初ハイブリッド
二人は昨日と同じように、ライゼ・フォルクの前に立っていた。
緊張しているのか、両者共顔が少し強張っている。
しかし、テラの盛大なゲップでその緊張感は破られた。
「ケプーッ! あぁ、朝からお腹ポンポコリンやー」
「そりゃあんだけ食えばポンポコリンになるに決まっとるやろ!」
ポンポンのお腹を擦りながら苦しそうにゲップをするテラと、それに強く言うリドル。先程とは立場が逆転している。
「あんだけって、うち、そんな食べてないよ?」
「ニワットーリを一羽分がそんな食べてないんには入らん! 俺でも半分しか食べてないんで!?」
ニワットーリとは家畜で、白い体が特徴の鳥だ。卵も絶品だが、丸焼きは卵以上に美味い。
「やって、食べられるために殺されて、しかもそれを半分しか食べてもらえんって可哀想やん! 丸々一羽分食べるんが、ニワットーリへの礼儀やろ!」
「……テー、どんだけ動物が好きなん」
ポンポコリンになる程食べてしまったのは、動物が好き過ぎてからのことだったようだ。
テラの動物好きには、時々目に余るものがあったりする。
「やって動物、ふわふわもふもふで可愛いやん! マッチョンさんの耳とか大好きやったなー」
マッチョンさんとは、リバティ村に住んでいた狼型の獣人だ。焦げ茶色の耳と尻尾をもち、それらはとてもふわふわでもふもふであった。
テラがほぼ毎日、マッチョンさんの耳を狂ったように撫で回していたのを、リドルはつい昨日のことのように覚えている。
「いっつも撫で回しよったもんなぁ」
「うん。あー、あの感触が懐かしい」
恍惚とした顔で自らの掌を眺めるテラは少し、いや、大分怪しい。リドルは思わず、苦笑いを浮かべた。
「そういやテーさ、テイルの耳は触りよらんかったな。何で?」
あの謎の少女も、確か耳があったはずだ。
「あー。テイルのはさ、濡れとったし毛が短かったけん」
(……分からん!)
どうやら、テラなりのこだわりがあるらしい。リドルに、それは理解出来ないが。
「んじゃ、そろそろ中に行こっか」
「……おう」
「どしたん、リディ? 何か疲れとるよ?」
お前のせいだとは言えず、リドルは力なく首を振る。
テラは意味が分からず不思議そうな顔をしていたが、リドルが促し、何とかライゼ・フォルクの戸を叩いた。
ギルドの前に着いてから凡そ一時間経ち、二人はやっと入局試験へと向かう――。
*
「おー、すっげー! これがギルドかー!」
大型ギルド、ライゼ・フォルクに入った最初の言葉が、リドルの言ったそれだ。
(うるさ! リディめっちゃテンション上がっとるし、うちじゃ止めれんで……)
「リディ、ちょっと静かにしてや」
顔をしかめ耳を押さえつつ、リドルを窘めるが、テンションの上がった彼は止まらない。
「ほやけど憧れのギルドなんやし、ちょっとは許してや、テー!」
キラキラと輝く純粋な瞳を向けられては、何も言えなくなる。テラは小さく溜め息を吐くと、リドルを放置することに決め、ギルドをぐるりと見回した。
中は、散らかっているとも片付いているとも言えない微妙な感じで、ポツポツと至る所に人がいる。
中でも目についたのは、赤髪の男だ。燃えるような頭とは対照的に、目は涼しげな水色の瞳で、何だか不思議な印象を持つ。
(何か、不思議な人やなぁ)
ぼーっとそんなことを思っていると、何かがテラの隣を通り過ぎた。
何か通ったかな、と横を見ると、先程まで隣にいたリドルの姿がない。
「あれ……?」
視線を少し動かすと、どこかへ向かって走るリドルが目に入った。
「どこ行きよんやろ、リディ?」
そのまま彼を見ていると、リドルは依頼書の貼られた依頼板の前にいる、男の元で止まる。
「すっげー! オッドアイやん、格好えー!」
リドルは大声で叫ぶと、その人物の背をバンバンと叩き始めた。テラはそれがリドルのスキンシップだと知っているが、叩かれている男は顔いっぱいに不快を表している。
テラは呆れたように息を吐き、リドルの元へと向かった。
「リディ、初対面の人に失礼やろ」
しかし興奮したリドルは聞いちゃいない。テラは何度目か分からない溜め息を、また吐く。
こいつがすみません、そう言おうとテラは男を見上げたが、その動きがピタリと止まった。
テラの瑠璃色の瞳と、男の金と黒の瞳が絡まる。
「ちょお、しゃがんでくれん?」
口から、勝手に言葉が紡がれる。
男は何も言わず、すっとテラの前にしゃがんだ。
ゆっくりと、男に向かって腕を伸ばす。自らの手がそれに触れた時、テラの表情、雰囲気がガラリと変わり、彼女のキャラが崩壊した。
「耳ー! めっちゃもふもふやん、きゃー!」
男は獣人のようで、灰色の髪と同色のふさふさな耳がある。
テラは、その耳を狂ったように撫で回していた。リドルにとってその光景は懐かしく、馴染み深いものである。
「お嬢ちゃん達、何しに来たんだい?」
黒髪の短気そうな男が、呆れ顔でテラ達を見ている。
ガキが来るとこじゃねぇ。
そう暗に言われているように感じ、テラはムッとした。
「……うちら、入局試験受けに来たんよ」
「そうそう!」
「じゃあ、そこの赤髪に聞いてくれ」
テラとリドルが集っていた男は赤髪の男を指差し、椅子にどすっと座り込んだ。
(会ったばっかやのに、失礼やったかなぁ)
赤髪の方へ向かいながら、先程の男をちらりと見る。
「何々? お嬢ちゃんチェーニのこと気になってんの?」
どこからか聞こえた声にはっと我に返ると、目の前には赤髪の男がいた。
「う……わ! びっくりしたぁ!」
テラは思わず尻餅を付きそうになったが、後ろにいたリドルに支えられ何とか転けずに済んだ。
「危なー……。ありがとう、リディ」
「ははっ、驚かしてごめんよー。俺、ロートっていうんだ。よろしくな」
「よ……よろしく」
赤髪の男、ロートが手を差し出していたので、前にいたテラがその手を握る。
「そいでお嬢ちゃん、チェーニのこと気になってんの?」
「チェーニ?」
誰のことか分からずリドルを見ると、彼も分からないようで小首を傾げた。
「チェーニって、誰?」
「さっき君らが集ってた男の人ー」
ロートが指を指すのでそれを辿ると、そこには先程の灰色の耳を持つ男。何やら、短気そうな黒髪男と話している。
「あぁ、あの人。あの人がどしたん?」
「いやー、お嬢ちゃんがチェーニのことちらちら見てたから、気になってんのかなーって!」
「えっ、テーちらちら見よったん?」
リドルが前に回り込み、テラの顔を覗き込む。
「さっき大分困っとったみたいやけん、悪かったかなぁって思って見よったんよ」
「あぁ、ナルホドー。大丈夫! 見てて面白かったから、この俺が許す!」
「……それでかまんの?」
「かまんかまん!」
右手を突きだし親指を立て、ロートは片目を瞑る。
やっぱり、第一印象通り不思議な人だ。
テラはリドルと顔を見合せ、乾いた笑い声を上げた。
「なぁ餓鬼共、あんたらどこから来たんだ?」
ロートの不思議さに苦笑いを浮かべていると、どこからかともなく女の人が現れた。
黒のピッタリとした服は、スリムな体のラインを際立たせている。茜色の髪を無造作に横に結い上げており、なかなか綺麗な顔立ちをしていた。
「和の国の、リバティ村ってとこやけど……?」
「それって田舎か?」
「海のすぐ側やけん、田舎になるんかなぁ」
「じゃ、知らなくて当たり前だな」
意味深な言葉を吐き、女はにやっと嫌な笑いを浮かべる。
(うわっ! この人、口も感じも悪!)
テラはそんなことを思いつつ、女を怪訝そうに見た。
「知らんくてって、何を?」
意味深な言葉に興味を持ったアルゥが、その真意を問う。
「チェーニの正体だ」
「チェーニの?」
ただの獣人ではないのだろうか。
テラとリドルが首を傾けていると、ロートは焦ったように声を上げる。
「おいっ、アカネさん!」
「うるせーな。黙ってろよ、ロート。だいたいなぁ、お前はあの“忌み子”と親友とやらだからいいかもしれねーけどよ、いきなり忌み子を仲間に入れられたあたしらのこと考えろってんだ。このくそ鳥が」
忌々しげにロートを睨むアカネさん。ロートは哀しそうに俯く。
「“忌み子”って、何なん?」
気になったことを素直に問えば、アカネさんはにこぉと笑った。
その顔は綺麗だったが、恐ろしかった。
「チェーニの通り名だよ」
「通り名?」
「そ。忌み子の他には、“強欲で非情なハイブリット”ってのもあったな」
ハイブリッドとは、同じ種族同士から生まれる純血ではなく、異なる種族同士から生まれる混血のことである。
例えば、エルフと魔族。人間と獣人。その組み合わせは幾通りもあるが、世界のほとんどがハイブリッドの存在に否定的である。故にハイブリッドが蔑まれ、虐待を受けるのは珍しいことではなかった。
だがテラとリドルは、未だにハイブリッドに出会ったことはない。第一の故郷である魔の国は、ハイブリッドの入国は許されていなかったから会うことはまずない。第二の故郷和の国は、ハイブリッドの入国は許可されていたがリバティ村にはいなかった。
「チェーニが、ハイブリッド?」
だからチェーニが本当にハイブリッドだとすると、二人は初めてハイブリッドと会ったことになる。
「そうさ。あいつはここに来る前、金さえあれば何でもする何でも屋だった。だから、“強欲で非情なハイブリット”なんだ」
お前らもあいつが嫌になるだろう、とアカネさんはふふんと笑う。
「すっげー! チェーニ格好いー!」
「本当やねー! 本当にすっごいわ!」
「……あれ?」
アカネさんが思った方向とは、違う方向へ行ってしまった。因みにロートは大笑いしている。
「アカネさん、ざーんねーん! この子ら、そういうの気にしないみたいだなっ」
「がっ、餓鬼だから分かってねーんだろ!」
アカネさんはぷいっと顔を背けた。
「確かに俺ら今日会ったばっかやけん、チェーニがどんなことしてきたかとかは分からん。でも」
「過去なんか知らんし、どーでもいい。うちらは今日出会ったチェーニを気に入ったけん、通り名とかそういうん、かまん!」
そう言い切ると、アカネさんはうぐぅと小さく唸り、ロートはにっこりと笑った。