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薬草村から世界へ:お母さん、私、錬金術師になります!  作者: 鹿ノ内


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episode43 ディヴァイン・スパイン

「もちろん、私に出来る範囲ならいくらでもお手伝いさせてください」


 そう答えた瞬間、セオドールの肩がふっと軽くなったように見えた。


「……ああ、よかった!いや、ほんと助かるよ、こればっかりはね、」


 胸を撫でおろしながら、普段の余裕たっぷりの商人らしさよりもどこか少年めいた顔で笑ってみせる。


 ミュリアは少しだけ頬をゆるめた。

 この人は本当にお金だけじゃない、誰かとの信頼や機会を大事にする人なんだと知っていたから。


 応接室のテーブルには、立ちのぼる紅茶の香り。めぐり樽商会の一階は木箱と瓶詰の匂いが混じっているのに、応接間だけは不思議と静かで落ち着いた甘さが漂う。


(貴族仕様のお菓子かあ。どうしようかな)


 ミュリアが考え込む前に、セオドールが資料の束を差し出してくる。


「これがフェルナ丘陵州・フェルナ伯爵からの正式な文書だよ。あの被災に伯爵本人が大層心を痛めてらっしゃって、何度も港に通っていたらしいんだ。おそらくそこでブレッシェルを見つけたのだろうね。それで西方の復興祈願を兼ねた祝宴に相応しい菓子をって依頼が来ててね」


「祝宴ですか?」


「うん。西の街の被害が落ち着き始めたからその慰労と、復興だね。もう大丈夫なので安心して取引を再開しましょう、よければ一度来てください、っていう合図かな。そこであの黄金色のお菓子を正式に扱いたいと、」


(……ブレッシェルがそんなところに)


 胸の奥がじんわり熱くなる。

 ソラーナの立ち昇るような笑顔と、普段はその笑顔から想像できないような憂いと小さな水滴を浮かべた瞳を思い浮かべた。


 しかしやる気と同時に不安も胸をよぎる。


(貴族の口に合うもの、かあ)


 彼らは決して安いものやありきたりのものは求めていないだろう。

 形も、香りも、口溶けも、全てが格式になる。


 失敗したら――めぐり樽商会に迷惑をかける。


(でも、やりたい。やるなら全力で)


 ミュリアは小さく拳を握った。


 ⸻


 セオドールはミュリアを見つめたまま、静かに言葉を重ねる。


「もちろん、正式な取引は商会として僕が全部窓口になるから安心して。財産権やレシピの扱いも、君に不利にならないよう契約書にする」


「そんなところまで、」


「当たり前だよ。それに、ミュリアちゃん。僕は前から知っていたよ。君の作ったものには人を救う力がある」


 一瞬、ミュリアは目を見開いた。


「今回も必ずそうなると、僕の長年の商人としての脳がそう言ってるね。西の街の人から来た手紙もね、一度じゃない、何通も来てるんだ。

 あのお菓子は希望だと、また海に出ようと、必ずしも取り戻したい景色を思い浮かべたと、…そうして亡くなった家族も報われるだろうとね」


 ミュリアの胸がぎゅっと締めつけられた。


(……そんな、そんなふうに……)


 前世では、誰が自分の作ったお菓子を食べてくれたかなんて、わからなかった。

 ただ、怒られないように、失敗しないように、必死で、自分のために作っていただけだったように思う。


 でも今――


(誰かの 心に届いている)


 視界が少しにじんだ。

 こぼれそうになる涙を誤魔化すように、ミュリアはふっと息を吸う。


「やります。やらせてください。

 私にできる、いちばん良いものを作りたいです」


「ありがとう。本当にありがとう、ミュリアちゃん」


 セオドールが深く頭を下げる。


 商人が、ひとりの少女に頭を下げる――

 その光景に、ミュリアは背筋が伸びるのを感じた。


(責任がある。でも、今は怖くない。着実に前に進める気がする)


「じゃあ、まずは試作だね。必要な材料は全部リストにして送ってもらって構わないよ。商会で用意する」


「はいっ!」


 ミュリアは勢いよく頷いた。

 その顔は、どこか昔の職場で――

 夜明け前の厨房で、初めて任された賄いに向き合っていた、あの頃の自分と重なっていた。


「ひと月後にはここを立つから、それまでになんとかよろしく頼むよ。僕に出来ることはなんでもするからね」


 ぱちりとウインクされ、キザなお兄ちゃんにちょっぴり緊張は解けて笑みが溢れた。



 ◇ ◇ ◇



 王都の昼はほとんど雲をかまわずに光を落とす。神殿の影よりも淡く、都市の熱よりは静かに、まっすぐに延びた日の線が石畳へ落ちていた。


 その光の中を一人で歩く感覚には、ミュリアは少しだけ胸を躍らせてしまう。


 何か参考になる文献を探しに、めぐり樽商会を後にして図書館へ来ていた。


 図書館の外観はいつ見ても息を呑む。


 淡灰色のライムストーンで積まれた曲面の壁面は、朝露を吸った布のような柔らかな艶を帯び、その奥底に、石なのにどこか温度のような気配を秘めている。


 巨大なアーチ門。葉脈のように石の蔦が這い、十二の華が咲いている。学問を庇護する十二院の象徴。


 門に触れるとまるで文の綴じ目が開くように静かに割れ、揺れもなく内部へと導いてくれた。


(やっぱりここ好きだな。どこか、ヨーロッパを思わせる佇まいが胸を震わせる)


 神殿が心を伏せさせる静謐なら、

 図書館は目を上げさせる静謐。

 その違いが肌に伝わる。


 黒大理石の床に象嵌された星図がやわらかく光を反射し、本の森の匂いが鼻の奥で静かに揺れた。


 カウンター。

 淡青の衣を纏った司書が顔を上げる。


 黒髪は後ろでぴたりと束ねられ、表情は無色だが、冷たさはなく、役目を全うする者特有の静かな誠実さ。


「閲覧をご希望ですか」


「はい。あの、この国の地理の資料を見たいのですが地図の取り扱いやそれに準ずる文献はありますか?」


 受付の司書が、いつものように尋ねてくれる。落ち着いた灰色の瞳、指先まで丁寧に揃った動き。


 その中にある慣れ親しんだ人に向ける視線は、ミュリアを読書に熱心な若い神徒候補として温かく見てくれているような気がする。


 質問に司書はその端正な顔をほんの一瞬だけ少し困った顔に寄せた。

 そして首を振る。


「地図の閲覧は身分証明書をお持ちの方のみ許可されております」


 淡々とした声。それは規定の説明そのものなのだろう。


「あ……そうなんですね」


 ミュリアの肩が小さく落ちた。

 司書は一拍だけまばたきをし、それから続けた。


「ただし、概略の説明なら私が可能です。休憩時間まで、あと五十八分。その間でよろしければ」


「……!! はいっ、ぜひ、お願いします!」


 思わず前のめりになってしまったミュリアに、司書は特に微笑むこともなく淡々とうなずいた。


「では、あちらの閲覧席で少々お待ちいただければと思います。」


 そうしてミュリアは閲覧席の奥の窓際の席へ向かった。慣れたように分厚い錬金座学書を広げ、ペンを走らせるこたにした。


(調合反応の安定係数……ん?やっぱり魔素量の計算方法が村とは違う……)



 小さな眉間にしわが寄る。

 だが、書き進める手は止まらない。


 しばらくすると、遠くで「コトン」と木箱を閉める音がして、司書が近づいてきた。


「お待たせしました。では、少し場所を移りましょうか」



 案内された机は本棚から少し離れた誰もいない窓際。光が控えめに差し込み、紙の白さがやわらかく透けて見える場所だった。


 司書は小さなメモ紙を取り、淡い墨でさらさらと楕円を描く。

 右上から左下へ伸びる縦長の半島の形。


「この国の名称はご存知ですか?」


「ディヴァイン・スパインと、」


「正解です。神の背骨という俗称もありますね。語源はその形状から来ているそうですが。北東から南西へ向かう細長い国土で骨格に似ている、と言われます。古い記録ではこの地形を神が歩いた痕跡と記す文献もあります」


 司書の筆が楕円上の一点を軽く叩く。


「簡略化されていますが、大体このような形でしょう。そしてまずは中枢。ここがセントラル・コルドン州。王都が位置して、現在、あなたが滞在している場所です」


「はい」


「では、あなたはどちらの州から来られましたか?」


「北東の方ですが名前までは、」


 どこどこの村を経由して3日ほどでここまで、と伝えると司書はうなずき、楕円の右上端に小さな印を付ける。


「フロストリーフ州ですね。寒冷地帯。冬が長くて独自の文化が発達しています。保存食、根菜、乾燥薬草の産地でもあります。その薬草の種類も中央とは大きく違い、寒冷に強い薬草は希少性が高く、高値で取引されることもあります。神殿への薬草供給率が比較的高いですね」



 ミュリアはこくこくとうなずく。


(やっぱり私の村って薬草の供給量が多かったんだ)


 さらさらと司書は山の位置、川の流れ、主要街道の簡易図を描き込んでいく。地図は見られないはずなのに、紙の上にミニチュアの国が生まれていくようだった。


「次に——今回あなたが調べたいのはフェルナ丘陵州、でしたか」


「はい、特産品とか歴史や文化が知れたらと思って」


 司書は楕円の左上あたりを指した。


「フェルナ丘陵州は北西から西に伸びたここの辺りです。同じ北部として括られていますが、フロストリーフより穏やかな寒さで冬は短いです。特に下の方はその特徴が顕著ですね」


 指の先が、すっと丘陵の線を描く。


「起伏のゆるい丘と林地。狩猟文化がやや強く、主な産物はライ麦、小麦、木の実、蜂蜜、鹿乳を使った乳製品、ほか、山葡萄の栽培も一部で行われています」


(蜂蜜……山葡萄……!うわあ!)


 司書は淡々と続ける。


 司書は淡々と、しかし途切れない調子で説明を続ける。


「……そして、フェルナ丘陵州は広い丘陵と小麦の生産が中心の州ではありますが、もう一つ特徴があります」


 司書の手が紙に記した州の位置へ静かに触れた。


「フェルナ伯爵家は、ディヴァイン・スパイン建国以前から古家こけとして知られている名門です。初代王に仕えた従士の末裔で、代々、王都へ優秀な官僚と裁定官を数多く送り出してきました。州そのものより、その家柄の方が歴史上ではよく語られますね」


(へえ……そんなすごい家の伯爵さまなんだ)


「特に内政に関する功績が多く、王都の行政制度のいくつかはフェルナ家の歴代当主が整えたと記録にあります。丘陵に黄金を育てる家と呼ばれ、安定した財政管理能力を高く評価されていますよ」


 司書の声は抑制されているのに、どこか重みがあった。


「ゆえに、フェルナ家が扱うものは格式を損なわないことが尊重されます。地方の領主でありながら、王都と同等の礼式が用いられることも珍しくありません」


(……つまり。

 わたしが作るものが、フェルナ伯爵家の歴史にも並ぶんだ)


 胸の奥で、小さな熱がぶわっと灯った。


 ――軽んじてはいけない。

 けれど、怖がる必要もない。


 ミュリアはぎゅっと手を握って、司書の次の言葉を待った。


「次に中央東のミリス湖水州。大湖を有し、淡水魚、湖塩、白藻糖が特産です」


(白藻糖……スッキリした甘さのお砂糖か……)


「中南部のディアスポラ峻嶺州は鉱山地帯。南東のイスト・ドライブ海岸州は暖流の影響を受け、柑橘類、貝類、香辛料が手に入る港湾地域」


「へええ……」


「南西のセレスト蒼風州は草原地帯で、風車小麦やハーブが有名。最南部トルメーア深樹州は古代樹の森が広がり、精霊信仰が非常に強い。香木の産地でもあります」



 フェルナ丘陵州——

 小麦、蜂蜜、木の実、山葡萄。

 素朴で力強い、北西らしい味覚。

 格式があって、伝統がある。


 ミュリアの頭の中で、情報と材料の匂いが組み合わさっていく。


 豊かな蜂蜜の甘さを土台にして

 山葡萄の渋みをアクセントに

 ナッツの香ばしさを出すために軽く砕いて

 生地はライ麦と小麦をブレンドして重みを出したりして、


(あ、いける)


 ミュリアは無意識に机の上の紙を握っていた。


 ミュリアが思考の海に溺れかけていたところで司書が静かに問う。


「質問はありますか」


「……あ、はい! あの、フェルナ丘陵州ってお茶文化とかありますか?どんな飲み物が好まれるとか」


「当地の飲料は木の実茶が主流ですかね。ローストしたフェルナナッツと草原茶葉の混合。渋みが弱く、香りが立ちやすい」


(じゃあ、香りの強い菓子より、コクのある穏やかな甘さの方が合うかも)


 胸の奥の熱がゆっくりと上がる。ミュリアは司書に深く頭を下げた。


「本当に…ありがとうございました!すごく…すごく参考になりました!」


 司書は淡々とうなずく。


「それは何より。質問がなければ説明は以上です。あなたの努力に、知識が役立つのなら幸いです。ただし——」



「州の文化は時代によって変わります。過度な一般化は避けてください」


「は、はい!」


「最後に一つだけ。神殿の方」


「はい?」


「あなたが知り学び得るべきなのは地の情報だけではありません」


 真っ直ぐに見つめられて、息が詰まる。司書はかすかに目を細めた。


「人です。…その二つは地図よりも、本と人から学ぶ方が早いでしょう。港町の記録、交易商の手記、郷土文化。棚番号はこちらに記しておきます」


 紙片が一枚、差し出される。そこには、きっちりとした字で書架番号がいくつも並んでいた。


「本日はこれで。引き続き良い学びを」


 司書は無駄なく礼をして、静かに去っていった。


 残された紙と簡易地図を前に、わたしは胸の中で何度も繰り返す。


 図書館を出る頃には、もう“レシピの骨格”が頭の中にあった


 外へ出ると、王都の光がまぶしかった。


(蜂蜜……山葡萄……フェルナナッツ……

 木の実茶に合うなら……焼き上がりはしっとり系で……

 あ、でも保存と運搬を考えると……)


 思考が止まらない。


 ミュリアは胸の前でぎゅっと拳を握った。


(絶対、成功させる……!フェルナ伯爵にも喜んでもらえるように、セオさんにも、そして、私自身にも)


 その足取りは、まるで王都の大気を蹴って前へ進むように力強かった。

リアクション、評価、いつもありがとうございます!!おかげさまで75 位 [日間]ローファンタジー〔ファンタジー〕にランクインしてました!!

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