episode37 もったいない
休みの日の朝。
祈祷の鐘が鳴らない静かな朝は、まだ少し落ち着かない。
ミュリアは、枕元の小さな包みをそっと開いた。
布にくるまれているのは、小さな革装のノート。何度も何度も読み返して端が柔らかくなった調合帳――ミリアから託された、文字だらけのちいさな宝箱。
お母さん、ちょっと力を貸してね。
「……さてと。今日はもったいないの見直しデーだね」
自分にそう言い聞かせ、ミュリアは机の上にそれを置いた。
ぱら、ぱら、とページをめくるたび、村の薬草棚の手触り、優しい母の横顔、木と草と土の豊かな香りがよみがえる。
干し薬草の保存法。根菜を長持ちさせる温度管理。灯果の光を弱めない薬草の……、一つひとつ指でなぞりながらミュリアは行間まで覗きこむ。
「あ……」
途中で指先が止まった。
細い文字で、他の項目にはない、ちょっとだけ丸みのある字で書き込まれた一行。
あった。
──《薬草封》
植物紙ベース/封草粉末/余剰薬草粉/浄滴少量
その横には、小さな花丸印ある。母が「うまくいったよ」の印としてよく付けていたマークだ。
「薬草封……」
声に出してみると、頭の端っこで小さく灯がともった気がした。
解説文に分かりやすい断片的なメモがところどころに散っている。
──灯果の包みに◎
──香の逃げを抑える効果あり
──祈りが残る紙
(あの時のやつも……)
村で灯果の蝋燭を包んでいたあの紙だ。
ただの植物紙で、既製品だと思っていたけれど、本当は母が薬草を混ぜ込んで作っていたのだと今さら気づく。
ミュリアはそっと息をついた。
捨てられるものを生かす、母がずっとやってきたやり方。その延長線なら、その背中を見て来た自分にもできるかもしれない。
「……やってみよう。薬草封」
育生院に申請して、今日の午前中、ひと部屋だけ調合室を借りることができていた。エルモア様が気を利かせてくれていたのだろうか。
窓の高い小部屋。石の調合台に秤と乳鉢が並んでいる。
ミュリアは持ってきた紙屑の束と、薬草棚の一角から許可を得て分けてもらった行き場のない薬草を並べた。
古い植物紙や書き損じの植物紙、粉末にするしかない細かな薬草の欠片、封草の乾き切った葉、香りの抜けかけた花弁…。
ひとつひとつ指で触れ、香りを確かめる。
封草の葉を潰すと、ほんのりと甘く、きりっとした香りが立ちのぼった。
「まずは粉にしちゃおう」
自前の乳鉢に封草と余った薬草を入れ、ゆっくりと摺りつぶす。
ざらざら、さらさら――音が細かくなっていくたび、香りも変わる。
粉が指先に少しついて、それを親指でこすると、指の熱でふわりと香りがひろがった。
次に古い植物紙の切れ端を水に浸す。
木の棒でゆっくりと崩してゆくと、繊維がほぐれ、白く濁った“紙の粥”のようになった。
「ここにさっきの薬草粉を……」
粉をひとさじ。
思い切って、もうひとさじ。
そのままではただの色つきのどろどろなので、ミュリアはメモ帳を見なおした。
──浄滴 一滴ずつ様子を見ること
祈祷を浴びて祈りの籠った浄滴を、小瓶から慎重に垂らす。
一滴、二滴、三滴。
そのたびに、どろりとしていた表面がなめらかに、ふっと光の筋が混ざる。
「……わぁ」
紙層の中で浄滴が通った跡がうっすらと青みを帯びてきらりと揺れた。
それを見ていると、なぜだか胸の奥まで冷たい水で洗われるような感覚がする。祈祷って本当に不思議な感覚になるんだ。
「よし、一枚目」
木枠に細布を張った即席の漉き枠に紙の粥をゆっくり流し込む。
両手で支えながら余分な水を落とし、布ごとそっと台に置いた。
――一枚目は、乾くと端が割れてしまった。
厚みが不均一で、角がぱきぱきと欠けてしまう。
「……慣れないと難しいかも」
二枚目は逆に、水を控えすぎて硬く、ごわごわした紙になった。折ると筋からぱきっと割れる。
「うー……これじゃ包み紙というより板だよ……」
三度目。
ミュリアは乳鉢の粉の量を少し減らし、浄滴も一滴だけにしてみた。
紙層を薄く均すときも、力を抜いて、指先で軽くさするだけにする。
半日がかりで、調合台の端に三列目の紙が並ぶ。
乾燥棚に移し、風通しのよいところで待つあいだ、ミュリアは窓の外の光を何度も見上げた。
「……そろそろ、かな」
三枚目の紙をそっと剥がす。
薄い生成り色。
ところどころに、細かな緑と灰茶の点が、夜空の星みたいに散っている。
表面には草の繊維の細い筋が走り、そのすき間を満たすように浄滴の通り道がうっすらと透けていた。
光にかざすと、その通り道だけが細く淡く輝く。まるで誰かが、紙の内側に細い結界線を描いたようだ。
「きれい……」
指で端をつまむと、ふわりとしなやかに揺れる。
ぺりぺりとした安い紙の音ではなく、さらっ、と柔らかく擦れ合う音。
折り曲げても、折り目に白いひびが入らない。ゆるく丸めて戻すと、紙は覚えていた形からするんと抜けて、また平らに戻った。
試しに小さな乾燥薬草をひと房包んでみる。
包み終えた薬草封を手のひらで温めるように包み込むと、さっきまで部屋に漂っていた草の匂いがふっと静かになる。
「……香りがちゃんと閉じ込められてる」
包みをそっと指先で撫でると、撫でたところから少しずつ香りがほどけてくる。
撫でたぶんだけ外に出てくるような、不思議な感覚だった。
紙を一枚、耳のそばで軽くしならせる。
空気を切る音もどこかしっとりと丸い。
──灯果の包みに◎
──香の逃げを抑える
──祈りが残る紙
メモ帳の文字が、今度はすとんと胸に落ちた。
「お母さん、薬師さんって本当にすごいね、」
ミュリアは完成した薬草封を数枚重ね、小さな束にした。
束を紐でまとめて、横に書類を並べる。
乾かしている間に作った書類だ。材料の原価、作業にかかる時間、どれくらいの量が作れるか。
聖庇舎の子どもたちと分け合える仕事になるかどうか――そのための計算も情報も出来る限り書き込んである。
「よし」
深く息を吸い込んでからミュリアは立ち上がった。
「見てもらおう。まずはエルモア様に」
調合室の戸口で一度だけ振り返る。
乾きかけの紙たちが棚の上で小さな旗の列みたいに揺れていた。
それは、これから始める小さな試みの旗印のように見えた。
ミュリアは薬草封と書類の束を抱え、育生院の奥へ向かって歩き出した。
乾いた紙を持ち上げると、ほんのり薬草の香りがする。繊維も強い。よし、と息を整え、試作品と書類一式を抱えて育生院へ向かった。
⸻
育生院の奥にある執務室をノックし、許可を得てから中に入ると、聞いた通りそこにはエルモアがいた。光を受けてふわふわと揺れる浅葱色の髪を視界に捉えていた。
ミュリアはそっと声をかける。
「エルモア様……急ですみません、今から少しお時間をいただけますか?」
エルモアは顔を上げ、ふわりと目を細める。
「いいよ、どうしたの?」
ミュリアは緊張しつつ、試作した薬草封と書類一式を差し出した。
「調合室をお借りしてこれを試作しました。薬草封というもので、材料の原価や、一枚あたりの作成時間、用途案などもまとめています。それで、その制作を聖庇舎の子たちに作業をお願いできないかと思っていて、」
「ほう……?」
エルモアは紙を一枚つまみ、光に透かした。
次の瞬間、柔らかな瞳が驚きに少しだけ見開かれる。
「……魔素が、入っている。こんなに均等に、?こんな紙見たことないな……」
興奮し始めたエルモアは机の端の紙を手に取り、これってあれにも、ああすれば、次々と用途の可能性を挙げていく。
ミュリアは思い付かなかったその代用方法にふんふんと頷きを返す。
そして今更ながら熱中しすぎたことに気付いたようで、苦笑した。
「――あ、ごめん。立ちっぱなしで話し込んじゃった。時間、大丈夫?」
「あっ、えっと……!え、エルモア様こそご予定、差し支えありませんか……?」
ミュリアの社会人ぽい気遣いにエルモアは吹き出す。
「ふふ……ミュリアはおもしろいね。大丈夫だよ。せっかくだし、座ってゆっくり話そう」
机の前に並んで座り、エルモアは書類に目を通し始めた。
数字、資材の手配、作業時間。
一つひとつ丁寧に線を入れて訂正や改善案を書き込んでいく。
「聖庇舎の子たちに作ってもらう件だけど、時間配分は調整が必要だね。この案だと子どもたちの実務訓練と重なるから僕の方で神官長に話してみるよ」
「!よろしくお願いいたします……!」
「それと、ラシェル様への申請書。この部分、もっと具体的に書いたほうが通りやすいと思う。資金の流れも整理し直そうか」
エルモアはとても丁寧で、あたたかい。
その横顔を見ながら、ミュリアは胸がほぐれるのを感じた。
「エルモア様、お時間まだ大丈夫でしたらお茶を淹れてきます…!」
「うん、お願い。ちょっと喉乾いちゃったね」
ミュリアはその返事を聞くや否や待っていましたとばかりに育生院を飛び出し、風の回廊を駆け抜ける。
厨房に滑り込むと、ソラーナが驚いた顔で振り返った。
「おわっ、どうしたの? そんな息上げて」
「エルモア様に、お茶を……!すぐ戻りますので……!」
「はいはい、慌てなさんな。じゃあ今日は《青風草》と《光香葉》と、《雷の実皮》ちょっとね。爽やかで頭が冴えるやつ」
ソラーナが豪快に笑いながら手際よく束ねたハーブを渡してくれた。
ミュリアは礼を言い、薬草封に包んでおいたマドレーヌもそっと小皿にのせ――再び廊下へ向かった。
そこに立つ立ち番たちが、ひそひそと声を潜めた。
その様子に一瞬、胸がきゅっと縮まる。
(……でも)
ミュリアはそっと息を吸った。
今日のエルモアとの会話、ソラーナの笑顔、昨日もらった母の手紙。
全部が背中を押してくれた。
だから――
「、お疲れ様です!」
顔を上げ、しっかり声を出し、会釈をしてから、叱られない程度の速足で育生院へ戻った。
背後で立ち番たちがぽかんとするのが分かる。それでもミュリアは歩く速度を緩めなかった。
(大丈夫。ちゃんとやる。やりたいことも、仕事も――全部)
ハーブティーがほんのり香る。
その湯気が、ミュリアの胸の奥まで温かくしていった。
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