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伝えたい想い




最近、よく如月が日向家で一緒に夕食をとる事が多い。

如月は、ずっと独り暮らしだったため、最愛の息子が一緒とくれば、楽しさも倍増だった。

この日も、例外ではなく如月は日向家を訪れていた。

ただ、いつもと違うのは、如月がひどく頼りない顔で、口数も少ない事だった。

「で、何なの?その、如月さんの湿っぽい顔は」

喜一の作った餃子を頬張りながら、耐え切れなくなった陽二が切り出す。

「…それは多分…あれだ」

喜一がそう言って、ある方向に視線を向ける。

そこには、旅行鞄が置かれていた。

「嘘!?あれのせい?」

陽二が信じられないといった顔で、如月を見た。

如月は切ない顔で、その鞄を見つめている。

「マジか…たかが、ここから一時間くらいの場所に一泊二日するだけだろ?」

陽二が更に餃子をパクつきながら、

「しかも同窓会で」

と、言った。

「息子としては…どうなの?」

喜一が光平に尋ねる。

「んー…」

光平は、ちょっと考えてから、

「仕方ないんじゃない?父さんは俺が赤ん坊の時も幼稚園の時も…ずーっと知らなかったから、きっと今からやり直してるところなんだよ」

「だからって」

陽二が呆れたように溜め息をつく。

「光平だって二十歳越えてんだぜ?親バカにもほどがあるだろ」

「まあまあ、陽二」

喜一がなだめる。

「本当なら、毎日の通勤だって送迎したいくらいの心境を我慢してるんだから、大目にみてやれよ」

「それじゃ、ストーカーだな」

喜一と陽二がそんな会話をしていると、如月が大きな溜め息をついて、

「君達には解らないだろうね。息子が目の届かない所に行くって事が、親にしてみれば、どれだけ心配で不安か…」

「一時間の距離で、一泊二日だぜ?」

陽二が言い返す。

すると、如月が首を振って、

「距離とか時間の問題じゃないんだよ」

如月は、眉を八の字にして光平に言った。

「いいか?何かあったら、すぐに連絡をするんだぞ?真っ先に飛んで行くから」

「いや、仕事はちゃんとしておけよ」

陽二が突っ込みを入れる。

「大丈夫だよ、父さん。人数だって少ないし、中学の部活仲間だよ?」

光平がそう言って微笑む。

「光平って、テニス部だっけ?」

喜一が確認する。

「うん。久々に集まらないか、って」

「テニス部なんて…爽やかすぎるっ、光平にぴったり!」

如月が歓喜のあまり、陽二の肩を思いきり叩いた。

陽二は、餃子が飛び出しそうになり、慌てて口を押さえた。

「楽しんで来たらいいよ」

喜一が光平に向かって言うと、陽二が、

「いいなぁ、俺も行きてぇよ、どこか」

と、羨ましげに言う。

「陽二くんは、よくしてるじゃん、外泊」

そう言った光平の狙っていた餃子を、陽二が横取りする。

「でも、聞いた事ないよね、卯月村って。そんな所、あったんだ」

喜一が尋ねる。

「うん。すごく小さい村だから、もう、人もあんまり住んでないみたいだよ。でも、春は桜がすごいんだって。隠れた名所らしいよ」

光平が、目を輝かせながら言う。

「桜か…それで卯月村って名前なのか」

喜一が納得したように頷く。

「なんで?」

陽二の質問に、

「学校で習ってますけど?」

と、光平が上目線で言った。

「でも、なんでそんな場所で同窓会なんだ?」

如月が、やっと少し自分を取り戻した様子で尋ねる。

「友達が、元々その村の生まれなんだって。今は引っ越してるけど、家と土地はそのまま残してるから、お金も掛からないし、いいんじゃないか、って」

「それはいい心掛けだ。繁華街で盛り上がるより、ずっと健全」

その如月の言葉に、陽二は、まだ言ってるよ、とでも言いたげな目をした。



電車とバスを乗り継いで、光平と同級生四人は、卯月村へ辿り着いた。

バス停に降りると、提案者の園田彩子が待っていた。

「お疲れ様。みんな、乗って」

彩子は、自分が乗って来たバンに全員を促した。

都会から、それほど離れていないのに、そこは全くの別世界だった。

緑が多く、近代的な建物はほとんど無い。

当然、コンビニも見当たらず、商店と呼ぶにふさわしい小さな店がポツンとあるだけで、飲食店や娯楽施設も目に入らなかった。

「こんな所、知らなかったな」

景色を眺めながら、当時部長だった木崎が言った。

「私、小さい頃に引っ越したのよ。小学校が廃校になるって決まったから」

彩子が運転しながら答える。

「昔から何もない不便な所だったけど、今は益々過疎になっちゃったの」

「でも、気分転換にはいいわね」

そう言ったのは、女子の部長を務めていた戸田愛香だった。

「今から行く家も、年に何回かしか使ってないのよね」

「へぇ。じゃあ別荘って事?すげぇじゃん」

彩子の言葉に羨ましそうに反応したのは、安斉だった。

よく見ると、安斉は陽二に雰囲気が似てるな、と光平は思った。

あと一人、藤間礼子は、じっと黙って流れる景色を眺めていた。

礼子は、学生の頃からおとなしく、正直、何を考えているのかよく解らないタイプだった。

彩子の家は、想像していたより、ずっと大きかった。

広い敷地に、贅沢な程の間取りの部屋がいくつもある、ドラマや映画の中でしか見た事がない立派な日本家屋だった。

「すごいわねぇ」

愛香が、感動して言った。

光平達の世代には、この古い感覚が、逆に新鮮である。

「離れもあるんだけど、男子はそっちでもいい?」

彩子が提案する。

「一階と二階じゃダメなのかよ?別に間違いも起こらないだろ」

安斉が尋ねると、

「二階は、ダメなの」

と、彩子が少し困ったように答えた。

「じゃあ、離れでいいじゃん?」

光平が、その彩子の表情に気付いて言った。

「了解。さて、食事の支度でもしようか」

安斉が縁側に荷物を置くと、張り切って皆を振り返った。



その夜。

日向家では、寂しげな如月を、喜一と陽二が複雑な眼差しで見つめていた。

「…今日は光平いないって言ってんのに」

陽二が溜め息をつく。

「…如月さん、少し怖いですよ?」

喜一が如月に話し掛ける。

「だって、心配だろ…何かあったら、きっとここに連絡が来るだろうし」

如月がぶつぶつ言う。

「だから、何があるって言うんだよ。今頃、酒飲んで訳解らなくなってるって」

陽二が呆れながら言った。

その時、如月の携帯が鳴った。

もしや光平では、と慌てた如月だったが、初美からだと解ると、落胆した。

「なんだ、藤野かよ」

思わずそう言った如月に、初美が冷たく返事をする。

「なんだ、とは何ですか。どうせ、喜一さんのお家にいて、光平さんの事を女々しくあれこれ言ってるんでしょうけど」

「うるさいなぁ…で、何なんだよ?」

如月が面倒くさそうな声を出す。

「白骨死体が発見されました。すぐ現場に向かいます」

「俺も行かないとダメか?」

初美は、その場にいたら、いくら上司と言えども、思わずひっぱたいていただろう、と思った。

「では、如月さんは行かなくて結構です」

「そう?じゃあ、藤野に任せるよ」

如月が本気でそう言った時、

「場所は、卯月村ですけどね」

「何っ!?」

如月が急に慌て始める。

「バカ、なんでそれを早く言わないんだよっ、まさか…光平の身に何か…」

そんなに早く、光平は白骨にならないと思うが。

初美は、息子の事となると、こうも冷静さを失うものなのか、と半ば呆れていた。

そして、その光景を見ていた陽二も、

「如月さん、何か変なモノでも食ったか?」

と、呟いた。

電話を終えると、如月が物凄い形相で振り返った。

「卯月村で、白骨死体が発見されたらしい」

「事件ですか?」

「それはまだ…とにかく、行こう」

如月の言葉に、二人はきょとんとした。

「は?」

陽二が、今の言葉は聞き違いだと信じて、尋ねた。

「俺達は行く必要ないよね?」

「何言ってるんだ、陽二くん。行こうよ。光平が心配じゃないのか?」

如月は、大真面目らしい。

「心配、って…白骨になるくらい時間の経った死体なら、今の光平達には関係ないだろ」

陽二はそう言って、助けを求めるかのように、喜一を見た。

「…行きましょうか、如月さん」

喜一が、なんの迷いも無く、そう言った。

「嘘でしょ?」

陽二がうろたえる。

「もしかして、僕の力が必要になるかもしれないだろ」

喜一はそう言うと、ジャケットを手に取った。

「…全く…兄貴も如月さんには過保護だな」

陽二はそう言うと、席を立った。



「何か、あったみたいじゃない?」

庭でバーベキューの後片付けをしながら、愛香が言った。

ちょうど、家から見える道路を、パトカーの赤いライトが走って行くのが見えた。

「見に行ってみる?」

安斉が楽しげに言い出す。

「だって、もう飲んじゃったし、運転は無理だぞ?」

木崎が反論する。

「…でも、こんな田舎で…パトカーなんて滅多に見ないから、本当に何かあったのかも」

彩子が深刻な顔をする。

自分にとっては、珍しくも何ともないけど、と光平は思った。

ふと気が付くと、礼子が静かに手を上げている。

「どうしたの?礼子」

愛香が尋ねると、礼子は小さな声で言った。

「…私、飲んでないけど」

結局、六人は礼子の運転で、パトカーが向かって行った方角を目指す事にした。

出掛けてみると、何台ものパトカーが集まって発している赤いライトを探すのは、小さな村では容易だった。

現場に近付くと、予想通り、警官に通行止めを知らされる。

「なんか…思ったより大事みたいね」

愛香が呟く。

「歩いて行ってみようぜ」

安斉が先に立って、車を降りる。

こんな村じゃ、野次馬も少なそうだから、目立ちそうだなぁ。

光平はそう思いながら、皆の後ろを歩いた。

そして、パトカーの近くに停まっている車を見ると、

あれ?見覚えのある車。

そう思った時、バリケードテープの手前にいた人物が振り返った。

「お?光平じゃん」

陽二である。

「え!?な、何で!?」

光平が驚いていると、その隣にいた喜一も振り返る。

「あ、兄貴までっ…どうしたの!?」

すると喜一が冷静な顔で、

「お前が心配で見に来た訳じゃないよ?誰かさんと違って」

と言った。

「日向、知り合いか?」

木崎が不思議そうに尋ねる。

「え、あ、うん。俺の兄貴達」

「そうなの?」

愛香が驚いた声を上げると、二人を見て笑顔になった。

「こんばんは、はじめまして」

愛香をきっかけに、それぞれが頭を下げる。

「どうもっ」

陽二が明るく挨拶すると、喜一は反対に無表情のまま会釈した。

「なんで、ここにいるの?」

光平がもう一度尋ねる。

「それは…」

陽二が説明しようとした時、背後から、

「光平っ!」

という叫び声と共に、全速力で駆けてくる如月が見えた。

如月は、一直線に光平に向かって来ると、思いっきり抱き締めた。

「光平、無事だったか!良かった!」

「ちょ、ちょっと…」

光平がおろおろしていると、愛香が呟く。

「…あれ、は?」

「光平の親父さん」

もがいている光平の代わりに、陽二が答える。

「日向って、父親いたんだっけ?」

安斉が不思議そうに二人を眺める。

「父さん、落ち着いてよ、何があったの?」

光平が苦しそうに体を離すと、

「ああ、すまん、顔を見たら安心して…」

「白骨死体が発見されたんです」

と、後ろから歩いて来た初美が言った。

「まだ詳しい事は解りませんが、釣りに来ていた人が発見して…調査中です」

「白骨死体…」

やっと落ち着いた光平が呟く。

「たまたま如月さんが家にいた時だったから、ついでに僕達も来てみたんだ」

喜一の言葉の後に、陽二が、

「たまたま、ていうか、光平のせいだけど」

と、ポツリと言った。

「俺達、この先の…園田さんの家に泊めて貰ってるんだ。パトカーが見えたから、何かあったのかと思って」

光平は、陽二の言葉は耳に入らなかったらしく、そう言った。

「お兄さん達は、どこかにお泊まりですか?」

愛香が、キラキラした眼差しで尋ねる。

「いや、用が住んだら帰るよ」

陽二の答えに、

「そうなんですか、残念です」

と、愛香ががっかりした声を出す。

まさか、ご一緒しませんか?なんて、死んでも言わないでくれ、と光平は思った。

ご一緒しませんか?と言われたら、陽二だけおいて帰ろう、と喜一は思っていた。

「あの…白骨死体って…かなり古いものですか?」

彩子が尋ねた。

「ええ、多分。調べてみないと解らないけど」

初美が答える。

陽二は、彩子をじっと見た。

喜一も、何だか彩子の様子が気になった。

「もう、行こうぜ」

安斉が口を挟む。

「だな。ここにいても邪魔になるし」

木崎が同意する。

「じゃあ、俺も行くね。またね、父さん」

光平がニッコリ笑うと、如月は名残惜しそうに、その姿を見送った。

「…何か、あった?」

喜一が陽二に尋ねる。

「うん。あの子、憑いてたな」

「そうか…」

「でも、光平の夢に出て来ないなら…何でもないかな?」

陽二はそう行って、喜一を見る。

「兄貴、どうする?俺達も帰ろうか?」

喜一は少し考えると、

「白骨に触るのは無理そうだしな」

と、真面目な顔で言った。



なかなか楽しい二日間だったな。

光平は、そう思いながら帰宅した。

もう何年も経っているのに、顔を合わせてると、中学時代に戻ったような感覚になる。

家に入ると、ソファに陽二が寝そべっていた。

「お帰り、楽しかったか?」

「うん、大騒ぎしたよ、久々に」

光平はそう言いながら洗濯物を出し始めると、

「兄貴は?」

「今日は遅いみたいだよ」

陽二は、じっと光平を見ながら答えた。

「…なに?何か変?」

光平が、その様子に気付いて尋ねる。

「ん?うん…お前、夢見なかったか?」

「え…まさか?」

光平がサーッと青ざめる。

「憑いてる!?」

すると、陽二がうんうんと頷いて、

「あの村から、憑いてた。今も同じ人」

「え!?…あ、もしかして、あの白骨死体の…」

「いや、ちょっと待て。それはどうか解らない。可能性は無くはないけど…俺の直感だと、違う気がする」

「…どんな人が憑いてるの?」

「…お婆さんだ」

「お婆さん?…あの村の人かな…」

「さあ?でも、夢に見てないなら無関係かもしれないし。それよりも…」

陽二は体を起こすと、

「来るぜ…きっと」

「…何が…?」

光平が怯えた顔をした時、玄関のチャイムが鳴った。

あまりのタイミングの良さに、光平は驚いて声を上げそうになった。

やって来たのは、満面の笑みを浮かべた如月だった。

「ほらな」

陽二が呆れ顔で、クスッと笑った。

如月は、よっぽど光平が帰って来た事が嬉しいのか、有名店のケーキまで持参して来た。

たかが一泊二日。

日々の生活の中じゃ、普通に何日も会わないでいるくせに。

本当に嫉妬深い恋人みたいだな。

如月は、そんな陽二の白い視線など全く気にならない様子で、ニコニコと光平の話を聞いている。

「で、また機会を作って、定期的に集まろうって話になったんだ」

「そうか、いい事だな。でも、日帰りだって充分楽しめるぞ?」

如月が笑顔のままで、そう言った。

「父さん、いくらなんでも心配しすぎじゃない?俺達、一応、成人してるんだし…バカな事もしないし…」

遠慮がちに異議を唱える光平に、

「お前を信用してない訳じゃないぞ?どこにどんな悪い人がいるか解らないんだから、慣れた所で集まるのが一番いい」

幼稚園児かよ。

そのうち、優しそうな運転手さんのタクシーを選びなさい、なんて言い出すんじゃないだろうか。

陽二は、一人、心の中で呟いた。

「そういえば、あの白骨死体、身元は解ったの?」

光平が思い出して尋ねた。

「いや、まだだ。性別が男で、死後10年以上は経過してる、って事くらいしか」

「そんな昔の?…でも、あんな村じゃ、今回見つかったのも奇跡みたいなもんだな」

陽二が横から口を出す。

「そうなんだよ。今回、釣りに来ていた人も、初めて卯月村に入ったらしい。よく知らない場所だから、辺りに注意を払っていたら…」

「人骨発見しちゃうなんて災難だな」

「でも、白骨死体になった人間にしてみれば、見つけて貰えて幸せだったかもしれない。全てのパーツは揃わないにしても、まだ形があるうちで」

如月が複雑な顔で言った。

「ねぇ、陽二くん」

二人の会話を聞いていた光平が、

「あの時、陽二くんは園田の事も見てたよね?」

陽二は思いを巡らせて、

「あー、あの子か。ちょっと彼女にも憑いてるのが見えたから」

「園田にも?どんな人が?」

「中年の男」

陽二はそう言うと、光平の肩をポンと叩いた。

「まだ終わってないのかなぁ?さっきのお婆さん、祓えねぇや」

「ねぇ、その白骨死体の身元、兄貴の力で解らないかな?」

光平が如月に問い掛ける。

「そうは思うんだが…」

如月は頭を掻いて、

「さすがに、骨は持ち出せないし」

「うん、持って来ないで」

陽二が食い気味に念を押した。

その時、光平の元にメールの着信があった。

「あれ?園田だ」

「お?噂をすれば…」

陽二の言葉に、如月がそわそわして、

「園田って、あの時にいた?どんな子だ?」

と、聞いた。

「大丈夫、真面目そうな子だったぜ」

陽二が如月をなだめるように答える。

「…園田、なんか相談したい事があるって」

「あの白骨の事かもしれないな」

陽二が言う。

「あの時、白骨が古いものかどうか気にしてたし」

その時、如月が何かを言おうとしたが、

「父さんは、呼ぶまで来ないでね」

と、先に光平に言われ、しゅんと肩をすくめた。



光平は、卯月村の手前の街で、彩子と会う事にした。

彩子が、その街に住んでいるからだ。

卯月村を出た彩子は、母と二人暮らしだったという。

「母は、私が高二の時に病気で亡くなったの」

彩子は、とある喫茶店で軽い食事をした後に、話し出した。

「あの家は、誰が?」

「今は私の物よ。誰も継ぐ人がいなかったから」

彩子は、少し寂しそうな顔をした。

「…で、俺に相談って、何なの?」

光平が尋ねると、彩子は意を決したように、真っ直ぐ光平を見た。

「あの白骨死体…もしかしたら、私の父かもしれないの」

「…え?お父さん?」

彩子は小さく頷いた。

「光平くん、この前、お父さんだって言った人…警察なんだよね?だったら、お願いしてもらいたいの。あの白骨が、父かどうか調べて欲しい、って」

「ちょ、ちょっと待って」

多分、自分が頼めば聞いてはくれるだろうが…。

「どういう事情か、説明しなきゃならないし…」

光平が困っていると、彩子が続けた。

「父は、私と母を捨てて出て行ったんだって。他に女が出来たから、って」

「…そう、なの?」

「当時は意味が解らなかったけど、お婆ちゃんがそう言ってた」

「…でも、あの死体を調べるには、園田のお父さんが使っていたものとか、もしくは園田自身が調べに行くか…一応、父さんに相談はしてみるけど…」

すると、彩子は小さく息を吐いて、

「…もし、あの白骨が父だと解ったところで…何にも出来ないんだけどね。せめて母と同じに埋葬してあげたくて…」

「でも、どうして、あの白骨がお父さんかもしれないって、思ったの?」

光平の質問に、彩子が難しい顔をして、

「もしかしたら、父は殺されて埋められていたかもしれないから」

え?嘘でしょ?

それじゃあ、女が出来たから出て行った、って話とは全く度合いが違う。

光平は言葉を失っていた。

「お婆ちゃん、父の事が大っ嫌いだったの。それは、いくら私が小さくても、なんとなく解ってた」

「だ、だからって…」

「もちろん、お婆ちゃんがやったなんて思ってないわ。ただ、父は自殺に追い込まれたんじゃないか、って…」

「お婆ちゃんのせいで、自殺を?…どうして、そこまで…」

「母との結婚を認めて貰えなかったから」

「でも、一緒にあの家で暮らしてたんだよね?」

「それは…もう私がいたからよ」

なんだか複雑な空気に、光平はかける言葉を見つけられずにいた。

そんな境遇の中で自分が生まれて来たと知ったら、それが望まれた事なのか否か、きっと悩んでしまう。

「あの家は…元々母方の家系が地主で、父は婿養子なの。お婆ちゃんは、自分の決めた人と母を結婚させたがってたみたいだから…」

「お婆ちゃんは、お父さんに辛く当たったりしてたの?」

「そうみたい。母が死ぬ前に話してくれたんだけど…かなり無理をさせたり、酷く罵ったり…でも父は、母と私のために我慢してたみたい」

「…それに耐え切れなくて、自殺?」

「…かもしれない、ってだけよ?お婆ちゃんは世間体をすごく気にする人だったから、自殺がバレる事が怖くて、父の遺体をどうにかして埋めて、勝手に出て行った事にしたんじゃないか、って…」

自分なら死を選ぶだろうか。

きっと、恋に落ちた時点で、相当な覚悟を持っていたはずだ。

「でも、お婆ちゃんはすごく厳しくて怖かったけど、私の事は可愛がってくれたの。それも、あまり長い年月じゃなかったから、記憶の中に漠然とあるだけ…」

「そう、なんだ…」

もし、本当に祖母が父親を苛め抜いていたのが事実だとしたら、彩子には申し訳ないが、自殺よりも全てを捨てて逃げ出したという方が、信憑性があるような気がしていた。

でも、それを彩子に伝えるのは、妻と娘を捨てたんだと宣言するようで、出来なかった。

「お父さんがいなくなった時、お母さんは何て言ってた?」

「…出稼ぎに行った、って。北海道に」

「北海道?」

すると彩子は頷いて、

「三年経ったら、戻って来るはずだったのに、それ以来、父は帰って来なかったの」

それなら、もしかしたら今でも生きている可能性はある。

そして、彩子の話は矛盾していた。

北海道に出稼ぎに行ったまま帰って来なかった父が、なぜあの白骨死体だと思うのだろう。

彩子にしてみれば、父が自分達に愛想を尽かせて姿を消した、というよりも、自分達を思ったまま自殺した、という方が美談に思えるからだろうか?

「とにかく、まず…お父さんの物とか、無い?お母さんが残した物の中に紛れてるとか…」

「探してみるけど…それですぐに調べてもらえるかな?」

「うん、大丈夫だよ、きっと」

だって、兄貴がいるから。

と、光平は、心の中で呟いた。



「でね、もう一度卯月村の園田の家に一緒に行って欲しいの。ダメ?」

光平が困ったような顔で尋ねる。

「ダメ?って…もう、行きますって言ったんだろ?」

隣で聞いていた陽二がそう言うと、光平はうんうんと頷いた。

「園田の家の二階は、手付かずのまま残ってるんだって。お婆ちゃんと両親の部屋も。荷物が多すぎて、引っ越しの時に持って行けなかったって」

「で?俺達も一緒に、親父さんの物を探すのか?」

陽二は少し面倒な顔で言った。

「それはいいけど…」

喜一が口を開く。

「もし、あの白骨が父親じゃなかったら?そうだったとしても彼女が考えているような人生じゃなかったら?それを正直に話してもいいのか?」

光平は少し迷った。

「…そうだったら、言わない方がいいのかなぁ」

光平が頼りなく言う。

「でもなぁ…お前に憑いてるのが園田家の婆ちゃんだとしたら、何か伝えたがってるんだろうしな…」

陽二が頭を掻く。

「とりあえず…もう一度、彼女から聞いた事整理してよ」

喜一が光平にペンを差し出した。

光平は近くにあったメモを持って来ると、園田の話を書き出した。

・両親が祖母の反対を押し切って結婚

・彩子が誕生

・祖母は父を嫌っている(嫌がらせ)

・父、三年の予定で北海道へ

・三年後、父戻らず

・祖母、病死

・母と彩子、引っ越し

「なぁ、婆ちゃんって地主だったんだろ?財産はどうしたんだ?」

陽二が尋ねる。

「あの家と土地以外は、処分したんだって。母親も、婆ちゃんが死んだ後を継ぐ気は無かったみたいだから」

光平が答える。

「その、出稼ぎっていうのは…」

喜一がメモを覗き込みながら、

「本当に行ったのかな?もし父親が自分の人生を儚んで自殺したとしたら、その時、すでに亡くなっていた可能性もある」

そう言った後、陽二を見て、

「まだ、光平に憑いてる?」

と聞いた。

「うん。婆ちゃんもだけど、おっさんも一緒だ」

「えぇっ!?」

光平があたふたしながら、

「二人同時に憑く事もあるの!?」

「みたいだな。現に今、憑いてるし」

陽二はあっけらかんとして言うと、

「でも二人とも…めちゃくちゃ暗い顔してるぜ」

と、付け足した。

「うわ…なんか俺まで落ち込みそう」

光平が溜め息と共にそう言った。

「…て、事は、それが父親だって可能性は濃厚か」

喜一は光平からペンを取ると、メモに、

祖母→別の女と父親が出て行った

母親→三年の約束で出稼ぎに行った

と、書いて、

「これが、園田さんがそれぞれから聞いた、父親がいなくなった理由」

「どっちかが嘘って事だよね」

光平が悩んだように顔を歪める。

「園田さんの家に行けば、婆ちゃんの遺品もあるんだろ?兄貴が何とかしてくれるさ」

陽二は、完全に他人事な感覚で、そう言った。


再び卯月村へやって来た三人は、光平の案内で園田邸へ向かった。

喜一は、村の景色に、しばし見とれていた。

あの日は、すでに夜だったため、風景を満喫する事が出来なかった。

のどかで、緑豊かな自然。

たくさんの桜の木。

春には、さぞかし幻想的で美しい光景が広がる事だろう。

園田邸に続く道にも、両側に桜が植えられていて、時期になると桜のアーチが出来るはずだ。

実際に見てみたい。

と、喜一は思った。

「あ、園田だ。あれ…?もう一人いる」

光平の声に前方を見ると、園田邸の前に彩子ともう一人、女の姿があった。

意外にも、それは藤間礼子であった。

「わざわざ申し訳ありません」

車を降りると、彩子は喜一と陽二に頭を下げた。

「いいえ、何かお役に立てれば良いですが」

喜一が冷静な口調でそう言った。

「でも、驚きました。光平くんのお兄さん達に、軽い霊能力があるなんて」

彩子の言葉に、喜一と陽二は光平を見た。

どんなふうに説明してるのかと思ったら。

「ほ、本当に軽く、ね?」

光平が、表情で、ごめんとアピールしながら兄達を見た。

「ええ。本当に、軽く」

とりあえず喜一が話を合わせた。

「…で、藤間は、なんでいるの?」

光平が尋ねると、礼子は小さな声で、

「…女の子、一人だから」

と、言った。

え?どういう意味?

俺達、そんな危険人物?

と、三人が思った時、

「何となく心細くて、呼んじゃったの」

と、彩子が言った。

まあ、いいか。

確かに、同級生の女友達が一緒の方が、心強いかもしれない。

園田邸に足を踏み入れると、彩子は三人を二階へ案内した。

階段を上ろうとした時、急に袖口を掴まれて、陽二は思わず、

「うおっ!」

と、声を上げた。

見ると、礼子が陽二の袖を掴んで、なぜか視線は合わせずに斜め下を向いていた。

「…お兄さん、憑いてます」

礼子の声に、陽二は少しだけゾッとしたが、

「あ、君も見えるの?」

と尋ねながら、顔を見た。

サッと礼子は逆方向を向く。

負けずに陽二が視界に入ろうとすると、また別の方へ視線を反らす。

なんだ、こいつは。

陽二はそう思いつつ、

「俺に憑いてるんだよね?」

と、再び尋ねた。

礼子が、うんうんと頷く。

もちろん、あらぬ方向を向いたまま。

陽二は小さく息を吐くと、自分の両肩をポンポンと叩いた。

「消えた?」

そう尋ねると、礼子は驚いたように高速で何度も頷いた。

先へ進もうとすると、礼子が言った。

「…祓えるんですね」

「うん、まあね」

今度は礼子が、じっと陽二を見つめる。

何か…嫌なんですけど…。

陽二は、どうしたら良いか解らず、頭を掻いた。

「ここが、祖母の部屋で、あっちが両親の部屋です」

「入っても良いですか?」

喜一が聞く。

「ええ、どうぞ。じゃあ、私と礼子はあっちで父の物を探します」

彩子はそう言うと、まだ陽二を見続けている礼子を伴って、奥の部屋へ入って行った。

祖母の部屋に入ると、何年も人が住んでいないと思えない程、綺麗だった。

十畳の室内には、高価であろう掛け軸や、花瓶、壺などが飾られている。

「すごいね」

光平が室内を見渡して言った。

「ここなら、お婆ちゃんの記憶、たくさん見えそうだね」

光平は早速押し入れを開けると、中を探り始めた。

「出来るだけ、身近にあった物がいいけど」

喜一も遠慮がちに、箪笥の引き出しを開ける。

陽二は、光平が押し入れから出した箱の中を物色し始めた。

「…なんか…身に付けてた物がいいのかな?」

「そうだな。出来れば、長年愛用しているような物とか…」

「着物もたくさんあるみたいだよ」

「藤間がテニスって、無しだろ」

「はぁ?」

最後の陽二の言葉に、二人が止まる。

「いや、こっちの話」

陽二は笑ってごまかした。

そして陽二は、箱の底にアルバムを見付けた。

中を開くと、家族写真のようなものが、挟まれていた。

しかし、それは一度二つに引き裂かれたようで、裏からテープで補修されていた。

「やっぱり、婆ちゃんと父親だ」

陽二の呟きに、二人が写真を覗き込む。

ちょうど右側に立った父親のところから、切れ目が入っていた。

左側には、祖母と母親、そして彩子らしき赤ん坊の姿があった。

「…品があるけど、厳しそうなお婆ちゃんだね」

光平が言った。

確かに、高価な着物に身を包み、真っ直ぐカメラを見つめる祖母の顔は、家族写真にそぐわないほど、不機嫌そうに見えた。

これは彩子に見せない方がいいかもな。

陽二はアルバムの間に写真を戻した。

「陽二くんが見たのは、この二人で間違いなかった、って事?」

光平が尋ねる。

「うん、そうだった」

陽二が頷く。

その時喜一が、見付けた花の帯留めを手にしていた。

今の写真でも、身に付けていた物だ。

喜一は、小さく深呼吸をすると、意識を集中させた。

それに気付いた陽二と光平も、動きを止めて見守る。

喜一は、どんどん祖母の意識を遡って行った。

長い間、動かずにいると、ふと帯留めを手から離した。

「…兄貴?」

心配そうに光平が顔を覗き込む。

「…あ、すまない」

喜一は落とした帯留めを見つめると、

「なんか…すごく怒ってる感じは伝わってきた…でも、それだけじゃなくて…人間の喜怒哀楽がいっぺんに流れ込んで来る感じがして…圧倒された」

それは多分、長い人生を生き抜いてきた人間の力でもあるのだろう。

「で?家族の事は見えたのか?」

陽二が聞く。

「うん…確かに父親とは上手くいってなかったのかも。何て言うか…父親を目の前に座らせて…多分、叱っているような感じがした」

喜一が思い出しながら答える。

「喧嘩じゃなくて?」

陽二が確認する。

「ああ。何度も、そんな光景が見えた。父親は、頭を下げて肩身が狭い感じに見えたし…あとは…通帳の中身かな」

「通帳?…眺めるのが趣味だったのかよ」

陽二が少し嫌そうな顔で聞く。

「そこまでは…でも、そんなに莫大な金額では無かった気がする」

「なんで通帳なんて…」

光平が、うーんと考える。

「それから、切符」

「切符?」

陽二が再び怪訝そうな顔をする。

「もしかしたら、北海道行きの切符かも」

「じゃあ、出稼ぎは…お婆ちゃんが行かせたの?」

光平がひらめいたように言った。

「あり得るな。父親が邪魔だったんなら、目の届かない場所に追いやったのかもしれない」

陽二が納得したように頷く。

「何か、見つかりましたか?」

そう声がして、彩子と礼子が入って来た。

「あ、えと…お父さんの物は見つからなかった」

光平が慌てて返事をする。

「でも…これ、借りてもいいですか?」

喜一が帯留めを見せると、彩子は不思議そうな顔をして、

「お婆ちゃんの?…いいですけど…」

「個人的に興味があるので」

喜一はそう言うと、そっとポケットにしまった。

「…残留思念」

物凄く小さい声で、礼子が呟いた。

喜一と陽二は、それを聞き逃さなかった。

この女…一瞬で兄貴の能力を見破った。

ただ者じゃねぇな。

礼子が、今度は喜一の事を食い入るように見つめている。

喜一は、その視線に気付くと、

「これ、魔法のメガネなんです」

礼子は少し驚いた顔をしたが、羨ましそうにメガネを見つめ始める。

「嘘です」

喜一の真顔の冗談に、礼子はサッと身を引いた。

恐らく、お互いに扱いにくい人種だと認識したのだろう。

そんな二人に構わず光平が、

「お父さんの物、あった?」

と、彩子に聞いた。

「もしかしたら、これが…」

彩子は、手にしていた小さな箱を開けた。

中には、真珠の飾りがついたタイピンが入っていた。

それを見た喜一が、ゆっくり箱から取り出すと、

「…きっと、そうですね。これも、お借りします」

と、言った。

父親の物に間違いない。

一瞬見ただけだったが、さっきとは逆の光景が見えたからだ。

今度は、目の前であの祖母が、何か怒っているかのように、こちらに向かって捲し立てていた。

「さて…」

喜一は、自分達の用は済んだとでも言うように、部屋を出て行った。

「え?兄貴っ、もういいの?」

光平が慌てて後を追う。

「…如月さんに連絡しよう」

廊下で立ち止まった喜一が言う。

「え?」

光平がきょとんとする。

喜一は、部屋から出て来た彩子に言った。

「DNA鑑定をしてもらいましょう。そうすれば、あの白骨死体が肉親か他人か解る」

「え…は、はいっ」

彩子が動揺したように光平を見る。

外へ出ながら、喜一が陽二に囁いた。

「父親は、多分、最期にあの場所にいたと思う。ほぼ決まりだ」

「…あの場所?って事は、北海道には行ってなかったのか?」

「…少なくとも、最期の時は、いなかった」

陽二が悩んだような顔をして、ふと振り返ると、真後ろに礼子がいて、びっくりして飛び上がった。

「うわっ!…おいっ、いきなりいるなよ」

「…お話が、聞きたくて」

礼子が呟くように言った。

「30分、五千円ですけど」

喜一の答えに、礼子が顔を歪めた。

喜一はさっさと携帯を取り出すと、如月に連絡を入れ始めた。

礼子は不満な顔で、抗議するかのように陽二の袖を引っ張った。

「諦めろ、オカルト少女」

そして、そっと耳元に近付くと、

「俺ね、祓う事も出来るけど、憑かせる事も出来るんだぜ?」

と、囁いた。

ギヨッとして陽二を見る礼子に、更に、

「しかも、すっごいタチの悪いやつを。憑けてみる?」

と言って、ウインクした。



卯月村から戻って、数日が経っていた。

諸々の結果を知らせるために、その日の夜は如月と初美が来る事になっていた。

「なぁ、兄貴が如月さんに頼んだ事って、何なの?」

陽二が、いつものようにビールを口にしながら尋ねる。

「それは、如月さんが来たら解るよ」

喜一は二人を待つ間、小説を読みながらソファに座っていた。

「兄貴、自分の推測が間違ってたら困るから明かさないんだろ?ずるいよなぁ、光平」

すると光平が、

「兄貴は陽二くんと違って慎重なんだよ」

と、パソコンを見ながら言った。

「この世渡り上手めっ」

その時、如月と初美が到着した。

「いかがでしたか?」

二人が席につくなり、喜一が切り出す。

「ああ、当たりだった」

如月は頷くと、

「あの白骨死体は、ほぼ間違いない確率で、園田彩子と親子だと言える」

「じゃあ…お父さんは北海道にいなかったんだ」

光平が呟く。

「北海道へ出稼ぎには行ったんですけどね」

初美が補足する。

「喜一さんが見た通帳の映像ですが…あれは、父親の賃金が振り込まれている口座でした。喜一さんが見た通帳に記載された、振込人の名前を調べてみたところ、北海道にある牧場でした」

「牧場?」

光平が、驚いた顔をする。

「はい。園田さんのお婆さんは、地主でしたから、北海道にも土地を持っていました。そこを借りてる先が、その牧場だったんです」

「…でも、なんで北海道の牧場なんかに出稼ぎに行く事になったんだ?」

陽二の疑問に、如月が答える。

「今は代替わりしているが、当時の牧場主に電話で問い合わせてみた。そしたら、園田の婆さんは厳しくて気難しい人間だって事も解ってたよ。そもそも、出稼ぎに行く話も、婆さんが申し出たらしい」

「…そんなに邪魔だったのかな?」

光平が、少し寂しそうに言った。

「その牧場主は婆さんとは逆で、情に厚い人間だった。父親に、出稼ぎに来た経緯を聞いてみたらしい。そしたら、三年間、牧場での仕事を勤めあげたら、園田家の人間として認めてやると、婆さんが言ったそうだ。しかも、三年間は一切、妻と子供に会わない、連絡もしないという条件で」

「とんだ意地悪婆さんだな」

陽二がそう言って、ビールを飲み干した。

「牧場主は、婆さんから連絡が来たら、上手く話を合わせてやるから、こっそり顔を見に帰ってもいいと言っていたらしいが、父親は絶対に首を縦に振らなかったって。なかなか根性のある親父さんだ」

如月が、感心したように言う。

こっちの父親は、言われる前に、自分から帰らせてくれと言い出しそうだが。

と、陽二は思った。

「働いたお金も、必要最低限の金額を渡して、残りは全て振込みをするように、お婆さんに言われていたそうです」

初美の言葉を聞いて、光平は顔をしかめた。

「…ひどいね。そこまで、いじめる必要ないのに。もう園田が生まれてたんだから、ひとつの家族が出来上がっていたのにさ」

「婆さんにしたら、家督の精神に反している事が許せなかったんだろうな」

如月が、光平に向かって言った。

「じゃあ、出稼ぎから帰って、家に着く前に…なんだか解らないけど、亡くなったって事?」

陽二が腑に落ちない顔で尋ねる。

「それは…」

と、如月が口を開きかけた時、喜一の体がグラリと揺れた。

「え?」

全員がそれに気付いて喜一を見ると、喜一はそのままソファへ倒れ込んだ。

「兄貴っ!?」

慌てて近付いた陽二の足元に何かが落ちた。

それは、帯留めとタイピンだった。

「…まさか、話聞きながら、ずっと記憶を辿ってたのか?」

陽二が唖然とする。

「…兄貴、自分の推測と如月さんの話が正しいかどうか、照合してたんだ、きっと」

光平はそう言うと、落ちた帯留めとタイピンを拾って、

「…兄貴は慎重だから…」

と、呟いた。

「だ、大丈夫でしょうか?喜一さん」

初美がおろおろしていた。

「…ん…」

朦朧とした意識の中、喜一の唇が動く。

「何?兄貴」

陽二と光平が耳を寄せる。

「…出稼ぎに、行ったのは…何年、です…か?」

そう言った喜一は、意識を失った。



卯月村では、あの日のように、彩子と礼子が待っていた。

「…またいるよ、オカルト少女」

陽二が、ちょっと残念そうに言った。

明日、彩子が遺骨を引き取りに来ると如月から聞いて、喜一はどうしても彩子に聞いて欲しい事があった。

「まずは、これをお返しします」

喜一は、帯留めとタイピンを差し出した。

「…でも、わざわざこちらに来て頂かなくても」

彩子が申し訳なさそうに言った。

「でも、この家にあった物ですから、元の場所にお返ししようと思いまして」

喜一が静かに言った。

五人は、園田邸の祖母の部屋へ向かった。

「…陽二、あの時に見た家族写真、出してくれる?」

「え?…あ、うん…」

陽二は彩子にあれを見せるのか、と少し戸惑ったが、押し入れを開けると、アルバムの中から写真を抜き出した。

彩子は、それを最初に見た瞬間、少し驚いた様子だったが、懐かしそうな目で見つめた。

そして、ゆっくりと、指で破れた境目を辿った。

「…園田さん、お父さんは病死です」

喜一の言葉に、彩子が驚愕の表情を浮かべた。

「お父さんは、北海道から帰って、家に戻る途中に亡くなったんです」

「え…でも…」

彩子は動揺を隠せない様子で、喜一を見た。

「あの場所は、土地勘のある人間でないと解りませんが、ここへ来る近道だったんです。お父さんは、一刻も早く家に帰りたくて、あの林を通ったんです。その途中…不幸にも脳出血を起こしました」

彩子は完全に言葉を失っていた。

「当時、お父さんに通院記録がないか、如月さんに調べて貰いました。お父さんは血圧が高くて、あまり無理をしないよう医者からも指導されていたようです」

自分が見た映像の中にも、何種類かの薬は見えていた。

そして、倒れた時の視界も、誰かに殺害された様子や自殺の感覚とは違った。

「だから、あなたとお母さんを捨てた訳でも、自ら命を断った訳でもありません」

彩子は少しホッとしたのか、泣き出しそうになっていた。

「お父さんは、お婆さんに言われて、北海道の牧場に行きました。三年間、あなた達と会う事も、電話をする事も叶わないという条件で。きっとお婆さんは、お父さんの本気がどれほどの物か知ろうとしたんだと思います。三年間…我慢が出来たら、お母さんとの仲を認める、と」

「…父は、約束を守ったんですか?」

彩子は、目を潤ませながら尋ねる。

「…それは…多分、守ったと言って良いと思います」

喜一が曖昧な表現をした。

「どういう…意味です?」

彩子の問い掛けに、喜一はフッと息をついて、

「お父さんが帰って来たのは、二年後でした。二年後のある日、牧場主に、もう働かなくてもいいと言われ、契約を終了したんです」

喜一は、自分の記憶を思い出しながら、

「あれは…行きじゃなく、帰りの切符だったんだ」

と、呟いた。

「二年経った頃、本当に自分の言う事を守り続けているお父さんを、お婆さんは認め始めていました。そんな矢先、お婆さんは自分の体が病に侵されている事を知ったんです」

彩子の目から、涙が溢れた。

「もう、自分は長くないと悟った時、お婆さんは全てを受け入れる決心をしました。そして、お父さんが帰ってくるための切符を、牧場に送ったんです」

喜一は、彩子が持っている写真に視線を移すと、

「その写真も…最初は許せなくて破り捨てようとしたものを、後からお婆さんは、自分で貼り合わせました」

そう、丁寧に。

とても、慎重に。

喜一は、祖母の記憶の中に、それを見ていた。

彩子が再び、写真に貼られていたテープを指でなぞった。

「でも…実際にお父さんは、戻って来なかった。来られなかった、と言うべきですか…お婆さんは、お父さんが予定通りに北海道を出たか、牧場にも確認しました。しかし、お父さんは戻らない。もしかしたら、本当に全てを捨てて、逃げ出してしまったのでは、と…お婆さんは疑ったかもしれませんね」

「お婆さんは、後悔してたかもしれない…」

光平が呟くと、喜一は頷いて、

「こんな事なら…もっと早く二人を認めて、娘の幸せな姿を見ておけば良かった、と…」

彩子が泣き崩れると、礼子がそっと肩を支えた。

いい奴じゃないか、オカルト少女。

陽二は少し感心した。

「お父さんもお婆さんも、解って欲しかったんだと思います。自分は、間違いなく帰って来た事、そして、全てを許して、帰って来るのを待っていた事を」

喜一の言葉に、彩子は礼子にしがみついて、泣きじゃくった。

光平も、少しもらい泣きしそうになるのを、グッと堪えた。

そんな光平を隣で見ていた陽二が言った。

「消えたぜ、二人とも」

その言葉に、光平は陽二を振り向いて微笑んだ。

そして、礼子も陽二を尊敬の眼差しで見ていた。

だから、俺を見るなよ。

陽二は慌てて視線を反らした。

「生きてるうちには叶いませんでしたが、やっと皆が一緒になれますね」

喜一は静かに、そう言った。

園田邸を出ると、彩子が三人に深々と頭を下げた。

「…本当に、色々ありがとうございました」

「また、同窓会しよう、ここで」

光平が微笑んで、

「今度は、桜の季節がいいなぁ」

と、辺りを見渡しながら言った。

「…あの…」

礼子が陽二の傍で呟く。

また、いきなりいやがった。

陽二は、

「…何?」

と、恐る恐る聞いた。

「…弟子にして頂けませんか?」

「はぁ?」

「私も、祓ったり憑かせたり出来るようになりたいです」

祓うのはともかく、憑かせるって、必要か?

しかも、嘘だし。

「無理っ、弟子はとらないのっ」

「そこを、なんとか…」

食い下がる礼子に困った陽二は、ふと礼子の顔を見ると、いきなり礼子の額に手を当てて、前髪を掻き上げた。

「あれ?おでこ出した方が、可愛いじゃん」

次の瞬間、礼子は真っ赤になると、サーッと彩子の後ろに身を隠した。

今のは、めちゃくちゃ早かったな。

ああ、その瞬発力がテニスに向いてるのか。

陽二は妙に納得した。

よし、悪霊は祓った。

陽二がそう思っていると、礼子が、

「自分で修行します…」

と、言った。

どんな修行をするのかは、聞くのをやめておこう。

そして礼子は、次に喜一の傍へ近付いて行った。

それに気付いた喜一は、礼子に振り向くと、先に言った。

「僕のは手品です」




如月は、日向家に、上質のすきやき肉を持って来た。

「光平の友達の件が、無事に解決したお祝いだ」

と、ニコニコしながら如月が言った。

とりあえず、光平と飯が食えるなら、どんな口実でも構わないのだろうが。

喜一も陽二も、お見通しだった。

「でもさ、あんな昔の白骨、なんで今頃出てきたんだろ?」

陽二が不思議そうに尋ねる。

「ああ、それは…長年放置されて、そのうち土に埋もれていたのを、たまたま動物が掘り返したらしい」

如月がキッチンで肉の用意をしながら言った。

「動物かぁ…そんな偶然もあるんだね」

光平が、グラスや皿を運びながら言った。

「なあ、光平。あの園田さんって子、婆ちゃんの遺産、少しは相続してるよな?」

陽二が尋ねる。

「そりゃあ…そうじゃない?」

「もしかしたら、すげぇ大金持ちかもしれないぞ?逆玉の輿のチャンスじゃん」

「えー?どうでもいいよ、そんなの」

「そうだぞ、光平っ。金持ちだからって、幸せになれるとは限らないっ、お前は正しいっ!」

如月がいきなり大声を出した。

「金なんかより、純粋で心の美しい人を選んで、そしていつか…」

そう言いながら、如月は泣きそうな顔をした。

「…あれ、普通は娘の親がとるリアクションじゃねぇのか?」

陽二が呆れて呟く。

「如月さん、包丁置いて下さい」

一緒に野菜を切っていた喜一が、興奮気味の如月に対し、冷静に言った。

「でもさぁ」

光平が、

「これで園田が、ちゃんとお父さんに愛されてたってのが解って、良かったよね」

と、感慨深げに言った。

「兄貴達のおかげで、真実を伝えられて、園田のお父さんや婆ちゃんも安心したんじゃない?やっぱり、生きてるうちに、伝えるべき事は伝えておかなきゃダメだよね」

「益々、そう思った?」

喜一が、すきやきの用意を終えて戻って来ると、そう言った。

如月は、三人の成長を頼もしく眺めながら、この時間が貴重だと思った。

今まで出来なかった分、光平との時間を、もっともっと増やして、絆を深めたい。

そして、光平に対してどれだけ愛情を持っているかも、ちゃんと伝えておきたい。

如月は、光平の隣に近付くと、じっと顔を見つめた。

そして、

「光平、俺は…」

「あ、今はいい。飯食わないと」

光平が遮る。

ショックのあまり、如月が固まる。

「気付いた時に注意しないとね。癖になるから」

光平はそう言って、コンロに火を点けた。

如月がしばらく立ち直れずにいると、見兼ねて光平が、

「ちゃんと解ってるし、俺も好きだよ」

と、如月を見ないまま言った。

その直後、如月がいきなり上機嫌になったのは、言うまでもない。

その光景を見ていた陽二が、

「いっそ、結婚しちゃえばいいのに」

と、呟いた。

この分だと、如月が誰かと結婚する可能性も薄いだろう。

「俺もそろそろ真剣に恋愛でもしようかな」

陽二の言葉に、光平が、

「陽二くんは、まず女の子の名前覚えられるようになってからでしょ?」

そう言って、いつものように頭をぐしゃぐしゃにされていた。

こんな時間を、園田さんも味わいたかっただろうな。

彼女だけじゃなく、彼女の家族全員が。

喜一は、ふとそう思って、何気なく知世の遺影に視線を移した。

きっと、母さんも。

でも、不思議と、母はここにいるような気がした。

きっと、この時間を共有している。

それは、母の存在が、いつまでも日向家の中心だという事が、変わらないからだろう。

母が育てた自分、陽二、光平。

そして、母が愛した如月。

誰もが、変わらず、あなたを大切だと思っていますよ。

喜一が、そう思った時、


なに言っちゃってんのよ


と、母の声が聞こえたような気がした。





《第九話・完》

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