不幸な観測者Sheet1:忘年会
とある街の小さなスナック『エンター』
性別不詳の店主アキラと、異世界から転移してきたという自称エルフのエル。
エルフといっても耳の形が多少ユニークなだけで、魔法が使えるわけでもない。
ただ不思議な事にこちらの世界に来てから習得したはずの魔道具の扱いには特段のセンスを見せていた。
いわゆる転移するにあたっての"ギフト"と呼ばれるスキルなのかも知れない。
二人で店を切り盛りするようになって、九ヶ月ほど経っていた。
今年も残すところあと二日。
オフィス街にほど近い『エンター』は、企業の仕事納めと合わせるように早々に年内最終日を終えていた。
今日は我らがチーム『エクセレンター』の忘年会をしようとグッさんこと川口の提案による非営利の飲み会だ。
同メンバーの育美と川口、それぞれ一人ずつゲストを連れてくるという。
育美の方は誰を連れて来るのか見当は付いていた。
そろそろ時間かなと、アキラが壁掛け時計を見たタイミングで裏口をノックする音が聞こえた。
「いらっしゃい、お二人さん」
アキラが言う。育美とゲストの男性が立っていた。
長身で痩せぎすの男性は通称"薔薇筆"。
昨年、『エンター』のサイトからクイズを送り付けてきた男だ。
初めて会った時から"どストライク"だった育美。
その後、猛烈なアタック…があったワケでもなく、男の方もまんざらでもなかった様で割とすんなり交際に発展した様だ。
恐らく今回ゲストで呼んだのは他のメンバーに交際報告をするつもりなのだろう。
(皆とうに知ってるんだが)
程なくして川口もゲストを連れてやって来た。
こちらのゲストも男性だったが歳は川口と同世代、中肉中背で取って付けたような笑顔も印象に残るものではない。
しかし、スナックの店主としてさまざまな人間を見てきたアキラはどこかカタギではない匂いを嗅ぎ取っていた。
まぁ、川口をその筋の人とミスジャッジしてたのでさほど当てには出来ないのではあるが。
「えぇっと、俺のゲストはみんな初対面だと思うので自己紹介から…」
川口に促され男性は一歩前に出る。
「自分は石森圭と云います。川口とは大学の同期です。最近Uターンと言いますか東京から地元のこっちへ配置転換で戻って来ました。あー、一応公務員です」
忘年会といっても何か特別なイベントの用意があるわけでもなかった。
単なる家飲みと変わり無いのだが、場所が店なのでアキラもエルもカウンターの中の方が落ち着く様で、普段の接客と大差ない雰囲気になっていた。
「実はエルさんに聞きたい事があったんです」
薔薇筆が切り出した。
「この前のクイズの事で、その…エルさんの前いた世界にも円周率ってあったんですか?あ、失礼な質問ならすいません」
「ええ、もちろん使ってる数字はこちらとは違いますが、円周とか面積の公式も同じです。…ただ…」
エルは続ける。
「あっちの世界の円周率は限りがあります」
「限り…有理数って事?」
薔薇筆が尋ねる。
「諸説ありますが、自然界に無理数は存在しないという説が主流になってます」
「例えば、魔術師は魔法陣という円を描きます。術師が唱えるのはそうですね、この世界でいえばプログラムのコマンドだと思ってください。後は自然の摂理によって円が描かれるんです。」
「えぇ、分かります」
薔薇筆が応える。
「その際、円周率が無理数だとしたら、自然界は小数点以下何桁で"妥協"するんでしょう」
「妥協…」
育美がつぶやく。
「神が自ら創造した世界で妥協するなんて事があり得るんでしょうか?それが有理数派の主張です」
「なるほど、実に興味深い」
薔薇筆はエルの話にかなり食い付いている。
育美は(やれやれまた始まった)と内心思いながら、アキラさんが勘違いの嫉妬をしなけりゃ良いなと思った。