81.エルヴィス・ヴァロアの物語⑦
国境の砦の建設が素早く決まり、副団長が一斉に変わって新体制の騎士団が整えられてから、早くも半年が過ぎた。
エルヴィスが騎士団長となってから一年が経つが、未だに騎士団は上手くまとまっていない。
エルヴィスを疎んでいる騎士たちは、あと一年ほどで完成予定の砦に配置されることになっている。
それも全員ではないし、人選に関してはだいぶ揉めたが、シリルが上手くまとめてくれていた。
「おや団長、お疲れのようですね」
「……フィン」
廊下を歩いていたエルヴィスに、新しい副団長で、第一騎士団所属のフィンが声を掛けてきた。
長めの銀髪を頭の後ろで結び、真珠色の瞳を持つ容姿端麗なフィンは、恐ろしく女性の使用人から人気がある。
さらに実力もあり、騎士団に入る前にシリルが指導したことがあるらしい。新しい副団長へと、シリルが最も推薦していたのがフィンだ。
年齢は一つ上だが、入団はエルヴィスの方が早い。
それでも、騎士団で存在が浮いていたエルヴィスに対して、フィンは気にせずよく話しかけてきてくれていた。
「お前は、急に副団長になったけど大丈夫か?陰口叩かれてないか?」
「やだなぁ団長、何でもそつなくこなす、この俺ですよ?」
「そうか、それなら良かった」
「いやここツッコむところですからね!?」
団長は真面目すぎるんだよなぁー、とフィンがぶつぶつと言っている。
歩きながら、何人もの騎士とすれ違った。ちゃんと挨拶をしてくる者もいれば、あからさまにエルヴィスを避けてフィンだけに挨拶する者もいた。
「……団長、今の第三騎士団の騎士ですよ。セルジュさんにぶっ飛ばしてもらいます?」
「普段のセルジュじゃ無理だろ。別に良い、アイツらは砦に行く予定だ」
「ええー…俺だったら速攻辞めさせますけどね」
砦に行ったとして、真面目に働くかどうかは分からない。そこから先は、シリルたち前副団長に任せることにしていた。
「……いちいち相手にしてたら、きりがない。優先すべきことは他にたくさんあるからな」
「そうですね…でも団長、全部一人でなんとかしようとしないでくださいよ?」
「ああ、ありがとう」
お礼を言えば、フィンは嬉しそうに笑っていた。
いくら割り切っていても、悪意ある視線や言動というものは、知らずに心を蝕んでいく。
「……ちょっと兄さん、聞いてるの?」
トリシアに顔を覗き込まれ、エルヴィスはハッと我に返った。
今日はマクレイ家の養女となって城を出て行ったトリシアが、エルヴィスに会いに来てくれていたのだ。
団長室で話していたところだったが、途中から全く話を聞いていなかった。トリシアがぐっと眉を寄せる。
「ねぇ、大丈夫?無理してるんでしょ?」
「………してない」
「今ちょっと悩んだでしょ!も〜…もっと周りを頼ってよ」
連日の寝不足で、うまく頭が回らないのだ。それに加えて、エルヴィスに反抗する騎士たちの態度が悪化しているため、正直逃げ出したく思ってしまっている自分がいた。
額に手を当て、隠さずに大きなため息を吐き出すと、トリシアが何やら鞄をゴソゴソと漁り始めた。
「……何を探してるんだ?」
「そんな甘え下手な兄さんのために開発した魔術具があって……あ、これこれ!」
トリシアが取り出したのは、小型の魔術具だ。
魔術具はなかなか小型にするのが難しいとされているが、どうやらトリシアはどんどん腕を上げているらしい。
「これね、髪と瞳の色を変えられるのよ。ちょっとした変装になるでしょ?これで気分転換してほしいなと思ったの」
「髪と、瞳を…?」
手にした魔術具を眺めながら、エルヴィスが呟く。
エルヴィスと髪と瞳の色は特徴的で、遠くからでもすぐに分かるが、それを変えられれば、別人のようになれるかもしれない。
「本当は声とか体格も変えられたらよかったんだけど…私にはまだ作れなかったの。あと効果の持続時間もまちまちだし、副作用があるわ」
「副作用?」
「少し自分で試してみたんだけど…体調が悪くなるの。ものすごく」
その時のことを思い出したのか、トリシアが遠い目をした。エルヴィスは苦笑する。
「……ははっ、ありがとうトリシア。せっかくだし近い内に使ってみる。正直…別人になりたいと思っていたところだ」
「どういたしまして!」
それから雑談をして、トリシアは試験勉強のために帰って行った。
エルヴィスはもらった魔術具を、角度を変えながらじっと見つめる。
―――騎士団長になってから、魔術具に触れる機会は増えたが…精巧な作りがよく分かるな。
トリシアには間違いなく才能がある。来年の試験に合格すれば、魔術学校への入学が決まる…。
夢に向かって頑張るトリシアが、合間を縫ってエルヴィスに魔術具を開発してくれた。
そしてその効果は、間違いなく今エルヴィスが必要としているものだ。
執務机の上にある、様々な任務の依頼表を確認すると、ある項目に目を止めた。
タルコット男爵家の、ガーデンパーティーの警備。比較的人数を必要とするため、団服を着ていれば潜り込めそうだ。
エルヴィスは、そのパーティーの日に魔術具を使ってみようと決めた。
少しの間でも、別人になれる。誰にも騎士団長だと気付かれずに過ごせる。
そう考えただけで、不思議とエルヴィスの心は軽くなっていた。
***
ガーデンパーティー当日、エルヴィスはさっそく魔術具を使用した。
魔力を込めれば、髪は黒から赤に、瞳は紅から茶に変わっていった。
髪の色は少し目立つが、鏡に映るいつもとは全く違う姿の自分に、エルヴィスは気分が高揚していた。
団服はいつものものを着て、剣は練習用のものを拝借した。
ちなみに、エルヴィスは剣を二本持っている。ロイがくれた対魔術用の剣と、いつも身につけているゼラスの形見の剣だ。
いつもと違う剣を腰に下げることに落ち着かず、念のためトリシアがくれた攻撃用の魔術具を何個か持って行くことにする。
タルコット男爵邸に着き、門の前に集まる騎士たちの中にさり気なく潜り込んだ。
誰もがエルヴィスだとは気づかず、他の団の知らない者だと思われているのか、気にも留められない。
誰にも興味を持たれないことが嬉しく、エルヴィスは邸宅内へ入ると警備と称して人気の少ない中庭へ向かった。
そこでしばらく綺麗に整えられた庭を眺めていたところで、突然目眩に襲われたのだ。
「………っ」
トリシアが言っていた副作用だと、すぐに分かった。目眩に加え、頭痛と吐き気がやってくる。
ふらついた足取りで、エルヴィスはなんとかベンチに腰掛けた。目の前の噴水をぼんやりと見つめながら、あまりの痛みに瞼を閉じる。
そして、少し痛みがマシになったかと思ったときだった。
「………!大丈夫ですか!?」
突然誰かに声を掛けられ、エルヴィスはしまったと思いながらそっと瞼を持ち上げた。
深紅のドレスが目に映り、どこかの令嬢だと認識する。
「……ん…、ああ…大丈夫だ」
「どうされましたか?気分が悪いのですか?」
「いや、少し………、」
そこでエルヴィスは、初めて声を掛けて来た相手の顔を見て、息を呑んだ。
蜂蜜の綺麗に編み込まれた髪に、長いまつ毛に縁取られた瑠璃色の大きな瞳。
色白の滑らかな肌に、艶のある唇。
まるで天使のような容貌の少女に、エルヴィスは目を奪われてしまったのだ。
「あの…?」
「……何でもない、大丈夫だ。ありがとう」
きょとんとした顔で問いかけてきた少女に、エルヴィスは慌てて答えると立ち上がった。
すると、少女が心配そうに眉をひそめる。
「騎士さま、ですよね?本当にお体は大丈夫ですか…?」
「……ああ。少し目眩がしただけだ。……では、俺は警備に戻る」
「そうですか…、お気を付けてくださいね」
優しい少女だな、と思ったエルヴィスは、フッと微笑む。
そしてその場から立ち去ったはいいが、すぐに邸宅の壁にもたれかかるようにして座り込んだ。思ったよりも、魔術具の副作用が強い。
―――あそこで、倒れなくて良かった。あの令嬢の前で、そんな無様な姿は見せたくない。………?
そう思ったところで、エルヴィスはふと首を傾げる。どうしてあの少女に、無様な姿を見せたくないと思ったのだろうか。
疑問に思っていると、男の声が耳に届いた。
「こんにちは、アイラさま。ぜひお近付きになりたいと思っていましたが、こんな所におられるとは」
……アイラ。もしかして、先ほどの少女の名前だろうかと思いながら、エルヴィスは声の方へ視線を向けた。
タルコット家の情報にはザッと目を通していたが、娘の名前が確かアイラだったと記憶している。
庭園に植えられた植物の隙間から、少しだけ人影が見えた。
しばらく声に耳を傾けていると、嫌がる少女に男が言い寄っているようだった。止めに入りたいが、貴族の間に入るとややこしいことになる可能性が高い。
今のエルヴィスは騎士団長ではなく、ただの騎士なのだ。
迷っているうちに、少女が悲鳴に近い声を上げた。
「あの、放してくださいっ……」
その声を聞いた瞬間、エルヴィスは立ち上がる。トリシアがくれた魔術具を手に持ち、足早に男に近付くと、魔力を込めた。
「でも僕は優しいから、ただお話するだけにしようと―――、」
魔術具から光が飛び、男が意識を失ったように崩れ落ちた。
男に腕を掴まれていたアイラは、一緒に倒れそうになる。エルヴィスは慌てて少女を支えた。
「―――大丈夫か?」
声を掛けながら、地面に転がる男に視線を向ける。
「……思ったより効果が出たな…」
「ど、どうして突然倒れたのですか?」
「ああ、これを使わせてもらった」
エルヴィスが魔術具を取り出して見せると、少女の目が輝く。どうやら魔術具に興味があるようだ。
「魔術具が使えるということは、騎士さまには魔力があるのですか?」
「ああ。……使いこなせはしないがな」
「簡単な魔術なら、少し練習すれば使えますよ。騎士さまの役に立つかもしれません」
「……考えておく。君は、先ほど名前が聞こえたが…この家の令嬢なのか?」
エルヴィスがそう問い掛ければ、少女は慌てて礼をした。
「申し遅れました。アイラ・タルコットと申します」
「そうか、俺は……名乗るほどのものじゃない。ただの騎士だ」
今の自分は、騎士団長ではない。正体を偽っていることが少し申し訳なく思っていると、少女…アイラが首を横に振る。
「……ただの騎士さまではありませんよ。私に救いの手を差し伸べてくれた、とても優しい騎士さまです」
「それは…随分と俺に都合がいいな?」
「いいのです。私は助かりましたから」
アイラが笑って言ってくれた言葉に、エルヴィスも小さく笑う。
「……君は、魔術師を目指すのか?」
タルコット男爵家は、魔術師の家系。その情報を事前に知っていたエルヴィスは、思わずそう問いかけていた。
「はい、もちろんです。父のような魔術師を目指しています」
「そうか…いずれ、一緒に任務に就くことがあるかもしれないな。頑張れ」
エルヴィスはポンと優しくアイラの頭を叩く。トリシアと同じ年頃に見えるため、つい妹のような感覚で触ってしまっていた。
しまった、と思ったが、アイラは微笑んでくれる。
「……はい。立派な魔術師になってみせますね」
「俺も、騎士の道をしっかりと歩もう」
顔を見合わせ笑い合うと、遠くからアイラの名前を呼ぶ声が聞こえてくる。
正体がバレたらまずいと判断し、エルヴィスは名残惜しくも、静かにその場から立ち去った。
―――アイラ・タルコット。
その名前とアイラの笑顔が、エルヴィスの心に強く残る。
また逢いたいと思いながら、本来の騎士団長の姿へと戻っていった。
***
アイラと会い、言葉を交わしたことで、エルヴィスはやる気に満ち溢れていた。
魔術師を目指すアイラと、いつか一緒に仕事をする。その光景を思い描きながら、強く頼れる騎士団長になろうと日々を過ごした。
翌年、国境付近の砦が無事に完成し、シリルたちが異動することとなった。
孤児院で居場所を失い、元騎士団長のゼラスが騎士団に居場所を与えてくれた。
そのときから、よく一緒の時間を過ごしてくれたシリルがいなくなることに、エルヴィスは心穏やかではいられなかった。
「今生の別れじゃないんだから、そんな悲しい顔するなよ、エルヴィス」
「……でも、お前が配属されるのはここから一番遠い砦だろ」
「ま、生きてりゃそのうち会えるさ。……体に気をつけろよ?」
少しだけ、シリルの瞳が揺れる。ゼラスのことを思い出しているのだろうか。エルヴィスはシリルを安心させるように、胸を張って頷いた。
エルヴィスに反感を持っていた騎士を、多く引き連れて行ってくれたため、前よりも騎士団の団結力が上がったように思えた。
けれど、まだ足りないと、エルヴィスは自身を鼓舞し続けた。
そして、トリシアが魔術学校の試験に合格する。
報告を聞いたエルヴィスは、一緒になって喜びながら、頭にふとアイラの姿が思い浮かんだ。
魔術師を目指すなら、魔術学校に入学するはずだ。もしトリシアと同じ年齢なら、アイラも試験を受けたのだろうか。
そこまで考えて、またエルヴィスは頭を傾げるのだった。
「……おいエルヴィス、それは恋だぞ」
団長室でロイにそう言われ、エルヴィスは危うく椅子から転げ落ちそうになった。
あまりの動揺を見せてしまい、ロイがケラケラと笑い出す。
「おま、ぶわっはは!何だその反応!初恋かぁ!?」
「………う、うるさい」
「顔真っ赤だぞぉ!?うーわ、騎士団の連中に見せてやりた嘘です調子乗りましたごめんなさい」
そのときエルヴィスがどんな顔をロイへ向けたかはさておき、指摘されて初めて自身の恋心に気が付いた。
それも、妹ほど歳の離れた少女に、である。
自覚したその日の夜から、何度もエルヴィスの夢の中にアイラが登場した。
夢の中で、エルヴィスとアイラは共に何かと戦っていた。それが何故か、とても幸せに感じられた。
そして、逢えることのない日々が続いても、エルヴィスの中で想いが募っていたそのとき。信じられない偶然が、飛び込んで来たのだ。
それは、魔術学校に入学したトリシアが、時間を見つけてエルヴィスに会いに来たときだった。
「兄さん、聞いて!今日の授業で、首席合格した貴族の子と、友達になれたの!」
「……首席か、すごいな」
「でしょう!?お家が魔術師の家系なんだって!しかもね、すっごく可愛いの!」
魔術師の家系、という言葉に反応しながらも、エルヴィスはまさかな、と首を振る。
ところが、そのまさかだった。
「タルコット男爵家のご令嬢なんだけど、兄さん知ってる?アイラっていうの!」
「………アイラ…?」
こんな偶然があるのだろうかと、エルヴィスは目を丸くした。
ひと目見て恋に落ち、逢いたくてたまらなかった少女が、妹と友人になったという。アイラの存在は、トリシアには一言も話していなかった。
「あ、やっぱり知ってるの?有名なのよね、アイラ」
「……いや、名前を聞いたことがあるだけだ。顔は知らない」
咄嗟に嘘をついたエルヴィスに気付くことなく、トリシアは「そうなの?」と言いながらも、アイラは魔力が高く、特に補助魔術が得意で凄いと褒め続けていた。
エルヴィスはその話を聞いている間ずっと、心臓の音がうるさくてたまらなかった。
トリシアと友人になったなら、いずれ会うことがあるかもしれない。
そう浮かれていたエルヴィスだったが、その機会が訪れることもなく時が過ぎていく。
あっという間に二年の月日が流れた。
騎士団長の仕事にようやく慣れ、団員たちがまとまり、周辺の各国との関係も良好で、エルヴィスは充実した毎日を送っていた。
それでも、頭の片隅には常にアイラの笑顔があった。ここまで自分が恋に酔えるものだと、エルヴィスは思ってもいなかった。
仕事が落ち着き、少し行動してみようかと思い立ったエルヴィスは、トリシアが養女となったマクレイ家を訪れていた。
そこでそれとなくアイラの話題をだしてみれば、トリシアがいきなり泣き出したのだ。
「トリシア?どうした?」
「……ゔゔ〜…、アイラが…アイラがっ…!」
ボロボロと涙を零すトリシアを宥め、エルヴィスは話を聞いた。
誰の仕業か、アイラは無実の罪をいくつも着せられ、誹謗中傷を受けているという。
アイラの周囲からはどんどん人が離れ、それでもトリシアは彼女の味方だった。
けれど、アイラはトリシアを避け始めたという。
「……アイラのことだから、私にも危害が及ばないようにって思ってるんだわ…!一番傷ついて、辛い思いをしているのはアイラなのに…私一人の力じゃ、なんの助けにもなれないの…!」
涙でぐしゃぐしゃになった顔で、トリシアが嘆く。エルヴィスは怒りで拳をぐっと握りしめた。
―――俺だって、何の力にもなれない。騎士団長という肩書があっても、魔術学校という場所では役に立つはずもない。
悔しいが…彼女を救えるのは、トリシアしかいないんだ。
「……あきらめるな、トリシア」
「兄さん…?」
「大切な友人なんだろう?お前にできること…お前の、得意なことは何だ?」
じっと目を見て問い掛ければ、トリシアがハッと息を呑む。そして唇を結ぶと、音を立てて立ち上がった。
「……ありがとう、兄さん。私にできること…私だからできること、あったわね」
そう言うが否や、トリシアは自室に籠もってしまった。トリシアの得意なこと…魔術具の開発に思い至ってくれたらしい。
それならば、とエルヴィスは思考を巡らせる。直接この手で護ることはできない。だが、間接的に護る方法ならあるのだ。
「……負けるな、アイラ」
エルヴィスも椅子から立ち上がると、マントを翻して城へと戻っていった。




