◆17 45分
◆17 45分
本に目を向けるも、目が字を追っておらず、明の頭にはチェカの言葉がぐるぐると回っていた。
落ちつけと自分に言い聞かせた明は、不自然に見えないようにさきほど声が聞こえた方へと目を向けた。
しかしそこには居なかった。
どこだと首を微妙に動かしながら目で探す。
しかし、どこにもいなかった。
"じゃき"ってなにだよそれと小さく吐き捨てる。だれの耳にも届かない。
頭の中で疑問が渦巻くだけだった。
なんだか周りからとり残された気分になる明は、ただぽつんと座っていた。
そして、チェカと話し合いをしようと結論を出す。
だが――いない。
泣きそうな心が表情に出る。
それをなにか勘違いしたのだろう。
さきほど遅刻して廊下に出された男――高瀬が突然声をかけてきた。
「どうしたんだ? 怖い顔して」
いつのまにか教室に戻ってきた彼が、そう言った。
男子とはあまり話をしない明が、そう声を掛けられて驚きの表情に変える。
しかし、それも無に戻す。
「いや、別になんでもないけど……」
適当に終わらせようとした言葉。
しかし、終わらない会話。
「……あ! ニッシーの事だろ?」
閃いたようにはずませた声。
明の心は呆れた感情が支配した。
「なんであんなムカツク事言うんだろうな。どうして教師になれたか今でも不思議だよな。まあ、気にすんな!!」
乾いた笑いを表情に出す明。
この状況についていけなかった明。
だから、口に任せてぽつりと言ってしまった。
「…………なんで遅刻してきた高瀬が、それ知ってんのさ」
なぜか自分から会話をつづけてしまった明。
別に損などはないのだが、人づきあいが苦手な明は、高瀬みたいなテンション馬鹿は嫌いでしかなかった。
「おいおい、突っ込むとこソコ?」
楽しそうにカラカラと笑う高瀬は、何でかって言うと、とクイズの答えを明かすように言った。
「先生いなかったしラッキーと思って、北門から横に抜けてそこの東階段上がってここへ直行ってなわけ」
なんにも誇らしくないのだが、 誇らしげな表情で高瀬は種明かしをした。
ちなみに、北門は普段は使われず、開いていない。おそらくよじ登ったのだろう。監視カメラを考えなかったのか。
また、横に抜けると職員室の壁とお隣の道。ここは教師の車を止めるだけの場所なので、基本生徒は立ち入り禁止。見つかれば当然叱られる。
そして東階段とは、2年4組がある第2校舎(通称:別館)の外とつながる階段である。
本来、第1校舎(通称:本館)から繋がる廊下をわたり、この教室行かねばならない。しかし、遠い。
東階段も普段使われないので扉には鍵。
だが、窓が開いている。ひとつ上、つまり2階の窓なのだが。本館に比べてかなり低い窓なので、出入りすることについては不可能ではない。
もちろん危なくないわけではないが、運動神経がいいやつは木に登り入ることや出るができる。
生徒のほとんどがそれを知っていた。
そして、それを利用する人間は0じゃなければこいつだけでもない。もちろん男子だけなのだが。下りてそこからさら北門方向とは逆に移動すれば、運動部の部室、そして運動場へとも繋がっている。
利用するやつにとっては便利のことこの上にないそうだ。
そいつらは近くに下靴と上靴を隠している。もちろん高瀬も廊下のどこかに隠してあったもうひとつの物を履いているのだろう。
教師は知らないだけなのだろう。でなければ窓をどうにかするはずだ。
「あ、この話内緒だから。これバレたら俺、職員室かよくてニッシーと放課後のトークルームで地獄の2人っきりの"でぇと"だよ」
まずい物を食べたような表情を創る高瀬。
絶対言うなよ! と念を押すように彼が言った。
しかしそれは無意味だ。
なぜなら――、その声は小声というものを超えており、クラス全員が聞いてる状態だった。
こいつは内緒話の仕方を知らないのか。
「じゃあ、それ。ここにいる2年4組全員にしないとね」
鼻で笑うように言った明。
明の人差指は高瀬の後ろを指していた。
指の先には、そして振り返った高瀬の視界には、今の話を聞いたであろうと思われるクラスメイトが映った。
クスクスとこちらを見て集団で笑っている者
ただ単にこちらを見ている者
呆れている者
無視している者
腹を抱えて大爆笑をしている者
笑いを堪えようと顔の歪んでいる者
宿題を終わらせようと無視してせっせとやっている者
言おかな~と思っているのか、悪い顔をして薄ら笑いしている者
せせら笑い、含み笑い、苦笑い……さまざまだ。
蒼い顔をして顔を引きつらせている高瀬。
彼のせいで注目の的である明。
「声デカすぎだよ。……ガンバレ」
気持ちのこもってないガンバレを、明はは冷たい目で言い放つ。
漫画みたいに、へなへなとしゃがみ床に手をつく高瀬。
だが、その瞬間ダッシュで西が叩いた教壇机を上った。
クラス全員の目が点となる。
高瀬が躊躇も無しに土下座したからだ。
戸惑いの声がもれるなか、プライドの欠片も無い公開土下座を見せつけた高瀬は、
「え~と、時間が無いんでストレートに言います。黙っててください。たのむからマジで!!」
頭を下げたまま、そう言った。
1時間目の授業の担当教師が来た時点でアウトだ。
当然この状況に問われるだろう。
クラスメイト、全員男子なのだが、高瀬の言葉に反応を示した。
「そんじゃー、帰りにジュース奢ってくれたら考えてやるよ」
「俺も」
楽しそうなふざけた言葉が教室の中で飛び交う。
「ええええーー、みんな俺の懐事情が最悪なの知ってるだろ。ひでぇーーな、薄情者! それでも友達かぁぁ!」
情けない顔で無理だと告げた高瀬。
そんな彼をからかうように次々と要求する男子たち。
しかしそれも止まる。
女子たちが口出さず、遠巻きにこの状況を見守っていた中、ただ1人の女子が声を上げたから。
「男子。いくらなんでもかわいそうじゃん。どうせ他の男子も使ってるんでしょ? 西の事だから怒鳴って、他の奴も使ったこと無いか調べるにきまってるよ。証拠も無いのに疑って居残りだよ。いいの、それでも? どうでもいい話聞かされて説教だよ。別に黙っててもいいじゃん」
この声は、クラス総務の丹野。
こういう時にまとめるのが好きな変わった趣向の持ち主。
平気で≪みんなの心と力をひとつにすれば≫とか言う、絶滅危惧種のような人間だ。
幸いなこと、ウザがられなず中学校生活を送っているが。
それでも明は、こういうタイプは西や高瀬とは違った意味で苦手だった。
「そうだな……」
「西、話し始めたら長いしな……」
そう言って、男子たちも静かに席に着く。
「ほら、高瀬君も。チャイム鳴るから、いつまで土下座してるつもりなの?」
「え、あぁ。サンキュ! マジ助かったー」
瞬間、タイミングを計ったようにチャイムが鳴る。
バラバラと、皆が席に着いた。
1時間目は数学かと目で時間を追い、確かめた明が机の中から用具を出した。
そして、大事なことを思い出した。
チェカ 邪気 いない 話し合い
単語が突然頭の中に流れ出す。
数学担当の教師が入ってきて我に返る。
「起立」
丹野の号令。授業が始まる。
自然とため息が出てしまった明。
授業が終わるまであと――45分。