火星の墓 :約2500文字 :SF :宇宙
火星。そこは赤茶けた大地が果てしなく広がる荒廃した惑星。大きさは地球のおよそ半分、重力もまた半分以下。大気の主成分は二酸化炭素で、気圧は地球の一パーセントにも満たず、ほとんど真空に近い環境である。平均気温は氷点下約六十度前後。空には二つの小さな衛星が浮かび、地下深くには氷が眠っている。かつて人類はその氷の中に生命の痕跡を見出せるのではないかと期待していた。
だが、時が流れ、宇宙開発技術は進歩し、惑星探査が本格化するにつれて、火星の価値は低いものと評価されるようになった。資源は乏しく、居住環境としてはあまりにも過酷で莫大な開発費に見合う利益が見込めない、と。
しかし、あるとき人類はその惑星に一つの用途を見出した。
墓である。
地球の人口は増加の一途をたどり、それに伴って死者の数も際限なく増え続けていた。ネズミ算式に膨れ上がる遺体と遺骨は、生者の領域を静かに圧迫した。
そう。問題となったのは死者を眠らせるための土地だった。
地下には巨大な納骨施設が築かれ、地上には墓を収めるためだけの高層ビルまで建設されたが、それでも需要には到底追いつかなかった。
樹木葬や海洋散骨、果ては宇宙空間へ遺灰を放つ宇宙葬などの多様な供養方法がマスコミを通じて新しい時代の埋葬文化として盛んに喧伝されたものの、人々は死んでもなお、自分という存在が形として残ることを望んだ。不滅への執着はそう簡単に薄れるものではなく、墓という文化もまた容易には消え去らなかった。
そこで、目を向けられたのが火星だった。
遺体を火星の大地に埋葬し、その周囲に苔類の胞子を散布する。単に死者を埋めるだけでなく、火星の環境改善を兼ねた壮大な事業であり、やがて大地は緑に覆われ、未来の子孫の生活圏となる。その礎として、自らも誇りを持って眠ることができるのだ。
と聞こえはいいが、結局のところ単なる死体の再利用であった。しかし、それもまた聞こえのいい話。実際には散布された苔が地表に定着した例はなく、赤茶けた大地は何十年経っても変わらず乾いたままだった。
開発計画そのものは今なお続けられているが、それもスポンサーや各国政府への体裁を保つために過ぎない。火星は死んでいる。
――おれも人のことは言えないが。
おれの仕事は、地球からひっきりなしに送り込まれてくる遺体を処理することだった。いつからこの仕事に就いているのかも、いつ終わりが来るのかもおれにはわからない。ただ、意外と早く仕事のコツは掴んだ。それは余計なことを考えず、決められた手順どおりに手を動かすことだ。それが一番楽でもあった。
埋葬前に、まず遺体から余分なものをすべて取り除く。マイクロチップ、人工関節、人工臓器、補助脳、義手――人工物は一切残さない。
近年では上流層だけでなく、中流層でも身体の一部を機械に置き換えている者は珍しくない。環境汚染の影響で臓器が脆くなったり、健康維持や美容などを理由に機械化していた。完全な生身の人間のほうがむしろ珍しい。
そういえば、おれが地球にいた頃に食っていた魚はやたら小骨が多かった。
人工物をすべて取り外し、生身の状態に戻したあとは苔類の胞子を混ぜ込んだ薬液を全身に塗布する。塗り残しがないように満遍なくたっぷりと。あるいはささっと。どうせ誰も見ちゃいない。薬液が乾き切る前に遺体を布で包み、しっかり固定して指定された区画まで運ぶ。それからシャベルを地面に突き立てて穴を掘り、遺体を納め、土を戻して最後に薬剤を散布して終わりだ。
と、簡単に説明すればそれだけの仕事だが、実際やってみるとそこまで楽じゃない。火星の地面には大小さまざまな岩石が埋まっており、シャベルの先が何度も弾かれる。重力が小さい分、土が舞い上がりやすく、しょっちゅう視界を曇らせるのだ。
しかも、日が沈むまで同じ作業を何十回、何百回と繰り返さなければならない。これが楽と思えるほど単純な脳みそなら良かったのだが。
ただひたすらシャベルを大地へ突き立て、穴を掘る。
穴を掘る。穴を掘る。穴を掘るる。
穴を掘る――と、また誰かが倒れたらしい。だが、おれの担当ではない。
そう。もし作業員が倒れた場合は、近くの者がそいつを処理室へ運び、遺体と同じ工程で処理する。
治療? 無駄だ。たいてい死んでいるからな。
それに代わりはいくらでもいる。
新人は地球から絶え間なく送り込まれてくるのだ。簡単な研修だけを受けて、すぐに穴を掘る側に回される。
それだけ。本当に単純な仕事だ。
だからこそ、ふとした拍子に余計なことを考えそうになる。このままでいいのか。おれはなんでこんなことをやってるのか。誰のために、何のために。それはははは……だから、おれは考えない。
何も考えず、ただ穴を掘る。
おれは穴を掘る。
穴を掘る。
穴を掘る。
穴を掘る。
穴を掘るるるるるるるる。
◇ ◇ ◇
その頃、地球では――。
「――と、このように火星の需要は増加の一途をたどっております。もちろん用途は墓地だけにとどまりません。開発事業は着実に進展しており、来年度には作業員のさらなる増員に加え、地下レジャー施設の建設も予定しております」
「しかしねえ、君たちの会社が掲げる“楽園”の完成にはまだほど遠いように見えるが」
「作業員を増やすと言ってもどうやって確保するつもりだ。人員は集まったとしても、宇宙服などの装備が足りなくなるだろう」
「ご安心を。こちらの人体自動制御装置をご覧ください。これを遺体の脳に挿入することで、新たな作業員として運用できる仕組みとなっております。宇宙服は必要ありません。太陽電池により日没まで稼働できます。ええ、彼らはむしろ生きている人間よりも勤勉ですよ。何しろ死体ですからね。文句も言わず、疲れも知らず、恐怖も苦痛も感じず、意識も思考もない。ただインプットされた作業工程だけを正確に、淡々と繰り返すのです。ささ、いかがでしょう。ご投資いただくなら、まさに今が絶好の機会でございます。数百年後には、ひいひいひい孫さんたちと火星の別荘で週末をのんびり過ごすなんて素敵ですよね。さらに特典といたしまして、こちらの資料にございます一等地墓苑への優先入所権をご用意しております。丘陵部に位置しており、将来火星が緑化された暁には草原を一望できる絶好のロケーションでございます。さあ、ぜひ前向きにご検討くださいませ」
地球の富裕層たちは、機械仕掛けの両手を顔の前で組み、静かに頷いた。
培養液に浸された脳がかすかに揺れ、ちゃぷっと小さな水音を立てた。




