12:蠢く影をとらえた私は、
2/9 後半加筆しました。
違う、ダメだ、呆然としている場合ではない。
思考回路が停止しかけていた自身の頭を一度だけ小突き、今しなければならないことへ思案を巡らす。
私が今優先的にしなければならないこと。生き残るという最終目的のために、今しなければならないことはなんだ。とてもこの学園には似合わない、鉈という凶器を見つけてしまったことで、起こり得る危険とはなんだ。そう考えたところで、ふとあのゲームで無数の刃物が登場するルートを思い出す。沈丁花ルートと朽無壮騎ルートで起こる全校全滅エンド――別名、バトロワエンド。あのゲームをプレイしていた仲間内では、何故あんなルートが出来上がってしまったのかと、散々語られていたBADENDだ。内容としては沈丁花か朽無が《傀儡》の力を行使し、生徒同士で殺し合いをさせるという、とんでもないものになっている。私は確かにヤンデレ好きだったが、あの二人に限っては全く感情移入ができなかった。朝生や恭兵、そして他の2人には、まだ何か感じられるものはあったが……沈丁花と朽無壮騎は、根本が歪んでいるとしか考えられないのだ。そして、そんな最悪のBADENDの中に、鋸や刺身包丁、金属バッドなど思いつく限りの凶器を握った生徒が、全校で血の雨を降らせているという場面があったはずだ。
……これが、その伏線だとでも?
確かに、こんな大量の凶器をどうやって収集してきたんだとは、つっこんだ覚えがあるけれど……この世界はデータが自動的に武器を生み出してくれるわけではない。ということは、ここに凶器を置いた人間がいるということだ。それも最悪な展開でいくと、全校全滅ルートに直結している誰かが……。
というより、昨日不自然な時間帯にこの辺りにいた人間を、ひとり確実に知っている。
「……椚野くん」
私がそう名前を呼ぶと、朝生は幽かに戸惑いを含んだ瞳でこちらを見た。その様子に人間臭さを感じて、場違いにも安堵する。
「これを、何も言わずにあの溝へ隠そう」
そう言って、体育館の傍にあった雨水用の長い溝を指差す。石畳が少し重そうだが、二人で協力すればなんとかなるだろう。とにかく今は、これを人目のつかない、そして隠した本人も見つけられない場所へ隠すことだ。私が真面目な声でそう言うと、朝生はこちらの様子を伺うようにじいっと見つめた後、小さく頷いて立ち上がった。私もそれにならって立ち上がり、後は二人で石畳を持ち上げてから、慎重に鉈をその中へ置いた。そしてしっかり石畳を元に戻し、彼の腕を引いて素早く第三体育館から離れる。その間、彼は本当に何も言わなかった。
高等部校舎の傍にある守衛棟にやってきた辺りで、ようやく私たちは立ち止った。大した運動でもなかったので私の息が乱れることはなかったが、朝生も一度息をついただけで、疲れた様子ではなかった。
「誰があんなものを、あんな場所に置いたんだろうね……」
検討はついているが、伍華の朝生には漏らせない名前であるため、白々しく眉を潜める。
「悪用しようとしているなら、もうその持ち主の手には返らない方が良さそうだ。先生にでも、報告した方が良いかな」
「…………」
そう相談するように朝生へ話しかけると、彼は同意するようにコクコクと頷いた。……ええと。
「もう、喋ってもいいよ」
「……そう」
律儀に私の言葉を守ってくれたのは嬉しいが、その素直さは社会では生きづらいのでは?
そんな調子で朝生の行く末を心配しつつ、私は一番重要な約束事を口にした。
「でも念のため、このことは誰にも話さないでおこう。学園内に鉈を持ち込むなんて、危ないどころの話じゃない。それで椚野くんが、変な奴に目をつけられても困るからね」
いいかい?
そう確認をするように尋ねると、彼は「きみも」と平坦に呟きながら頷いた。まあ、もっともな言葉だ。
そして、朝生とはその場で別れることになった。「また」と手を振りながら帰る朝生を見送り、彼の姿が見えなくなったところで、昨日と同じようにその場を駈け出した。
頭の中はぐちゃぐちゃだった。自身すらも自分は冷静なのだと欺かなければ、とても朝生の相手などできなかっただろう。やがて平静を保っていた表情も崩れ、視界にもぶれが生じる。走っていることは何も辛くないのに、動悸は激しく息が乱れる。どうして。どうして。どうして。同じ言葉ばかりが脳内で反芻され、私は悲鳴をかみ殺してただただ走った。
どうして。なぜ。ありえてはいけないのに。なぜ、いま?
まだヒロインが来ていないのに、どうしてあんな下準備がされているの?
×××
「落ち着きなさい」
全力疾走で図書館へ駆けこむと同時に、冷水をぶっかけられたような涼やかな声が頭に降り注ぐ。
扉の向こうに立っているのは、昨晩と同じく淡々とした表情の園生先生だった。彼女は細かな金髪を風になびかせ、日にかざしたビー玉のように無機質な瞳でこちらを見ている。対する私はと言えば、肩を上下に揺らしてしまうほど息を乱し、明らかに気が動転していた。鉈、DEADEND、ゲーム、凶器、沈丁花、隠し場所。断片的な単語を全て繋げてしまった私には、先ほどの出来事は恐怖以外の何物でもなかったのだ。しかし、園生先生の冷静な一声で、僅かに脳内の混乱が落ち着く。少なくとも、こんな状態の式降伊依を表に出してはいけない――そう客観的に考えられる程度には、理性を取り戻せた。
「正気に戻ったのなら、早く中に」
まるで動じない園生先生は、そう言って図書館の屋内へと戻っていく。私も額に流れる汗を拭いながら、素早く中に入り、裏口を施錠した。そうして彼女の背中を追いながら、深呼吸を繰り返す。まだ鎮まらない動悸を感じながら、脳内へ酸素を送り込む。そうしばらく何も考えないように、ただただ呼吸だけを続けていると、いつもの受付カウンターへと辿り付いた。本当に変わらない様子で席に着く園生先生を習い、私も整い始めた息を吐いて、椅子に腰かけた。
「あなたがあんなに取り乱すなんて、初めてね」
手元で赤いカバーの洋書を開きながら、彼女はそう言ってこちらに目をやる。何があったのかとそう問うような瞳に、私は先ほど前のことを、できるだけ客観的に園生先生へと伝えた。そこに私の主観が混ざってしまっては、先生も状況を把握しづらいだろう。そう考えてのことだったが、やはり完全な第三者の目線とは言えなかった。どうしても鉈を見つけたくだりになると、アレが悪意を持ったものだとしか語れなくなってしまう。
結局口ごもりながらの説明になってしまったが、園生先生は最後まで私の話を聞いてくれた。視線は本に落とされていたが、ページがめくられることは一度もなかった。だから、多分聞いてくれていたはずだ。
「あまり、可能性のある話ではないわ」
私が口を閉じるや否や、先生はそう言って本のページを捲った。
「『彼女』がやってくる前なら、沈丁花君尋にも朽無壮騎にもそんなことをする理由がない。あなたの感じた『何故?』という疑問が、そのまま可能性を打ち消しているはずよ」
「……でも、それならどうして鉈なんか」
最悪の可能性を否定する言葉に、内心安堵しながら首を傾げる。先生の言うとおり、鉈があったという事実だけで、それをDEADENDに結び付けるのは短絡的だったかもしれない。そもそも、鉈=ヤンデレ装備という認識も、かなり偏った見方のはずだ。そう安心半分、取り乱した羞恥半分、ほうっと息を吐いていると、園生先生はページを捲りながら言葉を紡いだ。
「用具庫の傍にあったのなら、職員が片づけ忘れたと考えるのが一番簡単」
「なるほど……」
その考え方があったか。普通ならすぐに思いつくだろうことも、前世フィルターの前では異常に映ってしまう……というのは言い訳で、ああうん。私は大きな勘違いをやらかしたと認めよう。
「なーんだ」
はああ、と脱力して、いつものようにカウンター上へと倒れこむ。でも、よかった。何か不測の事態が起こりつつあるんじゃないかなんて、恐ろしすぎる考えてしまっていたのだ。まったく、悪夢から覚めた思いだというのは、少し言い過ぎだろうか。そうして私がウダウダと安心に浸っていると、園生先生がちらりとこちらを一瞥した。いつもと同じ翠の瞳だというのに、何故かギクリと体が強張る。
「でも、万が一」
淡々と言葉を呟く園生先生は、手にしていた本で口元を隠しながら、ぽつりと呟いた。
「それが全校生徒のために用意されたものなら、まだまだ凶器は隠されているということになりそうね」




