表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/4

愛と変は紙一重

 とある国の第二王子は非常にぐうたらな性格をしており、その婚約者は他人に少しも興味のない令嬢だった。

 そんな二人を見て、誰かが言った。


「割れ鍋に綴じ蓋ではないか?」


 双方の両親は「これを逃すとお互いに婚期を逃す気がする」と思った。そしてガシッと強く手を握り合った。


── この機会、絶対の逃すべからず!


 もちろん当人たちはそんな事実は知る由もない。






 週に一度のお茶会は十二年経った今でもきちんと行われている。

 無気力な王子様と無感動無関心令嬢という不名誉な評価の二人だが、根が非常に真面目なこともあり、婚約者としてはつつがなく過ごしていた。たとえお互いに関心がないとしても、婚約者として誠心誠意努力する気概を感じると、周囲の評判は上々だった。

 お察しだが、当然本人たちはそのような大層な理由など持ち合わせていない。


(セシルの見た目、ドストライクなんだよね。無気力でアンニュイな感じも悪くないのよ)


 そしていつも連れている護衛騎士がこれまた顔の良い男なのがたまらない。前世では特にそちらのジャンルには足を踏み入れていなかったが、こうも顔の良い男が集まると確かにいろいろありだなと思うようになっていた。ごめんね、前世の腐女子な友人。今ならあなたの気持ちがわかります。私は心の中で謝罪した。

 週に一度のお茶会は、我が伯爵家のガゼボで行われいた。ガゼボの脇にはセシルが連れているイケメンの護衛騎士とエミリアが控えている。エミリアは給仕も兼ねているので、割といつも忙しそうだ。 

 私の目の前にいるセシルは今日も気だるそうに足を組んで、片手で本を広げている。最近、少し視力を悪くしたのか、眼鏡をかけているのだが、それがまた顔の良さを引き立たせていた。


(ヤバいなこのイケメン。ずっと眺めていられる)


 私が週に一度のお茶会をかかさない理由は主にこれだ。合法的にイケメンを眺められるこの時間は、人生において絶対必要だと思う。心が潤う。心のオアシスと言っても過言ではない。素晴らしい癒しの時間だ。ありがとう、イケメン。衣食住とイケメンがあれば生きていける気がします、私。

 お互いに何を話すわけでもなく、ただ静かに本を読みながらお茶を飲むだけの時間は苦痛ではないのか? と両親はいつも心配しているが、私は「この穏やかに過ごせる時間は私にとっては本当に至福なのです」と、神話の女神様を彷彿とさせるような微笑みを浮かべて両親を納得させていた。おおむねその通りなので、問題はないと思う、たぶん。

 というわけで、今日も私はセシルの国宝級イケメンの御尊顔を分厚い本に隠れながら拝みつつ、お気に入りの紅茶を飲んでいる。。

 それにしても、セシルは一体何を考えてこのお茶会に付き合ってくれるのだろうか。それは永遠の謎だった。



   *



 俺はこの週に一度のお茶会を楽しんでいた。友人たちに週に一度は多くないか? と言われることもよくあるが、多いと思ったことは一度だってなかった。毎日でも飽きない自信がある。


(むしろ毎日観察するべきだろう)


 普段は透蝶に任せているが、本当ならば自分の目で観察したい気持ちが強い。

 しかし、残念ながら俺はそこまで暇じゃない。これでも王族の端くれだ。王太子イザヤを支えるべく勉学をおろそかにするわけにはいかないだ。だからこそ、このお茶会は俺の癒しでもあった。

 そして、今日もレアが最高に可愛くて癒されている真っ最中だ。

 俺に観察されていることにまったく気がついていないところが好ましい。あの分厚い本の陰からチラチラこちらをのぞき見している姿、控えめに言っても可愛すぎる。

 俺は無気力な雰囲気をまとったまま、コーヒーを一口すすった。心地よい苦みが口の中に広がり、煩悩にまみれた思考が少し晴れた気がした。

 レアはこの苦みがあまり好きではないようで、お茶会ではいつも紅茶を飲んでいた。本人は飲めないわけではなく、あえて飲まないだけだと言っているが、たぶん飲めないのだろう。飲んでいるところは一度も見たことがない。コーヒーの匂いを嗅ぐだけで顔をしかめるくらいには嫌いだと思う。

 というわけで、今日のレアはお気に入りのフレーバーティーを飲んでいる。ほのかに甘いフルーツの香りがただよっていた。


(最近はずっとこの香りだから、今はこれがレアの中のブームなんだな)


 俺は気づかれないようにメモをする。

 来月の王宮主催の夜会には、忘れずにこのフレーバーティーを準備しなければいけない。あときっと今はブールドネージュにもハマっていると思う。いつもこの雪玉のようなお菓子が出てくる。

 夜会が苦手なレアのために、レアの好きなもので埋め尽くされた料理と飲み物を準備したいという名目で、俺は両親や兄姉を始め、使用人や料理長まで丸め込んで夜会の準備を進めていた。無気力に見えてもやはり婚約者のことは大事にしているのだと、意図せず俺の評判が上がっているのが面白いところだ。

 父上や母上が泣いて喜んでいるのが解せない。俺は出会った日からレアのことを何よりも大事にしているのだが、なぜか周りには伝わっていない。


「表現方法がおかしいんですよ」


 聞きなじみのある声が、俺の脳内会議に突然割って入ってきた。どうやら声に出ていたらしい。


「驚かせないでくれるかな、エミリア」


 急に現れたレアの侍女であるエミリアに、内心ひどく驚いた。今にも口から心臓が飛び出てしまいそうなくらいドキドキしている胸を押さえ、なんとか気だるい表情は死守した。


「それにしても珍しいじゃないか。レアがいる前で話しかけてくるなんて」

「私だって話しかけたくはなかったのですが、殿下がぼんやりレア様を眺めながら盛大にコーヒーをこぼされているので、声をかけざるを得ませんでした」


 子どもじゃないんだからもっとしっかりしてください。と、そこからエミリアの小言がしばらく続いた。チラリとレアに視線を向けてみると、こちらに関心がないのか、分厚い本とにらめっこをしていた。よほど興味がある本なのだろう。あとで調べておかないと。レアのことで知らないことなどあっていいはずがない。頭の先からつま先まで余すところなく網羅するのが俺のモットーだ。


「そういうところですよ」

「いいだろ、別に。本人にはバレていないんだから」

「結婚してもこの感じなんですか?」

「もちろん。俺の外面の良さはエミリアだって知っているじゃないか」

「知っていますけど……家の中でも作っていたら疲れません?」

「作る、と言っても俺はさほど作ってないけどな。まあ、たとえ気だるい感じを演出するのに疲れたとしても、俺にはあの部屋がある!」


 そう言って笑うと、エミリアはナメクジでも見るようなすごく嫌そうな顔をした。


「……あの部屋、ですか……」

「あれからさらに進化を遂げたからな!」

「え、シンプルに気持ち悪いんです」

「シンプルに悪口!」

「申し訳ありません。少し昔に戻ってしまいました」


 エミリアの言う〝昔〟というのは、俺たちが幼馴染として身分関係なく遊んでいた頃のことだ。あの頃の俺は、なぜか兄はエミリアと結婚するものだと思っていた。身分制度に関して当時の俺がまだよく理解していなかったのかもしれないが、今となっては笑い話だ。


「俺たちは別に気にしないんだが、世間的にはそうはいかないもんなあ」

「当たり前です。一侍女が王族に対してそのような口をきくわけにはいきません。とはいえ、レア様を観察するためだけにあんな魔道具まで作り上げる殿下、控えめに言って変態では? 才能の無駄遣いすぎます」

「俺、天才なんでね」

「あんなわけわからないくらい有能な魔道具……国家を転覆させる気ですか? 馬鹿なの?」

「改める気あるか? さすがに俺の繊細な心が傷つくぞ」

「は? 繊細とは?」


 エミリアが首を傾げるのとほぼ同時に、ようやくレアがこちらの騒ぎに気がついたようで声をかけてきた。


「エミリア、どうかしたの?」

「はい、セシル殿下がコーヒーをこぼされたので、片づけておりました」


 スンッと真顔に戻ったエミリアは、何事もなかったかのようにカップを片付け始めた。有能すぎて逆に怖い。

 幸い服にはかかっていなかったが、テーブルクロスはコーヒーまみれになっていた。このクロスはレアが刺繍を施したものなのだと、透蝶でのぞき見をしているときに知った。まさかこの俺が汚してしまうとは……。悔やんでも悔やみきれない、万死に値する。

 そんなことをブツブツ呟いていたら、エミリアに「物騒なことを言うのはやめてください。ぶっちゃけレア様はたいして気にしていません」と冷静に返された。それはそれで悲しい。

 レアは、世間が思っているほど無感動無関心なお嬢様ではない。それは毎日余すことなく見ている俺にはまるっとバレていた。

 でも自分自身のことに関しては、変なところで無関心だった。

 たとえば自らが開発した魔道具を手放すことは、少しも惜しくないようで、周りが慌てて特許の取得に奔走している姿をよく見かけるし、自分に向けられる感情に対してもあまり興味がないようだった。

 だからレアにとっては刺繍をすることが楽しいだけで、このクロスのその後の行方などまるで興味がないのだ。そういう意味ではレアは無感動無関心なお嬢様なのかもしれない。


「まあ、それは大変。すぐにコーヒーを入れ直してちょうだい。あと、クロスはすぐに破棄して。代わりは無くて構わないから」

「かしこまりました」


 やはりクロスに思い入れはないようで、あっさり破棄することを決めた。きっと今から使用人たちが頑張って汚れを落とすのだろう。やけに丁寧にクロスを回収している。


「セシル様、お召し物はご無事ですか?」

「ああ、大丈夫だよ。お気遣いありがとう」


 なんて清らかな声なのだろうか。天使のささやきかと思った。きっとレアは天使に違いない。マイエンジェル、フォーエバー。

 それにしても約一か月ぶりくらいにレアと喋った気がする。それくらいこのお茶会で二人に会話はなかった。最初に挨拶くらいはするが、なんならそれだけだ。

 もちろん話したくないわけではない。無気力な王子様の仮面が剥がれるからでもない。一挙手一投足まで見逃さないためには、会話をしている場合じゃないのだ。これを言うとまたエミリアに呆れられると思う。間違いない。


「久しぶりだね」

「え?」

「俺たちがこうやって向かい合って会話をするの」

「そうかもしれませんね」


 レアは目をわずかに泳がせ、少し迷ったのちにうつむいた。レアの可愛らしい顔は、またあの分厚い本に隠れてしまった。だんだんあの本が憎らしくなってきた。


「そうだ。来月の夜会だけど、ドレスは俺が用意するから安心してね」

「ありがとうございます」

「君は夜会が苦手だと思うけれど、さすがに今回は欠席できないから、ごめん」

「いえ、これも婚約者としての勤めですから」


 レアの表情は見えないけれど、声のトーンからするとさほど嫌がってはいないようで安心した。

 いつも透蝶でのぞき見をしている時のレアは、くるくるとよく表情が変わり、口調ももっと砕けている。そんなレアを生で見てみたいと思うのだけど、なかなか難しそうだ。

 レアの無感動無関心なお嬢様像は俺と違って百パーセントの演技ではなく、重度の人見知りも影響している。人と目を合わせるのが苦手、人と喋るのが苦手、人に声もかけられないし、そもそも外に出たくない。可能な限り屋敷にいて、ゲームをしていたい人生なのだそうだ。ゲームと言っても一般的なカードやボードゲームではないらしい。一体どんなゲームなのかは教えてもらえないが、エミリア曰く「レア様からそれを奪うとただのダメ人間です」とのことなので、とにかくレアには必要不可欠なもののようだ。

 それからしばらくの間、夜会に関しての簡単なすり合わせだけで会話が進んだ。次第に話題がなくなってきて、さてどうしたものかと考えているところに、エミリアがコーヒーを運んでくる。

 そして、再びの沈黙。その十分後にお茶会は終了した。



   *



「どうしよう、エミリア。またロクに会話ができなかったわ」

「まあいいんじゃないんですか?」


 セシル様は今日も大満足で帰られた。帰り際にレア様が読んでいるあの本は何かと訊ねられたが、あれはセシル様に言えるような代物ではないので「乙女の秘密です」と濁しておいた。ひどく腑に落ちない顔をしていたけれど、こればっかりはどうしようもない。


(あれ、本の形をしたゲーム機なんだよなあ)


 前世で言うところのス○ッチみたいなものだ。熱心に本を読んでいるように見えたのだろうが、あれは熱心にゲームをしているにすぎない。

 お茶会の席でゲームってどうよ? と思うだろう。でも、あの二人のお茶会では会話がほぼない。そのためお互いに手持ち無沙汰を解消するためのアイテムを持参するのが、暗黙のルールだった。

 セシル様は無難に本を持参している。欲望と理性を天秤にかけ、理性を選んだとのことだ。つまり本当はもっと観察できるアイテムを持ち込みたかったらしい。根が真面目で本当によかった。

 ところが、レア様は何を血迷ったかゲーム機を持ち込んでいる。「デート中にスマートフォンばかり見るやつ滅べばいいのに」とか言うタイプの女なのに、自分はやるんかい! とツッコミを入れたくなった。


「駄目よ。このままじゃあいつか〝真実の愛〟とかで婚約破棄とかされちゃうかも」

「それはないですよ」


 どちらかと言えば、レア様がセシル様の現実を知って幻滅する可能性の方が高い気がする。ワンチャン、幻滅しない可能性もありそうだなと思っているが。


「そうかしら……」

「そもそもゲームしている時点で駄目だと思いますけど」

「クッ……だって、あと少しでツンデレヒーローの攻略ができそうだったのよ」


 まず目の前にいる男を攻略してください。とは言えなかった。


「まあ、来月の夜会で挽回すればいいんじゃないんですか?」

「そうね! 次の夜会こそ、お話できるように頑張る!」

「はいはい、頑張ってください」

「気持ちがこもってなさすぎよ、エミリア」



   *



「……ひ、人が多い……」

「それはそうでしょう。夜会ですから。人が少ないと逆に不安になりますけど?」

「ああ、もう帰りたい」

「まだ中にも入っていません。それにセシル様がお待ちですよ」

「夜会っていつまで経っても慣れないわよね。前世では〝ちょっとしたパーティ〟なんていつあるんだよ! なんて思っていたけど、転生したら頻繁にあるのよ〝ちょっとしたパーティ〟が。信じられない」

「今日はちょっとしたパーティどころじゃないですけどね」


 そうだ。今日は〝ちょっとしたパーティ〟ではない。なんといっても王太子イザヤ様のお誕生日会なのだ。緊張しかない。だってイザヤ様へのご挨拶もある。昨日からずっと今日の挨拶の言葉を繰り返しつぶやいているが、全然覚えられない。というより何度も言いすぎてなんというべきだったのか忘れてしまった。


「ええいままよ」


 やけくそでセシルがいる部屋の扉を開けた。


「レア、ごめんね。迎えに行けず」

「いえ、セシル様もお忙しいですし、お構いなく……」

「そういうわけにはいかないよ。婚約者だしね」


 緊張して顔がこわばる。いつも以上に表情がないのが自分でもよくわかる。周囲から「今日もレア様は無表情でいらっしゃる」とか「殿下が寄り添っておられるのになぜあのような態度なのか」という声が聞こえてくる。

 それは事実なので心を痛めたりはしない。ただ、ひとことだけ言いたい。


(違うのー! これでも精一杯笑っているのよ、私は!!)


「挨拶の練習より、笑顔の練習でしたね、レア様」

「どうせ練習したって無駄よ。こんなに大勢の前で笑える気なんてしないもの。怖すぎる」

「前世からオタクこじらせてますもんねえ」

「引きこもりにはハードルが高い」


 そうこうしているうちにパーティ会場へ向かう時間になった。なぜこういうときばかり時間が経つのが早いのか。まだ心の準備ができていない。

 ただでさえ緊張しているのに、これから名前を呼ばれて会場入りするなんて嫌すぎる。みんなが注目するじゃないか。恥ずかしい。


「さあ、行こうか、レア」

「……はい」


 ここまで来たらもう逃げられない。私はまばゆい光の中へ飛び込んだ。


「あら、珍しいこともあるもんだ。第二王子とその婚約者じゃないか」

「相変わらず美男美女で見た目だけは華やかよね」

「今日も婚約者殿は表情筋が死んでるな……」

「殿下の覇気のなさも通常運転だ」

「ある意味ではお似合いの二人ですよね」


 という褒められているんだか、けなされているんだか、よくわからない言葉が飛び交っていた。でもこれはいつものことだ。

 受け流すスキルは一級品の私には、そもそも悪意に満ちた言葉は耳に届かないシステムになっているので、この程度の言葉は痛くも痒くもない。

 それに劇的に嫌われているわけではなく、一定数は我々を理解してくれている。大変ありがたいことだ。

 イザヤ様への挨拶も無事 ── 噛みまくりで全然無事ではなかった ── 終え、立食スペースにセシルと向かう。ダンスはなんとか免除してもらった。これ以上注目を浴びるなんて冗談じゃない。


「……このフレーバーティー……それにこのお菓子」


(私が好きなやつだ)


 見渡す限り、私の好きなものであふれていた。今日はイザヤ様のお誕生日会なのにこれでいいのか、王宮。


「すごーい」

「気に入った?」

「これ、セシル様が?」

「もちろん。君の好きなものを(合法的にも違法的にも)調べて準備したんだけど……どうかな?」

「うれしいです」


 心の底からうれしく思っている。嘘じゃない。本当だ。それなのに…──


「え、レア様、一体何を企んでいらっしゃるの? あんな悪魔みたいな微笑みを浮かべて……」


 すぐ側にいた学友にそう言われて、驚いた。それなりに親しいと思っていたけれど、彼女からするとそうでもなかったのかもしれない。

 それにしてもここまで仕事しない表情筋に殺意がわく。


「あ、あの……セシル様……」

「大丈夫、ちゃんとわかっているよ。レアがすごく喜んでいるのは伝わっているよ。そこの君も、レアとは学友でそれなりに親しいのだから知っているだろう。彼女がこういう場が苦手なことは。それをわかっていてわざと言っているのだとしたら君の方が悪魔のようだ」


 無気力な王子様と言われるセシルが、キリッとした表情で、しかも強い口調で学友のご令嬢に意見をし、周囲がざわついた。これまで彼が表舞台で真面目な顔を見せたことはただの一度もなく、皆が困惑している。

 叱責されたご令嬢は少し泣きそうな顔をして、その場に立ち尽くしていた。私はそっと彼女に近づくと、優しく背中を叩いた。

 ご令嬢はキッと私を睨みつけ、すぐに踵を返して人込みに消えていった。


(あの人、セシル狙いだったのかしら?)


「レア、大丈夫?」

「はい」

「マシュー、あの令嬢がどこの家のものか調べてくれ」

「かしこまりました」


 セシルが厳しい顔で、護衛騎士のマシューにそう命令した。普段あまり見ない姿に彼はやはり王家の人間なのだと、としみじみ思う。

 周囲ではセシルの急な王子然とした姿に色めき立っていた。しかし私は「やっぱりイケメン同士のやり取りは絵になる。新しい扉が開く気がしたわ、今……」などと場の空気にそぐわないことを考えていた。


「さ、邪魔者もいなくなったし、どれから食べる?」


 にこやかに笑うセシルは絵に描いたような王子様だった。このような顔があるとは思ってもみなかった。この男、ポテンシャルが高すぎる。


「あの、これ私の好きなものばかりな気がするんですが、今日はイザヤ殿下のお誕生日会ですよね?」

「そうだけど、それが?」

「こういう時は一般的にお誕生日の人の好きなものを準備するものでは……」


 私がそうセシルに尋ねると、セシルは少しだけバツの悪そうな顔をした。おそらくそれは周りの人も気がついているだろう。


「……それに関しては俺にパーティの準備を任せた奴の落ち度だよね」

「え?」

「レア至上主義の俺がそんな気の利いた事するわけないのに」


 まあわかっていて頼んできたとは思うけどね、とセシルは笑った。


(レア至上主義とは……?)


 そういえば以前エミリアが何か意味深なことを言っていたが、もしかしてセシルって、私のことが好きなのだろうか。そんなまさか。


(なんならエミリアが好きなのかと思っていたくらいだしなあ。……うーん、まあいいか。聞かなかったことにしよう!)


「なるほど……。そうなのですね」

「そうだよ。だから兄ちゃんの好きなものがまったく並んでいなくても気にしなくていいからね」

「わかりました」


 私は気を取り直して、目の前の好物たちに手を伸ばした。美味しいお菓子に美味しいお茶。最高すぎる。こういう夜会だったらいつでも参加するのにと思った夜。


「うーん、伝わらないなあ。俺にしては直接的に言ったほうなんだけど?」

「仕方ないですよ。レア様は自分に好意を持つ人がいるなんて思っていませんからねー」

「少し観察しすぎたかな? 情報は多ければ多いほど良いと思っていたのに失敗した?」

「それはないです。情報はあるに越したことはないですから」

「少し戦術を変えることにするよ」


 そんなセシルとエミリアの会話を聞いていた周囲は、我々への認識を改めたようで、私はその日を境に〝無感動無関心なお嬢様〟とは呼ばれなくなったし、セシルも〝無気力な王子様〟と呼ばれなくなった。


「その代わりに腹黒王子と呼ばれますけどね」

「なぜ?」

「とにかくレア様はどうかそのままでいてください」


 謎は解けないまま、またお茶会の日を迎えるのだった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ