孤児院春馬ー3ー
甘ったるい珈琲の薫りがする。
時刻は午後3時を過ぎていた。
保健室に運ばれた、蓮は、静かに微笑む、孤児院 春馬の院長、松村 輝良に、ぺこりとお辞儀した。
これは習性であり、もはや『癖』だ。
蓮は輝良に、最大限の敬意を払っている。
白銀の柔らかな長い髪を、麻紐で結び、
沈黙を続ける、輝良は、どことなく、怒ってる風、だった。
「あの、院長。もしかしなくても、怒ってますよね?」
「おや、蓮は、悪い事をした、自覚が、あるんですね。そう。怒りますよ。
貴方はいつも、無鉄砲ですから」
尖った物言いだ。
物腰柔らかい雰囲気なのに、輝良は、一度、
へそを曲げると、厄介だった。
「うう。はい。私が悪いです。ごめんなさい。そして、助けていただき、ありがとうございます。感謝致します」
蓮は、他の嫌味な職員や警備員は、嫌いだが、院長の輝良、育て親である、この人には、頭が上がらなかった。
「忘れていた過去、しかも、辛い事を、無理に思い出す必要は無いでしょう。時に、忘却も生きる糧に、なるのですよ?」
パイプ椅子の輝良が、冷たく、言い捨てた。
死者に思いを馳せても、まったくの無意味だと、輝良は、諭そうとした。
心配してくれている。
ぶっきら棒だが、輝良は敢えて、悪役に徹している。
宮須 アンナの姿形を、思い返そうとすると、なぜか蓮が、泣きそうになった。
「私はつい最近まで、彼女をその『存在』を、キレイに忘れていました。でもなんでこんな、急に思い出すと、胸が苦しいです!」
顔面蒼白の蓮。
簡易ベッドの上で、ブルブル震えている。
「アンナは、脱走に失敗して、見付かって、それから、あれ? 殺された? 『誰』に」
自問自答する蓮の脳裏に、はっきりと、
アンナの『死に顔』が、蘇った。
軽く呻き、前のめりに倒れた蓮を、
そっと、輝良が、支えた。
「ふぅ。難儀な子だ。宮須 アンナを守り切れなかったのは、私の責任だ。いくら『王室』が関わったとはいえ、最後まで、抵抗すべきだった。そうすれば、あそこまでの惨事には、至らなかった筈だ。教訓にして、華は、二の舞にしないよ、蓮。何とかしてみせる。別の『誰か』を使ってでもね」
蓮の手を取って、聞こえていないのを承知で、輝良が、一つ、誓いを立てた。
宮須 アンナ。
薄い桃色のふわふわの長髪で、笑うと、綿菓子みたいに甘ったるくて、朗らかな少女だった。
あれは一年前。
仲の良かった蓮に、何も告げず、
孤児院 春馬を、抜け出した、アンナ。
数日後、帰ってきたのは、アンナの、
『遺体』だった。
左胸は抉り取られ、体中血だらけで、白い着物は、赤い『花』が咲いたかの様で。
匂う血液に、くらくらしたのを、
確かに、蓮は、覚えていた。
覚えていた『のに』記憶を、喪失した。
それは、精神的な衝撃によるものか、
他者の『介入』の可能性もある。
年の変わらないアンナ。
ずっと一緒に過ごした、大切なアンナを、
かけがえのない家族を、蓮は、
記憶から、消し去ったのだ。
忘れてはいけなかったのに。
ふっと目を覚ますと、蓮が、アンナと最後に交わした言葉を、口にした。
「王族や貴族の『奴隷』にされる前に、逃げなさい、蓮。あたしは、あんた達の逃げ道を、外に居場所を、探すから」
太陽みたいに明るいアンナ。
亡くなる数ヶ月前から、頻繁に、孤児院の外へ、消えていた。
用意周到で、賢いアンナが、ヘマをするとは、おかしいし、どこか、妙だ。
つまり、アンナを『売った』人間が、孤児院の中に居て、アンナは『外』で、殺害された。と言う事になる。
そもそも、今になって、こんなにも、アンナを身近に感じるのは、怪我した、華を、
目にしたからだ。
同じ事が起きたから。
どうしようもない、焦燥感から、蓮が、額の汗を拭って、保健室を飛び出した。
予感がする。
いや、これはもはや、確信だ。
また、蓮は、家族を失ってしまう。
だけど、手遅れになる前に、
猛烈な勢いで、蓮が、ひたばしった。
今度こそ、確実に、華を、
家族を、助ける為に。




