番外編1.とある日の第一騎士団
本編の最後の戦い、ウェルバー侯爵邸での夜会に臨む前のお話です。
「よっしゃ、今夜は英気を養おうぜ!」
勤務時間外の自主鍛錬中、誰かがそう言い出した。
「おっいいな!」
「決戦に向けての備えだな!」
「やるやる!食いもん持ち寄ろうぜ!」
「……お前たち、頻繁に英気を養ってないか?」
「お祭り気分に水を差すオーティス先輩、さっすが〜」
ギルバルトの悲鳴が訓練場に響き、次いで先輩騎士たちの楽しそうな笑い声がする。
アイラは自身の剣を振るいながら、その様子を見て微笑んでいた。
隣では、リアムが白けた目をしている。
「……第一騎士団って、緊張感がないよね」
「ふふっ。いいじゃない、楽しい方が」
「もうすぐ夜会の日だっていうのにさ…」
ウェルバー侯爵邸で開かれる夜会。
それは、アイラが自らを囮として参加することになっている夜会だ。
アイラの命を狙う首謀者を誘き寄せるために、全てを終わらせるために、毎日戦いに備えて準備している。
「リアムが気負ったって仕方ないだろ?それに、俺たちがみんなでアイラを護るんだから、大丈夫だって!」
「……ここにもいた。お気楽男」
「おい、それって褒めてる?貶してる?」
眉をひそめながら、デレクは剣を磨いていた。リアムが「どうして僕がデレクを褒めるの?」と肩を竦める。
「おぉーい、お前たちも、もちろん参加するだろー!?」
遠くから先輩騎士の声が掛かり、アイラは笑って手を挙げた。リアムはまだ不満げな顔をしている。
「アイラ、無理してない?」
「もう、リアムったら心配性ね。大丈夫よ、デレクの言う通り、私にはみんながついていてくれるから」
それは、アイラの心からの言葉だった。
第一騎士団の皆は、命を狙われているアイラを護るために、夜会の警備に志願してくれている。
この先は、アイラ自身に何が起こるか分からない。そんな不安の中で、皆がいてくれるという事実はとても心強いのだ。
「よっしゃ、木剣で打ち合いしようぜ!腹空かせとかないとな!」
「そうね。それから、城下街の美味しいパンを買いに行かない?」
「じゃあ、負けた人のおごりだね。デレクよろしく」
「……何で俺が負ける前提なんだよぉぉ!」
アイラは笑いながら、その夜を楽しみに過ごした。
◇◇◇
「……ええと…何があったのかしら?」
談話室に入るなり、アイラはポツリと呟いた。
手にはパンのたくさん入った紙袋を抱えている。デレクの奢りだ。
アイラの両隣りにいるデレクとリアムも、それぞれ食料を持ちながら目を丸くしている。
「ぎゃはははは!!おま、それ…ぶわはは!」
「お〜いこっち、こっち食いもん足りねぇぞ〜!」
「俺はさぁ、恋人が欲しいんだよ、なのに何でできないんだよぉぉ…」
なんというか、談話室の中は祭りが行われているようだった。
大きな笑い声が絶えず響き、食べ物や飲み物がテーブルの上に散らばっている。踊っている人や歌っている人もいた。
「……はぁ、どうしてなのか想像ついたよ」
リアムが呆れたようにそう言うと、テーブルの上の一角を指差した。そこに置いてあるものを見て、デレクが納得の声を漏らす。
「ああ〜…、酒だな」
「お酒の持ち込みって、大丈夫だったかしら…?」
「ダメでしょ。見つかったら連帯責任で処罰だね」
リアムが大きなため息を吐きながら、数本ある酒瓶に向かって歩き出す。
回収しようとしたのだろうが、途中でリアムの肩をがしっと掴む人物がいた。
「……リアムくぅ〜ん…何してんのぉ〜?」
「……ギルバルト先輩、お酒臭いので近寄らないでください」
「えぇ〜?お酒なんて飲んでないよぉ…それにオレ、く…臭くないからぁぁ〜…」
ギルバルトは突然ボロボロと泣き出した。リアムはもちろん、遠目で見ていたアイラとデレクもぎょっとする。
「ちょっと俺、行って…」
咄嗟に駆け出そうとしたデレクだったが、こちらも誰かに肩を掴まれた。
「……デレク!いざ尋常に、勝負!」
「へ?いや、ちょ、まっ…オーティス先輩!?」
顔を真っ赤にした半目のオーティスが、デレクに突然斬り掛かった。斬り掛かったといっても、その手に持っているのは何故か箒だ。
慌ててデレクが避けると、近くの棚にあった花瓶がガシャンと音を立てて割れる。
「げえっ!これヤバいんじゃ…」
「逃げるな!騎士なら立ち向かえ!!」
「ちょっ…来ないでくださいぃぃ!」
箒を振り回すオーティスに追い掛けられながら、デレクが談話室を逃げ回る。
リアムは泣き続けるギルバルトにがっちりと捕まっていた。
「…………」
騒がしい。とても、騒がしい。
それでもその騒がしさが心地良く、アイラは笑みを浮かべる。
―――みんな、とても楽しそう。私も混ざりたいけれど…まずはお酒を遠ざけないとよね。
アイラは先輩騎士たちの間を縫うように歩き、酒瓶を回収した。途中、酔った先輩騎士たちから野次が飛ぶ。
「うおーいアイラ、楽しんでるかぁ!?」
「ちくしょー、どうしてそんなに可愛いんだぁ!」
「可愛くて強いって、最強かぁ!」
「高望みしないから、誰か紹介してくれぇぇぇ」
アイラは「楽しいですよ」と笑いながら、酒瓶を抱えて談話室の出入り口へ向かう。
そのとき、ちょうど扉が向こう側から開き、その先にいた人物を見たアイラは、ピタリと足を止めた。
「…………フィン、副団長」
フィンがとても良い笑顔で立っていた。
ただし、その笑顔とは裏腹に、背後からゆらりと怒気が見える。
綺麗な真珠色の瞳が、アイラの持つ酒瓶から、続いて足元の壊れた花瓶、そして談話室内の状況へと向けられる。
おそらく気のせいだろうが、ブチッと何かが切れるような音が、アイラには聞こえた。
「―――お前たち、何してるの?」
思わず震え上がりそうなほど、冷ややかな声が発せられた。
怒鳴ったわけでもないのに、その声は全ての団員の耳に届いたらしい。喧騒が嘘のように静まり返る。
酔いが一気に覚めたのか、何人もが顔を真っ青にしていた。誰も声を発せず、その間フィンはずっと笑顔を浮かべている。
沈黙に耐えきれず、アイラが何とか口を開こうとしたところで、誰かが叫んだ。
「副団長!いざ、勝負!!」
オーティスが一気に距離を詰め、箒を振り上げる。そして、次の瞬間。
「―――全員、そこに直れっ!!」
フィンの雷が落ちた。
オーティスはアイラが瞬きをする間に気絶させられたようで、床にのびている。
団員たちは慌ててフィンの周囲に集まり、背筋を正して跪く。皆して顔色が悪い。
アイラも酒瓶を置いて跪こうとしたが、フィンに止められた。
「アイラはいいよ。君は何もしていないのが想像つくから」
そう言いながら、フィンがぐるりと周囲を見渡す。
「……さて、あとは素面のヤツがいても同罪ね。そのままの体勢で俺の話を聞くこと。……いいね?」
そこから、笑顔を貼り付けたままのフィンの説教が長らく続いた。
その間、ギルバルトの啜り泣く声がずっと響いており、隣にいたリアムがうんざりした顔を浮かべていた。
デレクは無の表情で床を見つめている。二人とも、とんだ巻き添えだった。
「……じゃあ、お説教はここまで。仲間内で楽しく過ごすのはいいけど、ちゃんと節度を守ること。分かった?」
「「はい…」」
しょんぼりとした返事が重なり、皆がゆっくりと立ち上がろうとした。
……が、ずっと同じ体勢でいたのがいけなかったのだろう。先頭にいたデレクが、よろけて後ろに倒れたのだ。
「は?」
「え?」
「お?」
そこから先は、まるでスローモーションのようにアイラの目に映った。
団員たちが次々と、雪崩のように倒れていく。
その光景に呆気にとられていると、最後にギルバルトが「ぁいたっ」と言って倒れた。
皆、何が起こったのか飲み込めず、倒れたままポカンと口を開けている。
「「…………………」」
「……あははっ」
一番最初に笑ってしまったのは、アイラだった。思わず大きな声が出てしまい、慌てて口元を押さえる。
顔を赤くしたアイラを見て、皆は近くの者と顔を見合わせる。
次の瞬間には、ドッと笑い声が談話室に響いた。
「はははっ!本当何やってんだよ俺たち!」
「誰一人として、倒れるの踏ん張れるやついなかったのかよ!」
「っていうかリアム大丈夫か?潰れてんじゃねぇ?」
「ひぃー、笑える…結果としてアイラが笑ってるから、大成功だな!」
アイラの隣で、フィンも「全く…」と呆れたように笑っている。
溢れる笑い声につられて、アイラはまたふふっと笑った。
―――先輩たちはきっと、私を元気づけるために集まってくれたんだわ。……誰一人、欠けることなく。
命を狙われるアイラを厄介者扱いにも、腫れ物扱いにもせず、いつも通りに接してくれる。
それにどれほど救われているか、きっと皆知らないのだろう。
「……フィン副団長」
「うん?」
「私、第一騎士団の仲間に入ることができて、とても幸せです」
談話室を見渡しながらそう言えば、フィンは嬉しそうにニヤリと笑った。
「アイラを一生懸命引き抜いた、俺のおかげだね」
「ふふ、そうでしたね。ありがとうございます」
―――この日の記憶は、のちの夜会で、アイラの緊張をほぐしてくれることになるのだった。




