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薬草村から世界へ:お母さん、私、錬金術師になります!  作者: 鹿ノ内


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episode28 普遍的な日常



 結界の騒ぎが収まってから、大神殿にはようやく静けさが戻りつつあった。

 祈祷の鐘の響きも、以前より澄んで聞こえる。

 あの慌ただしさが嘘のように、今はただすこし空気が柔らかい。


 ミュリアは再び育生院への派遣を度々命じられていた。理由は明快だった――薬草学に明るく、丁寧な手を持つこと。

 そしてなにより、焦らず確かに成果を出す姿が院の人々の信頼を得つつあった。


 薬草園では、陽光が雫のようにこぼれていた。

 香草の葉が風に揺れ、空気の中にほんのりと甘い香りが漂う。

 指先で葉を撫でると、わずかに冷たく、生命の鼓動を感じた。村で慣れ親しんだ感覚だった。胸が安らぐ。


 エルモアは相変わらず明るい笑顔で迎えてくれた。

「やあ、ミュリア。今日もお願いできるかな?」

 いつもの書板をくるりと回し、軽い調子で言う。ミュリアが頷くと、彼はいたずらっぽく目を細めた。


 薬草園の陽光の中、エルモアが問い掛ける。


「最近、灯果は研究段階の果実だから扱いには困ってて、ミュリアが来てくれて助かってるよ。向こうでも良く使用していたの?」


 ミュリアは少し迷ってから、胸に手を当てた。

「……実は、村では灯果の蝋燭を作っていたんです。元々家でずっと受け継がれてきたもので、」


 エルモアは目を丸くした。

「灯果の蝋燭を? 最近出回っていなくて、どうしたものかと思ってきたけれど、そうか、ミュリアのお家で作っていたんだね。あれはどうやって火を定着させるんだい?」


「蜜蝋に油脂を混ぜ、ウィロウの樹皮で抽出した油を足します。火は直接ではなく、香草の煙で目を覚まさせるんです」


 その言葉を聞くうちに、エルモアの表情が変わっていく。驚き、そして感動の色が混じっていた。

「……それを、君が知っているとはね。まるで古い精霊の技法だ」


 ミュリアは恥ずかしそうに微笑んだ。

「母に教わりました。私の家では、灯果を奪わない光と呼んでいたんです。照らすや燃やすとは違って、眠らせるその光の中で祈ると、夜が怖くなくなるんです」


 沈黙が一瞬だけ落ちた。

 風が二人の間を通り抜け、金の草がざわめいた。


「……ミュリア、ひとつ提案がある」

 エルモアは優しく言葉を継ぐ。

「その作り方、私に教えてくれないかな。それを条件に灯果の購入を正式に取り計らおう」


 ミュリアは驚いて目を見開いた。

「で、でも灯果はとても貴重な素材ですよね、?」


「…辺境で代々受け継がれているものの方がとても貴重だよ」


 

「!ありがとうございます。ぜひ、こちらこそお願いしたいくらいです」


 エルモアは嬉しそうに頷いた。

「君の蝋燭ができたら、育生院の祈祷室に一本灯そう。眠る光の中で共に祈ろう」


 ◇ ◇ ◇


 翌日はお休みだったため、ミュリアは久々にセオドールのもとを訪ねた。

 商館の前では、荷馬車が出入りを繰り返している。

 積み下ろしの掛け声が飛び交い、外の世界の匂いがここにはあった。


「おや、これはこれは――今日も働き者だね?」


 セオドールが笑いながら手を振る。

 彼の机の上には紙束と封蝋が並ぶ。結界の綻びの影響か、以前よりも商品が少ないような気がする。


「……あれ?この缶、もう販売はなくなったんですか?」


「ああ、それがね。実はもうこれで最後なんだ」


 セオドールの顔が少しだけ曇る。

「西の外れにある砂糖工房が、魔物の被害を受けたらしい。しばらく製造が止まってしまってね。輸送路も閉じられている」


「魔物……。本当にいるんですね」


 実害に遭ったことはなく、まるで御伽話かのように思っていたミュリアが小さく息を呑むと、彼は苦笑して肩を竦めた。


「いるとも。だけど恐れるよりまず知ることだ。知らないものほど人は怖がる。必要ならば図書館で調べてみるといいよ。魔物の素材も錬金術で活用することがあるみたいだしね」


「!そうしてみます」


 その笑顔に、少しだけ安心する。

 セオドールは飴缶をひとつ差し出した。

「ほら、これ。ひとつだけ取っておいたよ。頑張り屋さんの君へのお土産」


「ありがとうございます!大事に食べますね」


 蓋を開けると、琥珀色の飴がひとつ、光を受けてきらりと揺れた。小さな宝石みたいだ、とミュリアは思った。


 しばらく世間話をしたあと、ミュリアは小さな封筒を三通取り出した。

「これ……お手紙なんです。母と、神父様と、アニーに。もし次に村へ行くときがあったら、渡してもらえますか?」


「もちろんだとも」

 セオドールは封筒を丁寧に受け取った。

「君の字はいいね。まっすぐで、少し強情そうで」


「褒めてるんですか、それ?」


「もちろん。そういう人は、約束を破らない。僕独自の統計だけどね?」


 ふと、言葉の端に温かい響きが宿った。それは信頼の重さのようで、ミュリアは胸がくすぐったくなる。


「来月頃に届けよう。そろそろ旅に出ないとね」


「はい。よろしくお願いします」



 ◇ ◇ ◇


 王立図書館の大扉をくぐると、静寂が身体を包んだ。高い天井から射す光が、古い羊皮紙を淡く照らしている。棚の列は整然と続き、そのひとつひとつが知の森のようだった。


「すみません、魔物図鑑と薬草学の最新巻を探しているんです」


 司書が静かに頷き、長い梯子を引き寄せる。

 革装丁の分厚い本を二冊、慎重に差し出して持ってきて下さった。


 魔物図鑑を開くと、そこには見たことのない生物の絵が並んでいた。

 黒い霧を纏う獣、透き通る翼の蛇、影だけで歩く鳥。

 それらは恐ろしくも美しく、どこか世界の裏側を覗いているようだった。


 ページをめくる指が止まる。

 ――「魔の発生は、地の呼吸と結界の歪みより生ず」とあった。

 ミュリアは、ラシェルの疲れた顔を思い出す。

 神殿が守るということは、こういう脅威と隣り合わせなのだ。


 次に薬草学の本を開く。

 そこには、灯果と似た植物の項があり、採取と保存の条件が細かく記されていた。

 光を扱う植物は、驚かせてはならない――。

 母の言葉が、ページの上に蘇るようだった。


 知ることは、恐れることではない。

 触れるための準備だ。

 ミュリアは静かに本を閉じ、息を整えた。


 外に出ると、空は薄桃色に染まっていた。

 風が頬を撫で、なんだか空の色のような甘い香りが一瞬だけ漂う気がした。

 胸の中で小さな光が瞬く。

 ――この世界で、生きるために。

 そして、前の世界で果たせなかった“何か”を見つけるために。


 ミュリアは王立図書館前の階段を一歩一歩踏み締めて降りながら、心の中で呟いた。


「きっと立派な錬金術師になるから」


 その声は、夕陽の中で淡く溶けていった。



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