きっかけ
和の国のリバティ村。小さい村だが海が近く、一日中潮の匂いに包まれている。海が近いおかげで漁業に優れ、村人みんなが裕福に暮らしていた。
ある日、潮の匂いが一層強い浜辺に十四歳のリドルとテラが座っていた。
「……ねえリディ」
「ん?」
テラのツインテールの毛先が、風に踊る。
「……前の村の皆は、元気やろか」
「多分、元気やろ」
「……じゃあ、お父さんとお母さんは……天国、で、元気にしとるやろか」
リドルは思わずテラを見た。テラは瑠璃色の瞳で、海の先をじっと眺めている。
リドルも同じように海を見つめ、
「どやろなあ。テーの両親やし、元気しとんやないか?」
「……ほやったらいいなあ」
淋しそうなテラの横顔は、はっとするほど綺麗だった。
テラとリドルは、数ヶ月前まで魔の国に住んでいた。しかしテラの両親が怪物と呼ばれる分差万別の化物に襲われ、他界。孤児となったテラを、リドルの母親パララが引き取った。悲しみに沈み家から出られなくなったテラを気遣い、パララとリドル、それにテラの三人でこちらに引っ越してきたのだ。今では元通りの明るさを取り戻したと思っていたが、心の傷は簡単には癒えないらしい。テラの淋しそうな横顔を見て、リドルもまた哀しくなった。
「……ねえリディ」
「ん?」
「……あれは、何やろか」
「うん……ってへ?」
生返事をしたリドルは我に返り、テラの指差す方向に目を凝らした。
白い物体が海を漂っている。波に揺られ、あっちへこっちへゆらゆらと。
「な、何やろか……。まさか怪物?」
「……怪物?」
怪物と聞くと、テラの目付きが変わった。瑠璃色の瞳に憎悪の炎が宿る。
(ヤ……ヤベー!)
リドルは己の発言を悔いた。テラは両親を殺された一件から人一倍怪物を嫌い、その名を聞くだけで精神が不安定になる。怒り狂う時もあれば、泣き出す時もある。だから、テラの前では“怪物”という言葉は御法度なのだ。
「……うちの前に現れることがよう出来るなあ」
ドスの利いた声で呟くと、テラはすくっと立ち上がった。そしてそして背中に括りつけた革から短槍を抜き取る。彼女の膝から足まで程の長さのそれは、テラがずっと愛用している武器だ。
「リディ、あんたももちろん手伝ってくれるよね?」
短槍の柄の先っぽについている細長い刃が、キラリと妖しく光る。
「も……もちろん!」
引き攣った笑いを浮かべながら、リドルは右手を腰の左側の鞘に、左手を腰の右側の鞘に伸ばし、二つの剣を一気に、器用に引き抜いた。どちらの剣も刃が反っていて使いにくそうだが、これがリドルの愛用する双剣である。
「さあ、来てみいや」 テラが不敵な笑みを浮かべ、短槍を構える。
怪物かもしれない白い物体は、波に流されこちらに近付いてきていた。ここからだと直視できる距離だ。
(えーっと、耳みたいなんがあるなあ。それから顔があって体があって耳があって……。ってあれどう考えても違うやん!)
「テ……テー! ごめん、あれ怪物やないわ!」
「……へ?」
テラの瞳から、憎悪の炎が消えた。リドルは相棒達を鞘に収める。
「テーは俺より目ぇ悪いけん見えんかもしれんけど、多分あれ獣人やわ」
獣人……。武の国を牛耳る力の強い種族である。どの種族でも出入り可能な和の国にあるこの村には、獣人の男が一人だけ住んでいた。
「獣人って、マッチョンさんと同じ種族の?」
「うん。……あー、多分やなくて絶対やわ、あれ」
リドルが目の上に手を当てて獣人を観察している。どうやら、あれこれ会話をしている間に浜に打ち上げられたようで、水に濡れた尻尾を絞っていた。
それは女の子だった。白銀の髪に同色の耳、露出の多い服装は水に濡れ、色っぽさを感じる。猫のような目でこちらを見て、片手を挙げた。
「ねー、そこの人達ー! ちょっと話そうよー!」
アルト域の聞いていて心地好い声が、浜辺に響く。
「どうする? 行く、それとも行かん?」
リドルが尋ねると、テラは短槍を背中に戻した。
「行こや」
短く言うと、テラは短槍を括りつけている革と同じ素材で作られたショートブーツで、砂浜を踏み締めて歩いて行く。リドルもその後をひょこひょこと付いていった。
「どうしたん?」
猫型の獣人の女の子と対峙する。グレーの瞳が、人懐っこそうに笑っている。
「えっとねえ、ここはどこ?」
「ここは和の国のリバティ村やけど、あなたは誰?」
「ふーん、そうなんだ。自分はテイル。あんた達は?」
「うちはテラ。んで、こっちがリドル」
テラが目で一歩下がった所にいるリドルを示す。
「それじゃ、テッチとリッチだね。名字は?」
「バルスルやけど……」
テラは、そこまで聞くん? と、少し訝しげな表情になった。
「テラ・バルスル、ね。リッチは?」
「ローウェル」
「リドル・ローウェル。ん、覚えた」
ニカッと笑うテイル。笑うと八重歯が見え、可愛らしい。
「テイルは、何で海を? てか、どっから来たん?」
「んー、秘密」
テイルは色白の細い指を、テラの唇に当てた。その仕草――格好もだが――が妙に色っぽく、同じ女のテラが一気に赤くなる。
「ところでテッチはさ、これ見える?」
テイルはふふっと笑い指を引っ込めると、腰に付けたポーチからそれを取り出した。
光の粒子が集まってぼんやりと形作った、触れば光が散ってしまいそうな儚げな指輪。それを、テイルは指で摘まんでテラに見せた。
「見えるよ。何か、触ったらポロポロって崩れそうやね」
「見えるんだ。リッチは?」
「俺も勿論見えるけど?」
「そう……。自分はね、これ見えないの」
テイルは耳と尻尾を下げ、悲しそうな表情を浮かべる。
「見えんって、どういう意味?」
「そのまんま。テッチの言う、触ったらポロポロと崩れそうな物が、自分には見えないの。触った感触はするけどね」
テイルはテラの左手を取ると、人差し指にその指輪を嵌めた。
「これはね、光輪って言うの」
「コーリン?」
「そう、光輪。……テッチ、これは貴女にあげる」
テラの指に光輪を嵌め終えると、テイルはテラ達にくるりと背を向け、海に向かい始める。
「それじゃ、さよなら」
「ちょお! 何でこんなんをテーにやるん!?」
「いずれ、時が来れば分かるわ」
必死に問うリドルに、テイルは振り返らず淡々と告げた。
「……また、会える?」
テイルは立ち止まり顔だけを後ろに向けると、テラに向かってニヤリと笑い、
「自分はあちこちを放浪している。自分に会いたいと思うならここを出な。もし運が導き再び出会えたのなら、全てを教えてあげる」
ふふっと妖艶な笑みを浮かべると、テイルは海に飛び込んだ。その姿はすぐに海に呑み込まれ、テラ達には見えなくなる。
「……何やったんやろな」
リドルが呟くとテラはそれには答えず、背後にあるテトラポッドに腰をかけた。
「……ねえリディ」
「ん?」
リドルも静かに、テラの隣に腰を下ろす。
「うちね、ギルドに入ろうかとずっと思っとったんよ」
「え!? ギルドって、テー大丈夫なんか?」
ギルドといえば、怪物の討伐が主な仕事だ。言葉を聞いただけでも取り乱すテラが、そんなギルドの仕事をこなせるとは到底思えない。
「今のままやったらうちやって出来るとは思ってない。ただ、ちょっとずつでも気持ちが不安定になるんを克服していって、ギルドに入ってお母さんらの仇を取りたいんよ」
テラは燦々と輝く太陽に左手を向ける。光の粒子が朧気に形作っている光輪が、陽の光を受けてキラキラと輝いた。
「今日テイルに会って、やっぱ入ろうって思った。ほら、ギルドに入ったら色んな国に行けるやん? ほしたら、テイルに会えるかもしれん。うち、あの娘にはもう一回会わないかんと思うんよね」
「……」
リドルは腕は組み、目を瞑って何か考え込んでいる。
「……反対なん?」
心配そうなテラの声が耳に届くと、リドルは目をかっと見開き、勢いよく立ち上がった。
「よっし! ほんなら俺もギルド入る!」
「へ!? 本気なん!?」
「おう! 俺やってギルドに興味あるし、何よりテーの魔法は回復系、俺のんは攻撃系やろ? ってことは、俺とテーが組んだら最強ってことやん!」
目をキラキラと輝かせ、リドルは熱弁する。その光景は彼を実年齢よりも幼く見せ、微笑ましい。
「最強かどうかは分からんけど……。でも、リディがおったら心強いわ」
「やろ? よーし、そうなったら早速修業や! 二人で頑張ろで、テー!」
座ったままのテラに、リドルは手を差し出す。テラはにっこり笑顔でその手を取り、ぴょこっと立ち上がった。
「うん! 頑張ろな、リディ!」
潮風が優しく、決意した幼い二人を包み込んだ。