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12.


 湖畔に到着したのは、あと数分で日が沈み始めるという、まさに絶妙のタイミングだった。

 無線で全車に連絡してあったのだろう。分乗した参加者も全員いる。


「ありがとうございました!」

 椿は運転手に礼を述べると、車外に飛び出した。

 間に合ったら間に合ったで、やるべきことがある。

「水の中に入らないでください。昨日までの雨で砂浜濡れてますから長いスカートの方は汚れないよう気をつけてください。交通量ありますので突然車道側に出ないでください――」

 大人に向かってくどくどとこんなことを言うのは野暮だとは思うが、これが仕事だ。案の定、参加者たちは気ままにばらばらと散らばっていって、椿の話など聞いてもいない。

「あまり遠くまではいかないように――」

 それでも負けじと張り上げていた声は、頬を照らす光に吸い込まれるように消えた。


 西の空が茜色に染まり始めていることにはもちろん気がついていた。それが突然ぐっと濃くなって、いつのまにか空全体を覆いつくしている。

 秋の入り口の薄い雲が、沈もうとする太陽に追随するようにたなびき、うす紗の隙間から紫紺の夜の片鱗をうかがわせている。

 まるで金属が熱せられ溶解される様子のように、輪郭を柔らかくしながら強い光を放ち水平線に沈む太陽が、水面に映り込んで光の道を描いていた。

 微かな風が湖面を誘うように撫で、小さな鱗のようにその道をきらきら輝かせている。


 ほどよく失敗すればいい、なんて考えていたことも忘れ、椿はしばらくその場を動けずにいた。


 学校終わり、家には帰りたくなく、かといって他に行きたいところもなく、ただ雲が重く蓋をする空をなす術もなく見上げていた空とは違う。

 ――綺麗だな。

 素直にそう思うと、自分の中にいつの間にか蓄積され凝り固まっていた澱のようなものが、ふわっと少しだけ軽くなった気がした。


 もちろん、この夕日は梓の貴重な観光資源だから、市や観光協会のサイトに載せていて、その写真は毎日のように目にする。

 きっと遠足で連れてこられて幼いころに見たこともあるだろう。でも大人になってから、自然の美しさというものを理解できるようになってから見るのは初めてだ。

 そういえば俺、遠出なんてずいぶんしてなかった。

 タクシーでたった三十分。遠出なんて言えるほどの距離ではもちろんないのだが、そもそも前回こんなふうに空を見上げたのはいつのことだったのか――


「聞きました? カメラマンさんの話」

 いつの間にか隣に立っていた晴れ男の声で我に返った。

 仕事をしろ、と咄嗟に心の中で毒づいたが、見れば、参加者は皆椿同様水辺に立ち尽くし、神々しく燃える夕日を眺めている。それ以上遠くへ勝手に行ってしまうということはなさそうだった。ちらっと目の端で確認したあの彼女も、ひとりではなく数人で固まって、全身に茜の光を浴びている。


「前日に雨が降ったほうが夕日は赤く染まるんですって」

 空気中の水分量とか、屈折率とか――難しいことはよくわかんないんですけど、と晴臣は告げた。


「つまり雨の多い梓市だからこそ、この美しさがあるってことですよね」


 また。

 そうやって。

 こいつは、俺の見ていなかった世界の反対側を見ている。見せてくる。


 鬱陶しい雨雲の向こうに晴れ間があると、導くように。

 いや、雨さえも演出でしかないみたいに、あっさり。


 どうです? 世界はまだ生きるに値するでしょう――とでも、いうように。


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