79.エルヴィス・ヴァロアの物語⑤
「よっエルヴィス!元気か?」
そう言って窓から部屋へ入って来たロドリックは、ベッドですやすやと寝息を立てるトリシアに気が付いて口元を押さえる。
「やべ、あんまうるさいと起こしちゃうよな。おチビちゃんも元気か?」
「……元気だよ。おかげさまで」
肩を揺らしながらエルヴィスはそう答える。ロドリックを見ると、不思議と気が緩むのだ。
「それで、どうしてここが分かったんだ?というか、どうやって城に侵入した?」
「おいひでぇな、侵入前提かよ」
「……誰かに城に招かれたとでも?それなら夜に窓から入って来たりしないだろ」
「半分正解だな。招かれたけど、秘密裏に招かれたってことだ」
人差し指を唇に当て、ロドリックがニヤリと笑う。エルヴィスは片眉を持ち上げた。
「……秘密裏に招かれた?誰に。妄想か?」
「おまっ、命の恩人に向かって酷すぎるぞ!?」
泣き真似をするロドリックを、エルヴィスは冷めた目で見る。
確かに命の恩人だが、ロドリックのペースに付き合って話していては夜が明けてしまう。
「さっさと話せ」
「わー冷たい。……はいはい、騎士団長さんだよ」
「………団長?」
エルヴィスは眉を寄せた。ロドリックは騎士団に捕まりたくないと言っていたが、どこで接点を持ったのだろうか。
「俺さぁ、あの夜…実はこっそり隠れてエルヴィスを見てたんだよ」
「は?」
「いや、その、心配でさ。…気配は完全に消してたつもりだったんだけど、あの団長は気付いたみたいで。あとから来た別の騎士と、エルヴィスが先に城に行っただろ?そのあと不意を突かれて捕まったんだよな」
ロドリックが頭をガシガシと掻く。
「んで、笑顔で問いただされて、俺はやけになって全部洗いざらい話したワケ。このまま牢に入れられてもしゃーないって思ってさ」
「……ここにいるってことは、そうならなかったんだな?」
「そ。俺があの男たちを倒して、エルヴィスを助けたことを知った団長は、見逃す代わりに交換条件を二つ出してきた」
一つ、と言いながら、ロドリックが指を立てる。
「今後一切、暗殺の類には関わらないこと。そんで二つ目は、お前が望む限り、俺がお前の話し相手になること」
「………話し相手」
「ぶっちゃけた話、あの団長はお前の精神面が心配なんだろ。で、捕まりたくない俺はその条件を受け入れた。ただ、堂々とこの城に出入りするには身分が怪しいってことで、教えられたこの部屋にこっそり来た次第であります」
つまりゼラスは、ロドリックを闇の仕事から引き離し、エルヴィスの精神面を考慮して話し相手として充てがったということだ。
そこまでしてくれるのは、騎士団長の仕事なのだろうか。
「……まあ、良い人なんだろうな、あの団長。俺のこと、ちゃんと一人の人間として見てくれてた」
「………ロドリック」
少し悲しげに目を伏せたロドリックが、脇腹をさする。その行動の理由が、傷が痛むからなのか、また違う理由なのかは、エルヴィスには分からない。
ただ、それを知りたいと思った。
「……聞かせてほしい。お前が歩んだ道を…どうしてあの日、出会ったのかを」
「聞いても面白くねぇぞ?なんだエルヴィス、そんなに俺に興味ある感じ?」
「ああ、ある」
ハッキリ答えて頷けば、ロドリックは面食らったような顔をして、すぐに嬉しそうに笑った。
「そんじゃ、簡潔に話してみせよう。俺はお前と同じ…孤児だった」
そこから語られた話は、エルヴィスの想像を超えたものだった。
ロドリックは両親に暴力を振るわれ、命からがら逃げ出し、治安の悪い土地で路上暮らしをしていた。
その日その日を生きることに必死で、自分より格上と戦うすべを身につけたロドリックは、つい最近まで所属していた組織から勧誘を受ける。
その組織は、裏の仕事を引き受け、実行していた。特に多いのが、金持ちの貴族からの依頼だったという。
闇取引や、密偵の仕事、そして暗殺。多岐にわたる悪事の片棒を担ぐために、徹底的に鍛えられた。
初めて暗殺の依頼を受けたとき、ロドリックは心を殺した。生きるために、自分という人間を消した。
それから、人の命を奪う仕事を受けるたび、名前を変えて自分を捨てていった。
やがて、大掛かりな仕事が舞い込んでくる。
例によって貴族からの依頼で、孤児院にいる全ての人間の暗殺依頼だったという。
その依頼主は、孤児院の所有者だった。
金遣いの荒いその人物は、自分の評価を上げるためだけに孤児院を建てた。しかし、維持費を払うのが年々勿体なく思っていた。
孤児院を取り壊そうかと思ったが、管理を任せた夫婦に反対され、挙げ句もっと十分な資金を寄越せと言ってくる。
それを鬱陶しく思った人物は、孤児院ごと人を消してしまおうと考えた。証拠を残さなければ、賊の仕業にできると思ったのだ。
実行は二年後と指定された。その時期に重要な役職の選抜があるらしく、孤児院の痛ましい事件を利用し、その人物は情に訴える作戦にするという。
自分と同じ孤児たちに興味を持ったロドリックは、こっそりと偵察に向かった。
孤児院から一人の少年が森へ歩いて行くのを見て、気になって追いかけた―――それが、エルヴィスだった。
予想外だったのは、気配を消していたはずだったのに、エルヴィスに見つかってしまったこと。
暗殺の依頼がバレたとなれば、ロドリックは間違いなく組織に消される。
いざとなったら手に掛けるしかないと思ったとき、エルヴィスの提案が命を救った。
誰かに何かを教えるという行為は、ロドリックの初めての経験だった。それが新鮮であり、教えたことをエルヴィスが吸収していくのを見るのが楽しみだった。
そして、今まで消してきた過去の自分が問い掛けたという。
―――お前は、このままでいいのか?と。
「……そして俺は、このままじゃ嫌だ、とハッキリ思った」
ロドリックが腕を組み、窓辺に寄りかかりながらそう言った。
もう人を殺めたくないと思ったロドリックは、まず依頼主の貴族を説得しようと試みた。
様々な理由で言いくるめようとしたが、失敗に終わる。そしてロドリックの上司へと告げ口され、勝手なことをするなと個室に閉じ込められたという。
再教育だと、仲間たちにわざとらしく暴力を振るわれた。そこでロドリックは、もう表立った行動を取ることはやめ、実行の当日に全てを賭けることにした。
けれど、上司に疑われていたロドリックは、実行直前にまた部屋に閉じ込められた。
見張りについていた男たちを何とか倒し、部屋を抜け出した。
そしてひと泡吹かせたいと思い、上司の部屋から長剣―――それも、対魔術用の高価な剣を、盗んだという。
「……ちょっと待て。この剣、お前の上司のものなのか?」
エルヴィスが眉を寄せて確認すれば、ロドリックがけろりと笑う。
「元、上司な〜。もう俺はあの組織とは関係ないの。だからその剣も関係なくなったから、つまりエルヴィス…お前のもんだ!」
「どんな屁理屈だそれは」
「まぁまぁ、いーじゃんか。その剣はずっと部屋に飾ってあったし、コレクションか何かだって。使ってないって…たぶん」
はあ、と大きなため息を零しながら、エルヴィスは毎日綺麗に手入れをしている長剣を見た。
変な曰く付きだったりしたら、ロドリックを恨もうと心に決めた。
「……とりあえず、お前のことは分かった。それに、孤児院の所有者がとんでもないヤツだったということもな」
孤児院を任された頃から、きっと院長夫妻は苦しい思いをしていたんだろう。それでも弱さを見せず、孤児院の子どもたちのことを一番に考えていてくれていた。
もっと早く、孤児院の現状に気付けていれば。
今さら後悔しても、もう手遅れだと分かっているが、どうしてもエルヴィスは考えてしまう。
エルヴィスの心境を読んだかのように、ロドリックが悲しげに微笑んだ。
「……ごめんなエルヴィス、俺がもっと上手くやれてれば良かったんだ」
「そんなこと…言うな。お前のせいじゃない。お前のおかげで、俺とトリシアは助かったんだ」
強めにそう言えば、ロドリックは「優しいねぇ」と呟く。
「……俺はお前に救われたんだよ、エルヴィス。お前に会えたから、俺なんかを慕ってくれたから…変わりたいと、そう思えたんだからさ」
「ロドリック……慕ってるとは言ってない」
「え、ちょい待って、今すっごいいい感じで喋ってたんですけど?そんな心抉るようなこと言う??」
目を合わせ、一瞬の沈黙ののち、どちらともなく笑い出す。
ゼラスがロドリックを捕らえず、こうしてエルヴィスの話し相手として導いてくれたことに感謝した。
「……団長には、今の話をしたんだよな?」
「そうそう。すぐにでも組織の調査に入るって言ってたけど、どうなったかは知らん。俺としては、壊滅させてくれないと安心できないけどな」
エルヴィスの前で、ゼラスは一度も孤児院の話は出さない。
気遣ってくれているのだろうが、こうして世話になっている以上、いつまでも甘えるわけにはいかなかった。
騎士になると決めたからには、心身ともに強くありたかった。
「じゃあ、そろそろ寝る。次はいつ会えるんだ?」
「ん〜約束はできないな。団長がいくつか俺にもできそうな仕事を割り振ってくれてるから、それの合間で来れそうなとき来るわ」
「分かった。おやすみ」
「いや、急にアッサリだな!?」
そういうヤツだよなお前は、と笑いながら、ロドリックがひょいと窓枠に足を掛ける。
「んじゃ、またな。お互い頑張ろうぜ」
「ああ、また」
短い別れの挨拶を交わし、ロドリックは闇に消えていく。エルヴィスはトリシアの隣に横たわり、そっと頭を撫でながら目を閉じた。
それから、エルヴィスは前よりも鍛錬に打ち込むようになった。
もともと才能があったのか、剣の腕はどんどん上達する。
騎士団員が代わる代わる教えてくれたので、それぞれの得意なことを吸収できたのが大きかった。
ある程度強くなったと感じたところで、エルヴィスはゼラスに話す時間を作ってもらった。
孤児院での事件の話を、知りたかったのだ。
「ゼラス団長、あの夜の顛末を教えてくれ。ロドリックのいた組織は捕まえたのか?」
「おおう、いきなりぶっこんだ話題だなぁ」
ゼラスは苦笑しながらも、言葉を選びながら説明してくれた。
あの日、騎士団に孤児院が襲われていると伝えたのはロドリックだ。姿を隠しながら、門番に伝言を頼んだらしい。
報告を受けた騎士が、ゼラスに連絡を取った。ちょうど孤児院の一番近くに任務で出ていたのが、ゼラスだった。
そして知らされた敵の人数から、できる限り最速で人を集め、孤児院へ向かった。
一歩足を踏み入れれば、何人も血まみれで倒れている。そして窓が割れていたことから、何者かが森へ入っていったと気付いた。
気配を探りながら、副団長のシリルと共に森へ入り、エルヴィスを見つけたのだ。
「……それからの話は、ロドリックに聞いたんだろう?俺は彼を引き入れ、組織の現状を探った。それで、簡潔に言えば根城を見つけて、捕らえた」
「!」
「全員を捕らえたのかは分からない。それでも、被害者は減らせるはずだ。それから…」
ゼラスは言葉を区切り、エルヴィスの頭をポンと叩く。
「……孤児院の所有者の貴族も、きちんと証拠を揃えて捕まえた。この結果で君が安心できるかは分からないけどな」
「………ありが、とう」
予想していなかった報告に、エルヴィスは唇が震えた。ゼラスが優しく目を細める。
「さて、このあとも鍛錬するのかな?」
「……もちろんだ」
「よし、少し時間があるから俺が手合わせしよう」
エルヴィスは頷くと、軽い足取りで団長室を出た。
***
恵まれた環境で、エルヴィスは剣術を磨いていく。そして十五を迎え、騎士団の入団資格が与えられた。
ゼラスに願書を貰い、さっそく記入していたエルヴィスは、出だしからピタリとペンを持つ手を止めた。
ゼラスが「どうした?」と覗き込んでくる。
「………家名の欄って、空欄でもいいのか?」
孤児のエルヴィスには、家名が無い。眉をひそめながらそう問い掛ければ、ゼラスは笑った。
「何だ、家名ならあるだろ?」
「え?」
「エルヴィス・ヴァロアだ」
―――ヴァロア。だってそれは、ゼラス団長の家名だ。どうして俺に…?
エルヴィスが信じられないような目で見ると、ゼラスがぷはっと息を吐き出す。
「おいおい、今までで一番マヌケな顔してるぞ?」
「だっ、て…ヴァロアって…」
「俺は奥さんも子どももいないし、家族を作るにはちょうどいいだろ?」
何がちょうどいいのか分からないし、そもそも子どもは苦手だと言っていたくせに…そう言い返したかったエルヴィスだったが、言葉に詰まって飲み込んだ。
また家族ができるなど、思ってもいなかったからだ。
そしてエルヴィスは、ゼラスの前で書類に名前を書き込む。
―――“エルヴィス・ヴァロア”
妙にしっくりときたその名前を見て、エルヴィスとゼラスは顔を見合わせて笑い合った。
エルヴィスの名前は、入団試験の日から瞬く間に広まることになる。
騎士団長と同じ家名に加え、誰もが目を見張る実力を持っていたからだ。
さらに、珍しい黒髪と紅蓮に燃えるような瞳を持ち、整った容姿をしていたエルヴィスは、そこにいるだけで人目を引いた。
大人びた雰囲気も合わせ、入団試験に合格した同期からは、羨望の眼差しを送られるようになる。
けれど、誰もがエルヴィスを受け入れたわけではなかった。
エルヴィスが孤児院出身であることは、知らずの内に騎士団に広まっていた。
エルヴィス自身がそれを否定することは絶対に無いし、問題があるとも思っていない。
けれど、それなりの地位のある騎士は、エルヴィスが目立つことが気に食わないようだった。
表立って嫌がらせなどはされなかったが、悪意ある言葉を投げつけられることはあった。
エルヴィスはそれを相手にしなかったし、庇ってくれる騎士もいた。
けれど、どこか周りの騎士たちからは浮いた存在のまま、エルヴィスは騎士としての道を歩んでいく。
また運命の分かれ道が訪れたのは、それから約四年後、エルヴィスが十九のときだった。
隣国との関係が悪化し、相手が攻めて来るとの情報が入り、国中が騒然としていた。
それに便乗し、小競り合いや暴動が各地で多発し、騎士団はその対応に追われていた。
ろくに眠れることのない日々が続き、騎士たちは肉体的にも精神的にも参っていた。
そんな中、騎士団長であるゼラスが任務中に突然倒れたのだ。
「―――団長!!」
知らせを聞いたエルヴィスは、すぐに病棟へ向かった。ベッドの上にいたゼラスは、エルヴィスを見ると苦笑する。
「どうした?そんなに慌てて」
「……倒れたって…!」
「ああ、過労だなぁ。年齢のせいもあるし足腰がもう…」
「嘘を…つかないでくれ…!」
エルヴィスが絞り出した声でそう訴えると、ゼラスは頭を掻いていた手を止めた。
誤魔化そうとするとき、ゼラスは必ず頭を搔く癖があるのだ。
少しの沈黙ののち、視線を落としたゼラスが真剣な顔をしてからエルヴィスを見た。
「―――進行性の病だ。医者の見立てでも、あとどのくらい持つのか分からない」
エルヴィスは、足元がぐらりと傾く感覚に襲われる。
また親代わりの存在を奪われるのかと、ただただ絶望感に支配されていった。
―――そして無情にも、二ヶ月後には隣国が攻めて来ることになるのだった。




