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番外編3.クライドの恋物語

“女神作戦”終了後、クライドとトリシアが結ばれるまでのお話です。


 クライド・タルコットは文字通り頭を抱えていた。



 何かに絶望しているかのように俯き、負のオーラを発している。

 現在の場所は、城の図書館である。周囲で勉強中の人たちが、本とクライドを交互に見ていた。



「………えっと、クライドくん?」



 遠慮がちに声を掛けられ、クライドは顔を上げる。そこには副団長のフィンが立っていた。



「ああ…こんにちは……」


「本も読まずに項垂れて…図書館で何してるの?魔術関係?」


「いえ、違うんです…」



 力無くそう答えながら、クライドはフィンの後ろに立つ騎士に気付いた。

 赤茶の髪に、緑色の瞳。第一騎士団の、とても軽薄そうな男の名前を、クライドは記憶の片隅から引っ張り出す。



「ええと……確か、ギルバルトさん?」


「えっ。名前覚えてもらってたの?嬉しいな〜ギルバルトです。アイラちゃんの未来の夫です」


「………………」


「うわぁ、冷ややかな目」



 ケラケラと笑うギルバルトは、フィンに「図書館だから静かに」とたしなめられる。

 その手に見えた本のタイトルを、クライドが口に出して読む。



「……“基礎魔術集”」


「ああ、これ?いずれ第四騎士団ができたとき、アイラは第一騎士団から移るでしょ?だから少しでも代わりになれるように、魔術の勉強をしようかと思ってね」



 アイラの“女神作戦”は順調に効果を発揮している。

 魔術師として働くクライドも、よくアイラの褒め言葉をもらうことも多い。


 騎士団では現在、団長のエルヴィスが女騎士が所属する第四騎士団を作ろうと動いているようだ。

 妹を大切に扱ってくれている騎士団に、クライドは感謝の気持ちしかない。


 アイラから魔術学校に通っていた人生の話を打ち明けられてから、余計にそう思うようになった。



「フィン副団長…貴方は、とても格好良い…」


「………うん??」


「ギルバルトさんも、性格は少しアレだけど、とても格好良い…」


「……あはは、アレってなぁに?」



 クライドは、フィンとギルバルトの腕をがしっと掴む。

 クライドが頭を抱えていた理由。それは。



「お願いします。俺に…恋愛を教えてください…!」






***


「……えっ、兄がですか?」



 訓練場での鍛錬の休憩中、アイラは目を瞬いた。



「そうそう。なかなか切羽詰まってて面白かったなぁ〜」


「……ギルバルト先輩」


「あはは、面白いは言いすぎたね」



 アイラは眉を寄せながらも、最後に会ったときのクライドを思い出していた。

 “女神作戦”を実行して半年が経ち、アイラはついにクライドに、人生をやり直していることを打ち明けたのだ。


 最初は呆然と話を聞いていたクライドだったが、最後には涙を流しながらアイラを抱きしめてくれた。

 辛かったな、よく頑張ったな、生きていてくれてありがとう、と言われ、アイラもボロボロと涙を流した。



 そして、クライドもアイラに一つのことを打ち明けてくれた。

 それは、アイラの友人であるトリシアに、好意を持っているということだった。

 やり直す前の人生でもアイラを助けてくれていたことを知り、余計に想いが募ったらしい。



「それにしても、あんなにモテそうな顔して恋愛下手なんてねぇ…」


「兄は、魔術に全てを捧げていましたから…おそらく初恋だと思います。副団長とギルバルト先輩は、どんなアドバイスをしたのですか?」



 気になってそう訊ねると、ギルバルトは頬をポリポリと掻いた。



「いやぁ〜、オレも副団長も、わりと来る者拒まずだから。一人に本気になったことないし、全然役に立たなかったと思うよ」


「………そうですか…」


「えっと、ものすごく残念そうな目で見られると傷付くんだけどアイラちゃん??」



 クライドの想いを聞いたとき、アイラはとても嬉しかった。大好きな兄が、大好きなトリシアに恋をしている。

 二人に幸せになってほしいと思っているが、トリシアがクライドをどう思っているかは分からない。嫌ってはいないと思うのだが。



「あ、アイラちゃんの実体験を教えてあげればいいんじゃない?」


「えっ?」


「ホラ、団長にどうやって口説き落とされたのかをさぁ〜」


「く、くど…」



 ギルバルトにニヤニヤとした顔で見られ、アイラは途端に顔が熱くなった。

 エルヴィスとのあれこれを思い出してしまい、木剣をぎゅっと握って立ち上がる。



「そ、それより休憩終わりですよ!早く打ち合いしましょう!!」


「……兄妹揃って微笑ましいねぇ〜」



 そのギルバルトの呟きを、アイラは聞かなかったことにした。






***


 魔術師となったクライドは、本来ならばあまり魔術学校へ出入りすることはなくなる。

 けれど、自ら進んで講師の仕事を請け負い、月に何度か魔術の指導者として通っている。

 トリシアに会いたいという、邪な気持ちももちろんあった。



「わあ、クライドさまよ!」

「魔術師になって、より格好良くなられたわね…」

「恋人は確かいないのよね?私、立候補しようかなぁ…」

「バカね、平民の私たちじゃ無理よ」



 女子生徒たちの会話が、廊下を歩くクライドの耳に届く。そんなことないのに、と思った。



 平民だとか、貴族だとか、身分はその人の人となりを表すことには関係ない。

 魔術師だってそうだ。平民でも素晴らしい実力と人柄の持ち主もいれば、貴族でも実力はあっても疎まれる人柄の持ち主もいる。


 クライド自身、男爵家の長男として立ち居振る舞いには気をつけているが、貴族だからと驕ったことは一度もない。



 ―――平民と貴族は結ばれない。そんな常識が、頭に植え付けられていることがおかしいんだ。

 それなら、俺とトリシアは一生結ばれないじゃないか…。



 はぁ、とため息を吐きながら教室へ入る。今日は最終学年の、魔術の応用の授業だ。

 教室へ入るなり、クライドの瞳は灰色の髪を捉えた。窓際に座っているトリシアが、クライドを見て金色の瞳を優しく細める。


 その眼差しに、くらりと意識を持っていかれそうになりながらも、生徒たちの前まで足を進める。



「みんな、おはよう。今日は少し座学をしたら、外で実践形式の授業をする予定だ」



 クライドの言葉に、生徒たちが顔を輝かせた。「やったー!」と声に出して喜ぶ生徒もいる。

 座学が苦手だったクライドは、その気持が良く分かった。思わずフッと微笑む。


 その微笑みに、女子生徒が何人も虜になっていることに、クライドは気付かない。

 トリシアが、面白くなさそうに唇を尖らせていることも。




 座学を終え、皆で外に移動になった。

 移動中に毎回トリシアと少しでも話せたら、とクライドは思うのだが、そううまくいかないのが現実である。



「クライドさま、外で何の魔術の実践をするのですか?」

「コツとかありますか?」

「私、実践は苦手だから一対一で教えてほしいわ…」

「ちょっと、それならあたしだって!」



 わいわいと女子生徒に囲まれながら、クライドは表面上で笑顔を取り繕う。

 それよりも、視界の端でトリシアが男子生徒と楽しそうに話している姿が気になって仕方なかった。



 トリシア・マクレイ。

 幼少期から孤児院で過ごし、平民の家に養女として引き取られた。

 魔術学校では魔術具開発を専攻し、その突出した腕前から、魔術具開発局へ見習いとして通っている。


 それがクライドの知る、最初のトリシアの情報だった。けれど、最近そこに追加された情報がある。



 騎士団長であるエルヴィスの、血の繋がらない妹。孤児院を失ったあと、数年騎士団で預かってもらっていた。

 これは、トリシアと二人で会っていたときに聞いた情報だ。エルヴィスの妹だと聞いたとき、クライドは数秒固まってしまったことを思い出す。



 そして、アイラから聞いた情報。

 人生をやり直す前、魔術学校に通っていたときの大切な友人。疎まれ、蔑まれていたアイラの、ずっと味方でいてくれた。

 アイラのいじめの実行犯にさせられ、ケガを負った―――…。



 そんな未来が訪れなくて良かったと、クライドは思った。

 アイラが命を落とさずに済んだのも、トリシアが開発してくれた魔術具のおかげだという。



 ―――やり直した先の人生でも、アイラとトリシアは接点を持ち、再び友人になった。そのおかげで、俺もトリシアと出逢うことができた。

 話す内にどんどん彼女に惹かれ、この想いを伝えたいのに…伝え方が、分からない。



 魔術学校の外に出ると、クライドはこれからすることの説明を始めた。

 自分が得意な魔術を二つ選び、それを組み合わせて攻撃する授業だ。



「……例えば、炎の玉。小さな玉だとしても、これに風の魔術を合わせれば、威力もスピードも上げることができる。魔術に正解はないから、自分でどんどん試していくことが成功の秘訣だな」



 そう言いながら、クライドは大きく膨れ上がった炎の玉を的に当てる。この的は特注の物で、当たれば魔術は吸い込まれて消えるのだ。

 的から外れた魔術の処理が、クライドのこの時間の仕事となる。



「では、二人一組で一つの的に順に攻撃してみてくれ」



 生徒たちはそれぞれ楽しそうに魔術を組み合わせ、的を狙い始める。

 さすが最終学年ともあり、的から狙いを外す生徒はあまりいなかった。クライドはそれぞれ生徒の助言へと集中できる。



 ―――魔術ならどうすれば良いのか、助言できるのにな…。恋愛はサッパリだ。モテる人の話は、あまり参考にならなかったし…。



 ちら、と視線をトリシアへと移す。真剣な顔で魔術を試しては、ペアの女子生徒と笑い合っていた。

 その笑顔に、胸がドキッと高鳴る。


 クライドがまだ魔術学校の生徒のうちは、よく昼休みにトリシアと会っていた。

 魔術具の話をしたり、アイラの話をしたり。そのうちお互いの話をするようになり、徐々に距離は縮まっていった。


 休みの日に、二人で城下街へ出かけたこともある。良い雰囲気だと、思っていたのだが…。



『トリシアって、クライド先輩と仲良いよね?恋人同士なの?』


『……違うわ。私の友達のお兄さんなの。孤児院出身で平民の私が、相手にされるわけないでしょ?』



 それは、クライドが偶然聞いてしまった会話だった。

 その場でトリシアを抱きしめ、好きだと伝えてしまいたかったが、男爵家の長男という立場がその足を踏み止まらせた。



 ―――結局、身分の違いに一番に縛られているのは、俺なんだよな…。



 情けない自分自身に呆れながらも、トリシアの元へ向かおうとしたときだった。背後から悲鳴が上がり、クライドは振り返る。

 一人の生徒の魔術が暴走したようだった。魔力が多い人物に限って起こりやすい現象だ。

 氷でできた猛獣が、意思を持っているかのように動き回っている。



「全員下がれ!俺の後ろへ!」



 クライドは瞬時に防護壁を張り、風の魔術を多用して生徒の体を運ぶ。

 氷の猛獣を創り出した男子生徒は、魔力を使いすぎたのか倒れていた。まずはその生徒の元へ向かう。



「おい!しっかりしろ!」


「……ク…ライド、さ…すみま…せ…」



 男子生徒は意識はあるようで、苦しそうに息をしていた。胸元に手をかざし、癒やしの魔術を唱えながら氷の猛獣に視線を向ける。

 外を駆け回りながら、氷の粒を飛ばしていた。防護壁にぶつかり、生徒が悲鳴を上げる。



 ―――癒やしの魔術は、相応の魔力を消耗する。防護壁と同時に使用するには相性が悪い…あの猛獣がこっちへ来たら、倒せるだけの魔力があるか?



 クライドは自問しながらも、癒やしの魔術を唱え続ける。

 猛獣から目を離さないようにしていたため、すぐ近くにいた人物に気付かなかった。



「クライドさま、ここは私が!」


「!?……トリシア!?」



 クライドと男子生徒を庇うように、トリシアが立つ。灰色の長い髪がサラリと揺れた。



「やめてくれ!早く防護壁の中へ戻れ!」



 氷の粒が勢い良く飛んでくる。それをトリシアが炎の魔術で溶かした。



「嫌です!戻りません!」


「トリシア、言うことを…っ」


「だって私は、大切な人を護って生きると決めているんだから…!」



 炎が渦状になって、氷の魔獣へ向かっていく。トリシアは、攻撃系の魔術は苦手なはずだ。



 ―――それなのに、いつの間に…?



 クライドはぐっと唇を噛みしめた。いつまでも同じところで足踏みしている自分が、猛烈に情けなく思える。


 炎の渦の中で叫び声を上げながら、氷の猛獣がこちらへ勢い良く向かって来た。

 トリシアの背中がびくっと動く。



 ―――怖くないわけ、ないんだ。いつだって、大切な人のために行動する彼女を…俺が護らなくて誰が護る?

 今ここで、限界を伸ばせ、クライド!



 クライドはトリシアの前に小さな防護壁を出し、さらに炎の魔術を放った。燃え盛る炎に包まれた氷の猛獣は、すぐに溶けて姿を消した。

 一瞬の沈黙ののち、生徒たちがワッと歓声を上げ、拍手が響く。



「―――…っ、」


「クライドさま!」



 さすがに魔力を使いすぎてしまったクライドは、目眩に襲われて倒れそうになった。すかさずトリシアが支えてくれる。

 大きな金色の瞳が、心配そうにクライドを見ていた。



「……トリシア…」


「はい、どうしました?どこか痛みますか?気分は…」


「……俺は、君が好きだ」



 クライドが突然放った言葉に、トリシアは口を開けて固まった。

 一拍置いて、その顔がみるみるうちに赤く染まっていく。



「……な、え、わ…私の耳、おかしくなったの…?」


「好きだよトリシア…好きなんだ」



 一度零れ落ちた言葉は、もう止めることはできなかった。もっと早く口にすれば良かったと、悩んでいた自分を責める。


 クライドは、トリシアの長い髪を撫でて掬った。遠くから「きゃあ!」と楽しそうな悲鳴が聞こえる。



「君は、俺のことが嫌いか?」


「……そ、そんなわけ…」


「もし俺と同じ気持ちなら、そう教えてくれ。身分など関係なく、一人の人間として…クライド・タルコットを、どう思っているのか」



 切実な想いを口にすれば、トリシアは瞳を揺らした。一度唇をきゅっと結び、すぐに開く。



「この、想いは…口にしてはいけないと、何度も思いました」


「……聞かせてくれ」


「私は…トリシア・マクレイは、一人の人間として、クライド・タルコットさまのことが好きです。……大好き、です!」



 顔を真っ赤にしながらも、トリシアはクライドから目を逸らさずにそう叫んだ。

 クライドはそのままトリシアを抱き寄せ、耳元で囁く。



「俺も、大好きだ…トリシア」



 トリシアは膝から崩れ落ち、その光景を見ていた女子生徒は口を揃えて「きゃー!!」と黄色い悲鳴を上げた。


 ふと、クライドは倒れていた男子生徒と目が合った。とても気まずそうな顔をしている。

 けれど、そんなことは気にならず、クライドは満面の笑みを浮かべた。



 ―――ああ、俺は今、とても幸せだ。



 この出来事が、しばらく魔術学校で語り継がれるようになることを、クライドとトリシアはまだ知らない。



 そしてこの先、二人は身分差を乗り越えて婚約することになるのだった。



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