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22.


 その日は、佐久間が主催するなにかイベントの準備期間中だったと思う。

 授業を終えてサークルの部室に慌ただしく向かう。

「ごめん、遅くなっ――」


 最後まで言い終わらずに声をひそめたのは、誰かがテーブルの上に広げた資料の上に突っ伏して、眠っていたからだ。


 ――佐久間。

 てっきり他のメンバーもいると思い込んでいたから、突然の二人きりに動揺してしまう。

 ――っても、寝てるけど。

 溌溂とした佐久間は、睡眠まで健康的に深いようだった。そのおかげか、いつも忙しくイベントを企画したり遊んだりしていても疲れた顔を見せたことがない。

 事実、しばらく隣で様子を見ていても、佐久間は身じろぎ一つしなかった。まるで限界まで遊びきって突然体力ゲージがゼロになる子供のように、こんこんと眠っている。

 もちろん学校だから、常にどこかで物音はしていて、今だってすぐ部屋の外の廊下を女生徒が数人、弾けたように笑い合いながら通り過ぎたりしている。それでも佐久間は身じろぎ一つしない。

 凄い。

 きっと子供の頃からずっとこうなんだろうな、と思う。

 友だちが百人できるかなと素直に胸を躍らせる小学生で、中学生になったら彼女もできて、高校生になる頃には当たり前みたいにスクールカースト上位で――そういう人生を送ってきた者にのみ許される寝姿だろう、これは。


 学校でも、家の中でも、常にびくびくして過ごした俺の灰色の青春とは、全然違う。

 椿は佐久間と同じように、机の上の資料を片付けもせず突っ伏してみた。

 顔を横に向けると、当然佐久間の寝顔と向き合うことになる。それでも佐久間はまったく起きなかった。


 凄い。なにがかはうまく言えないが、ひたすら凄い。


 佐久間は寝顔も端正だった。この世に生み出されるとき、神様もそんなに迷わずさらっと一筆で造形を決めたのではないか、という伸びやかさがあった。伸び伸びした美しさだ。

 ――みんなはどうしたんだ。

 佐久間の顔を見つめながら、そんなことを考える。買い出しだろうか。だとしたら戻ってくるんだろうか。

 もうすぐ。

「……」

 邪な思いだったのかどうか、わからない。  

 ただそこにある、自分とは違う生き物に触れてみたいという単純な興味だったのかもしれない。


 椿は手を伸ばし、机の上に投げ出された佐久間の指に、そっと触れてみた。


 始めは本当に彫刻なのかなと思うほど、なんの感触もなかった。佐久間が起きる様子も。

 それをいいことに、つうっと小指の背で小指を撫でると、微かに体温が伝わった。

 それでも佐久間は起きない。

 椿は自分史上最大に大胆さを振り絞って、小指を絡めてみた。

 今度ははっきりと熱が伝わってきた。その瞬間に悟った。まるで城の公園からときおり見た、曇天を裂く稲妻に打たれるように。

 ああ、これだ。


 触れたかったんだ。

 子供の頃、殿様と小姓の話を読んだあのときから、自分も、好きな男に触れてみたかったんだ――


 そのとき、突然佐久間が目を開けた。

 深い眠りと同様に、突然、しかしはっきりした目覚めだった。

「……なにしてんの」

 佐久間の問いに、責める響きはなかった。

「……触ってみたくて」

 だからつい素直にそう答えてしまってから、気がついた。

 なんだそれ。変態か。

「違う、いや、違わないんだけど、違くて」

「いいよ」

 それだけ告げる佐久間の言葉が「言い訳しなくていいよ」だとわかった。責める響きは微塵もなく、ただ訊ねる。

「触ってみて、どう?」

 それがあまりに何気ない口調だったから、椿もまた、するりと応じてしまう。

「安心、する」

「安心?」

「……うまく言えないけど、俺が、ただここにいて、世界に否定されないんだっていう、安心」

 そっか、安心かあとかみしめるように呟いて、佐久間は言った。

「じゃあこれ、ときどきしよう」


 知ってはいたが、佐久間は有言実行の男だった。

 ボランティアイベントで大事な役割を任されたとき、発表をしなければいけないとき、椿が落ち着かない気持ちでいるとき、そっと小指をからめてくる。その度椿は感じた。存在の全肯定を。そしてそれはふたりの間で暗黙の了解になった。


 東京に来て良かった。

 自分をオープンにして生きても、誰にも責められない。仲間にも恵まれている。

 東京に出てきて、本当に良かった。

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