82.エルヴィス・ヴァロアの物語⑧
エルヴィスがアイラのためにできること。
それは、密偵であるロイを送り込むことだった。
隠密行動に慣れているロイは、気配を消して魔術学校周辺に身を潜め、様子を探ってくれた。
授業中など教室でのやり取りは見れないが、校庭など外の様子は見ることができる。
アイラの風当たりは、相当強いようだった。
「いやもう俺、見てるだけで心が折れそう。ムリ、怖い。特に女子生徒」
様子の報告に団長室へと来ていたロイは、自身の肩を抱き、身を震わせながらそう言った。
トリシアが言っていた通り、悪意ある言葉は常に向けられているようだった。
さらに、足を掛けられたり、ゴミを投げつけられたりと、直接の被害も出ているらしい。
教師は何をしているのかと問えば、見てみぬフリだというから、エルヴィスはふざけるなと叫びたくなった。
「なぁ、お前が助けに行くんじゃダメなの?それこそ白馬の王子みたいにさぁ」
「……そうしたいが、できない。ただの下っ端騎士ならやっていたかもしれないが、騎士団長の立場だと弊害がありすぎる」
「うへぇ、立場があるってのも面倒なもんだな」
日中のロイの仕事は、ほとんどアイラの様子を見ることに割り振った。
そしてそれが功を奏し、アイラを襲おうとした男子生徒を止めることができたのだ。
実際に止めたのは、トリシアだった。
ロイが止めに入るために動き出したところで、たまたまアイラを探していたトリシアを見つけ、学生の目撃者がいた方がいいと判断して声を掛けたらしい。
ロイは男子生徒を回収し、城に連れてきた。女子生徒への暴行があったと魔術学校へ連絡し、退学処分にしてもらった。
男子生徒は誰かに命令されて実行したようだが、それが誰かまでは頑なに話そうとしなかった。
エルヴィスは一度、そこで安心してしまった。
アイラを護れたと。トリシアがそばにいると、分かってくれたのだと。
この事件が、魔術学校でのアイラの立場を良くしてくれるものだと、そう思っていたのだ。
それが思い違いだと気付かされたのは、トリシアが意識を失ったとの連絡が届いてからだった。
「―――トリシア!!」
トリシアは、魔術学校の医務室で横になっていた。エルヴィスが名前を呼ぶと、トリシアがへらりと力無く笑う。
「……兄さん、ごめんね。迷惑かけて」
「迷惑なわけあるか…!意識はハッキリしてるのか?何があった?」
すぐ近くまで駆け寄って問い掛ければ、トリシアが仰向けで寝転がったまま、天井を見た。
その目には、泣き腫らした跡が見える。
「……教室に入ったら…アイラの…襲われてる映像が流れてて…、それに気を取られてるうちに、背後から羽交い締めにされたの」
「………!」
「咄嗟に、魔術具で抵抗したんだけど…自分に跳ね返ってきちゃってケガしたの。そのまま気を失って…気付いたらここにいた」
「誰が、そんなこと…!」
「……私…医務室の先生と仲が良くてね、どうなったのか聞いたの。そしたらね…私が、アイラに嫌がらせをした主犯になってたっ…」
トリシアの瞳から、大粒の涙が零れた。
「……っ、それで、私を傷つけたのが、アイラってことになってるの。……どうしてなの?私たちはただ、夢に向かって頑張っていただけなのに、どうしてっ…!」
「もういい、トリシア」
エルヴィスは、トリシアの体に覆いかぶさるようにして抱きしめた。小さな体が、腕の中で震えている。
「……お前は、良く頑張った。あとは俺に任せてくれ」
「……兄さん…?」
「お前の夢は、こんなところで終わらせない」
そう言いながら、エルヴィスはまた強くトリシアを抱きしめた。
―――あの日、トリシアを護ると決めた。学校側がトリシアの話を信じないと言うなら、俺がトリシアの道を作ってやる。
そして彼女……アイラにも、必ず。
エルヴィスはすぐに動いた。
学校長を呼び出すと、トリシアの兄が騎士団長だということにとても驚いていた。
トリシアの名誉のためにも、今回の件はアイラも含め、一切の無実だとエルヴィスは言い切った。
だが、それを示す証拠は無いと分かっている。だからこそ、トリシアは自主退学させると告げた。
そして、魔術具開発局へと連絡を入れる。
局長のスタンリーに事情を話し、トリシアが開発した魔術具をいくつも持って、エルヴィスは直接交渉に向かった。
そして驚くほどあっさりと、トリシアを開発局で働かせてもらえることになる。
スタンリーはトリシアの魔術具を、少年のように目を輝かせて魅入っていた。
しばらく自宅療養としてマクレイ家に戻っていたトリシアは、エルヴィスの突然の報告に口をポカンと開けた。
「……退学?………開発局で働ける!?」
「ああ、そうだ」
「〜か、勝手にそういうことする!?」
トリシアはそう叫びながら、両手で顔を覆った。
「退学…退学…学歴に傷つくわよね…?でも憧れの開発局で働けるなら関係ない…?」
何やらぶつぶつと呟いていたトリシアは、エルヴィスに近付いてくると、胸元を拳で叩く。
「勝手なのは許さないけど、結果的に許す!……代わりに兄さんが悪者になったりしてないわよね?」
「………ああ、大丈夫だと思う」
「もう……でも、ありがと。兄さんはいつも、私を護ってくれるわね。兄さんだけじゃなくて…たくさんの人に、私は助けられた」
金色の瞳を細め、トリシアは微笑む。懐かしむような、慈しむような、そんな優しい微笑みだった。
「……私ね、孤児院にいたときの記憶が、少しだけ残っているの」
その言葉に、エルヴィスはピクリと反応する。
当時五歳だったトリシアは、孤児院が襲われ、逃げ出す途中で気を失っていた。
目覚めたときはすでに城にいて、ゼラスと相談した結果、トリシアに真実を話すことはしなかった。
いずれ、真相に辿り着くかもしれない。けれどそのときまで、嘘をついてトリシアの心を護ろうと決めていた。
孤児院は経営難に陥り、エルヴィスとトリシアは騎士団長のゼラスに引き取られた。
他の子どもたちも、それぞれ別の場所へ引き取られている―――それが、トリシアについた嘘だった。
「エルヴィス兄さんと…他にも、兄さんや姉さんに遊んでもらった記憶。それから、暗闇の中を誰かに抱きかかえられている記憶……」
「………」
「大丈夫だ、大丈夫だ、って。ずっと囁いてくれていた声が、耳に残ってるの。それは兄さんじゃない、別の誰かの声よ」
あの夜、トリシアを抱えて走っていたのはアーロだ。エルヴィスと一番仲が良かった友人であり、兄弟。
そして、“生きろ“と、トリシアを託してくれた。
「……私は、幸せ者ね。その誰かと、エルヴィス兄さん、ゼラス団長、シリル副団長…たくさんの人たちに助けられて、こうやって自分の道を歩くことができるんだから」
「………トリシア…」
エルヴィスは、トリシアの名前を呼ぶだけで精一杯だった。
トリシアの記憶の片隅にアーロの存在が残っていたことに、胸が熱くなる。
ふふっと笑いながら、トリシアが言葉を続けた。
「それでね、兄さん。助けられてばかりの私が、助けたいと思う大切な友達がいるの」
「……それは…アイラ・タルコットか?」
「そう。アイラは今、家に引きこもってるみたいで…誰よりも、助けを必要としているの。私、アイラに諦めないでって伝えたい」
その真剣な瞳を見て、エルヴィスは微笑み返す。アーロが護った小さな命は今、とても強く輝きを放っていた。
「……ああ、お前になら救えるはずだ」
「うん…!私、さっそくアイラの家に行ってくる!」
「待て、彼女は貴族だろ?俺が訪問の約束を取り付けよう」
勢いで部屋を飛び出そうとするトリシアを引き止め、エルヴィスはタルコット家に訪問の連絡を入れた。
その際にアイラの様子を訊ねたが、部屋に引きこもって一度も外へ出ていないようだった。
それから、トリシアはアイラに会いに行き、しょんぼりと肩を落として戻ってきた。
言いたいことは伝えられたが、返事は返ってこなかったし、姿も見せてもらえなかったらしい。
それでも、トリシアは諦めていなかった。
「兄さん!私、開発局でもっともっと頑張るわ!それで、アイラを必ず助けるの!アイラの居場所を、作ってあげるんだから!」
そう言って、トリシアは様々な魔術具を開発し続けた。
合間にはアイラに手紙を欠かさずに出し、タルコット家の侍女伝てにこっそりとアイラの様子を聞いていた。
そしてある日、トリシアから魔術具を渡される。瑠璃色の石が輝く、ペンダント型の魔術具だった。
「なんだ、これは?」
「時を遡る魔術具よ」
「……何だって?」
ありえない言葉が聞こえ、エルヴィスは眉を寄せて聞き返した。
トリシアも同じように眉を寄せ、その顔には緊張が滲んでいる。
「……だから、時を遡る魔術具よ。あんまり大声では言えないけど」
「……それはそうだろ…お前、なんてものを開発したんだ?」
時を、遡る。本当にそんなことができるとしたら、そんな魔術具が悪用されてしまったら、どうなってしまうのか。
思わず責めるような口調になってしまったエルヴィスに、トリシアは泣きそうな顔をした。
「だって…!アイラを救いたい一心で開発してたら、できちゃったんだもの…!アイラを完全に救うには、魔術学校に入学する前に戻ればいいんじゃないかなって思ったのよ…!」
「……戻ったとしても、また同じ道を歩むかもしれないだろ?」
「もし、そうなったら…それはアイラの選択だわ。そのときまた、私が…友達になれればいいのよ」
「なれれば、か…。つまり、これを使って時間を遡ったとき、当然ながらその記憶があるのは当人だけってことだな?」
トリシアが悲しそうな顔で頷く。入学前に戻れば、魔術学校での出会いは全て、無かったことになるということだ。
自分の記憶から、アイラがいなくなってしまう。それはトリシア自身と同時に、アイラも苦しめてしまうだろう。
それでもトリシアは、アイラを救う方法の一つとして、この魔術具を開発してしまったのだ。
「……これを、どうして俺に?お前が彼女に渡せばいいだろ」
ペンダントを握りながらエルヴィスがそう訊けば、トリシアは首を横に振る。
「私が渡せば、今のアイラは自分を責めてしまうと思うの。私に引け目を感じて、使ってもらえないかもしれない」
「………」
「でも、兄さんなら今まで接点はないでしょ?騎士団長だし、何か理由をつけて会いに行って、それとなく渡してほしいのよ」
「……だいぶ無理がありそうだな?」
「わ、分かってるわよ!でも…お願い、兄さん!」
手のひらを合わせたトリシアに懇願され、エルヴィスはため息を吐く。
「とりあえず…預かりはする。が、この魔術具は危険すぎる。これを使う前に、他に彼女を救う方法はないか考えるぞ」
そう言いながら、トリシアの頭をポンと叩いた。
このときエルヴィスは、時を遡るという魔術具を、アイラに渡すつもりはなかったのだ。
けれど、また運命の選択のときがやってくる。
***
その日、エルヴィスは団長室にいた。
新人騎士たちの入団式が終わり、部屋でひと息ついていたところだった。
ノックと同時に扉が開き、フィンが部屋に入ってくる。
「フィン。何度も言うが―――、」
「団長!火事の報告がありました!」
フィンの言葉に、エルヴィスは表情を変えると先を促す。
騎士団まで報告が上がるということは、一般では消せない炎…つまり、魔術の可能性があるということだ。
「分かった。魔術師協会にも連絡を入れよう……場所は?」
「元魔術師が、既に現場にいるそうです。……火事が起きているのは、タルコット男爵邸です」
「―――何だって?」
エルヴィスは思わず聞き返してしまった。聞き間違いではないと分かっている。
既に現場にいる元魔術師とは、タルコット男爵のことだろうということも気付いた。
けれど、聞き間違いであってほしかった。
現場には間違いなく、部屋に引きこもっているというアイラがいるのだから。
「……俺は先に行く!フィン、すぐに騎士団で手のあいてる者を集めて現場に向かえ!」
「え?あ、はい!了解です!」
フィンがすぐに団長室を出て行くと、示し合わせたかのように窓からロイが入って来た。
「聞こえてたぞ。俺はどうすればいい?」
「フィンを追って、姿を隠しながら現場に来てくれ。火事は意図的に起こされた可能性が高い。男爵邸の周辺に、何か事件に関する痕跡がないか探してくれ」
「了解」
真剣な顔で、ロイはすぐに窓から姿を消した。エルヴィスは心の中で感謝する。
―――徹底された嫌がらせを受け、魔術学校に居場所を無くしたアイラ。引きこもっているところに起きた火事…これは、偶然なのか?
頭をよぎった嫌な考えを追い払うように、エルヴィスは転移用の魔術具に魔力を込めた。
アイラの無事を祈りながら、エルヴィスは一瞬で転移する。そして目の前に見えたのは、勢いを増す炎に包まれる邸宅だった。
離れていても肌を焼くような熱さに、ごくりと喉を鳴らしていると、叫び声が耳に届く。
「……いや!離して!まだアイラが中にいるのよ…!」
「……落ち着くんだ、セシリア…!」
アイラが、中にいる。エルヴィスはサアッと血の気が引き、アイラの名前を叫び続ける女性の近くまで駆け寄った。
そばには炎に飛び込んで行きそうな女性を止める男性と、使用人の格好をした者たちが大勢いた。
「中にまだ、人がいるのか!?」
エルヴィスの声に、男性がパッと振り向く。
「……貴方は、騎士…?」
「騎士団長だ。それより、中に人が?」
「もしかしたら…娘が逃げ遅れているかもしれないんだ。姿が確認できない。……私の魔術でも、この炎は広がりすぎて消せずにっ…」
悔しそうに唇を噛んだアイラの父親は、燃え盛る炎を睨みつけている。母親は涙を流しながらエルヴィスを見た。
「ああ…お願いです!アイラを、アイラを…!」
「彼女の部屋の場所は?」
「……二階の、角部屋です…!」
アイラの母親が、震える指で部屋を指差す。そこを見上げたエルヴィスは、部屋から少し離れた位置にある木に目を付けた。
火事の発生源から部屋まで距離があったのか、他の場所よりは炎の勢いが弱い。
素早く駆け出すと、慣れた動作で木に登る。高さを確認し、躊躇うことなく跳躍した。
ガシャンと音を立て、窓が割れる。
部屋に飛び込んだエルヴィスは、本棚に押し潰されるように倒れているアイラを見つけた。
「―――アイラ!!」
名前を呼びながら、エルヴィスはアイラの元へ駆け寄ると膝を着く。
「アイラ!しっかりしろ…アイラ!」
何度も必死に声を掛ければ、閉じていたアイラの瞼がゆっくりと持ち上がった。
虚ろな瑠璃色の瞳に、エルヴィスが映っている。
「………きれい…」
アイラが掠れた声でそう呟き、涙が頬を伝う。そしてまた瞼を閉じてしまった。
エルヴィスは胸をぎゅっと掴まれたように苦しくなった。
「アイラ!……アイラ…くそっ!上手くいくか分からないが、これに懸けるしかない…!」
エルヴィスは胸元からペンダントを取り出した。トリシアから預かっていた―――時を遡るという魔術具だ。
できれば頼りたくなかった。これを使ってどうなるかは分からない。
それでも、目の前で消えかけているアイラの命の灯火を、そのまま眺めていることなどできるはずがなかった。
エルヴィスはペンダントをアイラの手に握らせ、自身の手のひらをその上にそっと乗せる。
―――アイラはもう、自分で魔力を込めることはできない。それなら、俺の魔力を使って、アイラの魔力を一緒に押し込むようにすれば―――…!
必死に込めたエルヴィスの魔力は、アイラの魔力と混ざり合ってペンダントに流れていった。
そして、眩い光が部屋中を照らす。
―――気付けばエルヴィスは、団長室のベッドの上に横たわっていた。




