episode12 神さまバーム
朝露の残る土道を、荷馬車はまた静かに揺れて進んだ。山をひとつ回りこむと、小さな村が姿を現す。
「ミュリアちゃん、他の村は初めてだね」
「はい。……楽しみです」
入口には簡易な柵。
木が組まれ、土が塗られて固めただけの素朴な門。それでも誰かが守ろうと思った気配がある。
セオドールは見張りの男に声をかけ、手短になにやらカードを見せる。
ミュリアはその横で、柵の裏に連なる景色を目で追った。
奥へいくほど森が深くなる――造りは自分の村とほぼ同じ。ただし道幅はわずかに広く、軒先の細工が少し整っている。
同じくらいの規模の村だった。しかし、王都に近い分だけ行き交い、入り混じった匂いがした。
「許可が出たよ〜。この先まっすぐ、そのあと左に抜けると出口の門。でも、少し見ていこうか」
「はい!」
村の中央まで進み、セオドールが馴染みの商店まで荷馬車を寄せる。
店主と挨拶を交わす姿を残して、ミュリアは店舗棚を眺めて回った。
乾燥薬草。塩。布端切れ。石鹸。
(うちの村で買ってるものと置いてあるものはそんなに違わない)
そう感想をまとめながらふと、白のレース編みが束ねられた小棚に足が止まった。
「あ……」
そこにあった。
レース編み。
村の女性たちと笑いながらこつこつ作った、あれだ。袋に縫い付ける前でまもミュリアのように髪紐にしたり、目印に何かに結んだりと活躍する。
そしてその隣。
小さな瓶。よく見覚えのある淡緑色の軟膏。
(あ、置かれてるんだ、)
顔を上げると、セオドールが「気づいたね」という顔で手招きしていた。
「ご紹介します。この子が軟膏の製作者さんで」
「あ、置いてくださってありがとうござい、」「将来有望な錬金術師見習いです」
「セオさん!? わたし錬金術師じゃ――」
こっそり袖口を引くも、にこにこで流される。
店主は深々と頭を下げた。
「あなたのおかげで……娘が」
「??」
店から奥さんが飛び出してくる。
目がもうすでに潤んでいる。
「……どうして、そんなに……?」
「どうしても会わせたい人がいるんです、いいですか?」
戸惑いながら頷いたら、セオドールに手を取られたまま、歩く。
村の奥、小高いところに建つ神殿が見えてくる。
白の神殿の前でミュリアは足を止めた。
それは、これまで見てきたどの建築よりも大きかった。木ではなく、白い石で組まれている。
柱は四本の束になって天を支え、その陰が階段に深い影を刻む。
風は、建物の端を回り込みながら音を変える。
村の木造の祈り小屋とはまったく違う、祈りの重さを持つ場所だった。
(……すごい。
前世でテレビで見たローマ神殿、本当にそれだ……)
奥さんは一礼して中へかけこむ。
数分後、足音が二つになる。
戻ってきた人影は、眩しいほど白い神殿服をまとった女性だった。
彼女はミュリアを見た瞬間、息をのむ。
そして膝をついた。
最初から――跪拝の高さで。
「え、あっ……あのっ……!?」
両手が取られ、包まれる。
熱い。祈りの熱。
「あなたが……あなたが、救ってくださった方ですね」
「え……」
「この御恩は、一生忘れません。私は神の名において誓います。あなたのご加護を胸に――」
祈りが溢れる。
涙が落ちるたび、手を握る温度が増していく。
セオドールが苦笑気味に肩へ手を置いた。
「この方がこの神殿のシスター。先ほどの店主さんの娘さん。昔、顔と首に大火傷を負ってね。嫁入りも神殿勤めもほぼ諦めていたんだ」
「…………え」
ミュリアは、そっとその指を見つめた。
肌はなめらか。痛みの痕跡すらない。
(わたしが……
本当に?)
「よくなって……よかったです」
そう言えた声は、ふるえていた。
──その瞬間、ミュリアは初めて知る。
じぶんが作った小さなひと瓶が、誰かの人生の続きを救ったということ。
村でやってきた助け合いが、村の外にも届いていたのだ。
胸の奥が、温かく、静かにうち震えた。
シスターに手を握られ、祈りで送り出されたあと、ミュリアとセオドールは、そっと神殿の前を後にした。
背中の方から小さく鈴が鳴るような音がした気がして振り返ると、神殿の階段の上で彼女がまだ深々と頭を下げていた。
「……なんだか、今でも実感がないです」
肩を並べて歩き出しながら呟くと、セオドールはふふんと鼻で笑う。
「本当に君はすごいことをしていたよ。ただ君が気付いてなかっただけで」
その軽い調子に救われるような、落ち着かないような気分だった。商店まで戻ると、店主さんが「夕飯でも」「泊まっていって」と何度も勧めてくれたが、早めに王都に着きたい気持ちもあって丁寧にお断りして村の出口に向かうことにした。
「さ、せっかく村見学に来たんだ。市場の方だけは覗いていこう」
セオに導かれるまま、大通り脇の露店を回る。
焼かれた串肉から立ち上る煙。
丸いパンを半分だけ割って差し出してくれるおじさん。
紙包みに入れられた干し果実。
林檎の芯までかぶりつく子どもたち。
粗雑で、けれど勢いのある笑い声。
「……おいしい。」
噛みしめるたび、火と油の香ばしさが鼻の奥をくすぐる。
育った村と似ているのに、人の熱と時間の流れが違うように感じた。
「これがよその村かぁ……」
目を細めて感心していると、隣で串を齧りながらセオが笑った。
「世界はね、村の数だけ違う形をしてる。王都はそれが百倍だよ」
「百倍……!」
「たぶん、ミュリアちゃんの目が回るね~」
からかう声は柔らかく、どこか誇らしげだった。




