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薬草村から世界へ:お母さん、私、錬金術師になります!  作者: 鹿ノ内


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episode27 はじめての調合室

 


 白があった。


 白としか言えない、透明の一歩手前の色。

 腰まで落ちる金糸の髪は、陽の層を幾重にも受け、触れれば音がしそうな細さで波打っている。

 蔓と双葉の刺繍が袖口に連なり、その糸だけが若草の色を含む。

 他はすべて生成の白。布は風に従って揺れるだけで、身体の線を主張しないく、年齢の概念が薄異様に感じる佇まい。

 近づけば温かいのに、遠目には温度を持たない春を待つ雪のよう。


 その人のまわりに、さっき見た金の粉が薄く漂っている。

 陽の反射ではない。影にまで柔らかな光が染みている。息を合わせればこちらの体温まで丸く整えられるような、ゆらぎ。精霊が人の輪郭に寄り添っている。加護、という語が自然と浮かぶ。


 ミュリア、とエルモアが私の背を押すように声を掛けた。

 はっとして膝が自然に折れた。礼の形が先に出る。言葉が後から追いつく。


「育生院の神官長、リアンセル」


 そう言ってその人は僅かに微笑む。

 口は小さくしか動いていないのに声は鮮やかに届く。風鈴をくぐらせたみたいな清冽さがあるのに、底に土の温度が潜んでいる。

 言葉に飾りはないのに、祝詞に似た安心が混じる。



「…理術院見習い、ミュリアと申します。本日はよろしくお願いいたします」



 立ち上がることを許され、顔を上げると目が合った。見られているというより、芽の高さを確かめられている。


 双葉が土から顔を出した瞬間に、指先を土に差し入れて、崩さず支えるようなまなざし。

 試されている感じはない。試金石にされているのではなく、石の硬さより土の柔らかさを見られている感じだ。


 リアンセルは首を縦に振るでもなく、わずかに傾げた。私の後ろを覗き込むようなその仕草がなんとなく人間っぽくなくてそわそわした。


 エルモアが補う。


「昨日は灯果の採取と保存ありがとう、とても助かったよ」


 その後、聞いているか分からないけど、西の方の結界に綻びが見つかっていてね、園の外から来る光が日毎に揺れている。その影響か地脈の歪みが少しずつこちらまで押してきているみたいなんだ、と前置きして、続ける。


 練習用の調合室を使う許可を君の上司から相談されていてね、理術院にも初等の部屋はあるけど、ここの方が機材も新しく、薬草はフレッシュな状態のものが多いし、使いやすいと思う。


 ――結界綻びの影響


 それは魔物の出没だけじゃない。

 清らかであるべき素材そのものが揺らぐらしい。

 素材が揺らげば術は鈍る、術が鈍れば祈祷が滞る。


 清儀院と理術院がここ数日忙しない理由は、それだった。


 だから、私は育生院へ回されたのか。新人教育の名目――だが実際には、理術院のラシェルの負担軽減と薬師領域(基礎医療)の即戦力化、この二段の意味がある。


 錬金薬のような奇跡の回復薬ではなく、今必要とされているのは生活医療、例えば痛み止め・湿布・軟膏・煎出薬――術に頼らない領域みたいだ。

 喉奥で、そっと息が整った。


 フィオレンティアの顔がよぎる。昼に交わした約束。勝手に出歩くのは早いかなと思っていたこと。理術院の小さな台では物足りないと感じ始めていたこと。薬師として、そろそろ何かを作りたいと思っていたこと。錬金術の入口に立つ前に、土台の厚みを増したいという欲。


 リアンセルのまわりの金の粉が、呼吸に合わせてふわりと形を変える。


 花粉のように舞い上がらないのは、ここが聖域である証なのだろうか。

 加護という言葉の輪郭が、少しだけ固くなる。


 ミュリア、と名前だけで呼ばれた気がして、顔を上げる。

 その視線は、まっすぐでやわらかい。


「君は路を探し見るより、土を直接見た方がいい」


 意味はよく分からなかった。

 でもなんだか薬師としての手を肯定されたような気がした。

 急がなくていい、今の自分を深めなさい、と言っているような、そんな確信が不意に芯へ落ちる。


 胸の奥で、ひとつ息が抜けた。

 前世の後悔と、今世の焦りの間に薄く張りつめていた膜に、小さな穴が空く感覚。


 ここから先はそんなに急がなくていい。

 芽吹きは土と水と光の順に育つ。


 どれが欠けても綺麗に伸びないのだから。



「今日は三つ――お願いしたいことがあります」


 エルモアが書板を返す。


「灯果の搬入経路の整理、魔草保存棚の是正、そして――」


 一拍。



「初等調合台の運用準備。申請だけではなく、試験用の基礎薬を一本、実際に仕込んでみて。配合は任せるけど、使用はあくまで訓練目的でね。」


 胸の奥で、小さな鈴が転がるみたいに音がする。

 任せるとまで言われたのだ。

 私は深くうなずき、書板を胸の前で受け取る。


「承りました。全力を尽くします」


 リアンセルが微笑む。

 言葉は何も添えなかったのに、

 また光がひと粒、膝の辺りで静かに弾けた。


 ――見られている。

 けれど裁かれてはいない。

 ただ、育てられているのだと分かる。

 そのありがたい事実に私は一礼し、園の奥へ歩き出した。


 最初に棚に並ぶ薬草たちを見た。

 結界の綻びは、術の乱れより先に空気へ顕著に表れる。数値としては正常でも、湿り気や温度が僅かに狂う。それを最初に感じ取るのは人ではなく草木なのだろう。

 棚の葉がざわつき、呼吸の浅い生きもののように落ち着きを失う。

 …フィオレンティアが灯果を上手く扱えなかったのはそれも関係していたのか。


 棚の蓋がほんの少し締まりすぎているせいで、

 内部の空気が息苦しそうに滞っていた。

 湿度板は正常でも、葉は居心地で嘘をつかない。


 蓋を一段階ゆるめ、代わりに吸湿布を新しいものへ取り替える。指先をそっと近づけると、空気が柔らかく抜ける感触に変わった。

 数値は変わらないが香りだけが静かに落ち着く。

 植物が最初に安堵する――この瞬間が合図になる。

 村で覚えた順序が、ここでもそのまま通用する。

 薬師が積んできた地の手当ては、術の床になる。


 次に灯果の搬入経路。

 搬入図を広げ、祈祷導線と重なる時刻を抜き取っていく。清儀院の巡回時間に接する区間は一本ずらす。立ち番の掲示板で青縁の札を確かめ、南回廊の角を避けるように矢印を引く。

 神殿では、道順そのものが供物だ。道を違えれば儀礼を乱す。

 ここ数日で体に入った癖――まず掲示を見ることが今日も役に立つ。


 書板に小さく印を置いたとき、指先の硬さがほどけた。役に立てているという感触は、どんな回復薬より早く心臓に効く。


 初等調合台の運用準備へ移る。

 蔓のゲートを抜けて右手の小室。高い小窓から色硝子の帯が午後の光をやわらかく折り、湯煎鉢と秤と乾燥棚が控えめに待っている。器具をすすぎ、布で水を切り、刻印の擦り減った匙を別箱へよける。温度計の針が微かに引っ掛かるので軸座を一度抜いて整える。

 申請札には運用準備と記し、横に小さく追記する。

 鎮痛膏の小仕込み、湿布母液の一次抽出、火傷用軟膏の素地づくり。

 今日のうちに、ここを使える状態で返す。


 湯煎を起こす。

 蜜蝋と油脂を合わせ、松脂を一つまみ。粉に挽いたウィロウ樹皮は布で包み、抽出の速さを落として雑味を防ぐ。かき混ぜるのではなく、馴染むのを待つ。

 手順が身体の奥で勝手に並ぶ。

 村で何度も繰り返した冬支度の午後が、色硝子の光の下で蘇る。


 ここではそれが仕事になる。

 居場所という言葉に温度が宿った。


 扉の気配がやわらかく揺れ、リアンセルの光が敷居のあたりで粒になって漂う。言葉はない。けれど問われていることは分かる。


 見えているか。

 聞こえているか。

 選べているか。


 胸の前で指を重ね、短く礼をとる。

 ありがとうございます。


 許可に。加護に。預けられた責任に。

 光はひと粒弾け、また薄くほどけていった。


 鎮痛膏の鍋を火から外し、粗熱を取る間に湿布母液の一次抽出へ。カモミールとヤナギ、少量の薄荷。痛みそのものを消すのではなく、体の緊張をゆるめる配合に寄せる。結界の綻びで寝不足の巡察者が増えるなら、まず眠りが必要だ。

 火傷用軟膏は素地まで。仕上げは清儀院との連携が要る。聖水の比率が変わる今は、別室に渡す前段をきっちり整えておきたい。


 湯気の匂いが静かに部屋を満たす。

 秤の針が真ん中に戻る。

 ここで積まれるものは小さい。でも、小さいまま積まねばならないものだ。


 理術院の回廊では、ラシェルが今も多分走っている。 


 派遣の札、巡回の穴埋め、報告書の束。

 結界が揺れれば素材が揺れ、素材が揺れれば術が揺れる。

 その一番下に敷かれる床を、今日、私が水平にしている。


 息が静かに深くなる。

 働くというのは、たぶんこういう温度のことだ。


 軟膏が固まりはじめ、表面が鈍く光る。

 蓋を閉める手前で、ふっと懐かしさが差した。

 この匂いを、私は知っている。

 村で母と作った夜が、遠くで湯気になって揺れた。


 初等調合台の引き渡し記録に、運用開始可の印を押し、備考欄に器具交換・温度計整備済を記す。

 扉を開けると、エルモアが待っていて、小さく親指を立てた。


 助かるよ。

 そのひと言に、今日の午後の重さがやわらいだ。


 私は書板の次の行に指を置く。

 整える。選ぶ。結ぶ。

 術が届く前の床を、もう一段、厚くする。


 色硝子の光が静かに傾き、園の蔓がやわらかく息をした。



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