かクラスメイトの女子たちからの人気が異常に高く、何をするにも彼女たちに周囲を囲まれているという状態だった。


 対する恭兵はといえば、その鋭い目つきと目立つ赤髪、無愛想な反応からクラスメイトたちにはいつも疎外されていた。中等部1年だった去年1年間、ずっとそんな境遇に身を置いていた恭兵は、半ばそんな状況に慣れつつあった。むしろ、そのときは、下手に近づかれることの方が恐ろしかった。

 恭兵は幼い頃から自分の感情や挙動をコントロールすることが苦手だった。そのせいで家でも学校でも争いごとばかりを起こし、両親にも呆れられ見放され、中等部から全寮制である藍芭学園へ通わされるようになったほどだった。恭兵は自分なりに努力したつもりだった。精一杯自分の感情を押さえつけようと、手のひらを切ってしまうほど拳を握りしめたこともあった。けれど、どうしてもできないのだ。我慢するということが。加減をするということが。自分でも憎らしいほどに、彼はそれができなかった。


 それならば、どれだけ周囲に馴染もうと努力しても、それが叶わないのなら、最初から接触しない方がいい。それが当時の、恭兵なりの考え方だった。


 だからこそ、伊依が声をかけてきたときは内心ひどく驚いていた。それと同時に、どうして放っておいてくれないだという苛立ちも感じていた。



『ええと、今回はくじじゃなくて、自分たちで組むように先生が言ってるんだ』



 恭兵の沈黙を担任の話を聞いていなかったと捉えたらしい伊依は、にこやかにそう言った。

 しかし、その相手がどうして自分なのか、恭兵には全く理解できなかった。昔からグループや二人組になるよう言われたとき、大抵は最後にひとり残ってしまうような子どもだったのだ。いつも一人でいる自分に対する憐れみかとも考えたが、伊依の表情からはどうもそんな様子が伺えない。まるで恭兵と組むことが当然であるかのような、実に平然としたものだった。



『……なんで、俺なんだよ』



 回りくどい言い回しが嫌いな恭兵は、単刀直入にそう尋ねた。すると伊依はショートの黒髪を揺らして、『理由なんてないよ』と言った。ますます意味が分からなかった。



『いや、あると言えばあるか。僕がこういう時間に突っ立ていると、女の子たちが次々声をかけてくれるんだ。それでよく喧嘩になってしまうから、その前に別の人と組もうと思ってね』



 そのときにまだグループを組んでいなさそうだったのが、きみだったんだ。 


 あっけらかんとそう言った伊依に、恭兵は返す言葉が見つからず、またしばらく沈黙した。そのときに丁度、突き刺さるような視線を感じて周囲に目を向ける。すると、女子の半数が納得のいかない表情で恭兵たちを見つめていた。それでも恭兵と目が合うなり、慌てて目線を逸らせていったが。



『ああ、他のメンバーが心配? それなら大丈夫。もう声はかけてるから』



 じゃじゃーん、とでも言いたげな調子で伊依が片手を差し出した方向には、無関心な瞳で恭兵たちを凝視している2人のクラスメイトがいた。阿妻満瑠あづまみちる阿妻深弦あづまみつる。いつも2人でワンセット、お互い以外には少しの関心もないということで有名な双子の姉弟だった。

 こいつの人選力はいかれているのかと、恭兵は珍しく顔をひきつらせた。



『2人ともこっちに干渉してこないなら別にいいと言ってくれてね。というわけだから、とりあえず一学期の間はよろしく頼むよ』



 畳み掛けるようにそう言う伊依の言葉に乗せられ、断る言葉も見つからなかった恭兵は、その場でこくりと頷いてしまった。



 ――これが、恭兵と伊依の出会いだった。 



 その後にあったことは、決していい思い出ばかりではない。どちらかと言えば、伊依には迷惑をかけ続けてきた、苦い思い出ばかりだと恭兵は思っている。『恭兵くんはきっと、人付き合いが壊滅的に下手なだけなんじゃないかな』と伊依に言われたときには、思わず手にしていたメロンパンを投げつけてしまったこともある。というか、そもそも怪我をさせたことが、両手で数えきれない程にある。

 それでも、伊依は何故か恭兵の傍から離れようとはしなかった。さすがに怪我をさせたときには、普段の温厚さが息を潜めるほどに怒りを露わにしていたが(笑顔で淡々と何が悪かったのか、どうして自分を殴ったのか、本当はどうすればよかったのかと問い続けてくる)、それでも付き合いをやめようとはしなかった。呆れて、見放すこともしなかった。阿妻姉弟に関しても、それは恭兵と同じようなものだった。


 伊依が何を思って、自分や阿妻姉弟にこだわり続けたのか。その答えを、恭兵は知らない。

 しかし、彼女がいたからこそ、他人と付き合うことが恐ろしくなくなった。それどころか、楽しいと感じるようになっていた。伊依本人が聞けば笑うだろう話だが、今ある日常全てを生み出したのは彼女だとすら思っている。本当は絶対に言えもしないし、行動で表すこともできない。それでも、思っているのは確かだった。



 だからこそ、今目の前にいる男を、伊依に近づけてはいけない。そう、淀みのない笑みを浮かべている沈丁花君尋じんちょうげきみひろと対峙した恭兵は、心の底から思った。



「……今、なんつった」



 人気のない男子寮の廊下、そこで挨拶を交わしただけのクラスメイトを、恭兵は鋭く睨み付けた。他の生徒ならばそれだけで退散していくようなものだったが、当の君尋は臆することなく笑みを浮かべ続けている。



「伊依ちゃんと仲が良くて羨ましい、俺も早くきみぐらい仲良くなれたらなぁ……って言っただけだよ」



 何でもないようにそう言う君尋。他の生徒たちから見れば、冷やかしの対象にしかならない言葉だっただろう。しかし、恭兵はその言葉と君尋自身にひどい嫌悪感を覚えた。自分でも何が気に入らないのかわからなかったが、久々に問答無用で拳を振り上げそうになった。しかしそれは何とか堪え、これ以上関わらないでおこうと背中を向けて、歩き出そうとした。



「それにしても彼女、どうしてきみなんかの相手をしてるんだろうね」



 踏み出した足が、ぴたりと止まる。



「きみが元々どういう人間か、俺は知ってるよ。どれだけ惨めな存在か、よくよく理解している。何故って、中等部1年の頃、きみと同じクラスだったからね。窓辺にひとりでいるきみを見れば、誰だって理解しただろうさ。不祥事を起こすきみを見れば、誰だってわかっただろうさ。それなのに、どうしてそんなきみを彼女は気にかけたんだろう? 見放さなかったんだろう? 呆れなかったんだろう? きみみたいな人間に、どうして彼女は声をかけたんだろう?」



 不思議だね。


 ペラペラと軽口を叩き続ける君尋の一言一言に、恭兵は自分の体温が上がっていくような感覚を覚えた。それも久しく感じていなかったのに、伊依や阿妻姉弟と関わって、忘れていったはずなのに。背後にいる男の声は、それを土足で踏み散らかして恭兵の心へ直接語りかけてくる。



「多分、そんなきみが可哀そうだったんだろうね。声をかけずにはいられないほど、可哀そうで仕方なかったんだ。優しいな、伊依ちゃんは。きっと今でも、心の中ではきみをそうやって見てるんだろうね。でも知ってる? 可哀そうって言葉は、相手が自分より惨めだと、不幸だと、下の存在だと思っているから出てくる感情なんだよ。彼女もそうやって、心の中ではきみを」

「黙れッ!」



 思わず振り返った恭兵の怒声は、廊下中に響き渡った。しかし、その階にいる男子生徒たちは皆、朝食のために食堂へ降りていたため、誰一人扉から顔を出す者はいなかった。



「あいつはそんな奴じゃねえッ! あいつはッ」

「伊依ちゃんは、なんなの?」



 襲いくる衝動を殺すように拳を握りしめて、奥歯を噛みしめている恭兵に対し、君尋は涼しい顔で微笑みながらそう言った。



「伊依ちゃんがなに? きみは彼女のなにを知ってるの? 彼女は他人を決して卑下しない、聖人君子だとでも思っているのかい?」



 ねえ。


 目を細めながらそう尋ねる君尋に、恭兵は言葉に詰まってしまった。確かに自分のことを伊依に晒したことはあっても、伊依が必要以上に彼女自身のことを語ったことはなかった。

 いつもにこやかに話を聞いてくれる伊依、たまに厳しくそれでも正しく怒ってくれる伊依、阿妻姉弟といつでも一緒にいてくれた伊依。彼女が泣き言を言っているところも、他人の悪口を言っているところも、愚痴をこぼしているところすら、恭兵は目にしたことがなかった。そんな人間など、いるわけがないのに。


 君尋の言うとおり、恭兵は彼女が自分から離れなかった理由どころか、ほとんど何も知らなかった。



「ほらね。きみが伊依ちゃんをどうこう言うことなんて、できないんだよ。きみたちの関係なんて、その程度のものなんだから」



 あはは、と軽く笑って、君尋は恭兵に背を向けた。

 自分は伊依を知らない。3年間も傍にいて叩きつけられた事実に、恭兵は呆然と立ち尽くしていた。もはや相手に手を挙げようと言う気力も起こらなかったが、彼は無意識のうちにこう尋ねていた。



「お前は、あいつの何を知ってるんだ」 



 まるで見てきたような口調に、思わずそう尋ねる。すると、小さく振り返った君尋は、ウェーブがかった黒髪を揺らせてにっこりと笑って見せた。



「きみと同じで、何も知らない。さっきのは口から出まかせさ」



 でも、案外図星だったんだね。


 そう付け加えた君尋は、今度こそ背を向けて恭兵の元を去って行った。



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