78.エルヴィス・ヴァロアの物語④
ポツポツと、徐々に雨が降り出した。
背後でドサリと音が聞こえ、ロドリックが盛大に舌打ちする。
「っあー!いってぇ!」
「………」
「そっちは平気だな?さすが俺が仕込んだ男だな」
「………」
一向に動こうとしないエルヴィスの近くまで、ロドリックの足音が近付いてくる。
そのまま腕を引っ張られ、半ば無理やり立たされた。
「おい、エルヴィス」
「………」
「いいのか?このままじゃ風邪ひくぞ、あの子」
あの子、の部分でロドリックが指を差したのは、地面に横たわるトリシアだ。雨足がどんどん強くなっている。
エルヴィスはようやく動き出した。
「…………トリシア…」
ふらふらと近寄り、そっと体を抱き起こす。
温かい体温と、規則的に聞こえる呼吸の音を確かめると、エルヴィスの瞳からまた涙が零れた。
―――…生きてる。
トリシアを抱いて立ち上がると、エルヴィスは木陰に移動した。完全に雨を凌げるわけではないが、いくらかマシだ。
そしてようやく、ロドリックに視線を向けた。
腕を斬られたのか出血しており、それ以外にも目立つ傷がいくつかあった。
整った顔も、切り傷や打撲の痕があり痛々しい。
「……ロドリック…」
「そんな顔すんなよ。このケガは全部、俺なりのケジメだ。……もう分かってると思うけど、俺はコイツらの同業者だ。主に暗殺を請け負う、殺人集団だよ」
雨に濡れた前髪の隙間から、ロドリックの瞳が冷たく細められる。
「……俺は、コイツらと同じことをする目的で、お前に近付いたんだ」
「………」
「さ、早く孤児院の方へ戻れ。騎士団に通報しといたから、すぐ助けが来ると思うぜ」
ロドリックがそう言うと、確かに孤児院の方から何か叫んでいるような声が聞こえてきた。
駆けつけた騎士団が、孤児院の中の惨状を見つけたのだろうか。
ただ、エルヴィスはすぐに戻る気にはなれなかった。
アーロの亡骸をこのままにしておくわけにもいかないし、何よりロドリックの態度が気になっていた。
「……ロドリックは、どうするんだ」
「ははっ、俺の心配なんかしなくていーよ。どうせ騎士団に追われる身だ…捕まるまで逃げるつもり。それとも、お前が俺を捕らえるか?」
挑発するように、ロドリックが首を傾げる。エルヴィスは眉を寄せた。
「捕らえる?どうしてだ。俺を助けに来てくれたんだろ」
「違いますー、たまたま知ってる場所に来たらなんか小さいのが襲われてるから、正義の味方ごっこをしてみたくなっただけですー」
「……そうか。ありがとう」
「何でそこでお礼言っちゃう!?」
ふざけているように見えるロドリックだが、経緯がどうであれ、エルヴィスを助けてくれたことには変わりはない。
助けに来てくれたその背中が、どんなに頼もしく思えたか、ロドリックは知らないだろう。
「……行かないでくれ、ロドリック」
「え?騎士団にこのまま捕まれって言ってる?」
「そうじゃ、なくて…」
エルヴィスはもごもごと口ごもる。
また置いていかれたくないだなんて、子どものような我儘を口にすれば、からかわれるに決まっていた。
ロドリックはエルヴィスの前までやってくると、額をピシッと指で叩いた。
「そんな辛気臭い顔すんなって。落ち着いたら、あとで必ず会いに行くから」
「………本当か?」
「信用ないかもしれないけどな…約束する。だからまずお前は、この先の歩む道を決めろ」
額を押さえたエルヴィスは、ぎゅっと唇を結んだ。
孤児院と家族を失ったエルヴィスとトリシアは、この先どうなるのか分からない。
「おっと、誰か来てるな。いいか、まずしっかり休め。心の整理をしろ。話はそれからだからな……っと、その前に」
ロドリックがエルヴィスの頭をわしゃわしゃと撫でる。水滴が顔に飛んできた。
「―――良く戦ったな」
ニッとロドリックが笑う。唇を結んだまま、エルヴィスの瞳からは涙が零れた。
からかわれたら、雨だと言い張ろうかと思ったが、ロドリックは何も言わずにもう一度頭を撫でる。
そして、いつの日かと同じように、あっという間に森の中へと消えた。
「……団長、本当にこっちに人の気配が?」
「……ああ、間違いないぞ。声も聞こえたし…」
ロドリックが去って行った反対側から、二人の人物が現れた。身に纏う服で、すぐに騎士団だということが分かる。
立派な髭を生やした男が、現場を見て目を見開いた。
「なっ…!?何だこれは!?」
「大人なので、孤児院を襲った犯人ですかね。……団長、あの子どもは…?」
もう一人の男が、エルヴィスに気付いた。団長と呼ばれた髭の男が、すぐに駆け寄って来る。
男はその場に片膝を着くと、エルヴィスの目線に高さを合わせてくれた。
たったそれだけの行動で、この人は信頼できるとエルヴィスは判断する。
「………君、ケガは?」
首を横に振り、エルヴィスはすぐ後ろにいるトリシアを見た。
「……早くこの子を、温かくて安全な場所へ連れてってほしい」
「………!この子も無事なのか。分かった、すぐ連れて行こう。シリル!」
シリルと呼ばれた男が、足早にやって来てトリシアを抱きかかえた。自身の団服の上着を、そっと掛けてくれている。
「先に城の医務室へ。魔術具の使用を許可する」
「了解しました」
シリルはその場で魔術具を取り出し、魔力を込めるとトリシアと一緒に転移した。
団長らしき男は、そのままエルヴィスをじっと見つめている。
「……何か、俺にできることはあるか?」
「………」
もう動かない大人の男が四人と、子どもが一人。そして、生き残っているのは子ども二人。
訊きたいことはたくさんあるだろうに、目の前の男は何一つ話題に触れてこない。
ただ分かるのは、エルヴィスを心配してくれているということだった。
「……アーロを…」
雨に打たれたままのアーロに、エルヴィスは視線を向ける。
「……家族を……ちゃんと、埋葬してほしい…」
声が震えた。孤児院で一人、また一人と命を奪われていく光景を思い出し、恐怖が蘇る。
体も震え始めたとき、エルヴィスは強く抱きしめられていた。
「騎士団長として、約束する。……頑張ったな、もう我慢しなくていいぞ」
「……………っ」
濡れた団服は冷たく、それでもエルヴィスは大きな背中に腕を回した。
「……わあああぁぁぁぁっ…!!」
今まで出したことのない大声は、雨の音と混ざって森に吸い込まれていった。
***
気付けば、エルヴィスはどこかのベッドの上にいた。
見慣れない天井に、寝心地の良いベッド。ゆっくりと体を起こせば、薬品の匂いが鼻をついた。
「………」
頭はまだぼんやりとしていたが、全ての光景はエルヴィスの脳裏に焼き付いていた。
あの出来事を夢だと片付け頭の隅に追いやることは、とてもできなかった。
エルヴィスはベッドから下りようとしたところで、ふと動きを止める。
仕切られたカーテンの隙間から、じっとこちらを見つめる目があった。
「………」
「………」
数秒見つめ合ったのち、カーテンが勢い良く開く。
「いやぁ!見つかっちゃったなぁ!」
大口を開けて笑いながら現れたのは、騎士団長と呼ばれていた男だった。
白髪混じりの焦げ茶の髪に、整えられた顎髭。垂れ目がちな瞳は、綺麗な空の色だった。
「おっと、自己紹介がまだだったな!俺は騎士団長を務めるゼラスだ。ゼラス・ヴァロア」
「………エルヴィス…」
「エルヴィスか!格好いい名前だな!」
ニコニコと笑みを浮かべるゼラスは、そのまま窓辺に近付いていった。
「昨夜は土砂降りだったが、今日は見てみろ、スッキリ快晴だぞ!」
「………そう…ですね」
「こんないい天気の日はあれだな、ピクニックでもしたくなるなぁ!」
「………そう…ですね」
笑顔を貼り付けたまま、ゼラスが固まる。エルヴィスが反応に困っていると、急に「あ゙ぁ゙〜〜〜」と唸って顔を覆った。
「ごめんなぁ、俺子ども苦手なんだよ!テンションで乗り切れるかと思ったけど、君落ち着きすぎでしょ!?精神年齢高くない!?」
「……ええと…」
どうしたものかと窓の外へ視線を向けたエルヴィスは、庭を走り回る小さな姿を見つけて勢いよくベッドから下りた。窓を開けると、身を乗り出す。
「トリシア!!」
名前を呼ばれたトリシアは、きょろきょろと辺りを見渡し、上を見る。
エルヴィスの姿を見つけると、顔を輝かせて両手を大きく振った。
「兄ちゃーん!!おはよー!!」
無邪気に笑うトリシアの姿を見て、エルヴィスはホッと息を吐く。
トリシアの近くにいたのは、昨日トリシアを抱えてくれた騎士、シリルだ。エルヴィスに向かって軽く手を振ってくれる。
「……少し、安心したか?」
窓枠に手を掛け、ゼラスがそう声を掛けてきた。エルヴィスは頭を下げる。
「……ありがとう。トリシアを…俺たちを、助けてくれて」
「顔上げて上げて!騎士として、人を助けるのは当然だろ?子どもは苦手だが、笑っていて欲しいとは思う」
エルヴィスはゆっくりと顔を上げながら、躊躇いつつ口を開く。
「……それで…あの、昨夜の…」
「ああ、聴取?いいぞいつでも。明日でも明後日でも、なんならひと月後でも半年後でも」
「……え?」
冗談だろうか、とエルヴィスは思った。あんなに死者が出た事件なのに、悠長に構えている余裕はないはずだ。
けれど、ゼラスは悪戯に笑っている。
「思い出したくないことを、無理に思い出させて言葉にさせるなんて、俺の騎士道に反するんだ。だから、話せるようになるまでいつまでもここにいていいぞ」
「ここ、って…」
「騎士団に決まってるだろ?」
どくん、と心臓が高鳴る。少なくとも、路頭に迷うことはなさそうだ。
そして何より、騎士団という存在が、エルヴィスの心を揺さぶった。
―――アーロが夢見ていた、騎士。俺も、本当は―――…。
ぎゅっと拳を握るエルヴィスを、ゼラスは優しい眼差しで見ている。その姿が孤児院の院長だったブレットと重なり、不意に泣きそうになった。
孤児院で共に過ごした大切な家族は、もういない。
まずはその事実を受け入れ、向き合い、トリシアと強く生きていかなければならない。
「……ゼラス、団長」
「ん?」
「俺とトリシアを、ここに置いてください。何でもします。二人で生きていける力をつけたら、出ていきます。だから…それまで、もっと強くなれるように鍛えてください」
お願いします、とエルヴィスは再び頭を下げる。その頭の上に、大きく優しい手のひらが乗せられた。
「いいだろう。君たちをここへ連れてきたのは俺の判断だから、最後まで責任を持つよ」
「……っ、ありがとう、ございます」
「ただし、一つだけ条件を飲んでくれ」
コホン、と咳払いしたゼラスを、エルヴィスは見上げる。
「敬語、やめてくれ。子どもに敬語使われると、こう……ムズムズする!」
「……………」
そう言ったゼラスの顔が可笑しくて、エルヴィスは思わず吹き出した。
「歳上の威厳がないな、騎士団長」
「おおう、困ったことによく言われる」
笑いながら、エルヴィスは自分自身に安心していた。
良かった、笑い方を忘れたわけじゃない―――そう思いながら。
窓の外から、トリシアの楽しそうな笑い声が届く。まだ小さな彼女の記憶に、昨夜の光景が残ってこないことをエルヴィスは願った。
絶望を飲み込み、抱えて生きるのは一人だけでいい。そしてエルヴィスは、アーロに託されたトリシアを、護っていこうと決めた。
―――俺は…アーロの遺志を胸に、騎士を目指す。
澄み渡った空を見ながら決意したとき、今後に待ち受ける数々の運命を、エルヴィスはまだ知る由もなかった。
***
それから、騎士団で生活する日々が始まった。
ゼラスは全ての責任は自分が取ると言って、城内にある騎士団長の部屋に、エルヴィスとトリシアの部屋を用意してくれた。
そして、ゼラスが仕事をしている間、手の空いている騎士がエルヴィスとトリシアの相手をしてくれることになった。
エルヴィスは剣の指導を、トリシアは遊びながら知識や教養を身に着けた。
「……ああ、やっぱりお前たち魔力があるなぁ」
トリシアを肩車しながら、シリルが言った。トリシアが懐いているこの男は、副団長という役職についているらしい。
エルヴィスは長剣を磨きながら眉を寄せる。
「……お前、たち?」
「そう。お前と、トリシア。魔力の少ない俺でも感じられるから、相当な魔力持ってんじゃないか?」
そう言われても、エルヴィスはいまいちピンとこなかった。孤児院では魔力の勉強はなかったし、魔力があるという感覚も分からない。
「訓練すれば、魔術師になる道も選べると思うぞ?」
「ふーん。興味ない」
「うっわ、それ外で言うなよ。敵作るぞ」
シリルが苦笑しながら、トリシアを肩車したまま剣を振るいだした。トリシアは楽しそうに笑っている。
「……俺は興味ないけど…もし可能なら、トリシアには魔術を教えてやってほしい」
「トリシアに?」
「少しでも、生き抜く選択肢が広がるように」
エルヴィスの答えに、シリルは一瞬悲しそうに表情を曇らせた。けれど、すぐに笑顔を作る。
「分かった、団長に言っとくな。……トリシア、将来は魔術師かぁ〜?」
「わーいまじゅつしー!」
剣を磨きながら、エルヴィスはフッと笑みを浮かべる。そして、この長剣をくれた人物のことを思い出していた。
―――あとで必ず会いに行く。ロドリックはそう言ってくれたけど、どうやってここまで来てくれるんだ?
その疑問は、その日の晩にアッサリと解決した。
団長室の一画にあるエルヴィスとトリシアの部屋の窓から、ロドリックがするりと入って来たのだ。
「よっエルヴィス!元気か?」
「………」
あまりに何事もなかったかのような態度のロドリックに、エルヴィスは思わず笑ってしまったのだった。




