80.エルヴィス・ヴァロアの物語⑥
隣国が国境を越え、攻め入る姿勢を見せていると報告があったとき、エルヴィスはトリシアと一緒にいた。
ちょうど昼休憩の時間で、中庭で一緒に昼食をとっていたのだ。
報告に来たのは、副団長のシリルだった。
いつも陽気な男だが、さすがにこのときは緊迫した表情を浮かべていた。
「エルヴィス、至急現場に向かうぞ。第一、第二騎士団が先に向かい応戦し、囲い込むように第三騎士団が合流する。前の作戦通りだ」
「……分かった。すぐ向かう」
エルヴィスはすぐさま立ち上がると、真っ青な顔をしたトリシアを振り返る。
「トリシア。部屋に戻って、念のためそこから出るなよ」
「兄さん…待って、行かないで…!」
トリシアがエルヴィスの腕を掴んだ。今にも泣き出しそうな顔をしている。
「……大丈夫だ。必ず勝って戻って来る」
「………でもっ…」
「どうした、兄が信用できないのか?」
そう言えば、トリシアは不満そうに手を離す。
「そんな言い方、ずるいんじゃないの?私が兄さんを信用しないと思う?」
「どうだろうな?」
「もう!じゃあこれ、持っていって。シリル副団長も!」
トリシアは口を尖らせながら、エルヴィスとシリルに魔術具を手渡す。シリルが感嘆の声を漏らした。
「トリシアお前、また作ったのか?すげぇなぁ」
「ふふん。防護壁を作り出す魔術具よ!小さいしそんなに強度はないから、一人用だけどね」
トリシアは十二になり、見た目も中身もだいぶ成長していた。
魔術の勉強もしていたトリシアは、数年前から魔術具の才能を開花させた。
設計図を難なく読み取り、それを作る過程で自分なりの改良を加えている。
魔術具開発局の局員にそれを初めて見せたときは、百年に一度の逸材だと褒め称えられていた。
その評価を受け、ゼラスは少しでもトリシアが進む道の手助けになるようにと、ある家の養女にならないかという提案を持ちかけた。
その家は、代々魔術具開発に携わる家系だった。夫婦は揃って開発局の局員だったが、子どもに恵まれなかった。
トリシアの話をしたところ、ぜひ家族になってほしいと喜んでくれたらしい。
その話を聞いて、エルヴィスはゼラスの提案に賛成した。
トリシアは寂しがっていたが、会えない距離じゃないし、何より夢を追いかけてほしい。そう伝えれば、トリシアは真剣な顔で頷いてくれた。
来年、トリシアはマクレイ家の養女となることが決まっている。
そして、魔術学校への入学を目指すのだ。
「あ、兄さん。もう一つあるの。ゼラス団長に渡して」
「……分かった。さすがだな、トリシア」
ポンと頭を撫でれば、トリシアが嬉しそうに笑う。この笑顔を護るためにも、早く片付けて帰ってこなければとエルヴィスは思った。
「じゃあ、行ってくる」
「うん…気をつけてね!」
トリシアに見送られながら、エルヴィスとシリルは戦場へと向かって駆け出した。
馬を走らせ、途中何人もの騎士と合流しながら、シリルを先頭に風を切っていく。
団長であるゼラスは、知らせを聞いて誰よりも早く駆け出して行ったと、シリルが言っていた。
ゼラスの病を知っているエルヴィスとしては、あまり無茶はして欲しくなかった。
けれど、無茶をしなければならないのが騎士団長という立場だということも知っている。
騎士団長であることを誇りに思っているゼラスはきっと、最期まで騎士であろうとするのだろう。
報告のあった現場は、国境の近くの渓谷だった。
そこに辿り着いたエルヴィスたちは馬を止め、目の前の光景に言葉を失った。
敵国の騎士たちが、既に多く地面に倒れている。
それでもまだ動ける騎士の数は圧倒的に多いが、その騎士たちをこちらに近付けないように戦っているのは、我が国レイシャールの騎士団長―――ゼラスだった。
「………嘘だろ?」
「団長、一人であの数を…?」
向かってくる敵国の騎士を薙ぎ払うように剣を振るうゼラスを見て、騎士たちは目を見開いている。
エルヴィスもその光景にごくりと喉を鳴らすと、馬から降りて自身の剣を抜いた。
「……副団長、指示を!」
「あ、ああ!第一騎士団の者は俺に続いて、団長の加勢を!第二騎士団の者はこの場に留まり、第一線を抜け出て国に攻め入ろうとする敵を頼んだ!」
シリルが声を張り上げれば、騎士たちの返事が響く。エルヴィスはすぐに地面を蹴り、シリルより先にゼラスの元を目掛けて駆け出した。
―――団長一人で、一体何人倒した…!?あの体でっ…!くそっ…!
ゼラスに対し、敵が何人も束になって斬り掛かる。
それをものともせずに戦い、自分に有利になるよう判断して動くゼラスは、戦場においてはエルヴィスの手の届くことのない存在だった。
誰一人として、レイシャール国にはこれ以上踏み入らせないと、その背中が語っていた。
「団長!第一、第二騎士団の動ける者たちがほとんど揃いました!」
「お、待ってたぞ」
シリルが報告しながら敵に剣を振るい、ゼラスは疲れた様子も見せずに笑う。
エルヴィスはゼラスを気にしながらも、敵を減らすべく戦いに集中した。
続々と第一騎士団の騎士が揃い、敵を圧倒していく。敵国は数で勝負を仕掛けていたようだが、実力に関してはこちらの方が何倍もあった。
それでも、全く無傷というわけにはいかない。つい昨日まで笑い合っていた先輩騎士や同期の騎士が、斬り伏せられて倒れていく。
「―――っ…」
エルヴィスは、あの夜の光景を思い出していた。孤児院で、家族が次々と命を奪われていく光景を。
―――やめろ、やめてくれ…!
これ以上、大切な人たちを奪わないでほしい。その一心で、エルヴィスは強く剣を振るい続けた。
やがて、敵国の騎士は戦意が削がれたのか、降伏の意を示し、撤退していった。
エルヴィスたちレイシャール国の騎士団の勝利となり、ゼラスが剣を頭上に掲げる。
「我ら騎士団の勝利だ!良くやった!」
ワッと歓声が上がった。
それと同時に、一筋の光が遠くから伸びてくる。
騎士たちは空を見上げ、それが何かと目を凝らす。その光が目指す場所を予測したエルヴィスは、いち早く手を伸ばした。
「―――団長!!」
光の矢が、ゼラスの胸元を貫いた。
驚いた表情を浮かべ、ゼラスの体はぐらりと傾く。エルヴィスの伸ばした手は、ゼラスに届くことはなかった。
「ゼラス団長!?」
「何だこれは!?どこから!?」
「団長!しっかりしてください!」
倒れたゼラスの体を、騎士たちが囲う。光の矢が飛んできた方向を見れば、馬で逃げて行く敵国の騎士たちの姿があった。
おそらく、敵の誰かが去り際に魔術を放ったのだ。勝利を喜び、気が緩んでいるその一瞬を狙って。
「―――どいてくれ!」
エルヴィスは騎士たちの間に割って入ると、ゼラスを見た。
胸元を貫いていた光の矢が、役目を終えたとばかりに塵となって消えていく。団服の胸元は、血で赤く染まっていた。
「……心臓は、かろうじて外れている。けど…」
シリルがそう言って、拳をぐっと握った。その言葉の続きを、エルヴィスは聞く気になれなかった。
「団長…俺だ、エルヴィスだ。聞こえるか?」
「………おー、エルヴィス…。…はは…油断、しちゃったなぁ…」
空色の瞳がエルヴィスを捉え、優しく細められる。弱々しい息と共に吐き出される声に、胸が痛んだ。
「ごめん…俺の反応が遅かったから…!トリシアにもらった魔術具だって、あったのに…!」
「……おいおい…エルヴィスは何も、悪くないだろ…?……いいんだ、どうせ…いつ散るか分からない、命だったんだから…」
「……っ、そんなこと言うな!」
エルヴィスは思わず声を荒げてしまい、シリルに肩を叩かれた。
こんなときに怒鳴るなんて、エルヴィスだってしたくなかった。それでも、譲れないことがある。
「自分の命が、軽いみたいに言うな…!俺はっ…、団長のおかげで、自分の道を選ぶことができた…!」
「……エルヴィス…」
「俺は…団長に…、あなたに…!」
エルヴィスの瞳から、ぽろりと涙が零れ落ちる。
「あなたにっ…、生きていて欲しかった…!」
ゼラスの存在と与えてくれる優しさは、エルヴィスに安心と自信を持たせてくれた。
ゼラスが団長でなかったら、今頃トリシアと二人で路頭に迷っていたかもしれない。
この感謝の気持ちを、生涯かけて返していこうと思っていた。それなのに、現実はどうして残酷な運命を突きつけてくるのだろうか。
ゼラスの腕がゆっくりと動き、エルヴィスの頭をぐしゃりと撫でた。
涙で歪んだ視界の向こうで、嬉しそうに微笑むゼラスがいる。
「……その言葉だけで…俺の人生は、報われる」
「………っ」
「………よく聞け、お前たち!」
突然ゼラスが声を張り上げ、シリルを含めた騎士たちがピッと姿勢を正した。
「……俺はもう、長くない…!ここで、騎士団長の座を…エルヴィスに譲ると宣言する…!」
ざわり、と騎士たちの間に動揺が走った。それはエルヴィスも同じで、慌てて口を開く。
「何言ってるんだ!俺に務まるわけがないだろ…!」
「……いや…、エルヴィスが、誰より…適任だと、俺は思っている」
ゼラスの瞳は、真剣だった。エルヴィスはぐっと言葉を詰まらせる。
「……実力は、じゅうぶんあるし…まだまだ伸びる。…人を、喪う痛みを、苦しみを…知っていてなお、前を向く力にできる…!」
「…………」
「……人の上に…立つ素質は、出会ったときからあると…分かっていた。…エルヴィス、君なら立派な騎士団長になれる…!」
俺が保証する、と言われれば、エルヴィスはそれ以上反論などできなかった。
騎士団長からの、これ以上ない褒め言葉。それを受け止めることが、今のエルヴィスにできる精一杯の恩返しだ。
エルヴィスは自身の剣を前に突き出し、ぐっと握る。
「この…剣に、誓う…!騎士団長となり、この国を、人々を…護ってみせると…!」
ゼラスが満足そうに笑い、もう一度エルヴィスの頭を撫でる。
「………あと、一つ…お願いしてもいいか、エルヴィス」
「何でも、言ってくれ」
「……父親と、呼ばれてみたい」
照れくさそうにそう言ったゼラスを見て、また零れそうになった涙を必死に堪えた。
―――泣くな。泣くのは今じゃない。今はただ―――笑え。
「……今までありがとう、父さん」
静かに涙を流しながら、エルヴィスは笑った。ゼラスも嬉しそうに笑う。
「うん……悪くないな」
笑みを浮かべたままのゼラスの腕が、だらりと地面に落ちる。閉じられた瞼はもう、開くことはなかった。
長い沈黙が続き、鼻を啜る音や、嗚咽まじりの声が小さく聞こえてきた。
エルヴィスはただ呆然と、涙を流したままゼラスをじっと見つめ、しばらくその場から動けなかった。
このあと、エルヴィスは正式に騎士団長に就任する。
反感の声も勿論あったが、ゼラスの最期を見届けた騎士たち全員の推薦があり、決定が覆ることはなかった。
そして、騎士団長となったエルヴィスが最初にしたことは、ゼラスの敵討ちだった。
「……おい、本当にやるのか?エルヴィス」
非難めいた口調でそう問いかけてきたのは、シリルだった。エルヴィスは馬を走らせながら、真っ直ぐに前を見つめている。
「ああ、やる。もう決めた」
「俺は、ゼラス団長が復讐を望むとは思えないが…」
「分かってる。これはただの、俺の自己満足だ。……でも、決めたんだ」
今、終わらせなければ、きっと生涯復讐の念に囚われてしまう。そう判断したエルヴィスは、早々に敵国を攻め、属国にしようと決めた。
国王に報告もしてあった。国王はゼラスと旧知の仲のため、騎士のみと戦うことだけ許可をくれた。いくら敵国とはいえ、国民に手を掛けてはいけないと。
それだけで、エルヴィスはじゅうぶんだった。
エルヴィスの背後からは、何人もの騎士がついてくる。
今回の戦いも命懸けになってしまうため、参戦する騎士は申告制にしたのだが、想像より多くの騎士が参加してくれた。
それほどまでに、ゼラスの人望は厚かったのだ。
「―――俺に、続け!!」
ひときわ声を張り上げ、エルヴィスは国境を越えていく。そのまま城を目指し、途中で敵国の騎士たちと戦闘になった。
前回の戦いから数日しか経っていないため、相手にも治療のあとが見受けられる。
―――この場にいる全員に、大切な人はきっといるだろう。それでも、俺は―――…。
騎士団長の証である黒いマントを靡かせ、エルヴィスは次々と敵の騎士を倒していった。
目にも止まらぬ早さで、黒い影が命を刈り取っていく。紅蓮の瞳に捉えられた敵は、思わず呟いた。
「―――…死神だ…」
この日、敵国はレイシャール国の属国となった。
ほとんどの騎士を一人で倒し、圧倒的な力を見せつけたエルヴィスは、のちに“戦場の死神”と恐れられるようになる。
属国となった騎士の家族たちからは当然のごとく恨まれ、命を狙われたこともあった。
同じ騎士団の団員からも、エルヴィスの今回のやり方に疑問を持つ声が上がった。
それでも、エルヴィスは立ち止まらずに堂々と生きていた。
ゼラスから受け継いだ騎士団長という名を、エルヴィス・ヴァロアという名を、恥じないように。
喪われたいくつもの命の重さを―――たった一人で、背負うように。
「……俺、副団長辞めるわ」
そうシリルが言ったのは、エルヴィスが騎士団長となり、半年が過ぎた頃だった。
団長室で手を止めたエルヴィスは、一度ぎゅっと唇を噛みしめてから口を開く。
「………分かった」
「おいおい、そこは嘘でも引き止めてくれよ団長〜」
シリルは苦笑しつつ、エルヴィスのそばまで来ると額を叩く。
「あのな、別にお前が団長なのが嫌だってわけじゃない。お前が先陣切ったおかげで、隣国から襲われる恐怖の芽を一つ摘んだんだ。結果的に間違っちゃいないと、俺は思う」
「……じゃあ、何故…」
「お前が団長となった騎士団は、新体制を整えたほうがいいと思ったんだ」
そう言ったシリルは、近くに椅子を持って来てドカッと座った。
「他の副団長には、既に話を通した。お前と比べれば、俺たちはもう歳だ。お前と同じくらいの年齢の実力者に、副団長の座を譲ったほうが今後の為になる」
「そんなこと、俺には…」
「やるんだよ、エルヴィス。今の騎士団じゃダメだ。少なくとも、お前に反発するやつらがいるうちは」
スッと目を細めたシリルに、エルヴィスは何も言えなかった。
確かに今、騎士団の現状は良いとは言えない。エルヴィスを支持する者と、支持しない者で分かれてしまっているのだ。
「俺が指導して第一騎士団に入った若手に、推薦したいやつが何人かいる。他二名の副団長にも、候補者を選ばせておいた。これがその書類だ」
手渡された書類に、エルヴィスは目を通す。騎士団長になってから、全団員の顔と名前は一致するように努力していた。
そのため、そこに書かれた名前を見て、すぐに実力がある者たちだと分かる。
「……分かった。俺も真剣に考えよう。それで、副団長の座を譲ったあとはどうするんだ?」
「エルヴィス反発派のヤツを何人か引き連れて、砦に移動しようかと思ってる」
「砦…?砦なんか、この国には…」
「無いな。だから造ってくれ、エルヴィス」
ニヤリとシリルが笑う。エルヴィスは思わず声を上げた。
「は?そんな簡単にっ…」
「いいだろ?砦。国境付近に造るんだ。そこに騎士を常駐させておけば、今回みたいなことになったとき、少なくとも誰か一人で大勢を相手にするなんてことはない」
「………っ、それは…」
シリルの言う通りだった。今回敵が国境を越えたと分かったのは、たまたま近くを見回りしていた騎士がいたからだ。
少しでもタイミングがずれていたら、敵国の騎士は知らずの内に城下街に攻め込んできていたかもしれない。
砦があれば、今後他国から侵略されようとしても、被害を減らすことができる。
だが、そこに副団長たちを配置するとして、エルヴィスに反発する騎士たちを押し付けてもいいのだろうかと、迷いが生じる。
「おい。人の上に立つ以上、迷いは見せるな。部下は最大限利用して、必要となれば切り捨てろ。心を強く持つんだ、いいな?」
「………」
「あの人に託された騎士団を、お前がこれから護るんだろ?」
騎士団を、護る。その響きが、エルヴィスにはとてもしっくりときた。
孤児院の家族を亡くし、新たにできた親代わりも亡くしたが、エルヴィスの居場所はここにある。
騎士団長という立場を、与えてもらえた。ならば、その新しい居場所を、全力で護ればいいのだ。
エルヴィスが席を立つと、シリルは目を瞬いてからニッと笑う。
「覚悟は、決まったのか?」
「……覚悟は、もうあの日にした。ようやく理解できたのは、俺の立場だ」
「ふぅん?何にせよ、俺は年甲斐もなくワクワクしてきたな。頑張れよ、エルヴィス!」
思い切り背中を叩かれ、エルヴィスは危うく机の上に倒れそうになった。じろりとシリルを睨んでから、窓の外に目を向ける。
「……砦の話を進めたいから、現副団長を集めて欲しい。それから、新しい副団長も一緒に…この三人に決めた」
エルヴィスが三枚の書類を抜いてシリルに渡すと、目を丸くされた。
「もう決めたのか?話はしなくていいのかよ」
「拒否権は無いと伝えてくれ。俺はお前たち以外を副団長にする気は無いとも」
「……それはまぁ…騎士団長に言われるヤツは最大の褒め言葉だな。最大の脅しでもあるけど」
了解した、と笑ってシリルは書類を持って出て行く。それを確認してから、エルヴィスは窓を開けた。
「……いるんだろ、ロドリック」
「おお、やっぱバレてたかぁ」
慣れた動作で窓から入り込んできたロドリックは、何故か笑っている。
「俺はさ、エルヴィス。団長がこの世からいなくなったと知って、真っ先に心配したのはお前のことだったんだよ」
「……そうか」
「そ。でも、杞憂だったな。今のお前の顔は晴れ晴れしてる。俺は安心した」
ロドリックはいつもの定位置であるソファに腰掛けた。エルヴィスは少し躊躇いながらも、騎士団長となってから考えていたことを口にした。
「ロドリック。……俺は、お前を雇いたい」
「……んん??」
何を言われたか分からないというように、ロドリックが首を傾げる。
「俺を雇ってどーすんだ?前の団長がくれたような仕事を、やらせてくれるってことか?」
「違う。俺のために動いてほしい。役割は…主に城内の密偵だ。それと…内々の処理」
「……ふぅん?」
内々の処理とはつまり、汚れ仕事を請け負えということだ。暗殺業から足を洗ったロドリックに頼むには、自分勝手だと分かっている。それでも。
「―――俺は、お前が欲しい」
真っ直ぐに見据えてそう言えば、ロドリックがブハッと吹き出した。
「ぶわっははは!ちょい待て、求婚かそれ!?」
「……違う」
「いーよ、受けてやるよその求婚」
ケラケラと笑いながらロドリックがそう言ったので、エルヴィスは目を丸くする。
「い…いいのか?」
「何だよ、俺が欲しいんだろ〜?くれてやるくれてやる。もうおっさんだけどなぁ。……あ、じゃあアレだ、名前変えたいからお前付けてくれ」
ロドリックは、誰かの命を奪う度に名前を変え、自分を捨てていくと言っていた。
エルヴィスに雇われることで、心機一転といきたいのかもしれないが、エルヴィスは抵抗があった。
「……俺が出会ったのは、“ロドリック“だ」
「ん〜そうなんだけど、前の上司に付けてもらった名前だしなぁ。俺は、お前の密偵となる新しい自分の名前を、お前に決めてほしい」
楽しそうに、嬉しそうに。そんな顔でロドリックに言われれば、エルヴィスはじっと動きを止めて考えた。
あまり“ロドリック”から遠くならず、呼びやすい名前が良い。ふと頭に思い浮かんだ名前を、そのまま口にした。
「―――…ロイ」
「ロイ?……いいじゃんか、ロイ、ロイね」
ロドリック…改めロイは、新しい名前を何度も確かめるように口にする。
「んじゃあ、俺は今日からロイだ。そんでもって、お前の部下。……よろしく、騎士団長」
「ああ……よろしく、ロイ」
そう新しい名前を呼びながらも、エルヴィスは自分が出会った時の“ロドリック“の名前が馴染みすぎていて、その後なかなか“ロイ“と呼ぶことはできなかった。
エルヴィスにとっては仮の名前でも、ロイにとっては既に特別な名前になっていたということに、もうしばらくは気付かない。
そしてそれに気付くのは、エルヴィスの運命をまた揺るがす相手―――アイラと出会ったあとになる。




