番外編4.フィンとバージルと空の色
最後の戦いから三日後、アイラがまだ目覚めていないときの、フィンとバージルのお話です。
「―――なんだ、失恋でもしたのか?」
出会い頭にそう言われ、フィンは椅子に躓き転びそうになった。
ガターン!と大きな音を立てて椅子が倒れ、バージルはそれを白けた目で見ている。
「……動揺しすぎだろう」
「〜バージルが突然変なこと言うから!どうしてそう思ったわけ?」
ぶつけた足を撫でつけながら、フィンが恨みがましい視線を向ける。バージルは肩を竦めた。
「急に、自慢の銀髪を切ったからだ。失恋すると髪を切るんだろ?」
「……何の本で読んだ風習?それは」
「違うのか?」
そう問い掛けながら、バージルは書類を捲り始めた。
ウェルバー公爵となったバージルは、毎日忙しそうにしているし、実際とてつもなく忙しいのだ。
フィンは何と答えていいか分からず、黙ることにした。
……当たるとも遠からず。
実際、フィンは確かに失恋していた。けれど、自分の想いを相手に伝えたわけではない。
なにせ、その想い人は今、深い眠りについているのだ。
「……もう三日か」
ポツリとバージルが呟く。夜会の日から…戦いの日から、もう三日。
アイラが眠りについてから、もう三日だ。
「フィンお前、俺のところで失恋の傷を癒やしてる場合じゃないんじゃないか?忙しいだろ」
「……つっこみたいところだけど、敢えて飲み込むよ。確かに忙しいけど、それはバージルも同じだ。団長に話したら、手伝いに行っていいって言ってくれたから」
「……ほう?」
バージルはそれだけ呟くと、鷹のような鋭い瞳をじっと向けてきた。
いろいろと見透かされてしまいそうなその眼差しに、フィンは視線を泳がせる。
「あー…と、それで?俺は何を手伝えばいい?」
「手伝いはいらん」
「へ??」
そんなバカな、とフィンは思った。この邸宅で開催された夜会で、山程いろんなことが起こったのだ。
バルコニーのガラス扉は魔物に割られたし、大広間はぐちゃぐちゃ、招待した貴族たちのフォローだって必要なはずだ。
「……もしかして、俺に遠慮してる?」
「どうして俺が、お前に遠慮するんだ?秘書を雇ったから問題ない」
「秘書ぉ!?いつの間にそんな…」
「きゃああ!!」
扉の向こう側から、急に叫び声が聞こえた。
フィンは勢い良く振り返り、騎士として身についた動作で剣の柄に手をかける。
……が、すぐにバージルの呆れたような声がフィンを止めた。
「なんでもない。いつものことだ」
「………どういう…」
躊躇いがちに扉が叩かれ、ゆっくりと開く。その奥から現れた人物に、フィンは目を丸くした。
一人の女性が、書類の山を抱えてよろよろと部屋に入って来た。
紺青のふわふわの髪に、水色の瞳。その身はドレスに包まれている。
「………」
「秘書だ」
呆然としているフィンに、バージルがサラリと言った。
「……冗談だろ?どう見てもどこかの令嬢だけど」
「そうだな、どこかの令嬢で間違いは無い」
そのどこかの令嬢は、近くまでやって来ると、書類の山を抱えて立ち止まる。
バージルが椅子から立ち、その令嬢から書類を受け取った。
「ご苦労。またばら撒いたな?」
「……す、すみません…」
しょんぼりと項垂れる令嬢は、静かに数歩下がると、ちらりとフィンの方を見た。
「……ご来客中、ですよね?」
「ああ、騎士団の副団長のフィンだ。俺の友人だ」
「……まあ!お噂の…!」
令嬢は嬉しそうに口元を緩ませたが、フィンは首を傾げる。
自慢ではないが、フィンの容姿はどこにいたって目立つし、貴族にも人気である。自分の顔を見て、すぐに認識されなかったことが不思議だった。
「ええと…副団長のフィン・ディアスです」
「私は、モンテス伯爵家長女の、ケイティアと申します」
ふわりと笑いながら挨拶をしたケイティアは、さすが伯爵家令嬢の所作だった。
それなのにバージルは、この令嬢をあろうことか“秘書”と説明している。一体何がどうなっているのか。
「失礼ですが、フィンさまは綺麗な銀髪をお持ちですとか…」
「……ん?え、あ、はい。先日サッパリと切りましたが」
「まあ、そうなのですね!女性たちが驚かれたことでしょうね」
ケイティアがくすくすと笑う。違和感の正体に思い当たり、フィンはバージルを見た。
バージルはふう、と小さくため息を吐いてから、ケイティアの背をトンと優しく叩く。
「次は護衛のコリーにこの書類を届けてくれ」
「はい、分かりました!」
ケイティアはゆっくりと歩きながら、扉を開いて出て行った。
完全に扉が閉じたことを確認してから、フィンはバージルに向き直る。
「……彼女、もしかして目が見えないの?」
「そうだ。完全に見えないわけじゃないらしいが、生まれつき視力が弱いんだと」
「それなのに、秘書?仕事できるの?」
バージルは椅子に腰掛け、ケイティアが持ってきた書類の山の整理を始めながら口を開く。
「あの夜会の日、彼女はその場にいた。騒動が一段落し、貴族たちが帰っていく中、彼女は俺の元へ一人で来た」
「……それで?」
「それで、婚約者になりたいと言われた」
「………は!?」
思わず声を上げたフィンに、バージルは視線だけを向けた。
「俺も久しぶりに面食らったよ。誰が騒動の中心の人物の婚約者になりたがる?絶対に何か裏があると思ってな」
「はぁ…それで、秘書としてそばにおいて、様子を見てるってわけ?」
「そうだ。俺の婚約者になるのは、同じように仕事ができ、俺を邪魔しない女じゃないと無理だと言ってな」
「……それでよく逃げなかったね、彼女…」
夜会で騒動が起きてしまったため、またバージルの婚期が遠のくな、とフィンは心配していたのだが、事態は思わぬ方向へ動いていたようだ。
「とにかく、まだ出会って三日。仕事に関しては二日目だ。彼女が自分から辞めると言い出したり、俺が使えないと判断したらお前を呼ぶから、それまでは何もしなくていいぞ」
「…………ふぅん、そう…」
以前のバージルなら、たった一日で仕事ができるかできないか判断していたな、とフィンは思った。
前ウェルバー侯爵に仕えていた使用人を、この邸宅に残すかどうかはすぐ判断していたはずだ。
―――つまり、彼女がバージルの判断基準を満たしているか、それともバージルの心が寛大になったのかのどちらかだ。
……どちらかといえば、俺は後者な気がする。
フィンは指をパチンと鳴らすと、バージルに向かってにこりと微笑んだ。
「分かった、了解した。じゃあ俺は城に戻るよ」
「ああ、失恋相手が目覚めたらよろしく伝えてくれ」
「………ちょっと…」
結局のところ、異母兄弟であるバージルには何もかもお見通しなのだ。
フィンは苦笑しながら、それ以上は何も言わずに部屋を出た。
「…………さて、と」
騎士団に戻る前に、フィンは確認しておきたいことがあった。
きょろきょろと視線を動かしながら、護衛騎士の訓練場へ足を進める。もうこの邸宅内は知り尽くしているので、道は分かる。
訓練場の近くで、探していた人物は見つかった。
「……ケイティア嬢!」
名前を呼べば、ベンチに腰掛けていたケイティアが顔を上げた。
「……フィンさまですか?」
「そうです。隣、いいですか?」
ケイティアが頷いたことを確認してから、少し間を空けて隣に座る。
先ほど会ったときとは違って、その表情はどこか暗かった。
「何かありましたか?元気がないようですけど」
「……そう、ですね…。己の無力さを、噛みしめていたところです」
困ったように笑ったケイティアは、空を仰いだ。
「きっと今、空は綺麗な青で澄み渡っているのでしょう?私には、そんな当たり前のような光景ですら、ちゃんと目にすることができません」
「……失礼ですが、それは生まれつきなんですよね?今さら気付くようなことですか?」
本当に失礼な問い掛けに、ケイティアは目を瞬いた。そして、すぐに可笑しそうに笑う。
「ふふっ、その通りです。とうの昔に、私の歩む道は茨だらけの道だと気付いておりました」
「………」
「それでも、焦がれてしまうのです。この目が、みんなと同じように見えていたらと。…そうすれば、あの方のお役に立てるのに、と」
「あの方とは…バージルのことですか?」
フィンの言葉に、ケイティアは頷いた。
「バージルさまに何と言ったところで、私があの方の婚約者になり得ることはないと、分かっておりました。……それでも、情けで与えていただけた機会に、こうしてみっともなくしがみついているのです」
「……本当に、バージルの婚約者になりたいと?」
探るような視線を、フィンは隠さずに向けた。何か裏があるのなら、少しでも動揺を見せると思ったのだ。
けれど、ケイティアは嘘のない笑顔を浮かべる。
「はい。……心から願っていますし、バージルさまにも毎日何度も伝えております」
「ま、毎日何度も?」
「はい。私には、この想いを口にして伝えることしかできませんので」
「それは…、すごいことでしょう」
フィンは思わずそう言ってしまった。ケイティアは何かを感じ取ったようで、柔らかく微笑む。
「まぁ。フィンさまでも、想いを口にすることに躊躇うことがあるのですね」
「それは…その、あまりツッコまないでいただけると…もう俺の中では終わったことなので…」
「あら、伝える前にご自身で終わらせてしまったのですか?」
ずいっとケイティアが顔を近付けてくるので、フィンはぎくりと身を強張らせた。
勝手に儚げな印象を抱いていたが、どうやらぐいぐいとくるタイプのようだ。
不意にアイラの姿を思い出してしまい、フィンは頭を掻いた。
「……想う相手がいないなら、勝算はあると思っていたんですがね…」
「まぁ…勝算のないお相手が?」
「そうです。俺の一番尊敬する、大事な人だったので」
フィンの一番尊敬している、騎士団長。そんな人が相手となれば、もう自分が横槍を入れるつもりはない。
「それに、想い合っているのが分かる、お似合いの二人なんです。……だから俺は、見守っているだけでじゅうぶんなんですよ」
そう言いながら、フィンはどうして今日初めて会った令嬢に、こんな胸の内を話しているのかと不思議に思った。
この想いは誰にも話さず、いずれ塗りつぶすつもりだったのに。
ケイティアは、唇を結んで悲しそうに眉を下げている。
「……フィンさまは、お優しすぎます…」
「はは、そんなことはないですよ」
「私なら、バージルさまに想うお相手がいると想像しただけで、暴れまわってしまいそうです…!」
フィンは、ケイティアが暴れ回る様子が想像できなかったが、そんなにも想われているバージルを羨ましく思った。
「……ケイティア嬢は、バージルのどこが好きなんですか?女性からすれば、無愛想で素っ気無い男でしょう?」
「ふふっ、聞いてくださいます?私がバージルさまに惹かれたのは、あの方が以前の夜会で“この中で、俺と結婚したいという女はいるか?”と仰った瞬間です」
「……………」
そのセリフには、とても聞き覚えがあった。
前ウェルバー侯爵と確執のあった者たちが、息子であるバージルの命を狙っているときに開かれた夜会のことだ。
そのセリフに会場は静まり返り、舞台袖に控えていたフィンも思わず目を閉じてしまったことを思い出す。
けれど、目の前の女性はそのセリフで恋に落ちたという。
「……ええと、それはまた…変わっていますね、ケイティア嬢」
「あら、どうしてです?あの言葉で、私はバージルさまが、他人の言葉をきちんと聞き入れてくれる方だと、そう思ったのですよ」
ケイティアは、とても嬉しそうに笑った。
「視力が弱い私は、足元も覚束ないし、人並みにできることは何もありません。唯一の武器が、この口であり、言葉なのです」
「言葉、ですか…?」
「はい。私は、私の言葉を受け止めてくれる方と添い遂げたい。そう思っています」
だから、バージルさまが理想のお相手なのです―――と、ケイティアはまた笑った。
他人の言葉を、きちんと受け入れてくれる。そのバージルに対する評価は、とても的確だった。
なぜならば、フィンがバージルと初めて会ったとき、異母兄弟だと自己紹介したフィンを、バージルは部屋に招き入れてくれたのだ。
『会ったばかりの知らない人間を、自分の部屋に入れるの?』
『異母兄弟なんだろう?』
『そんなにアッサリ信じられる?』
『嘘なのか?』
あの日の会話を思い出し、フィンは口元が緩んだ。
そして、ケイティアの肩をポンと叩く。
「―――君には負けたよ、ケイティア嬢」
「……えっ?」
「本音を隠した悪意ある女が、バージルに近付いているなら俺がどうにかしなきゃって思ったけど…君はどうやら本気のようだね」
ケイティアは瞬きを繰り返すと、こてんと首を傾げた。
「……私、仮面をつけたフィンさまに品定めされていたのですか?」
「ははっ、仮面ね。その通りです。俺は君が気に入ったから、もう良い人の仮面は脱いでもいいかなと思って」
フィンはベンチから立ち上がると、大きく伸びをした。髪を切った日のように、気分はとても晴れやかだった。
「……俺はね、ケイティア嬢。やはりこの想いを、伝えることはないと思うんだ」
「どうして、ですか?」
「俺の願いは、大切な人たちが、幸せそうに笑っていてくれることだから」
「………そうですか…では、」
そこで言葉を区切ったケイティアが、空を見上げて微笑む。
「フィンさまの幸せは、この私が一番に願っておきましょう」
「……ありがとう。なら俺は、君の幸せを願うよ。またね、ケイティア嬢」
フィンは笑顔を向けると、その足でまたバージルの部屋へと戻った。
扉を開ければ、フィンの姿を見たバージルが眉を寄せる。
「……なんだ?城に戻ったんじゃ…」
「バージル。君は今すぐ、ケイティア嬢に求婚するべきだよ」
「……………は?」
「彼女は逃がしちゃダメだ、絶対に。この俺が言うんだから、間違いない」
じっと見つめてそう言えば、バージルは僅かな沈黙のあと、肩を竦めた。
「……求婚は早すぎるだろ。まずは、彼女のことを俺が知ってからだ」
「さすがバージル。他人の言葉をきちんと聞き入れてくれる男」
「なんだそれは?……他人じゃなくて弟だろ、お前は」
「……そうだね、兄さん」
フィンは笑った。
大切な人たちが笑い合う姿を、一番近くで見守ることができるようにと、そう青空に願った。




