孤児院春馬ー2ー
孤児院 春馬。
午前中から敷地内は、騒然としている。
職員や門番が、バタバタ走りまわる音がした。
随分と緊迫した空気だ。
ドスっと、耳障りな、鈍い嫌な音がした。
そして壁の向こうから聞こえた、低い呻き声と、泣きじゃくる気配。
耐えかねた孤児院の子が『また』脱走を、試みて、失敗に終わった。
少し開いた、図書館の窓から、漂う血の匂いが、かなり濃い。
負傷した子は、それなりに深い傷を、負っている。
職員にしろ、門番にしろ、相変わらず、脱走者に、容赦なさすぎだ。
孤児院 春馬に居る者に、
情けを持つ者は、皆無よ。
よく通る、聡い少女の声が、
蓮の中に、フラッシュバックした。
何かを思い出そうとしたが、思い出せず、
蓮が一人、苦悶している。
「また、あの子か。ほんと、懲りないな。以前は腕を折られて、今回は、頭か」
外の様子をこっそり見てきたアリスが、
悪態をつきつつも、焦りを募らせている。
アリスのアーモンドの瞳は、苛立ちを覗かせている。
「ふぅ。今はダメよ、アリス。返り討ちに遭うだけ。タイミングがまだ、悪いわ」
蓮が気を取り直して、短い墨色の髪を、ゆるく振ると、アリスを宥めた。
「分かっているけど、あまりに、差別が酷い! 親持ちの子供達は、おとがめナシなのに、みなしごに対しては、バカみたいに暴力を加えるなんて、あいつら、値踏みしているんだ!!」
どんどんヒートアップするアリスの肩を、
蓮が、ぽんぽん弾む様に叩いた。
「ハイハイハイ。アリスは悪い子を装おって、たまに本気で、非道な部分もあるけれど、ま、仲間思いの甘ちゃんよね」
反論しようとするアリスを、正面から蓮が、
柔らかく抱き留めた。
「このまま、怒らないで聞いてね?
私は、赤ちゃんの頃から、ここ暮らしだから、あんまり、不満は無いのよ。息は詰まるけどね。あと2年の辛抱だもん」
あたたかい蓮の温もりに抱かれて、
なんだかんだ、アリスが、怒りを鎮めた。
「むぅ。ズルい奴め。だとしても、このまま、あの子を放置するのか?」
「まっさかー、黙って見過ごす訳ないじゃん。当然、助けるに決まってるよ!
決行するのは、夜よ、夜。手当てはさすがに、院長がしてくれると思うし、渡柳 華を助けるのは、その時に。慌てない慌てない、ね?」
ぱっと、アリスから離れると、華やかな笑みを浮かべつつ、蓮が、図書館の窓を、静かに閉めた。
孤児院 春馬で、普通に、暴力や恐喝、性虐待未遂事件が、たびたび、起きている事は、
ここに暮らす者なら、周知の事実。
なにせ、閉鎖された空間だ。
『血統書』付きの子に、手を出す、命知らずはいないが、みなしごは、とりわけ、被害に遭いやすい。
もっとも、それは、以前の話。
今の院長に代わってからは、不埒者は粛正され、風通しは良くなった。
今回の騒動も、見かねた院長が、なんらかの『処置』をするはずだ。
なんらかの意図のもと、あえて、場を乱す、悪辣職員等を、泳がせていた可能性もある。
現院長は、赤子の時から、ほぼ、蓮達を育てている。人格者で有名だし、極めて温厚だ。一方で規則を破る者には、身内だろうが、簡単に、斬り捨てる。字の通りに。
あれこれ、過去を思い返す中で、
蓮の頭が、ズキズキ疼いた。
「蓮?」
「いいえ、何でも、無いわ。ね、アリス。一年前にも、似た様な事が無かったかしら?
確か、あの時、宮須 アンナは、あれ、どうなったっけ??」
見る間に、顔面蒼白になる、蓮の腕を、不自然にアリスが引っ張ると、図書館を出た。
「あーっと、アレだよ。無理に思い出す必要は、無いよ、蓮。アンナは、その、事故、そうだよ! 『事故』だったんだ。な?」
必死にいいわけがましい、アリスの、あからさまに不自然な有様を目の当たりにしながら、
蓮の胃の不快感は、限界に達して、前のめりに、倒れ込んだ。
『誰か』が、労る様にそっと、駆け寄って、蓮をキャッチした。




