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31.


 ばかなことをした、と思うことはたかだか二十数年の人生の中でも何度かある。

今までその最高峰は佐久間との一連の出来事のあと、何日も泣いて暮らしたことだった。椿にとって。

 それが「もう何事にも心を動かさず、心を凪に保って生きていこう」と決心させたはずだったのに。


公共機関のロビーで喚き散らすって、俺がクレーマーだよ……

ため息をかみ殺して見渡す堀には、自分と同じ名前の花が、錦絵のように浮かんでいる。


今日は開城四百年記念、梓城祭り当日だ。


 あの日、文字通り椿の上げた声によって、王と李の婚礼舟は執り行われることになった。

  勿論、職場であんなに大声を出したのは初めてだ。


  結局、すでに申し込みがあったという話は嘘だった。

「あ、いや、こちらの勘違いでしたどうもどうも」

  課長は椿のあまりの剣幕に、あっさりそう掌を返して、観光協会の上司も肘でつつかれると渋々頭を下げたのだった。


  というわけでなんとか開催にこぎつけたものの、以来、課長や同僚の態度は腫れ物にさわるようだった。

 表向き距離を取りながら、陰ではきっと散々に言われているに違いない。嘘をついてしまった後ろめたさが自省に向かわず、人に向かうのもこの街の人間の特徴だ。

 椿くんもゲイなんじゃないの? どうりで浮いた噂がないと思った――そこまで短絡的でなかったとしても「月森さんちの子なのに」くらいは言われているだろう。

 祭りの準備に追われながら、給湯室の前を通りかかるとき、さっと奥に引っ込む人影が目の端に入ったりする。

 こんな時代、本当に隠そうと思うのなら、LINEでもなんででもやりとりできるだろうに。要するに「見つかりそうで見つからない、でもちょっと見つかるかもしれないように陰口を言うこと」自体が楽しいんだろうな、と思う。

それが田舎の最大の娯楽だ。

 親戚からの怒濤の着信は全部無視したし、いい機会なので着信拒否の設定をした。そもそも、身内だからといって、当人の許可もなしに親戚から親戚へといつの間にか伝えられてしまった番号だ。個人情報保護を正しく行使したに過ぎない。


 一度、母方の親戚が独身寮の部屋の前で張っていることに気がついたときには、そのまま回れ右して、ファミレスで朝まで過ごした。

 なんと恐ろしいことに、未だに特別な行事でもないのに外食することを「手抜き」と思っている親戚連中は、その類いの店には近寄らないのだった。

 武士か。

 何杯目かわからないコーヒーに口をつけていると、ふとテーブルの上に影が差した。

「――龍介」

「……ここ、いいか」

「うん」

合皮のソファの向かい側に長身の体をねじ込むと、バイクのヘルメットを傍らに置く。垂らしたままの長髪をかきあげながら弁解するように告げるのは、まだ、気まずさがあるからだろう。

「たまたまそこ通ったら、見えて」

「ああ」

通されたのは大きな窓に面した席だった。

 軍隊並みに厳しい野球部で青春時代を過ごした龍介の、解放されてからの趣味のひとつがバイクで、時々夜ひとりで流しているのは知っている。

 龍介もドリンクバーを頼むと、メロンソーダを持って戻る。もう秋も終わり、それもバイクで走って来たあとだろうに、と思うが、これも口にする物ひとつとっても厳しく制限された学生時代の反動なのは知っているので、椿は口をつぐんだ。


  から、と氷のふれあう音がする。

「……この間は、ごめん」

「……いや、俺こそ」

 忙しいのにかまけて、連絡を取ろうともしていなかった。また、逃げだ。そんな気持ちを先回りしたように、龍介が切り出す。

「婚礼舟のこと、聞いた。おまえが切れ散らかして無理矢理通したって」

「きれちらかす」

 そんなふうに伝わっているのか。もういっそ面白いな、と苦笑を漏らし、ふと気づいた。

「そっちにも、なんか迷惑……だった?」

 実際舟を動かすのは観光舟の人々だ。年配の舟頭には一般の会社からの定年退職組も多い。つまりがちがちの古い考えの。

「いや」

  言いつつ、龍介はグラスに残った氷をばりばりとかみ砕く。

「正直、拒否反応ゼロではなかったけど、うまくいったら今後特別料金で定番プラン化できるかもって、黙らせた。もう舟もだいぶがたが来てるしな。収益上げてエンジン新しくしないと」

「そっか」

 金の力は偉大だ。

 苦笑と共に漏らすと、龍介は軽く目配せしてから席を立ち、今度はコーヒーを手に戻る。

「それもあるけど、俺がそういうことを言い出すと思ってなかったみたいで」

「そういうこと?」

「本腰入れて仕事のことを考えてるっていうか。結局、若者はこんな仕事内心ばかにしてんだろ、とか、いつかは出て行くんだろ、みたいな不安があっちはあっちであるんだろ」

 だから、龍介が長期的視野を持って臨んでいることが嬉しかったのだと、上司に言われたのだという。

「別に今までだって仕事を適当にしてたつもりはないけど、確かにただそれだけなとこはあったな、と思って。もう一歩踏み込んで自分で企画出すとかは、やったことなかったから――考えなきゃな、これからは」

 コーヒーに口をつけながら呟く龍介の顔は、ひどく大人びて見えた。

「……これ、間接的にあいつのおかげってことになんのか」

 眉間にしわが寄ったのは、コーヒーの苦さのせいだけではないようだった。

あいつ。それが誰のことを指すのかわかってしまって口をつぐむ。


 龍介はテーブルに戻してしまったコーヒーのカップを所在なげに見つめながら、言った。

「むかつくけど、最近のおまえは生き生きしてた。あいつが来てから、口数が増えたし」

「は? ……なんかうさんくさい奴が来てやだって愚痴ってただけだろ」

「それまでおまえの口から上司以外の話が出ることはなかった」

「そりゃ、こんな田舎じゃそれくらいしかトピックがないから」

「違うな。興味がなかったんだろ。他人に。俺が誘えば出てくるけど、正直俺じゃなくてもよかったはずだ。面倒なことにはなんにも触れなくて、たまに気分転換できれば」

 そんなことはない、と即答することは出来なかった。

 たしかに自分は小学校以来の、なにも変化を求められない友情を復活させて、その居心地の良さに甘えていたのかもしれない。

「龍介、」

「いや、いい。俺もそれを望んだんだから。……それ以上踏み込んで、たまにメシ喰いに行ったりする関係が壊れるのが怖かったのは俺で、俺は正直おまえが俺以外に出かける相手もいなさそうなことに満足してた。俺しか話し相手がいないってことに。だから東京でなんかあったのかって、たったひとこと訊くのも怖くて、二年もそのままにした。……むかつくけど、あいつが来て良かったんだよ」

「たしかにおまえの言うとおり俺はずっと無気力だったけど、最近そうでもないのは別に早坂さんのせいじゃ」


 ない。

 ないはずだ。

 ただ、たまたま一緒に仕事をすることになって、この閉塞した田舎にもまだ美しい景色があるってわかったから――大事なのはそっちで、それを見せてくれたのが早坂であることは重要じゃない。


 ――ということもどういうわけか明言できず、押し黙る。

 自分が話題を振ったくせに、龍介は窓の外を見ていた。夜を宿して、鏡面のようになった大きなファミレスの窓硝子からは、己の姿くらいしか見えないだろうに。 

 やがて龍介は、さっき飲むのを諦めたコーヒーを再び手に取ると、ぐいっと煽った。

「とにかく、まずは成功させようぜ、婚礼舟」

 

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