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引きこもり令嬢はやり直しの人生で騎士を目指す  作者: 天瀬 澪


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番外編2.“戦場の天使”が広まるまでの物語

アイラが“戦場の天使”となぜ呼ばれるようになったのか、そのきっかけとなる一人の騎士のお話です。


 リリオット・クルスは、第三騎士団所属の新人騎士である。

 彼の人生は、なかなかに運が悪かった。



 リリオットは平民の家に生まれ、姉が二人いた。

 この姉がなかなかの強者で、リリオットは幼い頃から「あれを取って」「これを持って」と使い走りにされていた。

 気弱なリリオットは逆らうことができず、同年代の子どもからは“負け犬リリオット”とからかわれ、毎日悔しさを噛みしめていた。


 そんなリリオットが騎士を目指すきっかけとなったのは、現在の騎士団長であるエルヴィスの存在だった。



 忘れもしない、あの大雨の日。

 雨だから外に出るのが嫌だと文句を言う姉の代わりに、リリオットは城下街のアクセサリー屋を訪れた。


 店に足を踏み入れた瞬間、リリオットは固まった。なんと運悪く、盗賊と鉢合わせてしまったのだ。


 涙目の店員に、刃物を突きつけている男。他に男は二人いて、それぞれアクセサリーを片っ端から袋に詰めていた。

 そのうちの一人、とても大柄な男がリリオットに気付く。



「……なんだぁ?ガキが何の用だ?」


「……………こ、こんにちは…」



 リリオットは冷や汗を流しながら、挨拶をしてへらりと笑った。

 この笑い方は姉二人には大変不評で、それは男にとっても同じだったらしい。



「ちっ。イラつく笑い方だな…もしかして、ガキのくせに女子にプレゼントを、とか考えてんのか?色気づきやがって!」


「ひっ!?ち、ちが…!」



 男は明らかに怒った顔で、リリオットに向かってきた。足が竦んで動かない。

 他の男たちが、「ほどほどにしとけよ?」と言いながらニヤついている。

 男が懐から取り出した短剣を見て、リリオットはその場で卒倒しそうになった。



 ―――ああ、おれはここで終わりなんだ…。



 目の前に迫りくる男から目を逸らせず、自分の短い人生を思い返した。

 どうして自分はこんなに情けないんだろう、弱いんだろう…そう思っていたリリオットの耳に、凛とした声が届く。



「―――諦めるのは、まだ早いぞ」



 リリオットを庇うようにして、男との間に誰かが飛び込んで来た。綺麗な黒髪がサラリと揺れる。

 次の瞬間には、男が斬り伏せられて床に倒れていた。



「……ちっ、騎士団だ!逃げるぞ!」



 店員に刃物を突きつけていた男が叫び、走り出す。リリオットを助けてくれた騎士は、あっという間にその男に追いついた。


 一挙一動が、無駄なく流れていくように感じた。

 すぐさま男を捕らえると、同じように逃げ出していたもう一人の男の叫び声が響く。



「いてててっ!離しやがれ!!」


「はー?何言ってやがる。……おいエルヴィス、そっちは平気か?」



 別の騎士が、男を捕らえていた。エルヴィスと呼ばれた騎士が振り返る。

 整った顔立ちをしており、紅蓮の瞳がとても印象に残った。



「ああ、平気だ。……君、ケガは?」



 エルヴィスの視線が、立ち竦んでいるリリオットに向く。肩をびくっと震わせ、こくこくと何度も頷いた。



「……だ、だい、じょぶ、です」


「そうか。……誰か連れはいるか?迎えを呼ぶか?」


「……おれ、一人です。あ、あの…」



 リリオットは躊躇いながらも、自身の服の裾をぎゅっと握る。



「あの…っ、どうしたら、あなたみたいに強くなれますか!?」



 思ったより勢いよく口から飛び出した言葉に、エルヴィスは目を丸くしていた。そして、すぐにフッと微笑む。



「俺はまだまだ実力不足だが、確かに君よりは強いかもな」


「ど、どうしたら…」


「……さっきも言ったが、諦めないことだ」



 リリオットはその言葉に、ごくりと喉を鳴らした。諦めてばかりの毎日を過ごしていたからだ。



「諦めずに、食らいつけ。無駄なことなど、一つもない。……いずれ、全て君の力になるはずだ」


「…………」


「そうだな…早く強くなりたいのなら、騎士を目指してみるといい」



 騎士。リリオットは困ったように眉を下げた。



「……でも、おれは…剣なんて持ったこともないし…」


「持ってみるか?」


「え?」



 カシャン、とエルヴィスから剣を手渡され、リリオットはその重みに驚いた。

 同時に、心臓がドクンと高鳴る。



 ―――すごい、格好良い。これが剣で、これを使って戦うのが騎士で…おれを、助けてくれた人。



「……騎士の誰だって、始めはゼロからなんだ。騎士になれるかなれないかは、やってみないと分からない」


「……おれにも…可能性が…?」


「ああ、じゅうぶんにあるだろ。騎士を目指すなら、いつか俺と手合わせしてくれ」



 リリオットは、エルヴィスの顔をじっと見た。

 諦めてばかりの自分に、諦めるなと言ってくれた。騎士になれば、この人と一緒に強くなれると思い、気分が高揚する。



 ―――強く、なりたい。騎士に、なってみたい。



 自分の中に、これほど強い感情が沸き上がることは今までなかったと、リリオットは少し驚く。



「おいエルヴィス、そろそろ行くぞ!」


「ああ。すぐ行く」



 もう一人の騎士から声が掛かり、エルヴィスはリリオットから剣を受け取る。リリオットの手が震えているのを見て、僅かに微笑んだ。



「……どうやら、決めたようだな?」


「……あの、あなたのお名前は…?」



 リリオットの問いに、エルヴィスは剣を収めながら答える。



「エルヴィスだ。エルヴィス・ヴァロア。……じゃあ、またいつか騎士団で会おう」



 そう言って去っていくエルヴィスの後ろ姿を、リリオットは見えなくなるまで見つめていた。

 この日リリオットは、エルヴィスの背中を目指し、騎士となることを決めたのだった。






 騎士を目指し始めてからも、リリオットの残念な人生は続いた。


 姉二人からは変わらずこき使われ、両親からはリリオットが正気を失ったのではないかと散々心配された。

 それでも意志は固く、独学で剣術を学び、実力を備えていった。



 ところが、十五で受けようと決めていた入団試験を、リリオットは三年連続で逃すこととなる。


 一度目は受験票の紛失(姉のせいだった)、二度目は高熱、そして三度目は暴風雨が家を直撃し、修理に追われてしまった。

 ここまでくれば、騎士になるなというお告げかもしれないと思ったが、それでもリリオットは諦めなかった。



 そして迎えた四度目のチャンス。

 リリオットは、ようやく入団試験の会場まで辿り着くことができた。

 そこで、一人の少女を目撃する。



「おい、あそこにいる子見たか?」

「ちらっと見たぞ。いやぁ、いいもん見たなー」


「それにしても、何で騎士志望なんだ?」

「さあ。あんだけ可愛けりゃ、他にいくらでも選べるだろうになぁ」



 周囲の受験者たちがざわつきながら、少女を遠巻きに見ている。

 煌めく蜂蜜色の髪に、パッチリとした大きな瑠璃色の瞳。華奢で小柄な少女だったが、洗練された空気を纏っていた。



 ―――天使、みたいだな…。



 凶暴な姉二人とは大違いだ、とリリオットは思った。

 ぼんやりとしているうちに、入団試験が始まった。これまた綺麗な副団長が現れ、団長を呼ぶ。



「―――……」



 騎士団長が現れたとき、空気が引き締まるのが分かった。

 黒い髪に、紅蓮の瞳。髪と同じ黒いマントを靡かせて歩いて来たのは、リリオットの憧れの人物だ。



「団長の、エルヴィス・ヴァロアだ」



 そう艶のある声を発したのは、間違いなくあの日、盗賊から護ってくれた騎士だった。

 城下街で情報を集めていたリリオットは、五年ほど前にエルヴィスが騎士団長に就任していたことを知っている。


 それでも、自分の目でその姿を見たことで、より実感が湧いた。



 ―――俺は、すごい騎士に助けてもらったんだ…絶対に、俺も騎士になりたい…!



 ぞくり、と全身に震えが走る。そして唐突に試験が始まったのだ。エルヴィスが殺気を放ち、受験者を篩にかけた。

 リリオットは盗賊に襲われそうになったことを思い出し、すぐに剣を抜く姿勢をとる。

 その行動のおかげで、適性検査は合格することができた。


 そして、次の本番の試験で、リリオットは注目の少女と同じ組になった。

 受験者がぐるりと円形に並び、少女は隣に立っている。



 “相手が女性だからって、手加減は一切しないように―――…”と、先ほど副団長のフィンが言っていたことを思い出した。

 それでもリリオットは、できるなら少女とは戦いたくないなと思いながら木剣を握る。


 それは、女相手だと戦いにくいというより、防衛本能に近かった。隣に立つ少女から、ただならぬ気迫を感じていたのだ。



「―――始め!」



 試験開始の合図で、それぞれが一斉に地面を蹴った。


 リリオットは、円の中心へ向かおうとしていた。が、それは叶わなかった。

 横から足元を木剣で薙ぎ払われ、バランスを崩したのだ。


 そして次の瞬間には、胸元の名札を斬りつけられていた。

 パァンと音が響き、リリオットは目を見開く。真剣な少女の瞳が、リリオットを見ていた。



「―――、」



 そのまま、少女はすぐに他の受験者へ向かっていく。呆然と立ち竦むリリオットの心臓が、とたんにうるさく鳴り出した。



 ―――やばい、もう斬られた。やばい、このままじゃ、不合格になる―――…。



 そのとき、視界に一人の騎士の姿が映り、動揺していたリリオットの心がスッと落ち着いた。

 エルヴィスの紅蓮の瞳が、リリオットを捉えたような気がした。



 ―――『諦めずに、食らいつけ。無駄なことなど、一つもない。……いずれ、全て君の力になるはずだ』



 あの日の言葉を鮮明に思い出し、リリオットはぐっと木剣を強く握る。まだ試験は、終わっていない。

 地面を蹴ったリリオットは、諦めずに剣を振るい続けた。






 そして、リリオットの元へ合格通知が届いた。


 入団式の日、そわそわとしながら大広間で待っていると、指定時間ギリギリであの少女が扉から入って来た。

 その瞬間、空気が澄んだ気がした。新人騎士たちの視線が、一斉に少女へと向く。

 友人と思われる少年が、「アイラー!!」と叫んで駆け寄って行った。どうやらアイラという名前らしい。


 そのあとすぐ、エルヴィスが副団長三人を連れて大広間に入って来た。皆が緊張した面持ちで背筋を正す。



「これより入団式を始める。騎士団の証である胸章を授与するので、名前呼ばれたものは順に前へ」



 エルヴィスは壇上で、凛とした声でそう言った。

 そして、一番壇上に近かったリリオットに視線が向くと、その口が開く。



「リリオット・クルス」


「は、はい!」



 一番最初に名前を呼ばれたことに驚きながらも、リリオットは胸がいっぱいだった。憧れの人物に、名前を呼んでもらえたのだ。


 きっと大勢を救っているエルヴィスにとって、リリオットのことなど記憶にはないだろう。

 それでも、あの紅蓮の瞳がリリオットを映し、名前を呼んでくれた。それだけで、この先騎士として頑張ろうと胸が震える。


 リリオットはエルヴィスから胸章を受け取り、震える指先で胸元に付ける。

 小さな騎士の証が、自信と勇気を与えてくれた。



 そしてリリオットは、第三騎士団の所属となる。

 アイラと呼ばれた少女は、第一騎士団の所属のようだ。もうあまり関わることはないだろうと思いながら、談話室へと歩き出す。



 副団長のセルジュのもとで、任務をこなす日々が続いた。

 直接の関わりは無かったが、アイラの噂は第三騎士団まで届いていた。



「可愛いよなぁ〜、アイラ・タルコット…」

「いやー可愛いけど、かなりの実力の持ち主だぞ?」

「ああ、お前は元第一騎士団だっけ。入団式翌日には異動願出したんだろ?」



 ある日の談話室で、同期の新人騎士たちがそう話していた。


 入団試験の成績は一番良く、副団長のフィンが指導していた。さらに補助魔術の使い手で、初任務では魔犬の群れに遭遇し、団長であるエルヴィスと共に戦ったらしい。



 ―――すごいな、羨ましい。俺もエルヴィス団長と一緒に戦ってみたい…。



 そんなことを考えていると、新人騎士の一人がリリオットに話を振る。



「リリオット!お前確か、入団試験のときアイラ・タルコットに真っ先にやられてたよな?」


「え?……あ、ああ…うん。そうだけど」


「間近で見てどうだった?容姿も強さも別格だったか?」



 その問いに、リリオットは当時のことを思い出した。容姿は天使みたいだと思ったし、強さも肌で感じるほどだった。

 リリオットの名札を切りつけ、背を向けて駆けていくその後ろ姿は、まるで戦場へ向かっていくように見えた。


 戦場、という単語で、ふとエルヴィスの姿を思い出す。

 “戦場の死神”と呼ばれているエルヴィスとアイラは、全く似ていないようで、どこか同じ空気を纏っているとリリオットは感じていた。



 ―――エルヴィス団長が“戦場の死神”なら、アイラ・タルコットは、彼女は―――…。



「―――“戦場の天使”、みたいな子だったかな」



 ポツリと呟いたリリオットの言葉に、周囲がドッと沸く。

 皆が、口々に「“戦場の天使”!ピッタリだな!」と笑っていた。



 それから、リリオットが思わず口にした“戦場の天使”という呼び名は、気付けば騎士団の間で広まってしまっていた。


 アイラが活躍するたび、その呼び名が広がるたび、リリオットはだんだんと申し訳なく思うようになる。

 けれど、本人にわざわざ会いに行くこともできなかった。




 そして、リリオットは数々の不運に見舞われる。

 その中でも一番の不運は、魔術具開発局で捕らえられた魔術師の牢の見張りに抜擢され、そこでしばらく食欲が失せるほどの光景を目撃したことだった。


 けれど、その不運のおかげで、リリオットはまたエルヴィスと話をすることができた。

 聴取という形だったが、それでも嬉しかった。






 さらに月日が流れ、“戦場の天使”は“戦場の女神”へと変わった。



 あの日、リリオットの隣に立っていた少女は、副団長となり、第四騎士団を指揮している。

 ずいぶんと遠い存在になったなぁ、と思いながら、リリオットは城内を歩いていた。


 すると、前からその“戦場の女神”であるアイラが歩いてくるのが目に入った。さらに、隣にいるのは間違いなく騎士団長…エルヴィスだ。

 リリオットはピッと背筋を正す。



「お疲れさまですっ!」


「ああ、お疲れ」


「お疲れさまで…あら?」



 アイラはピタリと足を止め、じいっとリリオットを見ている。その様子を見て、エルヴィスが面白くなさそうな顔をしており、リリオットは思わず逃げ出したくなった。



「あああ、あの…?」


「あ、ごめんなさい。入団試験のとき、同じ組でしたよね?」



 その言葉に、リリオットは目を丸くした。まさか存在を認識されていたとは思わなかったのだ。

 エルヴィスはアイラの視線の理由に納得したのか、フッと表情を和らげる。



「第三騎士団の、リリオットだな」


「……!は、はい!リリオット・クルスです!」


「セルジュが前に褒めていたぞ。どんなに厳しい鍛錬でも、任務でも、決して諦めようとしないと」



 危うく、リリオットはその場で泣き出してしまいそうになった。慌てて唇を噛んで堪えると、拳をぎゅっと握った。



「……諦めるな、食らいつけと、貴方に教えていただきました。……あのときは助けていただき、ありがとうございました…エルヴィス団長」



 例えエルヴィスが自分を覚えていなくても、それでも構わないとリリオットは思った。

 ところが、エルヴィスは目を丸くしたあと、すぐに微笑む。



「……そうか、あのときの。強くなったんだな」


「…………っ、覚えて…?」


「ああ。別人のような雰囲気になっていたから、気付けなかった」



 覚えてくれていた事実に、リリオットは心が震えた。一生この人についていこうと、そう決意を新たにする。

 エルヴィスの隣で、アイラが微笑ましそうにリリオットを見ていた。



「ふふ、どうやら私にライバルが出現したようですね」


「ん?」



 意味が分からないというように、エルヴィスが眉を寄せている。リリオットは思わず笑みを零した。



 ―――他人から見たら、残念でついていない俺の人生。でも、俺は今の騎士の自分が好きだ。……そして、その道で出会えた人たちも。



「……アイラ副団長、実は…」



 こっそりと打ち明けた“戦場の天使”の話を、アイラは笑って許してくれたのだった。



物語の最初の方から出てきていて、もっと活躍させたかったけどできなかった、不運なリリオットの物語でした。

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