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薬草村から世界へ:お母さん、私、錬金術師になります!  作者: 鹿ノ内


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episode38 エルモアの忠告

 


 エルモアは薬草封の束を光に透かしながら、ひとしきり目を細めて感心していた。

 けれどふいに、そのまつげの影が落ちて、表情がほんの少しだけ真剣になる。


「……そうだ、ミュリア。この際だから、一つだけ覚えておいてほしいことがあるんだけどね」


「はい、なんでしょうか?」


 返事をした瞬間、空気がすっと引き締まった。

 いつものふわふわとした雰囲気のエルモアとは違う声音。


「情報や知識はね――生命に等しいんだ」


「……?」


 ミュリアは瞬きをする。

 意味はわかるようで、わからない。ただ胸の奥がざわつく。

 エルモアは穏やかに微笑んだまま、説明を続けた。


「灯果の蝋燭の作り方、すんなり僕に教えてくれたよね?今回も薬草封について、こんなに丁寧にまとめている。……そこがミュリアの良いところであり、危ういところなんだよ」


「……危ういところですか?」


「うん。厳しいことを言うかもしれないけど、人生の先輩……と言ったら烏滸がましいか。まあ、他人の戯言だと思っていいから、聞いてね」


 エルモアは薬草封をそっと机に置いてきっちりと私に向き合って言葉を綴ってくれた。


「ミュリアは灯果の蝋燭が何に使われているかをちゃんと理解していないね?例えばどんな需要があって、どれほど希少で、どのくらい価値があるのか――そこを全く分かっていない」


 ミュリアの身体がびくりと揺れた。


「灯果はね、生息地が極めて特定しにくい。採取方法も厳密で、解明されていない部分も多い。それなのに神殿の儀式には欠かせないものなんだ。

 火が出ない蝋だから、豊穣祈願の場や木造家屋では重宝されるし……けど希少で高価だから一般にはほとんど出回らない。ほとんど全部、神殿で消費されている」


 言葉は淡々としているのにその奥に大きな重みがあった。


「そんな灯果の蝋燭の作り方をミュリアはああも簡単に僕にくれた。もしこれが、僕じゃなくて――もっと別の大きな思惑を持つ人間だったら?」


 ぽたり。ミュリアの指先から、冷たい汗が一滴落ちた。


「……たとえばね。灯果で生計を立てている人がいたとして、その方法を君が教えたことで彼らの生活が壊れるかもしれない。あるいは、大神殿に敵対的な組織が使えば、灯果の供給を止めて祈祷そのものを乱せる」


 ミュリアは息を呑んだ。頬の血の気が、するすると引いていくのが自分でも分かった。


「僕みたいに、神殿に所属しているからまだ良かったんだよ。でも、もし――僕じゃない人だったら?」


「……っ」


「何がよくなかったか、もう分かるね?」


 ミュリアは唇を震わせ、かすれた声を絞り出した。


「で、でも……エルモア様は……そんな、悪用なんて……しないです、よね……?」


 純粋すぎる問い。

 エルモアはそのひたむきな視線に、思わず弱く笑った。


「……しないよ。もちろん。でもね、ミュリア。しない人かどうかなんて、会ったばかりでどう分かるの?」


 優しい声のまま、その言葉だけが鋭く胸に刺さった。


「情報はね、人を助けもするし――人を殺しもする。だからこそ大事に扱わなきゃいけないんだよ」


 ミュリアはぐっと唇を噛んだ。

 自分がどれほど無防備だったか、その愚かさが胸の奥にじわじわと広がっていく。


 そんなミュリアの肩が小さく震えるのを見て、エルモアはそっと表情を緩めた。


「叱りつけたいわけじゃないよ。

 ただ、ミュリアのやさしさがいつか君を傷つけないように、そう願ってるだけ」


 その声音はひどくやわらかかった。


「改めて僕は神の名の下に、君の大事なレシピを悪用することはないと誓うよ」


 エルモアは柔らかく微笑んでいた。

 けれど、その優しい声には揺るぎない芯があった。


「でもねミュリア。

 こうやって簡単に人を信用するのは良くないことも……分かるね?」


「……っ」


 ミュリアの胸がぎゅうと痛んだ。


「この薬草封のレシピもそう。とてもよく考えられているし、その薬草を扱えるのは君の勤勉さの証だよ。だけど、その功績は代々それを受け継いできた君の家系のものだ」


 エルモアは視線を落とし、ほんの一瞬だけ眉を寄せた。


「君はあの子たちのためを思ってるのは分かってる。

 でも、その使い方は――間違っているよ。もう少し慎重になろうね。今回のことも、全部そう」


 ミュリアの喉が、ごくりと鳴った。


「ミュリアは来てまだ日が浅いし、周りも声を大にして言えないことが多い。でもね、人はよく言うね。“政治と宗教とジョストの話は人とするな”って」


「ジョスト……?」


「騎士の一騎討ちの競技だよ。賭け事でもあるね。まあ要するに火種になる話題は口にすべきじゃないってこと」


 小さく肩をすくめ、エルモアは続ける。


「大神殿は大まかに三つの派閥に分かれている。古きを守り、変化を拒む保守派。中立で流れを作らない穏健派。伝統を守りつつ新しい文化も取り入れる調和派。この三つの力で、ずっと均衡を保っていたんだ」


「……」


「そこに突然現れたのが、ミュリア。何も知らず、誰にも属さず、ただ真っ直ぐに動いて、結果を出していく……何も知らない人から見たら、ひとりでその均衡を乱しているように見えるだろうね」


 ミュリアの背筋が凍った。

 自分がそんなつもりで動いたわけじゃないのに――

 どんなつもりかなんて、誰にも伝わらない。


「それは保守派だけじゃない。穏健派の人たちだって、気にしてるよ」


「……私、そんな……」


「大事なのは、ミュリアだけの気持ちじゃない。君の一歩が誰かの世界を揺らすんだよ」


 エルモアはあくまで優しかった。

 けれど、その優しさは甘やかしではない。

 子どもを守るための、やわらかな釘。


「今回の件は、聖庇舎の子たちが関わるから僕もサポートするよ。でもね――」


 そこだけは少しだけ声が低くなる。


「よく考えて動くこと。これはミュリア自身のために必要なんだ」


 その言葉にミュリアは雷に撃たれたような衝撃を受けた。


 ――自分はずっと、自分の幸せを諦めないために頑張っていた。

 だから周りの人も幸せにしたかった。

 その方が自分も気持ちよかったから。


 でも、それは。


(……結局、自己中心的だったんだ)


 胸の奥に、ひどく苦いものが広がった。


 添削してもらった書類を抱え、空になったハーブティーのポットを盆に載せ、ミュリアは深く頭を下げて部屋を出た。


 扉を閉めた瞬間、足元がふらついた。


(……私、何も分かってなかったんだ)


 呆然としたまま廊下を歩いていたら、自然と聖庇舎の方へ足が向いていた。

 



「あれ? ミュリアねーちゃん?」

「あ! ミュリだ!」「ミュリ!」


 子どもたちの声が飛んできて、駆け足で寄ってきた子に服の裾が引っ張られる。


「わ、わっ、引っ張ったら危ないよ〜……!」


 ミュリアはようやくはっと我に返る。


 子どもたちは相変わらずボロボロの服、やつれた頬、栄養不足の肌。


 でも笑ってる。今日も。


(ああ……)



 なんで、私はこの子たちから目を逸らそうとしていたんだろう。



「今日は大掃除だよ!」

「もうすぐ夏休みに入るからね!」


「そっか!お姉ちゃんも手伝うよ」


「ほんと!?」「ミュリいつもありがと!」



 そう言ってくれる声が、胸の痛いところに優しく触れる。


 聖庇舎の下働きの少女――シアが近寄り、ぺこりと頭を下げる。


「ミュリアさん、お休みなんですか?」


「お疲れ様です。そうです。シア、これから何をするところでした?手伝いますよ」


「じゃあ、すみませんが小さい子たちを連れて供花を採って来てもらってもいいですか?掃除に飽きてきちゃって……ふふ」


「もちろん。じゃあ行こうね」


 ミュリアが子どもたちを連れて花のある中庭へ向かうと、一番小さな女の子が、花を摘みながら唐突に聞いた。


「…ミュリアおねえちゃんはどうしてこんなによくしてくれるの?」


 どきりとして、立ち止まる。



 最初は――ただ、昔の自分を見たから。

 誰にも気づかれず、誰にも頼れず、公園でひとりブランコを漕いでいたあの頃の自分。


(それって……やっぱり、“自己中心的”だったの?)



 答えられずにいると、子どもたちが笑いながら口々に言う。


「ミュリアが来てくれてね、甘いもの食べたら心がぽかぽかするの!」


「お勉強もがんばろーってなる!」


「今日も頑張ったらご褒美あるかな?」


「食べすぎたらシアに怒られるよ」


「シア怒ったらちょーこえー!」


 くすくすと笑う声。

 きゃっきゃとじゃれあってはしゃぐ声。

 最初に見た、あの静かで、押しつぶされたような子たちとは別人みたいだ。


 ミュリアはそこで気づいた。


(……私がしたことは、そんなに大したことじゃないよ、)


(でもこの子たちにとっては――心がぽかぽかすること、だった)


 無意識に作っていた花冠を少女にかぶせると、

 その子はぱっと顔を輝かせた。


「わあ! お姫さまみたい!」


「かわいい!」「あたしにもつくって!」


 そのはしゃぎ声が胸に沁みて、ミュリアはそっと目を伏せた。


 あの時の私を救いたかった。


 孤独だった前世の私を。


 その気持ちは確かに自分のことしか考えられてなかったかもしれない。


 でも今は、それだけじゃない。

 この子たちを掬い上げ、

 この子たちがまた違う誰かを救える未来をつくりたい


 そしてこの状況を見て、素通りして生きるなんてお母さんに顔向けできない

 胸を張って、あの村に帰ることが出来なくなる。



 私は、私はもう……自分を恥じて生きるのはやめたんだ。


 花冠を手渡しながら、ミュリアは静かに息を吸った。


 失敗してもいい。叱られても、怒られても、笑われても、

 それでも――私は絶対に、諦めない。


 子どもたちの笑顔の中で、その誓いは金色に輝いた。


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