王子から婚約破棄を言い渡されましたけど面食いなのでノーダメージですわ♡
「オンデューネ=イサジア! 君との婚約を破棄させてもらう!」
シャンデリアに照らされた豪奢な夜会会場で、壇上に上がった銀髪の美しい男性リンドウが、隣にいる茶髪の女性の肩を抱きながら、そう言い放った。
瞬く間に会場中に、人のざわめき声が広がりを見せる。
婚約破棄を言い渡された、壇上の階段下にいるオンデューネはリンドウを見つめたまま呆けたように口を開いては目を丸くしている。
リンドウは言葉を続ける。
「君の普段の振る舞いには、はっきり言ってうんざりしていたんだ。僕を我が物顔で独占するように束縛し、近づくのが女性であるという理由だけで間に入り牽制している姿は、とても浅ましく、目に余り、嫌悪感を抱くほどであった」
リンドウはオンデューネを冷たい瞳で蔑み、心情を語り切ると、茶髪の女性を自身の胸へと引き寄せる。
引き寄せられた女性が満更でもなさそうな表情でリンドウの顔を見上げれば、彼もそれに応えるように蕩けた瞳を合わせる。
「だが、彼女は――アンネは君に振り回されて、疲労しきっていた僕の心を優しく包み、寄り添ってくれた。……僕は気づいたんだ。これが真実の愛なんだ、と」
「殿下……」
茶髪の女性アンネはその言葉を聞き終え、うっとりと表情を蕩けさせる。
二人の甘いシーンを否応なしに見せつけられた参列者たちは、より一層会話を交わし始める。
そして、それまで黙っていたオンデューネがようやく「殿下!」と声を上げる。
壇上の二人の視線が注がれ、オンデューネはごくりと生唾を呑み込む。
「それはつまり……私も男遊びをしても構わないということでしょうか……!?」
あれほどざわめき立っていた会場が水を打ったように静まり返る。
不穏な空気に、オンデューネも違和感を感じ取り、周りの様子を見回し確認すれば、鳩が豆鉄砲を食らったような表情が主だった。
リンドウも同じような顔をしていたので「(まあ。初めて見るお顔♡)」と感想を抱きながらも、隣のアンネに視線を移せば怪訝な表情でオンデューネを見ている。
「(私、何かおかしな事を言ったでしょうか?)」
オンデューネが頬に片手を当て小首を傾げていれば、慌てふためいている父親に腕を捕まれ会場を後にした。
家に帰り、両親と兄からすぐに説教を受けたが、オンデューネの脳はふわふわと浮いていて、心ここにあらずであった。
七歳の時に婚約が決まり、初めてリンドウと顔を合わせたときオンデューネはハッとした。
銀髪の肩まである髪は後ろでひとつ結びに束ねられ、碧眼の瞳は目を奪われるほどに美しく、顔のパーツは計算されたように完璧で、白く陶器のような顔には肌荒れ一つない。
呆然と殿下を見つめていたオンデューネは、感情が溢れだし、開いていた口から自ずと言葉が漏れ出た。
「な……」
「な?」
「なんて美しい顔なのかしら……!」
オンデューネは自身の頬を両手で包みながら歓喜の声を上げた。
それが彼女が面食いとして開花した瞬間であった。
一方リンドウは顔を歪め、引いていた。
そう。今の今までオンデューネが厳しい王妃教育を頑張れたのはリンドウの顔が美しかったから。
これまで、リンドウの顔が美しいが故に様々な表情が見たいと付き纏い、鬱陶しがられ、交わした約束も袖にされたことも多々あった。
だが、オンデューネは顔さえ良ければどれほど冷たくされても「まあ、いいか♡」で済ませられるほどの強い心を持った面食いだったので傷つくことはなかった。
しかし、社交界デビューしたオンデューネは、自分がどれほど狭い世界で生きていたかを思い知らされた。
見渡す限りに美しい男性がシャンデリアの光に照らされ、我を見ろと言わんばかりに誘惑してきている。
初めはその誘惑にくらりと負けそうにもなったが、オンデューネは婚約者がいる身であったため、泣く泣く豪華な扇で視界を遮り、美しい男性を極力見ないようにしていた。
その結果、婚約者である殿下の美しい顔で満足しようと執着してしまったのだ。
そのせいで近づく女性を牽制もしていたが、すぐに謝罪の場を設け、自身の性癖(面食い)を話し、事情を説明していたので、大事には至らなかった。
逆に、次期王妃候補ということもあり、節制しなければならないことも多いだろうと同情されていたので、そこまで恨みは買っていなかった。
それどころか、秘密裏に好みの男性の造形の話に花を咲かせていたので良好な関係を築いていた。
しかし、男性陣にそんなことが漏れれば、殿下の婚約者として体裁が悪いので、男性からは男を束縛する性格の悪い女として見られていただろう。(万が一漏れたとしてもリンドウへの執着の強さのせいで信じてはもらえないだろうが)
それはリンドウから見ても――。
オンデューネ自身も次期王妃のプレッシャーと面食いの抑制がストレスになり、リンドウに迷惑をかけてしまったことを、今回の件で改めて自覚した。
婚約破棄したことで自由の身になったおかげか、リンドウに対しての反省の気持ちが強くなった。
「(婚約破棄されるのも仕方のないことですね……)」
リンドウの顔はオンデューネの面食い条件にヒットしていたから、これからあまり見れなくなるのは寂しくも感じたが、それよりも世界が広いことを知っているので、リンドウ以上の男もいるだろうと一瞬で立ち直り、新たな出会いを想像し、期待に胸が膨らんだ。
オンデューネは自室に戻ると、次の夜会はいつだろうと侍女にスケジュールを聞き、クローゼットのドレスを眺めては美しい男性との出会いに思いを馳せた。
不思議なことに婚約破棄は手続きが手間取っているのか、続報はなかったが、それも時間の問題だとオンデューネは気にすることをやめて侯爵家が開催する夜会へと、連れもなく出向いた。
オンデューネが会場に足を踏み入れると、近くにいた者がぎょっとして、彼女の存在が波のように会場中に広まり、知れ渡る。
周りが驚きオンデューネを避けるように道を開けていくというのに、たかが外れてしまったオンデューネは我関せずで、嬉しそうに参列者たちの顔を物色しはじめる。
しばらくして喉が渇いてウェイターにぶどうジュースの入ったグラスを受け取って味わっていれば、入り口の方が騒がしくなった。
そちらに意識を向ければ、人垣が左右に分かれ、道になった先に元婚約者であるリンドウが苦々しい顔でオンデューネ目掛けてつかつかと歩いてくる。
その隣にアンネの姿はなく、付き人が気まずそうにオンデューネに目を配っている。
オンデューネはグラスをウェイターに返し、姿勢を整え、微笑みを浮かべながら優雅に淑女の挨拶を行う。
「まあ殿下。ご機嫌麗しゅう」
「麗しくない! まだ正式に婚約破棄をしていないにも関わらず、一人で夜会に参加するなど常識がないのか!? 僕との婚約破棄が辛すぎて自暴自棄になっているのは分かるが、次期王妃候補である自覚をもって振舞うべきだろう!」
顔を合わせた瞬間リンドウはまくしたてるように、オンデューネを叱責した。
言い終え息つくリンドウに、オンデューネは「(まあ。美しい顔に怒られましたわ♡)」と嬉しく思いながらも、逆なでしないように言葉を返す。
「ですが、殿下。婚約破棄するのも時間の問題なので、そこまで神経質にならなくてもよろしいじゃないですか。それよりも、アンネ様はこれから王妃教育がありますので、慣れないことで戸惑っていることだとお思いです。――どうか、真実の愛を大切になさってくださいませ」
オンデューネはリンドウに対する行いをとても反省していた。
なので、今なら彼の思いを汲み取り、寄り添いの言葉をかけることもできるのだ。
そうしてリンドウの反応を窺えば、ショックを受けたように言葉を失っている。
「(私が心を入れ替えたことを相当驚いていらっしゃるのね)」
オンデューネは少し得意げになった。
誰かの幸福を祈ることがこれほど心地いいのであれば、早くリンドウの気持ちに気づいてやるべきだったと少し後悔が生まれ、そっと胸を押さえていれば、はっと気を取り戻したリンドウが焦るように言葉を紡ぐ。
「君が僕との婚約破棄を了承するとは思えない。そんな簡単に食い下がるような性格じゃないのも僕が一番知っている」
「いいえ、殿下。これからは人目を気にせず色々な殿方と交流ができますので、婚約破棄はいたします」
思わずオンデューネの本音が口から滑り出た。
あら!、と自分の失態に口元を手で押さえれば、全てを耳にしたリンドウは声を荒げた。
「はあ!? あれほど僕のことを好きだった君がそんなにあっさり身を引くわけがない! 僕の気を引くためにわざといじけて見せてるんだろう!?」
「ああ……! 初めて見る焦りを滲ませた表情……! なんて麗しい……! これからは傍でそんな新たな一面も見られなくなると思うと心苦しい……」
「そ、そうだろう? 考え直すなら僕の気が変わらない、今のうちだぞ」
「――ですが、新たな出会いに胸躍らせましょう……! と、早速美しい殿方との出会いがあるようです……! それでは殿下、私はこれで失礼致します」
リンドウの背後に美しい男性がいることに目ざとく気づいたオンデューネは、リンドウの横をすり抜け、軽い足取りで向かった。
が、手を掴まれたので、オンデューネは無意識に振り返ると、宝石のような蒼い瞳が怒りを含んで睨みつけている。
「婚約している身で浮気をするなど許されることではない!」
「まあ。そのお言葉は殿下自身に返ってしまいますので、どうかご自愛なさってください」
オンデューネが憐むように気遣いの言葉をかければリンドウはバツが悪そうに顔を歪め「クッ……!」と悔しそうに呻く。
その日の夜会は、リンドウが最後まで付きまとってきてオンデューネは不完全燃焼で家へと帰った。
しかし、そんなことではめげないオンデューネは、翌週の夜会参加の予定を立てた。
まだ婚約破棄の手続きは手間取っているようで、相変わらず続報はなかったが、オンデューネは構わず子爵家の小規模の夜会に参加した。
小規模ではあるものの、会場にはオンデューネのお眼鏡にかなう男性がちらほら見え、浮き浮きと足を踏み入れた。
しかし、オンデューネが美しい殿方に近づけば、蜘蛛の子を散らすようにささーっと避けていく。
最初は「照れていらっしゃるのね♡」と思っていたオンデューネだったが、二度三度続いた結果、何かがおかしいと気づいた。
近くにいた令嬢を捕まえ、何かを知らないかと訊いてみれば、リンドウが男性陣にオンデューネに近づくなとお触れを出していることを明かされる。
オンデューネはショックのあまり立ち眩みを覚え、よろめく。
「まさか……! 殿下がそのような浅ましい命令を出すほどに私を嫌っているなんて……!」
「ようやく、真実の愛に気づいたんじゃないですか?」
令嬢は満面の笑みでさらりと毒を吐き捨てるように相槌を打った。
その言葉でオンデューネは気づく。
リンドウは真実の愛を視覚的にアンナに伝えるために、徹底的にオンデューネを追い詰めるつもりなのだ、と。
オンデューネは両手で口元を覆い打ちひしがれる。
真実の愛というものは、彼女の想像をはるかに上回るほど強く心に揺さぶりをかけ、目に余る行動を起こさせるものなのだと思い知らされた。
それでは、どう立ち回ったところでオンデューネに勝ち目はなかったのだろう。
「……そうですわ。隣国の夜会に参加しましょう」
「まあ。素敵な考えですね。」
きっと姿が見えるから、気に障るのだ。
という考えに至り、オンデューネは姿をくらますことにした。
隣国であるならリンドウの力もそこまで影響はないので、自由に美しい男性との出会いを楽しむことができるだろう。
そして隣国で行われた夜会で美しい男性をハンティングしていれば、オンデューネと趣味同じくした貴婦人と意気投合し、彼女から大衆向けの演劇に誘われた。
あまり期待せずに演劇を鑑賞した結果、オンデューネは想像以上の衝撃を受けた。
貴族向けの演劇は有名な、少々教養がなければ難しいシナリオのものしかないが、大衆向けの演劇はいわゆる貴族からみて俗物と謂われるシナリオのものであった。
だが、日常とかけ離れている世界観だからというのもある所為か、良い顔の男たちがシナリオによって、詩的な表現ではなく直情的な表現、感情を惜しみなく顔と動作で魅せる演劇にとても感銘を受けた。
オンデューネの求めていたものはこれだったのだ、と感激し胸の前で両手を組み合わせた。
それからオンデューネは演劇に力を入れようと、自国にあった劇団にあしげく通い、経営状況、必要経費、演者の生活の質などを調べに調べ上げた。
大衆向けの劇団ではあるものの、毎日公演できるわけでもなく、仕事を兼業している者、家庭の事情で辞めなければならないものなど様々であった。
問題解決のためには何が必要か、一度の公演でどれほどの集客力があり、利益が出て、分配できているのかを劇団の団長と話し合いを重ねていく。
また、今まで演劇を見たことがない人々にも興味を持ってもらおうと、どのようなシナリオが受けがいいかを調査し、無償で見られるよう広場で演劇が出来るような企画を立案したいともオンデューネは考えた。
日頃頑張っている国民に癒しと、楽しみと喜びを知ってほしい。
そして、自分のようにいい顔の男が好きな女性に刺さってほしいと。
オンデューネはそんな無垢な願いと邪な願いを抱きながら、慈善演劇の企画を立ち上げた。
慈善活動の一種ということもあり、貴族から出資者を募れないかと募集をかけてみた。
そして集まった出資希望者の名前が書かれた用紙に目を通していれば、未だに婚約破棄手続きが滞っているリンドウの名があった。
オンデューネはは不思議に思い、リンドウの胸の内を確かめるために城へと赴いた。
久しぶりに会ったリンドウはオンデューネの姿を見ると顔をほころばせる。
「(まあ。初めて見る嬉しそうなお顔♡)」と感想を抱きながらも、オンデューネはリンドウの出資理由を尋ねた。
「どうして出資をしてくださるのでしょうか?」
オンデューネが問うと、リンドウは悲し気に瞳を伏せる。
哀愁漂う姿にオンデューネは「(まあ。素敵♡)」と心の中でときめいた。
「君が僕のもとからいなくなって……ようやく気付くことができた。君のくれる愛情を、当然のように受け入れていた自分の傲慢さのせいで、心が濁り切っていたんだ。僕が真に愛していたのは――オンデューネ。君だったんだ」
「まあ。私が……!」
告げられた想いに驚いたオンデューネは両手で口元を覆った。
リンドウの憂いに満ちていた表情に小さな光が宿る。
オンデューネの反応に期待を抱いている様子だ。
「だから、僕は愛している君の、好きなことを応援したい気持ちが強くなったんだ。これからはオンデューネのやりたいことを、君の隣で、一緒に応援していきたいと思っているよ」
「まあ。殿下……そんなに私のことを……。ですが殿下、私の完全なる趣味に国税を出資するのは国民からの反感を買いかねないので、やはり婚約破棄は致します」
国民から見れば娯楽でしかない演劇に多額の税金を消費してしまえば、不作で国民が貧困になった際オンデューネは真っ先に反感を食うだろう。
それこそ悪女として名を馳せ、革命が起き、処刑台の前に立つなど最悪の事態を招きかねないのだ。
「なので、私は私自身の力で演劇の魅力を広げていこうと思います」
それとは別に、王妃になれば身動きが取りづらくなるので、忌避したいのが本音だった。
つまり、リンドウが殿下の身分である限り、オンデューネが婚約破棄を考え直す気はなかった。
ショックを受けたまま悲痛の声でリンドウが呼び止めようとするが、オンデューネはハンカチで目じりを押さえながら「(さようなら、美しいお顔)」と悲しみを胸にして、城を後にした。
そうして、オンデューネが演劇に力を入れてから、数年の月日が流れ、今年も新人の顔のいい青年が劇団に入団して、挨拶のために現団員とオンデューネの前に同期と共に横一列に並んでいる。
赤髪の顔の良い青年は希望に満ち溢れた純粋無垢な表情でオンデューネに挨拶をする。
「イサジア様の期待に応えられるように、俺頑張ります!」
「まあ……。なんて顔が良い……。無理せず頑張ってくださいね」
演劇に力を入れるようになってから、近くでいい男の色々な顔が眺められ、オンデューネは幸せだった。
そしてなんとなく構想していた、美しい男性だけで構成された劇団と可愛い女性で構成された劇団を、実際に結成してもいいのではないかと、ひっそりと企てる。
同士を増やしていくのが、オンデューネの今後の目標だった。
「(はあ……。何にも縛られずに好きなことが出来て幸せ♡)」
オンデューネは劇団員たちを眺めながら、自分の幸せを噛みしめた。