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薬草村から世界へ:お母さん、私、錬金術師になります!  作者: 鹿ノ内


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episode44 クアトル=カルム

 


 以前子供たちと片づけた聖庇舎奥の厨房。

 その扉を押した瞬間、胸の奥がふわりと浮き上がった。石壁が穏やかに光を返し、窓から射す朝の光が薄く漂う粉塵を照らす。


(ああ、この匂い。久しぶりのお菓子作りだ)



 フェルナ丘陵州は古くから優秀な官僚や学者を輩出し、王都の礎を築いた丘陵と呼ばれる土地。その伯爵家から依頼を受けた献上品を作るのは、私なんかが担っていいのだろうかと不安もあったが。


 ——日持ちし、格式を守り、しかし誰の口にも温かく届く味。

 何度も考え抜いた末に辿り着いた答えはひとつ。


 QuatreキャトルQuartsカール ーーもとい神殿風に名付け直した QuatrusクアトルCalmumカルム


 素朴でいて品がある。土地の風味を活かせば無限の表情を見せる、家庭と祝祭のあいだを結ぶお菓子。


 カトルカール、と聞くとなんのお菓子?と思うがパウンドケーキ、と言うと知らない人はいないだろうと言うくらい有名なケーキの種類だ。

 元々、各家庭で作られるようなケーキなのでおそらくどんな食文化であっても馴染みやすく素朴でいて、それでいて変化に富むケーキだろう。


(さあ、やるぞ……!) 


 袖をきゅっと捲り、材料を台に並べているとふいに視線を感じた。


 そちらの方を見ると、厨房の入り口に置かれた椅子にいつの間にかひとり座っている人影。


 白、としか言いようのない、透明の寸前の色。

 腰まで落ちる金糸の髪は陽の層を何段にも受け、触れれば音を立てそうな細さで波打つ。

 若草の糸で蔓と双葉の刺繍が袖口に連なり、身体の線を主張しない衣。

 年齢という概念が溶け落ちたような佇まい。

 そして、その周りには淡く舞う金の粉。

 陽光ではない。生き物のように呼吸する、小さな魔素の粒子。

 無色の灰青の眼が、静かな波紋のように私を映していた。



「……っ、おはようございます。お姿を前に、言葉を整えるのが遅れました」


 ーー育生院神官長、リアンセル。


「おはよう、ミュリア。こちらは気にしなくていい」


(いや、気にならないわけ、)


 前もこうだった。

 神出鬼没なのはこの方の仕様なのだと最近は悟りを開きつつある。


「続けて。気にしないで」


 いつもの金の粒子が今日はまるで踊るようにちらちらと揺れている気がした。


 上司に鹿を見てこれは馬だと言われたら、そうなのですね、馬なのですねというしかないミュリアはさっさと気を取り直し、作業台に材料を並べる。


 小麦粉、発酵バター、砂糖、卵。あとはフェルナナッツ。

 そして今日は薬草封を使うので包材の状態も確認しつつ進める。


「それは?」

 背後から声が落ちてきた。


「、これは小麦粉の中でもお菓子を作るのに向いている薄力粉、ですね」

「どういう性質?」

「えっ小麦粉の性質っていうと、蛋白質量の違いで、」


 答えると、リアンセルは頷いたとも頷いていないともつかない反応をして、再び静かに席に戻る。



「何を作るの?」



(今日に限ってどうしてこんなに質問してくるんだろう?)


 だが作業を始めれば、ミュリアの口は自然と動き出す。


「今日はカトルカール、いえこれはクアトル=カルムですね、以前作っていたブレッシェルと材料は似ているんですけど、全く違う焼き菓子です」


 クアトル=カルム(Quatrus Calmum)はこちらの言葉で四つの均衡を意味する名前をつけた。なんとも神殿らしい思想になったな私も。



「どこが違う?」


 完全に講義モードに突入したミュリアは気付けば熱を帯びた声で語り出していた。


「まず大事なのは配合比ですね!ケーキというと大体使用する材料が似たり寄ったりなのですが、出来るあがりは全く違うものが出来るんです!今回作るものは、砂糖・バター・卵・粉が同量で“4つの均衡”が語源となったクアトル=カルムという名前なんですが、これまた材料だけじゃなく製法によっても性質がまったく変わります」



 リアンセルの特徴的なちょっととんがった耳が髪の毛からひょっこり出てぴく、と動いた。なんか可愛い。


 ミュリアはあまりそちらに気を取られないようにしてサクサクと準備を進めていく。


 四つの均衡がどうのと言ったもののフェルナでは有名なフェルナナッツ、これを粉末にしたものを小麦粉を減らして少し配合しよう。ナッツの風味が入れば奥行きのあるリッチな味わいになる。


 作り方は以前のような卵を泡立てて作るジェノワーズ法だと、ふわふわとするがその分水分の保水力が低くパサつきやすく、日持ちがあまりしないというか美味しく無くなる。そのため、どのくらい長旅になるか分からない今回は向かないだろうから作り方を変えてみよう。


「例えば今日は甘霊カンレイ共立て乳化法を使っていきます。砂糖とバターを最初にしっかり攪拌して、空気を抱き込ませる方法なんですけど、ここに魔圧を加えることでぐんと空気を保持しやすくなり、口当たりがふんわりしそれでいてしっとりになるんです!また今日はやらないんですけど、粉霊フェナレイ抱合法っていうのもあって、先にバターと粉を混ぜてしまうことで、蛋白質の結合を抑えてほろっとほどける……」「同じ材料で、まったく別の結果になるのか」



「そうですそうです!工程の順番で出来上がりがガラッと変わるんです。特に最近はレシピに魔素を配合してレシピを開発するのにハマってるんですけど、これもまた多すぎると分離しちゃったりで難しいけど錬金術っぽくて、すっごく面白いですよね!あと美味しい!だから、えっと……」



 語りながらふと気付く。

 いつの間にかリアンセルは目を閉じ、何か深く思索している様子だった。



(あれ、聞いてなかった?もう一度話すべき?)



 不安になってもう一度目を向けると、リアンセルは今度は耳をぴん、と立てた。


 興味があるときの反応だ。


「つまり材料が同じでも作り方次第で別のものができる。」


「はい! そうなんです!」


 瞬間、リアンセルの瞳の奥に光が差したように見えた。


 それはいつもの、どこか朧げで掴めない光ではない。

 もっとはっきりとした、探求者の鋭い輝き。


(あ、これは何かのスイッチが入ったな)



 案の定、リアンセルは無言で立ち上がった。

 すぅっと影のように調合室を出て行ってしまう。



「えっ、リアンセル神官長さま!?まだ説明終わってな、あっ試食も……!」


 返事はない。

 足音すらしない。

 風のようにいなくなる。

 いつもの神出鬼没が今日も発動していた。


「……まあ、いっか」


 ミュリアは苦笑しながら、楽しくなって鼻歌を歌いながら作業を進めた。


 クアトル=カルム。

 材料も作り方もシンプルで作りやすくってとっても好き。やっぱりお菓子って幸せな気持ちになる。

 これならデザートの文化に馴染みがなくても入りやすい家庭的なケーキだと思う。地域によって独自の遜色も出せるし今回はフェルナナッツと蜂蜜、発酵バターを使ったしっとり贅沢なケーキになる。


 焼き上がった黄金色の生地。

 バターが呼吸するように表面に艶を浮かべ、香りが部屋いっぱいに広がった。

 この瞬間がたまらなく好きだ。


 ただ流石に献上品としては少しばかりシンプルすぎるかも。

 西の街の復興を祈念してるんだし、グラスアローを掛けてタイムを飾ろう。タイムは昔から防腐や清浄の目的で使われてきた長い歴史があるハーブだし。



「……よーし。フェルナ伯爵にも気に入ってもらえますように」


 温かいクアトル=カルムの粗熱がしっかり取れてグラスアローも固まったら、乾燥しないように早めに薬草封で包んだ。焼き菓子の香りがふっと閉じこもる。

 仕上げに夜中にせっせとレース編みのリボンでラッピングして完成だ。


 おいしそう。


 もう一本一緒に焼いたやつがある。

 何日か寝かせた方が美味しいので寝かせておき、セオドールと食べようと思っていたが、



 ちらりとキッチンの扉を見ると、神出鬼没の神官長ではない新しいお客様 がいた。



「ふふ、みんなでおやつ食べよっか」



 隠れていた聖庇舎の子どもたちが、ぱぁっと雪崩れるように飛び出してきた。

 私はいっぱい笑った。


 ーーこの時の私は、まだ知らない。



 今日ついでのように落とした製法の違いという知識が、リアンセルの研究、そして神殿の錬金術史を揺るがす大発見へと繋がることを。


 それが翌月――

「粉霊抱合法応用した新型ハイポーション製造法」と題されて大神殿の大講堂で発表されることなど、今のミュリアは夢にも思わなかった。



誤字脱字多くて申し訳ないです…!報告ありがとうございます!


ちっちゃな短編「第七階位聖女、日本国の女子大生に転生いたしました。」を執筆投稿しました!そちらもお時間あったら読んでくだされば幸いです。

ミュリアともども引き続きよろしくお願いします!

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