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6.


「――椿さん、ありましたよ、ハート」


 は?


「ほら、そこ」

 指さす先を目で追って首を捻る。他でもない、椿の背後で退路を阻んでいた太い柱のちょうど顔の辺り、木目がハートのように浮かび上がってる個所が、たしかにあった。


 な、なんだ……。


 急速に肩から力が抜けていく。へたりこむ椿をよそに晴臣は携帯を取り出して、かしゃりと音も高らかにハートを撮影した。

「投稿、っと。やった。思ったよりはっきりハート出てるし、これ楽しいですね」


 俺は全然楽しくなんか、ない!


 どういうつもりだ。抗議してやろうと頭ひとつ上を見上げ――椿は黙った。

 スマホを覗き込む晴臣の眼差しが、思いの他真摯だったから。

「街コン参加者の方も楽しんでくれるといいな……」

 スマホの画面を覗き込みながら落ちた呟きは素朴な響きで、晴臣が心の底からそう思っているのは間違いなさそうだった。

 そういえばさっきも、ちゃんと降水量のことまで調べてあった。

 もちろん、催事の度に天候データは気にかける。でも、あんなふうな切り口では誰も気にしたことがなかった。

 チャラいノリの割に仕事も出来るってか。ますます面白くなくて眺めていると、晴臣

が不意に面を上げた。ばっちり目が合ってしまう。


 晴臣は微笑んだ。いや、奴が所謂人好きのする笑顔をたたえているのはいつものことなのだが――ほんの少し意地悪に、口の端を歪めて。

「椿さん、ちょっと期待してました?」

「――はあ!?」

 叫んだ勢いでずれた眼鏡を押し上げる。

「な、なにが――」

 こいつ、やっぱり気づいてる? 俺がゲイだって。ずっと気づいててちょっかい出してきてるのか? 

 胃の底が、突然引き潮にさらわれたようにきゅうっと引っ張られる。

 こいつが気づいてるのは、自分もゲイだから? それとも、観光協会のみんなが? 実は市役所の人間にもバレてたり?


 足が床を踏んでいる感触がない。

 それこそ忍者が出てくる映画みたいに、突然ぱかっと床が割れて奈落の底に突き落とされる直前、椿を現実につなぎとめたのは、またしても園児たちの声だった。

 きし、きし、と階段がきしむ。

「高かったー」

「すっごい遠くまで見えた!」

「晴れたらもっと良かったのに」

「うん、お空くらーい! やだー!」

「そうねえ。お天気のいい日にお父さんとお母さんにまた連れてきてもらいましょうね。ほら! 手すりにちゃんと掴まってー!」

 転がるように最上階から降りてくる。さすがにSNS投稿はまだするような年ごろでもないのか、ハートの柱は素通りで、さらに階下へと降りて行った。


 やってきたのと同じ、去っていくときも嵐のような一団を見送ってしばらくすると、階上から年配女性がゆっくりと降りてきた。示し合わせたように階下からもひとり上がってくる。

「やれやれ、賑やかだったわねえ」

「来てくれてよかったわよ。誰も来ないと眠くなっちゃうし」

 やはり安全上の理由か、最上階には人を配置しているらしい。美術館のキュレーターというほどの大仰なものではなく、シルバー人材だろう。眠くなっちゃう、などと一応は客である椿たちの前で口にしてしまうのも、田舎だから許されることだ。

 ちょうど交代の時間だったのだろう。最上階から降りてきた女性は「じゃあ宜しく」と階下から来た女性に声をかけ、急な階段に向かう――と思いきや、椿の姿に足を止めた。


 探るようなまなざしで、上から下まで眺めまわしてくる。

「えっとあなた……そうだ、月森さん。月森さんとこの息子さんだ」

「はい。椿です」

 というかあんたは誰。

 とは思ったが、もうそんなことを考えることすら時間の無駄だという諦観が椿の中にはしみついていて、機械的に名乗る。女性は我が意を得たり、とばかりに笑顔になった。

「やっぱり! まあ~大きくなっちゃって。あれでしょ? 今は市役所にお勤めなんですってね」 

 こちらが知らないのに相手は名前を知っている、という時点で察してはいたが、やはりそんなところまで知られているようだ。そう、田舎に個人情報保護など存在しない。

「城高のあと、東京の大学に行ったんでしょ? 東京に出たのにちゃんと戻ってきてお父さんと同じ職場だなんて、親孝行ねっていつも話してるのよ~」

 東京に出て、戻った。主観で語るなら「出て」と「戻った」の間に入るのは「のこのこと」とか「おめおめと」なのに、ここでは親孝行と褒められる、その認識のずれ。

 あ、――

 だめだ。また、奈落だ。

 ぽっかりと口を開けた真っ黒な穴に落ちていく。

 女性はにっこりと微笑み、だめ押しのように言葉を続けた。


「あとは早く結婚して孫の顔ね」



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