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29.


 悲痛な叫びに電話を切って、二段飛ばしでロビーに向かう。十日も休んでなまった足元は何回かもつれた。


 あの「さらっとかわし力」の塊みたいな晴臣が手こずるクレーマーとは、いったいどんな手合いなのか。

 焦る気持ちを抑えてロビーにたどり着くと、想像したような怒号も響いていなければ、強面の男もいなかった。


 いや、男はいた。

ただしごく大人しそうな青年がふたり、ロビーの片隅に設けられた休憩スペースに晴臣と対面で腰かけている。


「椿さん」

 晴臣が軽く腰を上げて手招く。屈託など微塵も感じさせない様子で。

 いやまあ、それはいいよ。

 仮にも来客の前だ。ここで感情的な態度など披露されても困る。

 問題は、観光協会の上司もそこにいたことだった。クレーム対応なら、メンツとしては充分だ。

「えーっと、どういった状況でしょう……?」

 取り敢えずと腰を下ろすと、晴臣が頭を下げた。

「すみません、ほんとは協会あてのお客さんなんですけど、俺、英語あんまり自信なくて。中国語は今勉強してるところで……たしか椿さんがどっちも出来るはずだったなって」

「え?」

 なんのことはない、ただ通訳として呼ばれたということらしい。

 というか、年配の上司は仕方ないとしても、協会側に英会話の出来る人員は他にいなかっただろうか。このインバウンド頼み時代に?

訝しく思ったのが表情に出てしまったらしい。晴臣は申し訳なさそうな顔をする。

「日常会話ならこちらでもなんとかなるかと思ったんだけど、ちょっと込み入った話になりそうだったから」

「……助けてなんて言うから、びっくりするじゃないですか」

「ほんとすみません」

 晴臣は頭を下げるが、自分だってどうかしていた。なぜ確認しなかったのか。ことによれば電話口で済む話だったかもしれないのだ。

 どうして確認を怠ったのか、核心部分には蓋をして、椿は「役所の人」の顔を作った。

「で、こちらの方たちは?」

 話の流れからいって、英語圏、もしくは中国語圏の観光客ということだろうか。それがなぜ、直接市役所を訪ねてくるのか。インバウンドを見越して急ごしらえで設置したインフォメーションセンターはやはりわかりやすいところということで城の駐車場近くに設置してあるから、そちらと間違えたのかもしれない。

 ちら、と協会の上司の顔を見ると、なんだか気まずそうに目をそらされた。


 ――ん?


「こちらの募集を拝見しました」

 男性の一人が、おおぶりのスマホを操作して画面を見せてくる。表示されているのは観光協会作成のホームページだ。梓城の写真と、椿の花の写真、それに白無垢姿の女性のイメージ写真。そして、

〈梓城祭りで、婚礼舟に乗ってくれる今年ご結婚されるカップルを募集します。堀一面に浮かぶ椿の花の中で、一生の思い出を作りませんか?〉

の文字。

 それから、男性たちはそれぞれ王と李と名乗り、英語と中国語を交えて、熱心に語り始めた。


 自分と彼は、お互い北京郊外出身で、東京に仕事で来て知り合った、所謂同性カップルだ。

 この度、仕事の都合で帰国することになり、有休消化で長期の休暇を取った。お互い旅行好きで、日本の主要都市はほとんど訪れたが、先日の街コンのSNSで梓のことを知った。こじんまりした街の雰囲気が大変気に入って調べたところ、この募集を見つけた――ということらしい。


「早坂さんが、ゲイの婚活コンサルタントであることも記事で読みました。そういう方ならお力になってもらえるかもしれないと……」

 王と李はお互い眼差しを交わし、王が先を引き取る。

「僕たちの田舎では、まだ、同性婚に関する正式な法案は出来ていません。世間の目も、日本以上に厳しい。正直、不安です。彼と離れるつもりはありませんが、相当な覚悟がいる。つらいとき、この美しい梓での式を思い出すことが出来たなら、きっと心の支えになると思ったんです。この企画に僕たちを参加させてください。――お願いします」

 始めの「拝見しました」と一緒に、きっと何度も練習したのだろう。「お願いします」と日本語でくり返し、二人そろって頭を下げる。 

要所要所で晴臣と晴臣の上司に内容を伝えていたが、最後の頃は、きっと訳さなくても伝わっていただろう。上司からは戸惑っているのが伝わってきた。

 それも当然だ。ダイバーシティをお台場のことだと思っているような世代の人だ。

 そんなこちらの様子が伝わってしまったのだろう。ふたりは不安げにお互いの顔をうかがったあと、おもむろに立ち上がる。

  帰らないで。

  喉元まで出かかったとき、ふたりは膝をつき、床に額を押し当てるようにして頭を下げた。

「おねがい、します」

 他の部署を訪ねて来た市民の視線が、一斉にこちらに集中する。秋の梓の朝晩はもう冷え込む。床はきっと冷たいし、汚れてもいる。

「そんなことしないでください。ね、立って」

 どうにかふたりの顔を上げさせ、元通りソファに座らせる。助けを求めるように上司の顔を見上げると、あからさまにそらされた。さすがに「ちょっと!」というオーラが出てしまったようだ。

落ち着かない様子で両手の指を組み合わせながら、晴臣の上司が切り出した。

「――ちょうど今日朝一番で一組決まっちゃったとこなんだよなあ……サイトはこれから募集終了のお知らせ出すところで」

「え……」

 なんて間の悪い。しかもそれを俺が伝えるのか。

「……·对不起。已径结束了(すみません。もう受付は終了しました)」

 中国語にしたのは、せめて少しでも彼らの気持ちに沿おうと思ったからだ。ふたりは流暢に母国語を操る椿に一瞬安堵の表情を見せ、それから目に見えて落胆してしまった。

是这样啊そうですか……」

 王は申し訳なさそうに李のほうを見、李は軽く首を振ってそれを否定すると、膝の上で重ねた彼の手をぽんぽんと叩く。

李のほうが歳下のように見えるのに、残念な気持ちをぐっとこらえて慈しむ気持ちが伝わって来る。きっとそんな李相手だからこそ、王はなんとか美しい式を挙げたいと思ったのだろう。

 見れば、そんなふたりを見つめる晴臣の眼差しも、心底悔しそうだった。

所在なく握った拳と手のひらを打ち合わせているのは、無念な気持ちのやり場に困っているからだろう。

「えっと、……なんとかならないんですか」

 基本的に協会のやり方に口を出しすぎない、というのが梓の観光課と観光協会の慣例だ。  

なのに思わずそう口にしてしまうと、上司は弱り切ったような顔をして「ちょっと失礼」と席を立った。首から下げたスマホでどこかへ連絡している。

 関係者に調整の連絡でもしてくれているんだろうかと考えていると、

「……椿さん」

 晴臣が、王と李を気にするようにちらりと見ながら声をかけてきた。

 この間のことを弁解でもするつもりだろうか。


 ――え、今?

 さすがにそれはどうなんだ。


 呆れるというか、憤りに近いものが梓の冬の朝靄のように沸いて出て、胸の内にぺっとり不快に張り付く。

 すぐさまいらだちをぶつけるわけにもいかず、聞こえないふりをしていると、後付けのエレベーターが降りてくるのが見えた。

ドアが開き、吐き出されて来たのは椿の上司、観光課の課長だ。協会の上司がそれを出迎えて、なにやら耳打ちしている。

 神妙な顔で頷いていた課長は、一転「いや~、どうもどうも~」といかにも好々爺然とした笑みを貼り付けて、ジャケットのボタンを留めながらこちらにやって来た。

「いや~この度は本当にすみません。応募が殺到してましてね、抽選結果がちょうど、ちょうど今朝出たところなんですわ」

 拍子抜けする。なんとか出来るという方向に持って行くのではなく、単なる謝罪要員としてより権力者が呼ばれただけだったのか。

 ――だいたい、応募が殺到?

そんな話だったろうか。

そもそも堀に椿を浮かべるという話が市長の気まぐれで決まったのが春。

そして「じゃあ婚礼舟出しませんか。向こうでも佐原って水郷でやってて――」と晴臣が言い出し、急遽立ち上がった企画だったはずだ。向こう、つまり関東で流行っているというマジックワードに頗る弱い上司たちが無責任に賛同して。

白い花嫁衣装。

ゆったりと進む舟。

堀を埋め尽くす赤い椿――たしかにそれは風情があるだろう。リア充を呪う自分にもそれは容易に想像できる。

だが、動き出したのが遅かったため、果たして応募者がいるかどうかという話だった気がする。

自分が十日も寝込んでいた間になにか大幅に動いたとか? いや、聞いていないけど。


 ――そうだよ。


 もうインフルエンザは治ったはずなのに、ぞわぞわ、寒気めいたものが胸の内に生まれた。



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