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薬草村から世界へ:お母さん、私、錬金術師になります!  作者: 鹿ノ内


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episode11 道ゆく夢


 村はずれの土道に、手がぎゅうっと伸びていた。

 子どもたちの指。おばあちゃんの節。男衆の分厚い掌。

 ミュリアは荷馬車の御者台から、何度も何度も振り返って手を振る。

 セオドールの馬が鼻をふんと鳴らし、鈴がちりんと答えた。

 初めての村の外だ。興奮と寂しさと、なんだかいろんな感情が入り混じってむずむずしていた。


「王都ってどんなところですか?」

「ミュリアちゃん、初王都かあ。感慨深いねえ。こんなにちっちゃかったのが昨日のことみたいで……うっ」

 セオドールは片手で手綱を握りながらこんなに、と空いたもう片手で人差し指と親指でサイズ感を示すも、明らかに戯けていた。


「泣いたふりしないでください、セオさん。わたしがそんなにちっちゃかった頃なんて、お母さんのお腹の中です」

「ははは。そうだった」


 御者席に肩を並べ、ガタゴトと車輪が春の土を踏む。

 最初のうちは、見慣れた畑が後ろへ流れ、やがて何もない野へ変わった。


 土を叩き固めただけの道は、馬の蹄音を素直に返す。

 草ぼうぼうの原を抜け、背の低い林をひとつ越える。遠くに、使われているのか分からない小屋がぽつんと見えるけれど、近づけばまた、ただの風と土と光だけになる。


 背中の方角から、まだ手を振っている気配が届いてくる。

 胸の真ん中が、きゅっとなる。


「セオさんは……ひとりで旅して、寂しくないんですか?」

「うーん。寂しい、って考えたことないかも。生まれた時から生粋の商人だからね、僕は」


 ぜーんぶ金勘定さ、と本当に思っているのか思っていないのか。

 この人は弱味を見せないプライベートを隠す、そんな性質を持っているなあ、とミュリアは思う。



「商人、ってそういうものですか」

「どっちかというと、自由に旅できるようになった時、大人になったなーってワクワクしたよ。夜更かししても怒られないし」

「子どもですか」

「はは。まあ王都に家族がいるから、頻繁には帰ってるけどね。ミュリアちゃんも、次の冬越えの前に一度戻れたら戻るといい。ミリアさんも安心する」

「……はい」


 春の風は、山の下りで温度を変える。

 日向の匂い、湿った土の匂い、遠くで燃やす小枝の匂いが、時々入れ替わる。

 セオドールが手綱をゆるめ、馬がのんびり鼻息を漏らした。


 日が傾きはじめたころ、荷馬車を起点に屋根布を広げ、野営地ができる。

 枯れ枝を集め、焚き火台に火口を置いて――ミュリアは腰の小袋から赤い粒を取り出した。


「発火の実、です」

「おっと、頼もしい」


 マッチを擦るように、火種にする木にシュッと擦り付け、火傷しないうちに手からポイと放すとそこはぱち、と小さな赤が息を吸い、火がやさしく躍った。

 林の端で摘んだ野草と小さなキノコ、冬に作った燻製肉を水に戻して旨みを引き出す。

 鍋のふちから上がる湯気が、春の夕陽に混じって薄くとけていった。


「これくらいはやらせてくださいね、お世話になりっぱなしですから」

「ありがとうね。はー……いい匂いだ。旅ごはんにしては贅沢だなあ」

「贅沢って、セオさんの燻製のおかげですよ」

「持ってきてよかった」


 木の器にスープをよそい、二人でふうふう息を吹きかける。

 焚き火のぱちぱちという音、馬が草をもぐもぐ噛む音、遠くで小さく鳴く鳥の声。

 村の夜とも、家の中とも違う、外の夜。


「そういえば、わたしが王都でお世話になるところについてあまり詳しく聞いていませんが、どんな所なんでしょうか?」

「いい質問。じゃあ、イレリウス様の話からしようか」


 その名前が久しく耳にした神父さまのお名前で、ああ、と思った時には話は始まっていた。

 セオドールは器を置き、薪を一本継ぎ足す。火がひとつ伸びて、また穏やかに戻る。


「イレリウス様は、もともと王都の本殿で名の知れた神官だった。今でも高位の人で、彼を知らない人はまずいない。結界術に関する文献の著者でもある」

「……結界術?」


「ミュリアちゃん、魔法は見たことないよね?」

「はい、存在は知っていたのですが本に書いてあるのを読むくらいで」

「うんうん。読めるだけで立派。王都に行ったらね、魔法を使う人がいっぱいいて、たぶん最初はびっくりするよ」 


「教会の棚に、イレリウス様が著者の本はなかったような気がしますが、」

「自分の本、置かないタイプだからね。恥ずかしいんだって」

「ふふ」

「でもあの村、魔物が出ないだろう? あれはイレリウス様が結界を張ってくれてるおかげだと思う。ぼくがあの村に泊まるようになった最初の理由も、そこ。安全って何よりの贅沢だからね。……今はそれだけじゃなくなったけど」


 セオドールが片目をつむってウインクする。

 火の橙がいたずらっぽい影を作り、ミュリアは肩をすくめた。


「そんな高名な方が、あの小さな教会に」

「うん。『老後は故郷で』ってよく言うよね。でね、王都にはイレリウス様の養子になったお弟子さんが神官長を務めている神殿がある。ミュリアちゃんは、当面そこの側仕えって形で入ることになってるよ。施療院にも出入りできるし、錬金に近い現場と人に触れられる」

「……いっぱい学べますか?」

 不安で少し言葉が遅れた。



「学べるよ。ぜいたくにね」

 安心させるようにセオドールはまた軽やかに笑ってくれた。


 スープを啜る。

 口の中で塩と香草がほどけて、燻製の旨みが舌に居座る。


「セオさん、王都って、どんな匂いがします?」

「匂い?」

「村は、木と土と、薬草とお日様の匂いがして、夜になるとスープとあと灯果の蝋燭の香りがします……王都はどうですか?」

「うーんとね、朝は焼きたてのパンの匂いと、焼いた石の乾いた匂い。昼は人の汗と香油と香辛料が混ざる。夕方は水路の冷たさ、夜は焚き木の煙に甘い酒。季節で変わるし、区画で変わる。市場はうるさいけど楽しい。神殿区は空気が澄ましてる」

「澄ましてる」

「そう。空気が、整ってる。人の歩幅も揃う。ミュリアちゃんはきっと、最初は深呼吸を忘れるよ。風の回り方が違うんだ」


 焚き火の灰が、ぱら、と跳ねた。

 夜は、村より星が近く見える。山に抱かれていない分、空が大きい。

 馬があくびをして、蹄で土を軽く叩く。


「ねえ、セオさん」

「うん?」

「わたし、ちゃんとやれるでしょうか」

「やれる。……ってすぐ言うのは簡単だけど、どうだろうねえ。人はみんなやれるっていうより、やれるようにしているよ」

「やれる人のふりしてるってことですか?」


「そう。王都は広いからいろんな人がいるね?あったかいところもあれば冷たいところもそりゃあって、信じたいものがわからなくて迷子になるけど、でも迷子になるのも人って感じだよね」

「……はい」


 ミュリアは膝の上で、母から託された古い調合帳を撫でる。

 端が柔らかく擦れた革。余白に、自分の文字で何かを書ける日が来る。


「ところで、ぼくはミュリアちゃんの保証人でもあるから、最初のうちは大人しくしているんだよ?」

「えっ。わたし、いつもうるさくしてました?」

「いや、いい子だよ。いい子だけど、たまに“やる時はやる顔”するから。王都ではそれ、三割くらいに抑えてね」

「三割」

「そう。残り七割は観察して吸収。で、ここぞで一発やってやって。ガツンとね」

「…うーん」


 火が小さくなって、夜が濃くなる。

 寝床を広げ、外套を丸めて枕にする。

 御者台のすぐ後ろに敷いた薄い毛布の上で、ミュリアは仰向けになった。


「セオさん」

「うん?」

「王都に着くまで、あと何日ですか?」

「明日、一泊して、明後日の午後には城壁が見える」

「早いですね?」

「旅はね、最初だけ長いんだ。慣れると、もっと長い道が欲しくなる」

「セオさんは、寂しくないんですね」

「ないね。……でも、帰る場所の顔は、いつも浮かぶよ」

「わたしも、です」


 まぶたの裏に、母の笑顔が浮かぶ。

 “行きなさい”と、寂しさごと送り出してくれた顔。

 あの手の温度は、遠くなっても、消えない。


「おやすみ、ミュリアちゃん」

「おやすみなさい、セオさん」


 風が、火の橙をそっと撫でた。

 星は、村より一つぶ多い気がした。

 音の少ない夜は、逆に世界の広さを教えてくれる。

 明日には、今日より少し大きい道を知る。

 明後日には、初めての城壁を見る。


 胸の真ん中の灯は、揺れるけれど、消えない。

 ミュリアは外の匂いの中で目を閉じ、眠りの浅瀬へ落ちていった。


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